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《十七》
しおりを挟む「死体ですって」
アイロンが充分にあてられた皺ひとつない朝刊をめくると、見開きのはじに不気味な記事があった。
近所の川で女・の死体があがったらしい。
「まーたでございますか? ホント、ほとほと嫌になりますわね、川も汚れるし……アラッお坊ちゃん! どこ行ったんです!?」
今朝は早くから千之助が歩き回っているらしく、まつはとにかく忙しい。新聞のアイロンもほかの女中がかけたそうで、よく見ると、ところどころ皺になっているところがあった。かまわない。いずれはまるごと燃やされて、どんな記事でも灰のひとかけらにしかならないのだから。
「おはよう……あれ、千之助は……? さっき声が聞こえたのに……」
「あら、おはようございます。どうにも廊下に出たみたいで……見ませんでした?」
「ゔーん……みてないな……」
「……また徹夜ですか?」
眉間におおきな皺を寄せた旦那様が目をぐしぐしとこすりながら居間に入る。彼はこのところ大きな仕事続きでろくに眠れていないようだった。本邸の書斎にはいつも灯りがついていて、夜食を運んだのも一度や二度のことではない。
「ああうん……でもやっとどうにかなりそうだ。珈琲あるか?」
「わたしのでよければ」
「それでいい」
金縁に花模様のティーカップを皿ごと渡すと、そのままぐいーっと一気に飲んでしまわれる。朝食を一緒に食べるときはこのまま椅子に座るから、立ったままの今日は急ぐということだ。わたしも席を立ち上がる。
障子の向こうから、かん高い明るい声が聞こえてくる。
「とぉーと! とぉーと!」
「おお千ちゃん。今日も元気いっぱいだな? まつさんもおはよう」
「おはようございます旦那様。坊ちゃんたら、父とと様の声が聞こえたらズンズンここへ戻って行ってしまわれてもう早いのなんの。ばあやには見向きもしないんですよ?」
「ははっ、今からそんなに鍛えて一体なんになるのやら。千ちゃんは将来有望だなあ」
「お血筋ですかねぇ。奥様も昔はそりゃあ足がお速くって……あっでも旦那様のお血筋かもしれませんのよね?」
「どっちでもいいさ、なあ千ちゃん」
千之助を抱いたまま旦那様が歩き出す。
壁に手をつき、ズッズッと音を立てながら三歩うしろをついてゆく。ほどなくしてちゅぱちゅぱと指吸いの音が聞こえてきた。広くてあたたかい腕のなかは居心地がいい。その気持ちはよくわかる。
ズッズッ、ちゅぱちゅぱ、ズッズッ、ちゅぱちゅぱ、ズッズッ、ちゅぱちゅぱ、ズッズッ、ズッズッ、ズッ……
「ああ、寝てしまった。電池切れかな」
「旦那様、わたくしが」
「そうっとな……よし、行ってくる」
指をくわえたまま脱力する千之助をまつに手渡し、中折帽をさらりとかぶると旦那様がわたしをじっと見た。
美人は三日で飽きるというのにいつまで経っても慣れやしない。照れくさくて、いたたまれなくて思わず不本意に顔が熱くなった。まつはもう、千之助を布団で寝かせるために踵を返している。
「……胡蝶?」
「いえ、なんでもないの」
気を取り直して、わたしは深く頭を下げる。
「いってらっしゃいませ」
「うん」
がらがらぴしゃんと戸が閉まった。
外はすっかり涼しいらしい。秋風の名残りが頬を冷やすから、よっぽど熱かったのだと分からされて嫌になる。振り返って戻ろうとするとドタドタと女中が向かってきた。数か月前にやってきたまだ新しい女中だ。
「なんです騒々しい」
「あっ、あの……! 旦那様ぁ、もう行っちゃいましたか!? お弁当っ、こさえたんですけどぉ……っ」
「まあ!」
忘れてしまったのか。
よく食べる人なのに。
わたしはふたたび振り返る。たたきを降りて、下駄やぞうりを履くのさえわずらわしくて戸を開ける。ズッズッズッズッ、足を引く音がつきまとって、それでも秋の青空はどこまでも高く抜けている。石畳の向こう、閉まりかける長屋門の奥に背広姿が見えて、澄んだ空気を胸いっぱいに吸った。
「 あなた ! 」
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