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真実の愛、その末路
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草を踏む音がテラスの石階段の音に変わり、暗闇の中から月明りとホールからの灯りに照らされてその姿が浮かび上がる。艶やかな黒髪は襟足は短く、前髪はやや長めで歩くたびに揺れていた。黒に銀の刺繍が施されたジュストコールを着た上背は、騎士かと思うほどに逞しく、近付くほどに背の高さがよくわかる。
黒い瞳の美丈夫が、アンジェのすぐそばまで来た時、狼狽えたアルベールがその名を呼んだ。
「……ジルベルト殿? なぜあなたが」
彼こそアンジェが探していた人物、東の隣国、フォンタナ帝国の皇弟ジルベルトだった。彼が言った約束とやらにアンジェはまったく覚えはなかったが。
フォンタナ帝国は港町をいくつも持ち、隣の大陸や島国との貿易も盛んだ。マーレとも交易路を開いて以降、良好な関係を築いている。ひと月前、関税率見直しの為の定例会談に皇弟が自ら入国した時は、高位貴族家の御令嬢方が目の色を変えたものだ。しかしながら女性にあまりにも素っ気なく、勇気を出して近づこうとした御令嬢ににこりともしない。御令嬢方は、諦めて今は遠巻きに眺める程度だ。浮いた話は聞かないが近寄りがたい美形よりも、多少女癖に問題があっても優しい微笑みを浮かべるわが国の王太子の方が良いらしい。
そんな、今両国にとって最重要人物である男が、なぜかアンジェに寄り添うように立ち左手を恭しく持ち上げた。美しく整えられた指先に、そっと唇を触れさせる。
それから視線をカーライルに向け、意味ありげに微笑んだ。
「マーレの王太子殿は、随分無粋なことをおっしゃる。庭園で男が女の訪れを待つ意味など、ひとつしかないだろう」
するとカーライルの険しい目がアンジェに向けられる。そのことに驚いて、思わず肩を震わせた。アンジェのことなどもう既にどうでもいいだろうに、なぜ睨まれるのかわからない。
しかしその時、するりと腰に絡む腕がある。アンジェの手はまだジルベルトの大きな手に捕まれたまま、もう片方の手で抱き寄せられたのだ。
突然のことで足元がふらついて、彼の上半身に抱き留められる。肝は据わっている方だと自負しているが、さすがのアンジェも混乱した。
婚約者もいない独身王族。国に恋人がいるのかもしれないが、こちらでは一切女性を近寄らせなかった堅物殿下だ。どうやって彼に近付こうか、アンジェにとって厳しい賭けだった。
なのに今、なぜかアンジェとの仲を周囲に仄めかしている。
わけがわからないが、この状況に乗らない手はなかった。
「殿下、そのような……」
積極的には認めず、決定的な言葉も使わずただ恥ずかし気に俯くだけに留める。後は周囲の反応を見て、それからジルベルトの出方次第になる。
「まあ、そんな……恐れながら、殿下、……ついこの間まで彼女は……」
意地でもアンジェを貶めたいらしいダリアが、わざとらしく呟いてから失言を恥じるように口もとを抑えた。移り気な男は社交界では持て囃されるが、貴族令嬢は逆にはしたないと軽蔑される。いちいちそれを口にするダリアに、アンジェは舌打ちしそうになったが留まった。
ジルベルトが、アンジェの腰を抱く手にぐっと力を込めたからだ。
「貴女がその可憐な胸をまだ痛めているのは知っている。だが、そのように私から距離を取ろうとするのはやめてくれ」
ダリアの言葉などまるで無視して(そもそも男爵令嬢が直接言葉をかけていい方ではない)真正面から見つめられる。
「どうか、名前を。ジルベルトと呼んでほしい」
名前を呼ぶ許可までもらってしまった。
そうなると、これまで息をひそめていたギャラリーが騒めき始める。少し遠くで小さい悲鳴まで聞こえたのは、密かに憧れていたご令嬢だろうか。アンジェの視界の端に、悔しげに顔を歪めるダリアと暗い目をしたカーライルの姿が映る。
「ジルベルト様……」
切なげに見つめ合う男女。王太子の心変わりに傷ついた公爵令嬢と、その愛を乞う隣の国からきた皇弟の美談。
新たな恋物語誕生の瞬間だった。
黒い瞳の美丈夫が、アンジェのすぐそばまで来た時、狼狽えたアルベールがその名を呼んだ。
「……ジルベルト殿? なぜあなたが」
彼こそアンジェが探していた人物、東の隣国、フォンタナ帝国の皇弟ジルベルトだった。彼が言った約束とやらにアンジェはまったく覚えはなかったが。
フォンタナ帝国は港町をいくつも持ち、隣の大陸や島国との貿易も盛んだ。マーレとも交易路を開いて以降、良好な関係を築いている。ひと月前、関税率見直しの為の定例会談に皇弟が自ら入国した時は、高位貴族家の御令嬢方が目の色を変えたものだ。しかしながら女性にあまりにも素っ気なく、勇気を出して近づこうとした御令嬢ににこりともしない。御令嬢方は、諦めて今は遠巻きに眺める程度だ。浮いた話は聞かないが近寄りがたい美形よりも、多少女癖に問題があっても優しい微笑みを浮かべるわが国の王太子の方が良いらしい。
そんな、今両国にとって最重要人物である男が、なぜかアンジェに寄り添うように立ち左手を恭しく持ち上げた。美しく整えられた指先に、そっと唇を触れさせる。
それから視線をカーライルに向け、意味ありげに微笑んだ。
「マーレの王太子殿は、随分無粋なことをおっしゃる。庭園で男が女の訪れを待つ意味など、ひとつしかないだろう」
するとカーライルの険しい目がアンジェに向けられる。そのことに驚いて、思わず肩を震わせた。アンジェのことなどもう既にどうでもいいだろうに、なぜ睨まれるのかわからない。
しかしその時、するりと腰に絡む腕がある。アンジェの手はまだジルベルトの大きな手に捕まれたまま、もう片方の手で抱き寄せられたのだ。
突然のことで足元がふらついて、彼の上半身に抱き留められる。肝は据わっている方だと自負しているが、さすがのアンジェも混乱した。
婚約者もいない独身王族。国に恋人がいるのかもしれないが、こちらでは一切女性を近寄らせなかった堅物殿下だ。どうやって彼に近付こうか、アンジェにとって厳しい賭けだった。
なのに今、なぜかアンジェとの仲を周囲に仄めかしている。
わけがわからないが、この状況に乗らない手はなかった。
「殿下、そのような……」
積極的には認めず、決定的な言葉も使わずただ恥ずかし気に俯くだけに留める。後は周囲の反応を見て、それからジルベルトの出方次第になる。
「まあ、そんな……恐れながら、殿下、……ついこの間まで彼女は……」
意地でもアンジェを貶めたいらしいダリアが、わざとらしく呟いてから失言を恥じるように口もとを抑えた。移り気な男は社交界では持て囃されるが、貴族令嬢は逆にはしたないと軽蔑される。いちいちそれを口にするダリアに、アンジェは舌打ちしそうになったが留まった。
ジルベルトが、アンジェの腰を抱く手にぐっと力を込めたからだ。
「貴女がその可憐な胸をまだ痛めているのは知っている。だが、そのように私から距離を取ろうとするのはやめてくれ」
ダリアの言葉などまるで無視して(そもそも男爵令嬢が直接言葉をかけていい方ではない)真正面から見つめられる。
「どうか、名前を。ジルベルトと呼んでほしい」
名前を呼ぶ許可までもらってしまった。
そうなると、これまで息をひそめていたギャラリーが騒めき始める。少し遠くで小さい悲鳴まで聞こえたのは、密かに憧れていたご令嬢だろうか。アンジェの視界の端に、悔しげに顔を歪めるダリアと暗い目をしたカーライルの姿が映る。
「ジルベルト様……」
切なげに見つめ合う男女。王太子の心変わりに傷ついた公爵令嬢と、その愛を乞う隣の国からきた皇弟の美談。
新たな恋物語誕生の瞬間だった。
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