毒と薬の相殺堂

urada shuro

文字の大きさ
35 / 51
第六章

なにもかも。(3)

しおりを挟む
 君縞さんが戻ってきたのは、カーテンから透けていた夕日がすっかり消え失せたころだった。
 食事を運んできてくれたものの、食べる気がしない。ベッドに寝転んだままのオレに向かって、君縞さんは「今日は、僕がここで一緒に泊まらせてもらいますね」と言った。

(……社長は……?)

 まだ気持ちは上の空ながら、オレはぼんやりと頭の中で問いかける。
 そういえば、社長やマルカさんには、目が覚めて以来まだ会っていない。

 オレの内心を汲んだのか、君縞さんが続けた。

「……鈍原さんは、自室で休まれています。その……お疲れのようなので、僕がお願いしてそうしてもらいました。弓枝木さんに、側で様子をみてもらっているんだけど……」

 言葉は濁されていたけれど、社長は疲れたわけではないと神妙な声色でわかった。
 おそらく、落ち込んでいるんだろう。
 自分の作った薬の実用が失敗したんだから、相当なショックのはずだ。
 前にオレが新薬の効果を疑ったとき、ひどかったもんな。今回は、きっとあれ以上に……
 心配のような同情のような、複雑な思いがよぎる。

 でも、疲弊しきった今のオレにはどうにもできない。
 結局、オレは社長ともマルカさんとも顔を合せないまま、暗い暗い一夜を過ごした。





 翌日の朝、君縞さんに診てもらったところ、オレの身体には特に異常はなかった。
 ほっとしたけれど、昨夜は一睡もできなかったせいか、身体がだるい。食欲もまだない。
 ベッドの上で、サイドテーブルに置かれた朝食と向き合う。この朝食を運んできてくれたのは君縞さんだった。今も、彼はオレの傍らにいる。この役目はいつもマルカさんだったのに、今朝は姿を見せていない。まだ、社長につきっきりなのだろうか。

 オレは……どうすればいいんだろう。
 ここに居る意味は、もうないんだよな。

 じゃあ、帰るか。そう思ったとき、否定的な気分になった。
 ここを出て行ってしまえば、もうオレは独りだ。ここで負った傷に、独りで耐えなければいけない。でも、ここには社長がいる。痛みを共有できる人がいる。

 傷をなめ合える相手を、オレは欲しているのか? みっともないな。でも、その通りだ。
 かと言って、社長と会って、なにを話せばいいのかはわからないけど……。

 ごはんを無理やり一口食べ、今度は声に出して君縞さんに尋ねてみる。

「あの……社長は……?」
「……奥の部屋にいると思います。さっき食事を運んだんですけど、まだ、お疲れのようで」

 そう言う君縞さんも、力ない微笑みに疲れが見て取れる。

「あとで、様子を見に行ってもいいですか?」
「そうですね……顔を見せてあげれば、安心するかもしれないけど……」

 そこで君縞さんは口ごもった。
 まだ会うことも躊躇われるほど、社長の精神状態は悪いのか。こんな時、そっとしておくべきか、無理にでも関わるべきか、悩ましいものだ。君縞さんも、たぶんそうなんだろう。

 全体の半分ほどの量を身体に押し込み、オレは朝食を終えた。食器を片づけようとする君縞さんに断りを入れ、自分でそれをキッチンへと運ぶことにする。そこには、ついでに社長の様子をうかがってみようという魂胆もあった。

 やっぱり、オレはどうしても会わなければならないと思うのだ。彼と苦しみを分かち合ったところで、現実はなにも変わらないとわかっている。それでも、求めずにはいられない。
 だって他に、オレにはなにも傷を癒す術がないんだから……。

 キッチンに食器を返したあと、オレの足は奥の部屋へと向かった。
 廊下を進み、ドアの前に来ても、室内から物音ひとつ聞こえない。ドアを小さくノックをしてみる。何の返事もない。誰も、いないのか……? そっと、ドアを開けてみた。

 電気がついていない薄暗い部屋の中に、ぼうっと人影が見える。
 ベッドに浅く腰掛け、うなだれる社長。それを、立ったまま包み込むようにマルカさんが抱きしめていた。優しく、背中を摩っている。

 すっと、マルカさんの視線がこちらに動く。目が合った瞬間、オレの胸はどきりと跳ねた。
 マルカさんはやや伏せた虚ろな瞳をして、首を横にふる。
 
 オレは即時にドアを閉めた。早足で、白い部屋まで歩いていく。

 ……なんだ、あのふたり、やっぱりそういう仲だったんだ。

 帰らなければ。
 唐突にそう感じ、部屋に戻るなり着替えをはじめる。机の前で書類を眺めていた君縞さんが、駆け寄ってきた。

「ど……どうしたんですか? なんで、急に着替えを」
「帰ります」
「え……?!」

 とても、入っていけるような空気ではなかった。社長には、マルカさんがいるのだ。
 全部、オレのひとりよがりだった。それを思い知るには十分すぎる光景だった。

「帰る、って……昨日、あんなことがあったばかりですよ? もう少し、様子をみないと」
「大丈夫です。もう、異常もないんだし。もしなにかあっても、自分で病院に行きます」
「で、でも」
「帰りたいんです!」

 強い口調で突っぱね、君縞さんを睨みつけた。君縞さんは怯えたように眉を下げ、黙り込む。

 着替えが終わり、荷物をまとめる。部屋を出る前、オレは君縞さんに一礼した。
「ありがとうございました」は違う気がして、「お世話になりました」とだけ告げる。

 そして……オレは、庭のジギタリスにも目もくれず、相殺堂から去った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?

水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。 日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。 そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。 一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。 ◇小説家になろう、ベリーズカフェにも掲載中です! ◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

処理中です...