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変わらぬ執着と近づく悪意
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しおりを挟む「……仕方ないから、椿くんが思い出すまで、待っててあげる」
「……うん、ありがと」
私の言葉に小さく目を瞠った椿くんだったけど、すぐにその目を細めて、優しい顔で微笑み返してくれた。
「それじゃあ、俺は店に戻るから。またね、お姉さん」
「うん。送ってくれてありがとう」
「お別れのキスでもしておく?」
「……しません」
「ちぇっ、振られちゃった」
冗談めいた顔で笑っている椿くんにジト目を送りつつ、心の中に浮上した不安な気持ちを、つい本人に吐き出してしまう。
「……その台詞、他の女の子にも言ってるの?」
「え?」
「っ、ごめん、何でもない」
今の椿くんは私と付き合っていた時の記憶がないんだから、そんなこと言っても仕方ないって分かってるんだけど……それでも、椿くんが他の女の子と平気でキスしたり、触れ合ったりしていると思うと、やっぱり嫌だなって思う。悲しくなる。……私、嫉妬してるんだ。
「……そうだなぁ」
椿くんは視線を上に向けながら「うーん」と考え込む。
「お姉さんと出会う前なら、言ってたかも? でも今はさ、不思議とそういう気持ちにならないんだよね。何でだろ」
「……そんなの、私だって分かんないよ」
そんなこと言われたら、記憶がなくても、椿くんの中に私を思う気持ちが残っているんじゃないかって……期待しちゃうじゃん。
「それじゃあ理由が分かったら、お姉さんにも教えてあげるね。それに、今はお姉さんのことを思い出すので忙しいからさ」
フッと息を漏らすように優しく笑った椿くんの手が、私の頬に触れる。
「隙あり」
私の額にそっと口づけた椿くんは、意地の悪い目で顔を覗き込んでくる。
「あれ? お姉さん、顔が赤いよ?」
「っ、キスはしないって言いました!」
「だって、お姉さんが寂しそうな顔してるから」
「さ、寂しくなんて……」
図星を突かれたような気持ちになって、思わず口籠ってしまえば、椿くんはまた「うーん」と考え込むように声を漏らす。
「皇さんに、宣戦布告でもしておいた方がいいかな」
「え?」
「さっき皇さんに、俺には関係ないって言ったけど……それ、撤回するよ」
「……どうして?」
「だってお姉さんのそんな可愛い顔、誰にも見せたくないし。っていうか、お姉さんが他の男に笑いかけたり、触れ合ったり……そういうの想像するだけで、相手の男を殺したくなる」
「それって……」
――椿くんも、嫉妬してくれてるってこと? 殺すは、さすがに物騒すぎるけど……。
「だからさ。待っててくれるっていうなら、俺が思い出すまで、お姉さんは俺のことだけ見ててよ。余所見しちゃダメだからね?」
私の髪をそっと撫でてくれる椿くんの手は、鼓膜を揺らす声は、記憶をなくす前と変わりないくらい、優しくて甘ったるい。艶やかな笑みに釘付けになっているうちに、椿くんは今度こそ背を向けて行ってしまった。
額を手で押さえながら、ついさっき触れた熱の感触を思い出せば――胸の中が、じわじわと温かいもので満たされていく。
(……言われなくても、私はずっと、椿くんしか見てないよ)
緩む口許をそのままに、小さくなっていく後ろ姿を見送っていれば、カツカツとヒールがアスファルトを叩く音が聞こえてくる。
「こんばんは」
振り向けば、そこに立っていたのは、長い黒髪にスラリとした体躯の美しい女性だった。彼女と顔を合わせるのは、これが二度目になる。
「貴女は……」
「香月百合子さん、よね。そういえば名乗っていなかったけど、私は佐々木憂美よ。改めてよろしくね?」
「佐々木って、もしかして……」
「ふふ、妹がいつもお世話になっているみたいで」
「やっぱり、佐々木ちゃんのお姉さんなんですね」
どこかで見たことがあると思っていたけど、佐々木ちゃんのお姉さんだったんだ。確かによく見れば、垂れ目なところなんかよく似ている。だけど……どうして憂美さんがこんな所にいるんだろう。
「さっき一緒にいたのって、椿よね?」
「え? ……はい、そうですけど……彼と知り合いなんですか?」
「えぇ。椿はね、一時期私が面倒を見てあげていたことがあるのよ」
「……面倒を、ですか」
もしかして、と思ってはいたけれど……やっぱり憂美さん、椿くんと知り合いだったんだ。それに、憂美さんの口ぶりから察するに、ただの知り合いっていうわけではなさそう。
それ以上言葉が出てこなくて黙り込んでしまえば、ニコリと笑った憂美さんが、一歩距離を詰めてきた。くるんと上を向いた睫毛の下から覗くブラウンの瞳は、私の片耳に向けられている。
「あら! そのピアス、とっても素敵ね。もしかして、椿とお揃いなのかしら?」
「はい、そうですけど……」
「そう、本当に仲が良いのね。……実はね、椿のピアスホール、昔私が開けてあげたのよ。でも、あの時の椿ったら、涙目で痛いって私に抱き着いて甘えてきてね。外ではカッコつけのくせに、実際は結構お子ちゃまよね」
憂美さんは「ま、そんなところも可愛いんだけど」と付け加えながら、口許に手を添えてクスクスと笑っている。
――どうしよう。
これ以上、憂美さんの口から椿くんの話を聞きたくない。
「……あの、私はこれで失礼しますね」
胸がズキリと痛みを訴えている。何だか顔を上げられなくて、視線は地面に向けたまま、頭を下げてこの場を去ろうとした。
だけど、憂美さんに引き止められてしまう。
「ちょっと待ってよ。せっかく訪ねてきたんだから、もう少し聞いてくれてもいいじゃない? 私と椿のこと」
「……すみませんが、遠慮させていただきます」
「あら、どうして?」
「私は、椿くんのことが好きなので。……過去の女性との思い出話を聞いて、楽しい気分にはなれません」
今の椿くんは記憶がない。
だけど、それでも――今の椿くんの彼女は、私だから。
顔を上げて、憂美さんの目を真っ直ぐに見つめる。
元カノ……だったのかは分からないけど、それは過去の話であることをあえて強調して口にすれば、憂美さんはピクリと片眉を持ち上げた。怒らせてしまったかと思ったけど、憂美さんはニコリと笑みを浮かべる。
「……ふふ、確かにそうよねぇ。でも椿にとっては、本当に過去のことなのかしら」
「……失礼します」
今度こそ、背を向けてこの場を立ち去るつもりだった。
だけど耳に届いた言葉に、私は自ら足を止めてしまった。
「ねぇ、百合子さん。――椿を元に戻す方法、知りたくない?」
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