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最終章
大丈夫(2)
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濡れた身体を拭き、一階の廊下の突き当たり、奥の部屋へと移動する。
冷房の入った快適な室内で、オレは机の前に置かれた椅子に座った。
「今日までの一週間、なにか体調に異常はありませんでしたか?」
「はい。特には」
マルカさんの質問に答えながら、右腕を差し出した。その腕に、マルカさんが血圧を測る機械を巻きつける。腕に、きつく圧迫がかかっていく。ほどなくして、測定は終了した。
結果は、「異状なし」だ。続けて、脈拍と心電図も測定する。そのどちらも、問題はなかった。
オレはたくし上げたTシャツを元に戻し、ベッドに腰かけた。機械の片づけを終えたマルカさんが、オレに向かって小さく会釈する。
「お疲れ様でした。本日は、これで終了です」
「あれ? 採血は」
「採血は先週行いましたので、今回はいたしません。また、次回……今度は二週間後あたりに、血液検査は行う予定です」
「えっ? 次、二週間後でいいんですか?」
「ええ。これまで異常がありませんでしたので、これからは検査の間隔も徐々に開けていくようです」
マルカさんは、ひかえめな笑みを零した。それを見て、オレの気持ちもパッと明るくなる。
「はあ、なんか嬉しいですね。良くなってる、って実感できて」
社長が大股歩きで、オレの前にしゃしゃり出てくる。腕を組み、胸を反らして、
「俺のおかげ!」
と、高らかに声を上げた。目を輝かせ、片脚を靴のままベッドにかける。
「ええ、そのとおりです」
賛同のセリフとは裏腹に、マルカさんはその脚を腕で払い除けた。社長はバランスを崩し、床に尻餅をつく。どん、と鈍い音がした。
「……ってぇな、なにしやがる! もっと俺を敬え!!」
「敬っています。しかし、それとこれとは話が別ですので」
マルカさんは淡々と答え、社長の靴が乗っていたシーツを手で払っている。
思わず、笑いがこみ上げた。
微笑ましいと言うか、なんと言うか。言われてみれば、こういうやりとりは、親子そのものにも見える。
ホントにしつこいかしれないけど、できればふたりが親子だってことは、オレにももっと早く教えてほしかったよなあ。あの日、君縞さんから聞かされなかったら、今でも気付かなかった可能性もあるし……
もし、もっと早く知ってたら、なにかが今とは変わっていたのだろうか。
三度目の投薬の後、逃げるようにオレがここを立ち去ることはなかったのかもしれない。
そうなると、オレと園ちゃんは再会しなかったのかな。
あの日の、君縞さんとの闘いも、もっと別の形になっていたのかも……
可能性はいろいろあるだろう。でも、今となってはわからない。
……そういえば……あの日からもう、一か月以上経つのか。
あんなに激しい出来事だったのに、過ぎ去る時間が、日に日に遠いものにしていく。
ただ、記憶は鮮明に残っていた。
あの日――。
君縞さんの家を、マルカさんと訪ねた日。
逃げ道を封鎖され、玄関で立ち往生したオレは、マルカさんに新薬を注射してもらった。
そのあと、君縞さんに見つかってしまい、どうなるかと思ったけれど……
彼はそれ以上、オレたちに危害を加える事はなかった。よほど、新薬がなくなったショックが大きかったようだ。ひどくがっかりした様子で、すっかり戦意など失くしていたのである。
玄関を解放し、オレたちを送り出す際も、虚ろな目で
「ちゃんと、風音寺さんの身体を見てあげて下さい」
と、マルカさんに助言までしていた。
おそらく彼の中では、その時すでに、この件に関してのすべてを諦めていたんだろう。
相殺堂に帰ると、マルカさんはすぐに、心電図や血圧など、できる限りの検査をオレに行った。あの夜、オレの身体に特別な異変が起きなかったのは本当に幸いだったと思う。
疲れ果てたオレは、結局そのまま相殺堂に泊まらせてもらった。そして翌日、目が覚めても異状は感じられず、ただ異様に、手足全部の爪が伸びていたのだった。
意外だったのは、社長が君縞さんを罪に問わなかったことだ。
その朝、オレより遅く目覚めた社長に、マルカさんは全ての真実を話した。社長は、口では「あの野郎、ぶち殺してやる!」と怒りながらも、警察等に通報することはなかったのだ。
製薬会社にとって、謎の新薬を巡っての揉め事は、世間に知られたら致命的なダメージになる可能性もある。なんせ、悪い噂はすぐに広まるご時世だ。
そして、この事件には、相殺堂が表向きにはしたくない事柄も多分に含まれている。
つまりはそういうことらしい。オレとしてはちょっと、腑に落ちない気もするけれど……。
冷房の入った快適な室内で、オレは机の前に置かれた椅子に座った。
「今日までの一週間、なにか体調に異常はありませんでしたか?」
「はい。特には」
マルカさんの質問に答えながら、右腕を差し出した。その腕に、マルカさんが血圧を測る機械を巻きつける。腕に、きつく圧迫がかかっていく。ほどなくして、測定は終了した。
結果は、「異状なし」だ。続けて、脈拍と心電図も測定する。そのどちらも、問題はなかった。
オレはたくし上げたTシャツを元に戻し、ベッドに腰かけた。機械の片づけを終えたマルカさんが、オレに向かって小さく会釈する。
「お疲れ様でした。本日は、これで終了です」
「あれ? 採血は」
「採血は先週行いましたので、今回はいたしません。また、次回……今度は二週間後あたりに、血液検査は行う予定です」
「えっ? 次、二週間後でいいんですか?」
「ええ。これまで異常がありませんでしたので、これからは検査の間隔も徐々に開けていくようです」
マルカさんは、ひかえめな笑みを零した。それを見て、オレの気持ちもパッと明るくなる。
「はあ、なんか嬉しいですね。良くなってる、って実感できて」
社長が大股歩きで、オレの前にしゃしゃり出てくる。腕を組み、胸を反らして、
「俺のおかげ!」
と、高らかに声を上げた。目を輝かせ、片脚を靴のままベッドにかける。
「ええ、そのとおりです」
賛同のセリフとは裏腹に、マルカさんはその脚を腕で払い除けた。社長はバランスを崩し、床に尻餅をつく。どん、と鈍い音がした。
「……ってぇな、なにしやがる! もっと俺を敬え!!」
「敬っています。しかし、それとこれとは話が別ですので」
マルカさんは淡々と答え、社長の靴が乗っていたシーツを手で払っている。
思わず、笑いがこみ上げた。
微笑ましいと言うか、なんと言うか。言われてみれば、こういうやりとりは、親子そのものにも見える。
ホントにしつこいかしれないけど、できればふたりが親子だってことは、オレにももっと早く教えてほしかったよなあ。あの日、君縞さんから聞かされなかったら、今でも気付かなかった可能性もあるし……
もし、もっと早く知ってたら、なにかが今とは変わっていたのだろうか。
三度目の投薬の後、逃げるようにオレがここを立ち去ることはなかったのかもしれない。
そうなると、オレと園ちゃんは再会しなかったのかな。
あの日の、君縞さんとの闘いも、もっと別の形になっていたのかも……
可能性はいろいろあるだろう。でも、今となってはわからない。
……そういえば……あの日からもう、一か月以上経つのか。
あんなに激しい出来事だったのに、過ぎ去る時間が、日に日に遠いものにしていく。
ただ、記憶は鮮明に残っていた。
あの日――。
君縞さんの家を、マルカさんと訪ねた日。
逃げ道を封鎖され、玄関で立ち往生したオレは、マルカさんに新薬を注射してもらった。
そのあと、君縞さんに見つかってしまい、どうなるかと思ったけれど……
彼はそれ以上、オレたちに危害を加える事はなかった。よほど、新薬がなくなったショックが大きかったようだ。ひどくがっかりした様子で、すっかり戦意など失くしていたのである。
玄関を解放し、オレたちを送り出す際も、虚ろな目で
「ちゃんと、風音寺さんの身体を見てあげて下さい」
と、マルカさんに助言までしていた。
おそらく彼の中では、その時すでに、この件に関してのすべてを諦めていたんだろう。
相殺堂に帰ると、マルカさんはすぐに、心電図や血圧など、できる限りの検査をオレに行った。あの夜、オレの身体に特別な異変が起きなかったのは本当に幸いだったと思う。
疲れ果てたオレは、結局そのまま相殺堂に泊まらせてもらった。そして翌日、目が覚めても異状は感じられず、ただ異様に、手足全部の爪が伸びていたのだった。
意外だったのは、社長が君縞さんを罪に問わなかったことだ。
その朝、オレより遅く目覚めた社長に、マルカさんは全ての真実を話した。社長は、口では「あの野郎、ぶち殺してやる!」と怒りながらも、警察等に通報することはなかったのだ。
製薬会社にとって、謎の新薬を巡っての揉め事は、世間に知られたら致命的なダメージになる可能性もある。なんせ、悪い噂はすぐに広まるご時世だ。
そして、この事件には、相殺堂が表向きにはしたくない事柄も多分に含まれている。
つまりはそういうことらしい。オレとしてはちょっと、腑に落ちない気もするけれど……。
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