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第六章
なにもかも。(3)
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君縞さんが戻ってきたのは、カーテンから透けていた夕日がすっかり消え失せたころだった。
食事を運んできてくれたものの、食べる気がしない。ベッドに寝転んだままのオレに向かって、君縞さんは「今日は、僕がここで一緒に泊まらせてもらいますね」と言った。
(……社長は……?)
まだ気持ちは上の空ながら、オレはぼんやりと頭の中で問いかける。
そういえば、社長やマルカさんには、目が覚めて以来まだ会っていない。
オレの内心を汲んだのか、君縞さんが続けた。
「……鈍原さんは、自室で休まれています。その……お疲れのようなので、僕がお願いしてそうしてもらいました。弓枝木さんに、側で様子をみてもらっているんだけど……」
言葉は濁されていたけれど、社長は疲れたわけではないと神妙な声色でわかった。
おそらく、落ち込んでいるんだろう。
自分の作った薬の実用が失敗したんだから、相当なショックのはずだ。
前にオレが新薬の効果を疑ったとき、ひどかったもんな。今回は、きっとあれ以上に……
心配のような同情のような、複雑な思いがよぎる。
でも、疲弊しきった今のオレにはどうにもできない。
結局、オレは社長ともマルカさんとも顔を合せないまま、暗い暗い一夜を過ごした。
翌日の朝、君縞さんに診てもらったところ、オレの身体には特に異常はなかった。
ほっとしたけれど、昨夜は一睡もできなかったせいか、身体がだるい。食欲もまだない。
ベッドの上で、サイドテーブルに置かれた朝食と向き合う。この朝食を運んできてくれたのは君縞さんだった。今も、彼はオレの傍らにいる。この役目はいつもマルカさんだったのに、今朝は姿を見せていない。まだ、社長につきっきりなのだろうか。
オレは……どうすればいいんだろう。
ここに居る意味は、もうないんだよな。
じゃあ、帰るか。そう思ったとき、否定的な気分になった。
ここを出て行ってしまえば、もうオレは独りだ。ここで負った傷に、独りで耐えなければいけない。でも、ここには社長がいる。痛みを共有できる人がいる。
傷をなめ合える相手を、オレは欲しているのか? みっともないな。でも、その通りだ。
かと言って、社長と会って、なにを話せばいいのかはわからないけど……。
ごはんを無理やり一口食べ、今度は声に出して君縞さんに尋ねてみる。
「あの……社長は……?」
「……奥の部屋にいると思います。さっき食事を運んだんですけど、まだ、お疲れのようで」
そう言う君縞さんも、力ない微笑みに疲れが見て取れる。
「あとで、様子を見に行ってもいいですか?」
「そうですね……顔を見せてあげれば、安心するかもしれないけど……」
そこで君縞さんは口ごもった。
まだ会うことも躊躇われるほど、社長の精神状態は悪いのか。こんな時、そっとしておくべきか、無理にでも関わるべきか、悩ましいものだ。君縞さんも、たぶんそうなんだろう。
全体の半分ほどの量を身体に押し込み、オレは朝食を終えた。食器を片づけようとする君縞さんに断りを入れ、自分でそれをキッチンへと運ぶことにする。そこには、ついでに社長の様子をうかがってみようという魂胆もあった。
やっぱり、オレはどうしても会わなければならないと思うのだ。彼と苦しみを分かち合ったところで、現実はなにも変わらないとわかっている。それでも、求めずにはいられない。
だって他に、オレにはなにも傷を癒す術がないんだから……。
キッチンに食器を返したあと、オレの足は奥の部屋へと向かった。
廊下を進み、ドアの前に来ても、室内から物音ひとつ聞こえない。ドアを小さくノックをしてみる。何の返事もない。誰も、いないのか……? そっと、ドアを開けてみた。
電気がついていない薄暗い部屋の中に、ぼうっと人影が見える。
ベッドに浅く腰掛け、うなだれる社長。それを、立ったまま包み込むようにマルカさんが抱きしめていた。優しく、背中を摩っている。
すっと、マルカさんの視線がこちらに動く。目が合った瞬間、オレの胸はどきりと跳ねた。
マルカさんはやや伏せた虚ろな瞳をして、首を横にふる。
オレは即時にドアを閉めた。早足で、白い部屋まで歩いていく。
……なんだ、あのふたり、やっぱりそういう仲だったんだ。
帰らなければ。
唐突にそう感じ、部屋に戻るなり着替えをはじめる。机の前で書類を眺めていた君縞さんが、駆け寄ってきた。
「ど……どうしたんですか? なんで、急に着替えを」
「帰ります」
「え……?!」
とても、入っていけるような空気ではなかった。社長には、マルカさんがいるのだ。
全部、オレのひとりよがりだった。それを思い知るには十分すぎる光景だった。
「帰る、って……昨日、あんなことがあったばかりですよ? もう少し、様子をみないと」
「大丈夫です。もう、異常もないんだし。もしなにかあっても、自分で病院に行きます」
「で、でも」
「帰りたいんです!」
強い口調で突っぱね、君縞さんを睨みつけた。君縞さんは怯えたように眉を下げ、黙り込む。
着替えが終わり、荷物をまとめる。部屋を出る前、オレは君縞さんに一礼した。
「ありがとうございました」は違う気がして、「お世話になりました」とだけ告げる。
そして……オレは、庭のジギタリスにも目もくれず、相殺堂から去った。
食事を運んできてくれたものの、食べる気がしない。ベッドに寝転んだままのオレに向かって、君縞さんは「今日は、僕がここで一緒に泊まらせてもらいますね」と言った。
(……社長は……?)
まだ気持ちは上の空ながら、オレはぼんやりと頭の中で問いかける。
そういえば、社長やマルカさんには、目が覚めて以来まだ会っていない。
オレの内心を汲んだのか、君縞さんが続けた。
「……鈍原さんは、自室で休まれています。その……お疲れのようなので、僕がお願いしてそうしてもらいました。弓枝木さんに、側で様子をみてもらっているんだけど……」
言葉は濁されていたけれど、社長は疲れたわけではないと神妙な声色でわかった。
おそらく、落ち込んでいるんだろう。
自分の作った薬の実用が失敗したんだから、相当なショックのはずだ。
前にオレが新薬の効果を疑ったとき、ひどかったもんな。今回は、きっとあれ以上に……
心配のような同情のような、複雑な思いがよぎる。
でも、疲弊しきった今のオレにはどうにもできない。
結局、オレは社長ともマルカさんとも顔を合せないまま、暗い暗い一夜を過ごした。
翌日の朝、君縞さんに診てもらったところ、オレの身体には特に異常はなかった。
ほっとしたけれど、昨夜は一睡もできなかったせいか、身体がだるい。食欲もまだない。
ベッドの上で、サイドテーブルに置かれた朝食と向き合う。この朝食を運んできてくれたのは君縞さんだった。今も、彼はオレの傍らにいる。この役目はいつもマルカさんだったのに、今朝は姿を見せていない。まだ、社長につきっきりなのだろうか。
オレは……どうすればいいんだろう。
ここに居る意味は、もうないんだよな。
じゃあ、帰るか。そう思ったとき、否定的な気分になった。
ここを出て行ってしまえば、もうオレは独りだ。ここで負った傷に、独りで耐えなければいけない。でも、ここには社長がいる。痛みを共有できる人がいる。
傷をなめ合える相手を、オレは欲しているのか? みっともないな。でも、その通りだ。
かと言って、社長と会って、なにを話せばいいのかはわからないけど……。
ごはんを無理やり一口食べ、今度は声に出して君縞さんに尋ねてみる。
「あの……社長は……?」
「……奥の部屋にいると思います。さっき食事を運んだんですけど、まだ、お疲れのようで」
そう言う君縞さんも、力ない微笑みに疲れが見て取れる。
「あとで、様子を見に行ってもいいですか?」
「そうですね……顔を見せてあげれば、安心するかもしれないけど……」
そこで君縞さんは口ごもった。
まだ会うことも躊躇われるほど、社長の精神状態は悪いのか。こんな時、そっとしておくべきか、無理にでも関わるべきか、悩ましいものだ。君縞さんも、たぶんそうなんだろう。
全体の半分ほどの量を身体に押し込み、オレは朝食を終えた。食器を片づけようとする君縞さんに断りを入れ、自分でそれをキッチンへと運ぶことにする。そこには、ついでに社長の様子をうかがってみようという魂胆もあった。
やっぱり、オレはどうしても会わなければならないと思うのだ。彼と苦しみを分かち合ったところで、現実はなにも変わらないとわかっている。それでも、求めずにはいられない。
だって他に、オレにはなにも傷を癒す術がないんだから……。
キッチンに食器を返したあと、オレの足は奥の部屋へと向かった。
廊下を進み、ドアの前に来ても、室内から物音ひとつ聞こえない。ドアを小さくノックをしてみる。何の返事もない。誰も、いないのか……? そっと、ドアを開けてみた。
電気がついていない薄暗い部屋の中に、ぼうっと人影が見える。
ベッドに浅く腰掛け、うなだれる社長。それを、立ったまま包み込むようにマルカさんが抱きしめていた。優しく、背中を摩っている。
すっと、マルカさんの視線がこちらに動く。目が合った瞬間、オレの胸はどきりと跳ねた。
マルカさんはやや伏せた虚ろな瞳をして、首を横にふる。
オレは即時にドアを閉めた。早足で、白い部屋まで歩いていく。
……なんだ、あのふたり、やっぱりそういう仲だったんだ。
帰らなければ。
唐突にそう感じ、部屋に戻るなり着替えをはじめる。机の前で書類を眺めていた君縞さんが、駆け寄ってきた。
「ど……どうしたんですか? なんで、急に着替えを」
「帰ります」
「え……?!」
とても、入っていけるような空気ではなかった。社長には、マルカさんがいるのだ。
全部、オレのひとりよがりだった。それを思い知るには十分すぎる光景だった。
「帰る、って……昨日、あんなことがあったばかりですよ? もう少し、様子をみないと」
「大丈夫です。もう、異常もないんだし。もしなにかあっても、自分で病院に行きます」
「で、でも」
「帰りたいんです!」
強い口調で突っぱね、君縞さんを睨みつけた。君縞さんは怯えたように眉を下げ、黙り込む。
着替えが終わり、荷物をまとめる。部屋を出る前、オレは君縞さんに一礼した。
「ありがとうございました」は違う気がして、「お世話になりました」とだけ告げる。
そして……オレは、庭のジギタリスにも目もくれず、相殺堂から去った。
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