その後の愛すべき不思議な家族

桐条京介

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穂月の小学校編

3年生の勉強は大変です、4年生になると部活も――って演劇部はないんですか!?

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「おはようございます。今日からは授業も始まりますので、本格的に新しい1年に臨んでください」

 昨年までは2階の教室だったが、3年生からは3階になる。穂月は新しく変わった教室で、昨年まで誰かが使っていた机の落書きを発見しつつ、にまにまする。

 3年生になってクラス替えも行われたが、希はもちろん沙耶も悠里も一緒だった。始業式があった日にムーンリーフで報告すると、両親をはじめとした大人たちが微妙な笑顔になっていた。

 1人だけ楽しそうだった希の母親は「2人の問題児を目の届かないところに置くのは不安だったんだろ」などと担任の女教師の心情を慮っていたが。

「沙耶ちゃんに悠里ちゃん、今年も穂月ちゃんと希ちゃんをよろしくね」

「任せてください……とはあまり言えないのが辛いところです」

「ゆーちゃんはほっちゃんたちと一緒で嬉しいのっ」

 担任と友人の二人のそんなやり取りを、朝のホームルーム中から眠る希の隣で穂月は「おー」と聞いていた。

 3年になっても音楽や美術などの特別な授業以外は柚が担当する。早速1時間目の授業が始められたのだが、すぐさま穂月は首を右に左にとカクンカクンさせる。

「おー?」

 昨年までは教科書を見れば内容をなんとなく理解できたのだが、3年生になって初めて開いた教科書ではそうならなかった。

 書かれている漢字も難しく、載っている物語などもなんだか難しい。

 文法やら何やらについて柚は一生懸命に黒板に書いて説明しているが、最後まで穂月はピンとこなかった。

   *

 最初の国語で感じた異変は、他の授業でも付きまとってきた。算数でも理科でも、なんだか内容がこれまでと違うのだ。

「ほっちゃん、ボーっとしてるみたいだけど大丈夫ですか?」

 他の児童と席を交換して4人近くでお昼ご飯を食べていると、心配そうに沙耶が穂月の顔を覗き込んだ。

 今日の献立はコッペパンに大好きなチョコレートクリームがついているのだが、穂月の手は先ほどから止まったままだった。

「あいだほ……」

「大変なの、ほっちゃんのあいだほに元気がないのっ」

 慌てた悠里に横から肩を揺られ、穂月の体も椅子の上で踊る。

「何か心配事でもあるんですか?」

 余計に沙耶が不安そうになる。いつにない態度に、友人たちが心配していた。

「んー……なんか変なの」

「風邪なら先生に言って早退させてもらうといいです」

 違うと穂月は首を振る。変なのは体調ではなく、

「授業がぐにゃーんって感じで、なんか、ぽわーんと、んー……変なんだ」

「なんだか進級するたびに擬音が多くなってきてる気もするんですけど……わざとじゃないみたいですし……それにしても今回は難解です」

 穂月と一緒に沙耶がうんうん唸る。あまりに異様な光景に、周囲から訝しげな視線が突き刺さる。

「……授業が難しくなって、戸惑ってる」

「のぞちゃん、それっ」

 びしっと穂月が指差し、沙耶もスッキリしたような顔になる。

「ゆーちゃんもちょっと大変だったの」

「確かに難しかったですね」

「どうすればいいー?」

「普通に授業を聞いてノートを取ればいいです。あとはテスト前に一緒に勉強するんです」

 そうすれば私が教えますと沙耶が胸を叩いた。

   *

 2年に進級した際に別の階同士になった陽向と、今年度からはまた同じ階になる。教室は違えども距離は近いので、休み時間にも顔を合わせる回数が増える。

 というより陽向の方からこまめにやってくる。

「……まーたん、もっとゆーちゃんのところに遊びにきていいのっ」

「は? ゆーちゃんは急にどうしたんだ?」

 休み時間。穂月の机にお尻を乗せている陽向が、自分の両手をグッと握ってやたらと前のめりな悠里に戸惑う。

「何も言わなくてもわかってるの。ゆーちゃんはまーたんの味方なの」

「待て。変な勘違いしてるだろ、お前」

「心配しなくて大丈夫なの」

「生暖かい目はやめろ! 一体どうなってんだ!」

 不気味さと恐怖に慄いた陽向が説明を求めるも、穂月にはわからないので首を傾げるしかない。

 すると「恐らくですが……」と沙耶が推測を披露する。

「まーたんは友達がいないと思われてるのではないですか?」

 穂月たちの周りだけ時間が止まったようにシンとした。

 やがて渦中の人物こと陽向が指先をプルプルさせる。

「い、いるし!? めっちゃいるし!?」

 額に汗を滲ませた陽向は張った声とは裏腹に、両目を沙耶や悠里から逸らす。

 大声を出したせいで注目が集まっているのにも気づかず、呪文のように「友達たくさんいる」と繰り返す。

「まーたん、ゆーちゃんたちに嘘はだめなのっ」

「嘘じゃねーし! そんなこと言うならもう遊んでやんねーからな!」

 顔を赤くして立ち去ろうとする陽向の腕を、穂月がはっしと掴む。

「それは嫌っ」

「じょ、冗談だって、だからそんな泣きそうな顔すんなって」

「うんっ。
 まーたんいないと穂月、座長になれないからー」

「……ほっちゃんはほっちゃんで何の話をしてるんだよ」

   *

 穂月が授業への不安を露わにしてからというもの、休み時間になると沙耶が軽く復習をしてくれるようになった。おかげでなんとか理解が追いつき、少しずつ3年生の授業にも慣れた。

 進級して最初のテストでも慌てることなく解答欄を埋められた。

 けれど点数は昨年までと比べると悪化した。少し勉強すれば簡単に遅れを取り戻せたこれまでとは異なるのを、穂月のみならず他のクラスメートも実感する。

 徐々にだが着実に授業についてこられなくなり、テストの点数もグングン下がっていく児童も出てくる。

 そうした生徒には担任が細かにフォローするが、その分だけ穂月のような中間層は放置気味になる。

「ううう……勉強嫌い……」

 学校帰りのムーンリーフ。好美の部屋にランドセルを置くなり、ダイブしたソファに穂月は顔を埋めた。

「はっはっは、勉強が好きな変わり者なんてこの世に――あ、1人だけいたわ。なっちー」

「菜月ちゃん? すっごく頭がいいってママが言ってたー」

「ありゃ、ちょっと次元が違ったな。だから超のつく一流大学に現役で受かるわ、メガバンクに就職するわのエリート街道まっしぐらなわけだが」

「んー?」

「ハハッ、穂月にはまだ難しい話か」

「うんー。
 ところでのぞちゃんママは、どんな風に勉強してたのー?」

「してないわよ」

 さらりとした回答が、希の母親とは別の口からもたらされた。穂月が母親と同じくらい大好きな好美だ。

「授業中の大半は口を開けて寝てたわね。おかげでテスト前は苦労させられたわ」

「ほっちゃんは真面目に授業を受けてくれるので、私はまだ恵まれてますね」

 しみじみと頷く沙耶に、希の母親は唇を尖らせる。

「好美のせいで、また1つ大人としての威厳が失われちまったじゃねーか」

「それなら子供たちの宿題を見てあげたら? 一気に回復するわよ」

「あー、仕事が残ってるんだった。残念だなー」

「……逃げるんだ」

 ぼそっと希が呟く。

 今にも厨房に戻ろうとしていた実希子の肩が激しく上下した。

「希? 母ちゃんにはな、他にやることがあるんだよ」

「じゃあ、俺たちも他にすることがあれば勉強しなくていいんだよな」

「小学生は勉強が仕事だからだめだ」

「ぶーっ」

 ブーイングする陽向に遊び半分でヘッドロックをかける実希子。

 休憩室でじゃれ合いが繰り広げられていると、新たな人影が飛び込んできた。

「こんなところにいたのね」

 ソフトボール部の練習用ユニフォームに身を包んだ朱華だった。

「4年生になったんだから、早くソフトボール部に入りなさい!」

「は!? どうするかは俺の自由だろ」

「いいえ、私が決めるの。さあ行くわよ」

「待て、引っ張るな! そうだ! 俺には宿題が!」

「あら、いい心掛けだわ。部活が終わったら私が勉強でもみっちり扱いてあげる」

「ひいっ! あーちゃんに教わるくらいなら、ここで宿題してる方がマシだっ」

 部活ではなく朱華との勉強を心の底から嫌がる陽向。哀れ極まりない凄惨さに、茫然と見ていた沙耶がポツリと漏らす。

「夏休みとかでも宿題しながら泣かされていましたね」

「あーちゃん、まーたんには怖いの」

 それは陽向が常に逃げようとするからであり、素直に勉強を教わる穂月たちに対しては朱華はとても優しい。

「これで陽向もソフトボール部か。着々とアタシらの後輩ができてくな。
 よしっ、あとで練習を見にいってみっか」

「なになに? 何の話?」

 厨房からやってきた葉月は実希子から話を聞くと、楽しそうに頷いた。

「穂月たちも来年入るんだろうし、いいかもしれないね」

「え? 入らないよ?」

 さくっと否定した穂月に、希も含めて全員の視線が集まった。

「だって穂月は劇をやるんだもん」

 腰に手を当てて、えへんと胸を張る。

 全員に納得したような空気が広がるも、申し訳なさそうに沙耶が言う。

「前に柚先生に確認したんですけど、小学校に演劇部という劇をするための部活はないそうです」

「おおおっ!?」

 稲妻にでも打たれたかのような衝撃が全身に走り、穂月はその場にガックリと膝をついた。

「ものすごくショックを受けてるの……」

「そんなにやりたかったんですか」

「なら自分で作ったらどうだ?」

 友人2人の後ろから、希の母親が救いの糸を垂らしてくれた。当然、穂月はすぐに全力で掴む。

「おーっ」

「……それも先生に確認済みです。私たちの小学校では部活の新設は認めてないそうです」

「おー?」

「要するに劇をするための部活は作れないということです」

「おおおおおっ!?」

 今度は仰向けにひっくり返る。文化祭があれば希望して演劇をさせてもらっているが、1年に1回では足りないと思っていただけにショックも大きかった。

 演劇部というものについて今日まで知らず、単純に上級生になったら劇ができる回数が増えると妄想していただけだったとしても。

「そういうことなら仕方ないよ。強制はしないけど小学生のうちはソフトボールをやって過ごすのも悪くないんじゃないかな」

 母親に頭を撫でられる気持ちよさに鼻を鳴らしながらも、穂月は皆とたくさん劇をやるにはどうすればいいかだけを考えていた。
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