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第六章
なにもかも。(2)
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瞼が開いても、まだ、夢か現かはっきりとはしていなかった。
頭も身体もふわふわとした状態で、ゆっくりと目だけであたりを確認する。
白い天井。白い壁……ああ、そうか。あの白い部屋にいるんだ。ベッドに、横になっている。壁際の机の前に、君縞さんの横顔が見えた。他には……誰もいないのか……?
僅かに傾いた身体に押され、ベッドが軋む。君縞さんがこちらを向いた。目を見開いて驚いた表情をしたあと、薄い微笑みを浮かべて歩み寄ってくる。
「……よかった。目が覚めたんだね」
「あの……オレ……」
オレは君縞さんから、自分の身になにが起こっていたのかを聞かされた。
薬の蓄積のせいか、薬の量を多くしたせいか……とにかく、ショック症状が出たらしい。
「一時的に昏睡状態になり、脈拍の異常もみられました」
「え……?!」
そう言われても、全く自覚がない。「昏睡状態」なんて、ドラマかなんかで聞くような言葉じゃん。今も頭はぼうっとはしてるけど、まさか、オレがそんな……。
にわかには信じられず、黙り込む。
「ああ、でも安心してくださいね。すぐに処置はしたので、もう容態は落ち着いています。しばらく、安静は必要だと思うけど……」
微笑んでいた君縞さんが、急に、ふっと目を伏せた。
「それで……風音寺くん。きみに、話さなければならないことがあるんだ」
視線を上げ、オレを見つめる。その目が、どことなく陰りを帯びているように感じた。
胸がざわつく。待ってよ、なにを言うつもり――――……?!
「このような症状が出てしまった以上、もう新薬の投与を続けるわけにはいきません」
止める間もなく、容赦なくその言葉は発せられた。
オレは口を半開きにしたまま、呆然として固まる。身体の内側が、ふるえはじめる。
「ど……どういうことですか? 続けるわけにはいかない、って……もしかして、やめる……って、こと……?」
君縞さんは真面目な顔で「はい」と静かに答えた。
「そんな……う、うそでしょ……?」
「うそではありません。残念ですが……」
白い部屋が、沈黙に包まれる。
オレは横を向いていた頭を戻し、天井を向いた。視点が定まらず、白い色が霞んでいく。
……うそだよ。
だって、さっき注射を打つまでは、あんなにもいつも通りだったじゃん。
むしろ、いつもより調子がよかった。昔のオレに戻ったみたいに、軽口も叩けたんだ。
なのに、なんで急にこうなるんだよ。こんなに急に、もう終わり、って、なんだよそれ。
そんなわけないだろ。
だって、社長も絶対治るって言ってたし。
動物実験も、社長に投与した時も、問題なかったんじゃないの?
オレだって、一回目も二回目も、問題なかったじゃん。
順調だった。爪も伸びた。これから、効果が出るはずだった。
なのに、なんで――――……
ぼやけた視界のなかに、すっと、なにかが入り込んできた。
意識が、僅かにそちらに向く。それは、君縞さんがオレに差し出したティッシュだった。
……もしかして、オレは泣いているのだろうか。
そう気がついても、目元に触れて確かめる気にもならない。君縞さんの気遣いを、受け取る気も起きない。
「…………ちょっと、独りにしてもらえますか?」
自分が話しているとは思えないほど、冷静な口調だった。意思を持って言ったのではなく、勝手に口が動いていた。
「……できません。僕はきみを見守らなければなりません」
「なにかあったら、呼びますから。自殺とかもしません」
窓の外から、鳥のような鳴き声が聞こえた。二、三度鳴いて、それっきり、なにも聞こえなくなる。次に長い静寂を破ったのは、君縞さんだった。
「……わかりました。じゃあ、二時間ほどしたら戻ります。なにかあれば、呼んでください」
静かな足音と、ガチャン、というドアの閉まる音がする。視線を向けて確かめてはいないけれど、君縞さんは部屋を出て行ったようだ。
独りきりになった部屋で、オレは慟哭した。
しゃくりあげながらも、実は心の奥底では、「さっき投与した薬の分で、治っている可能性があるのではないか」という淡い……いや、強い期待も捨ててはいなかった。
しかし、それもあっけなく壊された。
いつものごとく、あの重いだるさが背筋を這うようにこの身体を蝕んできたのだ。
それでもオレは君縞さんを呼ばなかった。
このだるさの原因がなんなのか、薬の影響かどうかなんて、どうでもよかった。
今回は、ただふりだしに戻ったのではない。
「元の身体を取り戻す」というゴールを目指し、期待や不安、恐怖、我慢などで作り上げられた階段を一歩ずつ上ってきた。その途中で突き落とされたのだ。上った高さの分だけ、受けたダメージは大きい。
いっそのこと、誰かオレを存在ごと消してくれないかな。
どうして、こんな思いをして生きていかなければならないんだろう。どうせオレは、また自分を見失うのに。ままならない未来が見えているのに。
他に治療法があるかもしれない。時間の経過と共に、治癒するかもしれない。
そんな「もしかして」レベルの希望なんて、所詮、支えにはなってくれないんだよ。
オレは自分の意思で動ける。話せる。死を宣告されたわけでもない。
だけど、オレにとって今の自分の状況は「困難」でしかないんだ。その真っただ中にいる今、前を向こうなんて、そんなことは浮かんでこない。
自分だけに与えられたこの孤独な悲しみと痛みに、深く浸るだけだ。
闇と化した倦怠感が、じわじわとオレを食い尽くしていく。抗う気すら起きない。
もう……オレは疲れたんだ。
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