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第四章
泣き泣き(5)
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「しゃ、社長がどうしたんですか?! まさか、社長の身になにかっ……」
「社長が……社長が、ずっと拗ねたままなんです!」
「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………は?」
しばらく、オレは真顔でマルカさんを見ていた。
数秒後、はっとする。「とりあえず落ち着きましょう」と声をかけ、部屋の隅にあった座布団をベッドの側に持ってきた。そこへ彼女を座らせ、自分はベッドにもたれるようにしてその前にあぐらをかいた。
マルカさんはうつむき、暗い顔と声で話し始める。
「……あのとき、わたしはあの場にいませんでしたが、その後君縞先生から当時の状況をうかがいました。社長は風音寺さんから度重なる新薬への不信感を浴びせられ、耐えきれなくなって『もういい』と言ってしまったんだと思います。ああ見えて、繊細な人ですから」
「せ、繊細って……あの人が? あのやりとりだけで……?」
「はい。なんせ、社長にとってあの新薬は、生きる糧のような存在なのです。社長はこれまでの人生で、膨大な時間とお金を薬の研究に捧げてきました。新薬の原料となった植物を見つけてからはさらにそれは加速し、大げさではなく寝る間も惜しんで研究に没頭してきたのです。苦労して作り上げた薬ですから、それを否定されたのが耐え難かったのでしょう。先日、社長が昔、大きな製薬会社の研究者をしていた、ということはお話ししましたよね」
「あ……はい」
「その会社を辞めるきっかけになったのが、社長のお父様のご病気でした。重い病気に侵されたお父様は、治療薬の副作用に苦しみ、やがて治療を拒否されたそうです。その様子を見て、社長は息子として、そして薬の研究者として、大変苦悩したと聞いています。お父様の回復の見込みはなく、社長は努めていた企業を辞職し、相殺堂を継ぎました。そして、副作用のない薬を作るため、研究に没頭し始めたのです。副作用のない薬というものは、存在しません。それでも、社長は開発を目指しました。残念ながら、薬の完成を待たずお父様はお亡くなりになられましたが……社長の想いはあのころから変わっていません。今でも、あの時の副作用に苦しむお父様の姿と向き合っているのでしょう」
なんと言ったらいいか、わからなかった。あの社長に、そんな事情があったなんて。
マルカさん、この期に及んで嘘なんかつかないよな? こういう嘘で泣き落とすなら、もっと早くやってるだろうし……
なんだよ、今さら。見る目が変わってしまうじゃないか。
「……でも、あの新薬って確か、『薬の効果をなくす薬』だって言ってませんでした?」
「ええ。ある日偶然、新薬の原料となったあの植物を庭で見つけた社長は、その植物の研究をはじめました。もちろん、副作用のない薬の原料になり得たら、と思ったからです。しかし研究を進めるうち、その植物の毒の成分がある効果を表す可能性を発見しました。その後研究続け、できあがったのがあの新薬なのです」
「じゃあ、社長としては、目的としてない薬ができてしまったってこと?」
「そう……でもないのかもしれません。社長が途中で開発をやめなかったのには、理由があります。通常、薬の副作用というのは、原因となる薬の使用を停止すればなくなります。ですが、中には停止しても症状が出続けたり、時間が経ってから症状が出るケースも確かにあるのです」
「あ。それ、前に君縞さんから聞いたことがあります」
「もちろん、社長はそのことをご存知です。ですから、そういったことに苦しんでいる人を救えたらという思いに駆られ、新薬を完成までこぎつけたのだと思います」
「……そこでたまたま出会ったのが、オレってことですか?」
「その通りです、風音寺さん。新薬の完成後、社長は薬を使ってもらえる相手を探し始め、わたしがあなたを見つけ、そしてあなたが奇遇にも該当者だとわかりました。その時、社長は本当に、本当に喜んでいたのです。感情表現が独特なので伝わらなかったかもしれませんが、社長は誰よりも、風音寺さんの症状を治してあげたいと思っていたのは間違いありません」
オレは黙り込んだ。
昨日、薬についてネットで調べた時、「臨床試験」というものの内容を知った。いわゆる「難病」と呼ばれる病に侵され、その病に効果のある新薬を待ち望んでいる患者さんが大勢いることも知った。治験に参加することを、願ってやまない患者さんが大勢いることも知った。
相殺堂のやり方はどうであれ、オレはその「治験」に選ばれたのと同じようなものなんだ。これが稀な機会であることは、今ならわかる。例えば今回の件が大企業の「治験」であったならば、オレはきっともっと前向きにそれを受けたはずだ。
「それなのに……今はまったくやる気を失くしてしまって……通常の製薬も研究も投げ出してしまったどころか、呑めないお酒まで呑みだして……もう、わたしには見ていられません」
「えっ……?! あ、あの人、そんなことになってるんですか?!」
「風音寺さん。社長が壊れた原因は、間違いなくあなたの言動です。風音寺さんによって失われた誇りは、風音寺さんにしか立ち直らせることはできないと思います」
オレは僅かに眉をひそめた。
「社長が……社長が、ずっと拗ねたままなんです!」
「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………は?」
しばらく、オレは真顔でマルカさんを見ていた。
数秒後、はっとする。「とりあえず落ち着きましょう」と声をかけ、部屋の隅にあった座布団をベッドの側に持ってきた。そこへ彼女を座らせ、自分はベッドにもたれるようにしてその前にあぐらをかいた。
マルカさんはうつむき、暗い顔と声で話し始める。
「……あのとき、わたしはあの場にいませんでしたが、その後君縞先生から当時の状況をうかがいました。社長は風音寺さんから度重なる新薬への不信感を浴びせられ、耐えきれなくなって『もういい』と言ってしまったんだと思います。ああ見えて、繊細な人ですから」
「せ、繊細って……あの人が? あのやりとりだけで……?」
「はい。なんせ、社長にとってあの新薬は、生きる糧のような存在なのです。社長はこれまでの人生で、膨大な時間とお金を薬の研究に捧げてきました。新薬の原料となった植物を見つけてからはさらにそれは加速し、大げさではなく寝る間も惜しんで研究に没頭してきたのです。苦労して作り上げた薬ですから、それを否定されたのが耐え難かったのでしょう。先日、社長が昔、大きな製薬会社の研究者をしていた、ということはお話ししましたよね」
「あ……はい」
「その会社を辞めるきっかけになったのが、社長のお父様のご病気でした。重い病気に侵されたお父様は、治療薬の副作用に苦しみ、やがて治療を拒否されたそうです。その様子を見て、社長は息子として、そして薬の研究者として、大変苦悩したと聞いています。お父様の回復の見込みはなく、社長は努めていた企業を辞職し、相殺堂を継ぎました。そして、副作用のない薬を作るため、研究に没頭し始めたのです。副作用のない薬というものは、存在しません。それでも、社長は開発を目指しました。残念ながら、薬の完成を待たずお父様はお亡くなりになられましたが……社長の想いはあのころから変わっていません。今でも、あの時の副作用に苦しむお父様の姿と向き合っているのでしょう」
なんと言ったらいいか、わからなかった。あの社長に、そんな事情があったなんて。
マルカさん、この期に及んで嘘なんかつかないよな? こういう嘘で泣き落とすなら、もっと早くやってるだろうし……
なんだよ、今さら。見る目が変わってしまうじゃないか。
「……でも、あの新薬って確か、『薬の効果をなくす薬』だって言ってませんでした?」
「ええ。ある日偶然、新薬の原料となったあの植物を庭で見つけた社長は、その植物の研究をはじめました。もちろん、副作用のない薬の原料になり得たら、と思ったからです。しかし研究を進めるうち、その植物の毒の成分がある効果を表す可能性を発見しました。その後研究続け、できあがったのがあの新薬なのです」
「じゃあ、社長としては、目的としてない薬ができてしまったってこと?」
「そう……でもないのかもしれません。社長が途中で開発をやめなかったのには、理由があります。通常、薬の副作用というのは、原因となる薬の使用を停止すればなくなります。ですが、中には停止しても症状が出続けたり、時間が経ってから症状が出るケースも確かにあるのです」
「あ。それ、前に君縞さんから聞いたことがあります」
「もちろん、社長はそのことをご存知です。ですから、そういったことに苦しんでいる人を救えたらという思いに駆られ、新薬を完成までこぎつけたのだと思います」
「……そこでたまたま出会ったのが、オレってことですか?」
「その通りです、風音寺さん。新薬の完成後、社長は薬を使ってもらえる相手を探し始め、わたしがあなたを見つけ、そしてあなたが奇遇にも該当者だとわかりました。その時、社長は本当に、本当に喜んでいたのです。感情表現が独特なので伝わらなかったかもしれませんが、社長は誰よりも、風音寺さんの症状を治してあげたいと思っていたのは間違いありません」
オレは黙り込んだ。
昨日、薬についてネットで調べた時、「臨床試験」というものの内容を知った。いわゆる「難病」と呼ばれる病に侵され、その病に効果のある新薬を待ち望んでいる患者さんが大勢いることも知った。治験に参加することを、願ってやまない患者さんが大勢いることも知った。
相殺堂のやり方はどうであれ、オレはその「治験」に選ばれたのと同じようなものなんだ。これが稀な機会であることは、今ならわかる。例えば今回の件が大企業の「治験」であったならば、オレはきっともっと前向きにそれを受けたはずだ。
「それなのに……今はまったくやる気を失くしてしまって……通常の製薬も研究も投げ出してしまったどころか、呑めないお酒まで呑みだして……もう、わたしには見ていられません」
「えっ……?! あ、あの人、そんなことになってるんですか?!」
「風音寺さん。社長が壊れた原因は、間違いなくあなたの言動です。風音寺さんによって失われた誇りは、風音寺さんにしか立ち直らせることはできないと思います」
オレは僅かに眉をひそめた。
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