アイリーン譚歌 ◇R-18◇

無欲

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Ⅱ.春の章

26.小夜鳴鳥

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「閣下、お夕飯です」

「……これだけか」

「足りないようなら、また果物でも剥きますから。食欲が出てきてなによりです」


アイリーンの昔話を聴きながら、閣下は細切れに眠って起きてを繰り返した。彼女は閣下が起きると果物を剥いてやり、水を用意し、薬を飲ませた。閣下は存外、彼女の与えるものを素直に受け取り、そしてまた眠るまで、彼女の話を聴きたがった。


そうして昼が過ぎ、夕が過ぎ、また夜が訪れた。


アイリーンはそろそろ良いだろうと思い、侍女に頼んだ粥を閣下に手渡した。彼もその頃には身体を起こせるようになり、食もかなり受け付けるようになっていた。

……あんな倒れ方をしたのに、明日にはもう全快しそうな勢いだ。やはり軍人というのは鍛え方が違うのだろう。アイリーンは頭の隅でほっと息をつきながら、閣下の食べる様子を伺っていた。


「……おい、てめえの食事はどうした」

「あ、オレも食べてますよ。閣下が眠っている間に」

「まさか果物だけじゃねぇだろうな」


う、とアイリーンが言葉を詰まらせる。

閣下はその様子で全てを察したらしく、ひとつ舌打ちをして、さっさと何か持って来させろと言い放った。冷たい声も、研いだ刃にすこしの曇りがあるくらいにまで戻っている。やっぱり野生児に違いない。

アイリーンはあまり腹も減っていないが、仕方なく軽食を頼むために寝室を出た。すると私室にはエメがいて、どうやらふたりの様子を伺いにきたらしかった。ひそひそ声で言葉を交わす。


「……軍長はどう?」

「もう大丈夫そう。明日には起き上がれるんじゃないかな」

「そうかい……あんたも、ちゃんと休むんだよ」

「うん、大丈夫。閣下がよく寝てるから、オレもその間に休憩してる……なぁ、なんか適当な食事を頼めるか?  軽いのでいい。剥き過ぎてあまった果物ばっか食ってたら、腹ふくれちまって」

「っ……、じゃあ、温めたミルクと白パンを持ってくるよ。それで良いかい?」

「うん、ありがとう。頼むな」


アイリーンの何気ない一言にエメは少し怯んだが、顔には出さず、彼女の私室を出た。

閣下がよく寝てるから……そんな所、エメは想像すらできない。それにあまった果物と言ったが、彼女が手ずから剥いたものを、軍長が食べているという事だろう。神経質な軍長が、料理人以外の手がつけられた物を食べるなんてこともあり得ない。


あの軍長が、そこまで他人に気を許すなんて、少し前まで考えもつかなかった事だ。


いくら熱があるからとはいえ、今の軍長は明らかにアイリーンに甘えている。やはり彼女は軍長の特別なのだろう。半ば無理やりだったが、アイリーンに看病させた自分を褒めてやりたい。

エメはそんな事を思いながら、アイリーンに食事を渡してそそくさと部屋を下がった。


「てめえもそれだけか」

「オレは良いんです。果物、結構食べたし。閣下も腹減ってんなら、白パンひとつどうですか?」

「……貰おう」


やはり足りなかったらしく、ふたつ盛られた白パンのひとつを渡すと、閣下はそのまま食べ始めた。王宮のパンはすばらしく柔らかいものだが、それだけでは喉が渇いてしまう。アイリーンは閣下の前にミルクの入ったカップを出した。


「閣下、ミルクにひたしてください。あったまるし、喉にも通りやすいですよ」

「……これはてめえのもんだろうが」

「ひたすぐらいで減るわけじゃなし、大丈夫ですよ。ほら、どうぞ」


普段ならこんなに閣下に意見を出せるはずもないが、今のアイリーンは強気だった。彼を世話したという自負があるし、早く良くなってもらいたい。

そのために必要であるなら、多少閣下の表情が曇っても構わなかった。というより、閣下はいつも不機嫌そうなのだから、考えたところで今更だ。

そして閣下はやはりそこまで強く拒まず、アイリーンのミルクにパンをひたした。彼女もまた、寝台ベッドに腰掛けながら、同じように食事をとる。


「ふぅ……」


小さな白パンはあっという間に腹に入って、アイリーンは最後にミルクを飲み干した。冷たい果物ばかりだったから、温かいものが胃にしみる。勢いよく飲みすぎたのか、アイリーンの口角から白いミルクが一筋、顎を伝った。


「あっ……」

「ちゃんと飲め。口のゆるいクソガキが」

「す、すみません……」


悪態をつきながらも、閣下の指がミルクを掬った。白く濡れた指はそのまま、閣下の薄い唇へ運ばれる。アイリーンは反射的に頬を染めてうつむくが、閣下は気にせず身体を倒し、また瞼を閉じた。


「……もうお休みになられますか?」

「……てめえのジジイは、今どうしてる」


閣下が目を閉じているから、アイリーンはなんの憂いもなく、赤らんだ顔で微笑んだ。先ほど閣下が眠る前、祖父との別れの話をしたところだ。覚えていて、続きをうながしたのだろう。

アイリーンはゆっくりと言葉を紡ぎはじめた。彼に耳触りがいいと言われた声を張るでもなし、ひそめるでもなし、努めておだやかに、なめらかに話をした。


「今は……詳しくは分かりませんが、きっとまだ、一人で山にいると思います。南側の、小さな山小屋です。祖父はそこで、オレに木琴を作ってくれて……。

なかなか良い出来だって自分で褒めて、ミルタとソフィアが遊びにきた時は、それを使ってみんなで演奏会をしました。客はじいちゃんひとりだけでしたけど、あれはすごく楽しかったな。

みんなで歌ってると、じいちゃんも入ってきて。でもじいちゃんは歌が下手なのに、大声で歌うから。最後はみんな、ふふ、訳わかんねぇ音程になってました」

「……てめえも、歌ったのか……?  どんな曲だ……?」

「はい、オレもあんまり上手じゃないけど。"四季の歌"って曲です。はるのーをー……」


それから少し、アイリーンは四季の歌を口ずさんだ。閣下はアイリーンの声を静かな表情で聞いている。眠りの帳がすぐ近くまで降りているのだ。

これはシガルタ国の古いわらべ歌だから、きっと彼は知らないだろう。一節だけを歌って止めると、閣下の眉が薄くひそめられた。


「……続けろ」

「えっ……でも……」

「……いい、続けろ……」


戸惑いながらも、懐かしさについ口ずさむ。
歌っていると、重大なことを思い出した。閣下にもらった後朝きぬぎぬの花、あれにこの歌が書いてあった。

なぜ知っているんだろう。
聞いたことがあるのだろうか。
あるなら、なぜ何も言ってくれない。

アイリーンは歌い終え、閣下の顔を覗き込んだ。宵闇の影が彼を覆って、おだやかな眠りの呼吸が聞こえてくる。それを見ると、アイリーンは諦めて小さくため息をついた。


「……おやすみなさい、閣下」


まぁ、いいか。また起きたら聞いてみよう。

眠った閣下を起こしてまで聞く話ではない。アイリーンはひとつ欠伸をして、寝台のふちに横たわった。



***



誰かに頬を撫でられている。
じいちゃんだろうか、ばあちゃんだろうか。
優しい手は頬をなぞり、短い髪にやわく触れた。

額にくちづけられる。
そんな風にされたのは久しぶりだ。
彼女は嬉しくなって、ゆるやかに微笑んだ。


「……アリン……」


たん、たん、と頭を優しく叩かれて、アイリーンは頷いた。

誰だか分からない声は
すこしかすれていて
心地よかった……
…………
……


「ーーリーン……、アイリーン、アイリーンったら!」

「んぅ……っ、あれ、エメ……?」

「もう、全然起きないんだから、心配したよ。もう昼だよ」

「ええ、うそだろ……、あれ、閣下は?」


気づいたら寝台の中央で、布団をかぶって眠っていた。おかしい。寝台の端で仮眠を取って、閣下の目が覚めたらすぐ起きようと思っていたのに。

本来禁止されている寝室にエメがいるということは、閣下はどこかへ行って戻ってこないのか。アイリーンの予想通り、彼は朝、いつも通りの時間に部屋を出たと言う。全く気づかなかった。


「閣下、大丈夫かな」

「平気そうに見えたけどね。足取りもしっかりしてたし」

「ほんとかよ……あの人、やっぱ野生児だ……」

「なにそれ?  アイリーン、もうすぐダンスの時間だけど行ける?」

「ああ、そうだった!  行く、行くよ!」


大急ぎで準備をして、アイリーンはもとの日常に戻っていった。自分を寝台へ寝かせた人は誰なのか、思い至って頬がほんのり赤く染まった。

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