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Ⅰ.冬の章
05.式典
しおりを挟む突然の衣装係来訪は、結婚式前日の夕刻だった。
衣装係はおそらく数名、いや10名を超える大人数で彼女の部屋へと押し入り、何事かとエメが矢面に立って説明を受けた。
アイリーンといえばその時は、寝室でのんびりと夕食前のストレッチをしていた。四六時中 目隠しをしていると、一人でできることは限られる。
「な、なに? どうしたんだエメ?」
「ったく……婚礼衣装の作り直しだとさ」
「は?! なんで今更!」
「軍長のご指示だと。まったくあの人は昔っから何考えてるか分かりゃしない。アイリーン、採寸からだ。服を脱いで」
エメの言葉に、本当に急なことなのだと悟る。
仕方なしに裸になり、されるがまま採寸され、衣装係たちは時間がないためここで作業をさせて欲しいと訴える。婚礼衣装はあの洗身の儀で着たものだと聞いていたのに、一体どういう風の吹き回しだろう。
結局アイリーンは部屋を貸し、針子たちが急いでその場で準備し始めた。ばたばたと部屋を行き来する音のなかで、エメが大声を上げる。
「ちょっと待って! まさかそれで作るってんじゃんじゃないだろうね!」
「そのまさかでございます! 私どもも反対意見は申し上げましたが、公爵閣下は聞く耳を持ちません! 文句がおありでしたら侍女どのが直接閣下にお申し付けくださいませ!!」
「エ、エメ……急にどうしたんだよ」
何やらただならぬ雰囲気に、アイリーンは借りてきた猫のように縮み上がりながらもエメを呼んだ。彼女は大きく短く溜息をして、吐き捨てるようにアイリーンに伝えた。
「あんたの婚礼衣装、どうも色から変えるらしい」
「色? 白を? クリームがかった色にするとかか?」
「黒だよ。まっくろ。夜みたいな色をしてる」
アイリーンは絶句した。
そんな色、婚礼衣装で聞いたことない。この大陸で婚礼衣装といえば必ず白に決まっていて、それはこの敵国でも同じはずだ。
事実、先程まで用意されていた婚礼衣装は白地に淡い金の刺繍が施された、それ一着で馬が何頭も買えそうなほど豪華絢爛なものだったのに。何がいけないというのだろう。
もしかして自分のせいだろうか。
アイリーンに不安がよぎる。あの先ほどの打ち合わせで、知らぬ間になにか不興を買ってしまったのだろうか。それとも忌み子のアイリーンの姿に嫌悪を覚え、美しい婚礼衣装など身に余ると引き下げたのか。
「こんなのあり得ない……っあたし、やっぱり軍長に会ってくる。アイリーンはここにいな」
……どちらにせよ、歓迎されてなどいない。
どこにいても歓迎されない身であるのは分かっている。しかし夫となる人からもこの様な仕打ちを受け、アイリーンの心に炎が灯った。
「待ってくれ、エメ……構わねぇよ」
「アイリーン、なんで!」
「着ろってんなら着てやるよ。なにせ我が夫君からのお申しつけだ。公爵閣下はずいぶん暗い女がお好みらしいな」
「でも……っ」
「オレがいいと言っている。いいからやれ」
炎が燃え上がってゆく。
怒りの炎はアイリーンの周囲にまで燃えうつり、エメまでもを巻き込んでこの部屋すべてを燃やし尽くさんとする。アイリーンの静かな命令に、部屋にいる誰もが息を呑んだ。
一方でアイリーンはその刹那、雷が落ちるような鋭い頭痛に襲われた。
物心ついた頃から時々みられるこの頭痛は、アイリーンの負の感情が高まった時に引き起こされる。咄嗟に手で頭を抑えようとしたが、しかしアイリーンは震えるその手をぎゅっと握りしめた。
動揺するな。嘆きも痛みも見せてはならない。
そうすればあの公爵の思う壺だ。
「……っ、わかったよ……」
エメの諦めを含んだ声が寂しく響く。
彼女はアイリーンのためを思って言ってくれたのに、酷い言い方をしてしまった。しかし今のアイリーンは、誰彼構わず虚勢を張らなければ、立つことさえ難しかった。
新たな婚礼衣装の作成は夜遅くまで続いて、アイリーンは幾度とない試着を終えてもまったく眠れず、夜を明かした。
***
奇異な婚礼衣装を身にまとい、黒の目隠しですべてを拒絶し、アイリーンは大聖堂の前に立っていた。重い音で床が震えて、巨大らしい扉が開かれる。
儀式をひかえた大聖堂にはすでに幾千もの貴族が集まっていて、彼らはアイリーンの姿を見るとそれまでの歓談をぴたりと止めた。アイリーンはエメに手を引かれながら、しっかりとした足取りで前へと進む。
嘲笑も侮蔑も覚悟の上だったが、周りの反応はアイリーンの思っていたものとまるで違った。
……静かだ。まるで水を打ったように、誰一人として喋らない。
おそらく祭壇の前まで突き進むと、エメがアイリーンの手をそっとそこへ導いた。硬い手に、アイリーンのそれが重なる。温かくも冷たくもない、この手が誰のものなのか、この場においては明白だった。
「……ーー汝、アイリーン・シガルタはこの者を夫とし生涯を共にすることを誓うか」
「誓います」
挙式はあっさりしたものだった。
滞りなくすべてが進み、見えないままに夫らしき人の唇を受け入れた。そこにはなんの感情も生まれず、ただ手順を踏んでゆくだけ。作業の終わったアイリーンの薬指には、枷のような指輪がつけられた。
次に国王とソフィアの結婚式が執り行われた。
アイリーンには見えないが、聞いている限りでは、彼らもまた同じ口上を述べ、同じ手順で儀式を終えた。アイリーンらは祭壇から一番近い椅子に座り、その様子を伺っている。
国王夫妻の結婚式が終われば、次はソフィアの戴冠式だった。長ったらしい古語での祈祷を行い、荘厳な音楽が流れている中、大司教が高らかに宣誓する。
「ベリアル神の御意志に従いて、汝ソフィア・イェーナを王妃と宣言する。イェーナ王国に栄光のあらんことを」
「イェーナ王国、万歳!」
「国王陛下万歳!」
「ソフィア王妃、万歳! 万歳! 万歳!」
貴族たちが一斉に声を上げる。頭上から声が降ってきたから、恐らくみな立っているのだろう。と思うとアイリーンの手が引かれ、立ち上がるよう促された。
「立てアイリーン」
「はい……」
その男の命令は、貴族たちの歓声が怒号のように響き渡る大聖堂でも、明瞭にアイリーンの耳に届いた。相変わらず、冷たい声をしている。しかし今のアイリーンにとって、そんな些事はどうでもよかった。
「新王妃、万歳!」
見たい、見たい、見たい!
あの幼い天使のようなソフィアが、今や押しも押されぬ大国の王妃として君臨している。どれほどに美しく、神聖で、気高い姿をしているだろう。
敵国であり、半ば人質としての輿入れではある。
しかしそれでも自分と同じ庶子であるソフィアが、まさかこんな強国で、それも王妃となるなんて、少し前なら信じられない事だった。
国から持ってきた紗の目隠しがあればまだ見えたのに、今のアイリーンにはまぶたの裏で想像することしかできない。貴族たちの声はとどまることなく高揚し、若き新王妃を讃えている。
一目でいい。
たった一目でいいから見せてくれ!
アイリーンは唇を噛みしめた。
願っても祈っても、自分の赤目が変わる事はない。この瞳をこんな大勢がいる場所で晒してはならない。自分がどれだけ渇望しても、今のソフィアを見る事はもはや出来ないと、アイリーンは痛いほどに知っている。
結局、願いは叶わぬまま、戴冠式は終了した。
「お疲れ。あと1時間で披露宴だからね。辛くないかい?」
「うん全然。ありがとうエメ」
「ほんとにコルセットが合わなかったんだね。こうも違うとは……」
私室へ戻り休憩していると、エメがため息をつく。
今のアイリーンはコルセットをしておらず、馬車酔いはかなり軽減された。というのも、新しい婚礼衣装は色だけでなく、形もまたらしからぬ物だった。
胸の真下でリボンを結んで切り替わり、スカートは膨らませずにそのままさらりと流されている。腰が強調される意匠ではないため、コルセットを着る必要がない。
針子たちに言わせれば、これは古代のイェーナで流行したドレスの形らしく、一応婚礼衣装としての体は成しているらしい。
アイリーンから言わせれば寝衣のような感覚であるが、寝衣とは違った上等な布地で誂えられていることは着れば分かった。それに胸元に触れれば、かなり細かい刺繍の感覚が指に触れる。
針子たちが徹夜して、たった1日で作られたとは思えない仕上がりだと、エメは驚愕してアイリーンに伝えていた。
「……式、綺麗だったよ」
「はは、ありがとう。そんな事を言ってくれるのはきっとエメだけだ」
「……っそんなことない」
「衣装係にも何か礼をしたいけど……オレから貰ったところで、嫌がられるのがオチだしな……」
実のところ、アイリーンは公爵の意図を測りかねていた。色も形もおかしいが、この婚礼衣装は自分の助けとなっている。もしかすると公爵は、アイリーンが馬車酔いしないようにこの衣装を作ってくれたのではないか。
しかしそれなら色はどうだ? 全く婚礼衣装らしからぬ漆黒色は、針子たちでさえ反対意見を出したと聞く。
分からない。全く何も分からない。
せめて目が見えていれば、式の時の公爵の表情を伺うことができたのに……真正面に立って誓いのキスをした公爵は、一体どんな表情をしていたのだろう。
今になってアイリーンは、唇の触れた感覚を思い出して、いたたまれない気持ちを抱えていた。
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