アイリーン譚歌 ◇R-18◇

無欲

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Ⅳ.秋の章

56.強欲

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「……またかよ」


重だるいため息が口から出てゆく。

どこかの国に、ため息をつくと幸せが逃げる、なんて言い伝えもあると聞くが、それくらいで逃げる幸せなら逃しておけ。というのが、今の彼女の心境である。

生誕祭から1ヶ月が過ぎ、アイリーンはすることもなく部屋で過ごすことが多い。折を見てエメと散歩に出るが、周りの目もあって部屋が一番落ち着くのだ。しかしコレがあってから、おちおちと部屋でもくつろぐことが出来ないでいた。


「うわぁ、ひどいね。今度はなに?」

「蛇じゃねえの?  まったくご丁寧なこったな」


エメがちらりと見て分からないくらい、原型をとどめていなかったそれは、アイリーンの部屋の玄関前に捨てられていた。

はじめは卵だ。
次にトマト、それから虫、ネズミ、小鳥の死骸……次第にエスカレートするそれは、アイリーンへの嫌がらせだった。


『ベリアル信者の馬鹿どもが、このあいだの食人獣の襲来とあんたを結びつけてるみたいだよ。舞踏会のとき、結構目立っちまったからね』


出る杭は打たれる、と言うことだろう。
特段気にしてはいなかったが、食べ物や生き物を粗末に扱うのはいただけなかった。生きとし生けるものはみな平等。命には常に感謝しなさいーーばあちゃんがそんな風に言っていたっけ。

アイリーンは滅多打ちにされた蛇の死骸を両手で拾うと踵を返し、部屋の奥へと向かった。王宮の庭が見える大きな窓からぺっと投げ、飛んだ死骸は庭の土へとうまく落ちる。これなら小鳥がついばむだろうし、残った分は腐って肥料となるだろう。


他の貴婦人ならいざ知らず、アイリーンはこうした生き物にも慣れていた。こちとらイノシシとも対峙している、なめてもらっては困るのだ。数年前まで獣を狩ってさばいていた彼女にとっては、こんな死骸はなんでもない、ただ……


「軍長にも言っとくね。……あんた、ほんとに警備を入れなくていいの?」

「うぅん……」


ーーただ、気が滅入る。

忌み子の自分を傷つけようと、こんな陰険な行動に出る者がいる。気に入らないなら直接言ってくれればいいのに、陰でこそこそ自分を貶めようとしている……何度も続けば、辟易するのも仕方なかった。


「……いや、いいよ。オレに被害があるわけじゃねえし、人の目が増えるのも面倒だ」

「そうかい……でもあんたに何かあったら、すぐに警備をつけるからね」

「分かった、ありがとうエメ」


ロイには、エメを通してすべて報告している。

はじめは必要ないと言ったが、それが仕事だからとエメは断固譲らなかった。こんな些事で彼の心を乱したくはなかったが、こうも続けば、報告していて良かったのかもと今は思う。

犯人はいまだ見つかっておらず、警備員の件はこの間から提案されている。しかしアイリーンは部屋の中に人を増やす気にはなれず、それは都度断っていた。


「どんな奴なんだろうな、こんな馬鹿みたいな事……」

「あんたのことをよく知らない、それでいて王宮に仕える、世間知らずな坊ちゃん嬢ちゃんってとこかね」

「なんで?」

「やる事が小さい。こんな微妙な嫌がらせで怯えんのなんて、せいぜい貴族のご令嬢くらいなもんだよ」

「オレだって一応ご令嬢だぞ」


むすっとして言い返す。
鈍感で粗野な田舎娘、そう言われているように感じたが、エメはそうじゃないと首を振る。


「だからだよ。あんたの経歴を理解してなくて、ただ王族の娘だからって甘く見てる。自分がされたら嫌なことをしてるんだろうけど、まるで子供だましじゃないか」

「まぁ確かにな……」

「あんたがこれで泣き叫ぶとでも思ってんのかね馬鹿らしい。そんな繊細なタマじゃないのは、ちょっと話せばすぐわかるだろうに」

「聞き捨てならねぇっ!  オレだって繊細なんだぞ!」


どの口が、と笑うエメにつられて破顔する。
ともかく傷つかないのが一番。そう考えて、アイリーンはつとめていつも通りの日常を過ごしていた。



***



虫も鳥も人々も、深く眠る秋の宵。
アイリーンはふと脳内だけで覚醒した。


瞳は重くて開けていないが、なぜだか意識はハッキリしていた。なんだろう、なにか違和感がある。身体が斜めになっている……

寝ぼけた頭がゆっくり回る。
寝台ベッドの一部ーー腰のあたりが傾いている。でもどうして?  奇妙な感覚に疑問が浮かぶと、ギシ、と音を立てて寝台の傾きが深くなった。


ーー誰かいる!!


「だれだっ!」


アイリーンは跳ね起きた。
瞬間、寝台のはたに腰かけていた黒い影と視線がぶつかる。思ったよりも夜が明けて、薄暗がりで影は銀色を光らせている。

彼が先に身じろいで、緊張していた彼女の全身からは、へなへなと力が抜けていった。


「なんだ閣下……おどかさないでくださいよ……!」

「なんだとはなんだ。おどかしてねえ勝手に飛び起きたんだろうが」

「すいません……おかえりなさい、ロイ」

「……ああ」


頬に触れられ、ロイのほうから瞳を伏せる。
まだ緊張の余韻がのこる彼女をなぐさめ、落ち着かせるよう、かさついた唇がそうっと触れた。

ぶっきらぼうな言葉とちがって、その唇はひどく慎重だった。性感を一切匂わせず、親兄弟のようにやさしく触れる。気遣われているーーすぐに分かると嬉しくなって、アイリーンはねだるように身を寄せた。


「……ん……」

「……悪ぃな、起こすつもりじゃ、なかったんだが……」

「なんで……起こせよ。おれだって、会いた、かった、ん、だから……」


素直な気持ちを口にすれば、ロイの硬い腕がすんなり彼女を包み込む。筋ばった首に顔をうずめると、1週間ぶりの彼の匂いが懐かしくって心地よくって……アイリーンは心底安堵した。

ずず、と鼻をすすりあげる。


「あれ……なんでだろ」

「エメから聞いたぞ……気ぃ張りやがって」

「いやっ、そんなつもりは……えぇ……、ロイ、服が、汚れるから……」

「好きに汚せ」


離れようとすればなおさら強く抱きしめられて、自分でも訳のわからないまま、アイリーンはすこし涙を流した。やはりロイに言われた通り、気を張っていたんだろうか。

あんな些細な嫌がらせ、自分ではなんとも思っていないのに。それにこの涙は彼に会えた喜びでもあるような気がした。うん、きっとそうだ。


「警備をつける。お前は何も気にすんな」

「やだ……」

「やだじゃねえ聞き分けろ」

「でも、ロイと、一緒がいい……」


……あれ?  言い方を間違えた。
これでは伝わらない上に、彼の仕事を否定している。


「……警備は入り口だけにしてやる。これ以上は聞かねえからな」


言い換える言葉を探していると、彼の方からくみ取ってくれた。やはり察しがいいのだろう。アイリーンはひとつ頷いて、耳元に小さくありがとうと囁いた。


ーー部屋ではふたりきりがいい。


そう言いたかった。
警備が部屋のなかまで及べば、アイリーンはもとより、ロイだっておちおち休めない。

もともと他人をそばに置かない性質タチなのだ。彼の戻るわずかな時間を、落ち着くひとときにしてやりたい。それにこうした蜜事も、ふたりきりでしたかった……その想いがすぐ伝わって、アイリーンは喜びのままにくちづける。


「ロイ……次は、んん、どこに……?」


彼もまた、今度はいやらしく触れてくる。
舌がぬるりと入り込み、熱をもつ耳をまさぐられては、ひくひくと胸が高鳴ってゆく。


「北東の小せえ要塞に……森と川以外、なんもねえ、ような……場所だ……っ」

「んんぅ、あ、ふぅ……!」


はやる口調で急き立てられて、くちづけが深く変わってゆく。互いをむさぼり、奥まで食らって、ぐずぐず溶けてもまだ足りない。

今度はいつまで戻らないのだろう。聞きたいけれど、このままずっとこうしていたい。アイリーンの初恋相手は、素直な彼女をどこまでも欲深くさせた。


「や、ロイ……あぅ、もっと……もっと……!」


ねだりながらもロイの髪をまさぐって、近寄せながら舌を出す。からませて、彼の唇からこぼれた唾液を舌先ですくい、舐めとってゆく。


「クソが……一人前に煽りやがって。誰に教わった……!」

「んん、そん、な……ひぁっ!」


背中をつつ、と撫でられる。
これは彼のだ。すぐ理解したアイリーンは、ロイの指先にくすぐられながらも、彼の求める答えを探す。

誰もいるわけないだろう。
こんなことをする相手が、あんた以外に……!


「あ、なた、です……っぜんぶ、あなたに、おそわった……!」

「……そうだ、アリン……いい子だな……」

「うぁっ!  ろい、あ、やだ、あぁ……っ!」


首筋にきゅう、と吸いつかれる。
腰をぞわぞわと撫でまわされる。
また舌を重ねあわせて、ぐじゅぐじゅと唾液を交換する。

いい子だと言ったくせに、まるで躾かなにかのようにロイは激しく攻め立てた。想いを伝えあってからの2ヶ月、段々と、彼は遠慮も見境もなくなってきている。


いつのかな。
今でもいい。
せわしなくても、痛くたって構わない。
早くおれを、ロイのーーにしてほしい。


思わず口を突いて出そうになる言葉がある。

しかし今回も言えないまま、ロイの唇がゆっくり離れた。腕の力が徐々に抜けていつもの切ない終わりを告げる。名残惜しくて、未練がましく触れ合いながら、それでも彼は行ってしまう。


「……アリン」

「ん……」

「…………行ってくる」


笑わなくてはいけなかった。
笑って、送り出さなくては。

仕事熱心なロイを尊敬している。
強くて、傍若無人で、でも国のために必死な彼が好きだ。時には体調を崩すほど、寝る間を惜しんで働く彼を誇りに思う。だから、いってらっしゃいと、そう言わなくちゃいけないんだ……


「…………い、やだ……」

「アリン」

「い、いっしょに、いたい……ロイと、いっしょがいい…………!」


ーーさみしい、いやだ、いかないで……!


胸が潰れそうなほど痛い。
いつからこんなに我儘になってしまったのだろう。自分の身勝手さにほとほとあきれて苦しくなる。

時間を割いてここに来てくれるロイの負担になりたくないのに、愚かな欲を抑えきれない。さらにはぽろぽろ泣き出してしまい、これでは親の仕事を邪魔するわがままな子どもと何も変わらない。


「……エメを起こせ」


なぐさめてもらえ、という事だろうか。

あきれられたに違いない……そう思うと、アイリーンはひどく恐ろしくなった。良い子にしなくちゃ嫌われる。ぐじぐじと荒れた目元をぬぐって、今更になって笑顔を作る。


「ご、ごめんなさいロイ。もう大丈夫だから、いって」

「早く起こせ時間がない……いや、起こしてくるから顔洗え」

「え、ちょっと、ロイ?」


彼は言いながら立ち上がると、アイリーンを背にツカツカと規則正しく歩きだした。夜がじわりと明けていて、寝室は濃い藍色に染まっている。


「てめえも連れて行く」

「へっ?!」

「馬には乗れるな?  ……さっさと顔洗え」


そうして、出ていってしまった。
アイリーンは与えられた言葉についていけず、しばらくポカンと、彼のいた場所を見つづけていた。


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