アイリーン譚歌 ◇R-18◇

無欲

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Ⅵ. 暁の章

09′戦姫アイリーン

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はやい、はやい、速い!


振り落とされないようにするのが精一杯だった。彼らは黒い毛並みをなびかせ、砂煙をあげながら、鬱蒼と大木が生いしげる暗い森を突き抜けてゆく。彼らにはアイリーンの見る世界しか見えていないのに、その身のこなしは、見えているものと何ら変わらないどころか、夜目が効く獣そのものだった。


[我々は気配で察知しますから。でも王様、きちんと目を開けてつがいを探してくださいね。でないと、誰かわからずに蹴り飛ばしてしまうかも]

「うん、わかった」

「うー……気持ちわる……」

「え、エメ、大丈夫?  酔った?!」

「じゃなくてこの、脳に響く感じ。あんたよく平気でいられんね。軍長も。違和感しかないよ」

「そ、そうなのかな?」


アイリーンにはよく分からない。
ロイも実は、そんな風に思っているのだろうか。

アイリーンは一緒に来てくれるというエメに自身の血を分け与えていた。ロイには止められていたことだ。多数に血を分け与えると混乱が生じたり、その能力を利用しようとする者がいるかもしれないからと。

彼女自身、その言葉に納得していたが、危険を冒してまでついてきてくれるエメが今さら自分に危害を加えるはずはないと、また彼らと通じ合っていた方がなにかと都合もいいだろうと自己判断した。ロイには背くことになる。


どぉん、どぉん。


爆発音が近くなる。心臓がぎゅうと握られたように縮む。もうすぐ森を抜けられると誰かが言って、そのとおり、ふと大きく視界がひらけた。広い星空、夜風に流れる草の大地ーー時おり、赤とも朱ともつかずに光る場所がある。


「あそこだ!」

[向かいますよ、王、しっかりつかまって]


言われた途端、ぐんと身体が大きく傾く。速度が上がった。必死で彼らの首の皮をつかむ。アイリーンは馬に乗れる自分の経験にこれほど感謝したことはなかった。きっとソフィアなら、ただの王族の娘なら、振り落とされるどころか彼らに乗ることすらできなかっただろうから。

赤いドレスは暗闇で黒色に見えたが、光源が近づくにつれ、その色をあらわにした。裾をはためかせ、軍勢がちらとその視界に入ると、獣たちが一斉に慟哭をあげる。地響きのような声に、見えている人間たちは敵味方関係なくこちらを向いた。


「お、おい!」

[殺すのでないのなら、こちらの方がよろしいでしょう?  ほら王様、きちんと目をこらして!]


阿鼻叫喚とともに人の波が割れてゆく。
倒れているもの、戦っているもの、いずれもヒエロンドの方が多い気がする。そしてイェーナ軍はどうやら幾人かが、獣たちの身体を覆う国旗に気づいたらしい。困惑の声が聞こえる。


「はっ、はは!  爽快だねこりゃ!」

「笑ってる場合かよ!  なぁ、ロイがまだいないんだけど!」

「この様子じゃ軍長はもっと奥だよ。陣形は崩れてないけど、ちょっと時間がかかってる……一気に進んだ方がいいね」

[あいわかった]


エメの言葉に彼らはまた声を上げ、軍人の波を割って走る。イェーナ軍と違い、ヒエロンドの軍人たちはアイリーンたちを一瞥しただけで逃げ惑っていた。烏合の衆だと言い放ったロイの言葉が思い出される。


「あ」


視界のなかに銀糸をとらえた。

かの人は今、ヒエロンドの防具をつけている。また寝返ったのかと一瞬肝が冷えたが、どうやら自国の兵士たちを混乱に乗じて保護しようとしている。そういえば会議でそんなことをしたいと言っていた。向こうもこちらに気づいたらしく、紫の細目が不敵に笑う。向かう先へ指をさす。

ーーア・チ・ラ・に。

エメの先導は間違いないようだ。こくと頷き、また前を見る。人の波はどんどん深くなる。しかし、やはり自分たちを避けた。


導いて。
どうか見つけて。無事でいて。
なんでもいい、誰でもいい。あの人にあわせて。

かみさまーー


「いた、いたよ!  多分あのなかにいる!」


エメが指さす方向を見ると、獣たちも一斉にそちらを向いて吼える。ざあっと人々の視線が集まり、猪突猛進でつき進み、高く跳んだ獣に気圧され、道がひらける。その、奥に。


遠くて、暗いのに、よく見えた。
馬に乗り、外套をなびかせ、長剣を流れ星のようにきらめかせて。

視線がこちらに向く。銀色のたったひとつのそれが自分を見る。泣きたくなった。よかった。そう安堵する間もなく、視界が別のものをとらえる。


夫の背を狙う、矢の切っ先。


アイリーンの視界が真っ赤に染まった。
弓を構え、矢をつがえ、一気に引く。
弓弦ゆみづるがきりりと鳴いた。

うるさい。
赤い瞳で焦点を合わせる。

弓兵がこちらに気づく!



「ロイにっ、さわんなぁあああっ!」



閃光のごとく放たれたそれに一弓兵は対応が遅れた。肩を打ち抜き、どうやら腕は衰えていないらしいと知る。一方でロイは背中に目でもつけているのか、アイリーンよりも一瞬早く放たれた矢を的確に振り落としていた。さすがというか、あちらも勘は鈍っていないらしい。


「アイリーン!  なにしてやがる、こんなとこで!」

「えっと、あの、来ちゃった」

「はぁ?!」

「だって、心配だったんだよっ。あんなとこで、ひとりで待たされるのも嫌だし、外じゃドンドン鳴ってるし!  こいつらもエメも守ってくれるから、大丈夫って」

「てめえここがどこだか分かって言ってんのか!  クソガキが!  さっさと戻れ!!」

「やだよ!  ここまできて戻るほうが危ないじゃんか!  ロイと一緒にいる、絶対戻んないからな!」

「ッ!」


ふたりが痴話喧嘩をしてる間にも、ヒエロンド軍は攻撃を仕掛けようと躍起になっていた。さすがにロイと戦っていただけあって、末端の有象無象とは気構えが違う。しかしそれらも次第に獣たちに圧されて散ってゆく。

ギラギラとしたひとつの瞳が即座にあたりを見渡し、その様子を確認する。盛大な舌打ちは戦場のさなかでも強く響く。


「クソ、こっちに来いアリン!」

[王様、よろしいかしら?]

「う、うん」


呼ばれるがままに近づくと、ロイは走りつづける馬の背に立ちあがって、片手をアイリーンの後ろにつけ、瞬間、ふわりと飛んだ。馬よりも背が高いのに簡単に乗りあげ、いつものふたり乗り状態になる。


[あらやだ、重いわ]

「こらえろ。このまま突っ切る。アイリーン、向こうを見ろ、国王はあの旗の下だ。分かるか?」

「っうん」


後ろ手に顎をつかまれ、斜め左方向を見させられる。一際大きく、派手な装飾のついたヒエロンドの旗。視界にとらえれば、獣たちもまた一斉にそれを認識する。ロイはアイリーンと彼らの扱いを完全に心得ていた。


「いい子だ」

「んぅ」


つかまれた顎を上に上げられ、瞬間、かさついた唇に食らいつかれる。一瞬の触れ合いに、足りないと、こんな状況ですら思ってしまった。頬にもちゅ、とくちづけられ、吐息が漏れる。

心が軽くなる。
なんでも出来る気がする。

ロイは手早く獣たちと部下に指示を出し、その場の者はみなロイに従った。走り出し、わずかな時間で旗のもとへ近づくと1本の矢を渡された。


「アイリーン。合図したら、この矢をあの旗に打て。物理的な接触で燃えるように加工した火矢だ。扱いには気をつけろ」

「うん」

「注意を旗に引きつけている間に、こっちで国王をとらえる。一瞬離れる、いいな?」

「分かった……気をつけて」

「アリンーーくちづけを」


望まれるがまま……くちづけた。身体をひねり、彼の頬を両手で包んで、まるでお互いになにかを分け与えるような。お互いですべてが満たされるようなくちづけだった。

視線が合う。銀色と暁の色が絡まり合う。
絶対に大丈夫。なぜだかそんな気がした。


「アイリーン」


赤い瞳が旗をとらえた。ふぅっと息を吐き、弓矢の切っ先を合わせる。失敗は許されないし、やれると思う。

不思議だ。やっぱりロイといると、なんだって出来る気がするんだ。子どものときに戻ったみたいに、広い大地を自由に駆けて、どこまでも羽ばたけるような。


どんな困難な状況だって、あなたがいればーー


「やれ」


澄んだ冷たい声。
いつだって、彼女はそれを聞き逃さない。


ひゅん、と風切り音がして、矢は大旗の真ん中を射る。瞬間、花火のような爆発があった。大きな音が耳にキィンと余韻を残す。ぱらぱらと火花が散り、その美しさに目がくらむ。



夫はもう、背中から消えていた。
ヒエロンドの旗が、煌々と燃えていた。



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