アイリーン譚歌 ◇R-18◇

無欲

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Ⅲ.夏の章

40.夜会

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国王レオナルドがこれほど憤っている場面に、王妃はもちろん他大勢も遭遇したことはなかった。

彼はその憤りのまま夜会を途中退席し、王妃を連れて私室へ戻り、広い寝台ベッドへ身体を投げた。王妃はいまだ困惑しており、またドレス姿のために寝台へ上がることはない。


「……もう、レオ」

「私は絶対に戻らないからな。……最悪の誕生日だ」


身体を伏せ、拗ねたようなその言い方に、そういえばこの人は案外子どもっぽい一面があったのだと諦める。王妃は寝台に腰掛けて、背中の紐をゆるめてくださる?  と国王陛下に訴えかけた。



***



事の発端は、夜会の中盤。

国王と王妃それぞれ別の客人に対応していた。諸外国の賓客と、伯爵以上の貴族が数多くいるため、分かれた方が効率がいい。
片手にグラスを、片手に扇子を持った王妃は、半年ぶりに再会した幼馴染に微笑んでいた。


「久しぶりですね、ジョルジュ・エマートリ。まさか武闘大会で優勝するとは思いませんでしたよ。おめでとう」

「イェーナ国王妃殿下におかれましては、ご機嫌うるわしゅう存じ上げます。勿体ないお言葉を頂戴し、恐悦至極でございます」


言葉や所作こそ堅苦しいが、その目がいたずらに笑っていて、ソフィアの顔も思わずほころぶ。彼はソフィアにとって、歳の離れた兄のような存在だった。

よくアイリーンとじゃれ合っていた彼が優勝したのは、純粋に驚いたし誇らしかった。とはいえ今日の特別試合は3分で負けてしまったが、あれは誰が戦っても同じ事だろう。それほど、噂の狂犬公爵は強かった。


ソフィアは特別試合に関しては口をつぐみ、かねてから聞きたかった事を口にした。


「ミルタ国王はご健勝ですか?」

「ええ。この祭典にかなり来たがって、ごねていらっしゃいましたよ。いつもの顔で」

「ふふ、そうですか」


いつもの顔、と言われてソフィアは思い出す。


妹たちより寡黙なミルタは、しかし3姉妹では一番表情が漏れやすい。いつもの不満顔と言えば、顎を引き、唇を突き出し、眉をひそめて相手をじっと見つめるそれだろう。

アイリーンともよく似ているが、彼女より更に見つめてくる……というよりもはや睨んでくるそれは、どこか憎めなくてソフィアは好きだった。


それからは国政の話をすこし。

ジョルジュによると、輿入れの前後から食人獣の襲来は減っているそうだ。逆に今、この国では輿入れ前後で一度増え、また減っていて、いずれの原因も未だ掴めていない。研究所の調査は綿密だが、それ以上に食人獣の動向は不可解だった。

貴族の興味をさして引かない食人獣の話題で、他者の注意が逸れているのを確認したジョルジュは、その身をかがめてソフィアに耳打ちした。


「……研究結果もありがとうな。助かるよ」

「ああ……陛下がお許しくださってるから、そんなに声をひそめる必要はないよ」

「つってもそういう訳にいかないだろ……他には秘された内容だ。うちだけが持ってるって知られると、面倒なことになる」

「確かにね……同盟国の特権ではあると思うけど」


ジョルジュが王妃に近づいたその一瞬を狙って、下世話な妄想を繰り広げる者がいた。

口髭をたくわえた恰幅のよいその男は、酒に酔った赤ら顔のままソフィアに近づく。咄嗟に侍女たちが間に入り、ソフィアとの距離を取ろうとしていた。


「皆、下がって構わないよ。こんばんはベーメン伯爵、いい夜ですね」

「美しき王妃殿下に隣国の若き剣士どの。ご機嫌うるわしゅう」

「こんばんはベーメン伯。シガルタの外交官、ジョルジュ・エマートリと申します。伯爵位を頂いております。以後お見知り置きを」

「どうぞよろしく……いはやは、何とも絵になるお二人で。月も花も、お二人の前では恥じらって姿を隠してしまいますな」

「ほほ、お上手ですこと。ベーメン伯、彼はわたしの生まれ故郷に、将来を約束した恋人がおりますのよ」


儀礼的な挨拶を交わし、しっかりと釘を刺しておく。

実際には、ジョルジュに恋人がいるとは聞いていない。だが彼もいい歳で、言っておいても不利にはならず、事実さっさと身を固めてほしいとも思っている。
なにより、隣国の王妃との醜聞スキャンダルを噂された方がよっぽど不利益だった。


しかし伯爵はソフィアの言葉に引くこともなく、ふたりを恋人に見立てたような発言を多くした。やれ距離が近いだの、話が長いだの、特別な微笑みを見せているだの……下衆な勘ぐりを並びたてている。


ソフィアはベーメン伯爵の遍歴を思い出した。

3年前、彼は即位したての国王陛下に収賄と脱税を暴かれて領地の大部分を没収されている。歴史ある家柄であったため、爵位はなんとか残ったものの、その転落はすさまじいものであったと聞いていた。


……要は、馬鹿げた八つ当たりだ。


ソフィアからすれば、そして他の者からしても自業自得であるのは間違いないが、本人はそう思わないらしい。完璧すぎる国王には何も言えないため、立場が弱く、また国王の寵愛が薄れたソフィアに白羽の矢を立てたのだ。


「そう言えば、王妃様は研究室の男にも格別のお引き立てをなさっているとか。あれは平民でしたかなぁ?」


話はセブロにも飛び火した。
ここにいない平民の彼はもっと立場が弱く、格好の餌食となる。

食人獣との対峙の際に彼がソフィアに触れた事、それを彼女が拒否しなかった事、そのとき恍惚とした表情を彼にーー実際には食人獣にーー向けていた事などを、回りくどく責め立てた。


「あのような下賤の者にまで温情をかけなさるとは、王妃様はさすが、お生まれもあってか下々の心を分かっていらっしゃる」


……まったく、どちらが下賤の者か。


ソフィアは時が来るのを待っていた。

周囲は次第にこちらへ目を向け、その大半は王妃に対する不安や心配、伯爵に対する嫌悪や憤怒といったところである。身を呈して国に貢献する王妃は、すでに国内貴族から多くの支持を得ていた。
また国外の賓客たちも、幼い王妃が醜い伯爵に言いがかりをつけられていると同情的な視線を送っている。


一番いい瞬間タイミングで、一番効くであろう言葉を。


花の貌のその裏で、ソフィアはのんびり考えていた。この男の領地のことを、もしくは収賄、脱税のことを。大人しくしておけばいいものを、この高慢な男はか弱いソフィアを使って鬱憤を晴らしていた。

その代償は高くつくぞ。

心でほくそ笑みながら、ソフィアはすこし悲しげに目を伏せた。周りはそれを敏感に感じとり、そろそろと止めに入ろうとする。対してソフィアをよく知るジョルジュは、事の成り行きを見守っていた。


「天使のようなその眼差しで、一体どれだけの男がたらし込まれたのやら……いや失敬、それも陛下には通用しないのでしたな。高貴の血というのは、相手を選ぶものですから」


……まぁ、あながち間違いでもない。
ずき、とソフィアの胸が痛む。


攻撃は熱を増し、次第にソフィア個人へと移り変わっていた。王族を貶めたいだけのこの男が、ソフィアの秘密を握っているとは思えない。おおかた小国の庶子にこの地位は相応しからずと、そう糾弾したいだけだろう。

そこに才覚や品位は必要とされず、血筋の重要性のみを説くこの男は、なるほど家柄の良さだけが自慢の古びた貴族らしい考えだった。


じっくり研いだ言葉をそろそろ刺してしまおうかと、ソフィアは扇を閉じ……ようとした。しかしそうする事はかなわなかった。大きな影がソフィアを包み、硬い手がぎゅう、と細肩を掴む。


「ベーメン伯。もう一度、申してみよ」

「へ、陛下……」

「なんだ、ソフィアに話したことが、私に話せないわけがないだろう?  遠慮はいらない、さあ申してみよ」


凍てつく冬の氷河のような。
それでいて、地獄の業火のような。

普段おだやかな陛下から想像もつかないその声色に、周囲はおろかソフィアですらも顔を上げるのが躊躇われた。ひとときの静寂の後、おずおずと伯爵が声を上げる。情けなく震えたその男はやはり自業自得だったが、それでも同情してしまうほど今の陛下は恐ろしかった。


「そっ……陛下、わたくしそのようなつもりでは、決して!」

「不愉快だ。……ロイ」


いつの間にか後ろに控えていたらしい狂犬公爵が前に出る。彼も今日は賓客として招かれているため燕尾服だが、まあ彼であれば素手でも問題ないのだろう。


「連れていけ」

「……いいんだな」

「ああ構わない、不敬罪だ。爵位も今を持って剥奪する。およそここに相応しい者ではないからね」


お待ちください、陛下、どうか御慈悲を!

騒ぎ立てる伯爵をよそに、陛下が罪名を告げるとその場が凍った。不敬罪。それは現国王が即位して3年、はじめて使われる罪状だ。王族の意向によって成り立つその罪を、彼は今まで一度も行使していない。


圧政は、国王陛下レオナルドの望むところではない。


この半年で、ソフィアはそれを理解していた。

陛下は常に公平であり、どんな些事でも他者の意見を交えて結論を出している。相手の言い分を一切無視したやり方は、彼本来のそれではない。

狂犬公爵もまた理解しているために、一度は陛下に聞き直した。しかし有無を言わせぬ陛下の強さにそれ以上は何も言わず、ベーメン伯爵の腕を取る。


陛下の暴走を止められるのは、もはや彼女だけだった。

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