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case3.卯衣の場合
04.卯衣、間違える◾️
しおりを挟む「っあー! 美味しかった!」
「ほんとに食べたね……お粗末様でした」
「ご馳走さま。おいしかったよー。ういちゃん、料理上手だね」
おおよそ2人では食べきれないと思っていた量のハンバーグを、鷹臣はほぼ一人でぺろりと平らげた。若いエネルギーはすごい。その細い身体のどこに入ったのだろう。卯衣が感心して見ていると、鷹臣は立ち上がって皿を片付け始めた。
「あ、いいよ。私がやるよ」
「いいから。ちょっと食べすぎて、動かないと溜まりそう」
「ほらー、やっぱり多かったんじゃない」
「美味しくてつい……ういちゃん、先にお風呂入ってきてよ。俺苦しくて、すぐには入れなさそう」
そう言われてしまうと反論できない。
家主である鷹臣を差し置いて一番風呂は気が引けたが、仕方なくその言葉に従う。先に送っていた荷物は2階の部屋にあると言うから、そこへ上がろうと思うと階段の扉に鍵がかかっていた。
あれ、と思って自分のリナリアカードをかざすと解錠できる。よくよく見れば、ほかの部屋にもカードをかざすセンサー部分がついていた。
なんだかホテルのような厳重さに、しかし普通の家でも個室に鍵はついているし、リナリアではこんなものなのだろうとさして気にもしなかった。
階段を登り、はじめての2階へ上がる。
部屋はひとつだけらしく、鍵はかかっていなかった。扉を開けると、大きな部屋にはキングサイズのベッドとダイニングテーブル、そして台所。部屋の中に新たな扉もあって、そこを覗くとトイレと風呂がついていた。食器やテレビなどの家具家電もひと通り揃っている。
「へぇ……?」
卯衣は困惑した。人が暮らすための空間が、この家には2つある。まるで1階と2階で別の家庭があるような、妙なつくりだ。
もしかすると、ここはゲストルームなのかもしれない。
リナリア区の敷地は広大だと聞く。遠方の知り合いが訪ねて来る際に、ここを使わせていたのだろう。そうでなければ、この二世帯住宅にうまく説明がつけられない。宇崎家は核家族のはずだ。
違和感を感じながらも、卯衣は荷物から下着と寝着を取り出して部屋を出て、階段を降りた。階段の扉は自動で施錠されるらしく、またカードで鍵を開けなくてはならない。少し面倒だ。
「じゃあおみくん、お先にお風呂いただきます」
「うん、ごゆっくりどうぞー」
食器を食洗機に入れながら、鷹臣はおだやかに返事をした。卯衣は初めての家にやや緊張しながら、1階にある風呂場へと向かった。一般的な間取りの家では迷うこともなく、脱衣所について服を脱ぎ風呂に入る。
髪と身体を備え付けられたソープ類で洗うと、鷹臣の香りが思い出されて恥ずかしくなる。彼は香水などは使っていないようで、きつい匂いはしないが、抱きしめられるとかすかに彼の体臭が鼻をかすめていた。
そしてそこには、このソープたちの匂いも混ざっている。今度、新しい自分専用のものを買い揃えよう。
「はーあ……」
新しいお湯に肩まで浸かる。怒涛の1日だったけど、なんとか今日が終わってゆく。明日からは本格的に家事をしていこう。自分はそのために来た家政婦で、彼の妻ではないのだから。
それにしても、この家はきちんと小綺麗に整っていた。若い男性の一人暮らしであれば、それも家政婦を必要とするならなおのこと、もっと荒れているものかと思ったがどうなのだろう。
これではわざわざ家政婦を雇う必要があるようには思えない。でも今日は卯衣が来ることを見越して掃除をしただけかも知れない。そうであって欲しい。
「何を考えてるの、わたし……」
気をつけなくては、自分に都合の良い妄想がどんどん膨らんでゆく。鷹臣はもしかして、卯衣のことを昔から好きでここへ呼んだのではないか。
10年ぶりに会ったにも関わらず、あんなに近しい態度を取るのは卯衣のことを憎からず想ってくれているからではないか。
いや、違う。
それなら、彼は普通に赤紙を送って申し込むだけでいいはずだ。わざわざ家族の借金を肩代わりし、交換条件で卯衣を呼び寄せたのは、やはり戸籍に傷がついても文句を言われないようにするためだ。
鷹臣はいずれ本当の妻を娶り、その時卯衣はここを出て行く。借金の肩代わりはそれに対する慰謝料だ。都合よく使われる身であることを忘れて、彼に恋をすれば痛い目をみる羽目になる。
「だめよ、卯衣。ほんとだめ……」
久しぶりに男性に優しくされて、舞い上がってしまっただけだ。ほとんど経験のない卯衣に、今の鷹臣は毒でしかない。今まで誰にも選ばれなかった年増の自分が、今更あんなに若く素敵な彼と一緒になれるなど、夢見るだけでも図々しい。
「だめだめだめだめ……」
「何が駄目なの、ういちゃん」
念仏のように唱えていると、脱衣所の方向から聞き慣れた声がした。すりガラスの扉を挟んでいるから、向こうから見えるはずもないのに慌てて両手で胸を隠す。本当に自意識過剰だ。
「うっ、ううん。どうしたのおみくん?」
「そろそろ俺も入ろうかと思って」
「あっごめん、ちょっと待っててすぐ上がるね!」
いつの間にか長風呂になってしまったようだ。自分でも制御できない大声を上げて交代する意思を告げると、鷹臣は昼間と変わらぬ口調で返事をした
「いいよそこにいて」
「っ、おみくん……?!」
すりガラスの扉の向こうで、衣擦れの音が短く響く。あまりにも呆気なく扉が開かれ、そこには辛うじて腰にタオルを巻いただけの鷹臣が立っていた。
「ッや!」
「ちょっとお湯もらえる?」
「な、なんで?! おみくんなんでっ……」
湯船の角で身体を抱き縮こまる卯衣をよそに、鷹臣は洗面器から湯をとってどうやら掛け湯をしているらしい。お互い裸なのだと分かると、彼の方を一切見ることすらできない。身体中が警告のような熱をあげ、パニックでのぼせそうだ。
ざばざばと水の落ちる音が終わると、ふうーっと鷹臣のため息が聞こえて湯船の中が揺れた。いくら顔をそらしていても、彼が湯船に入ってきたことは明確だった。
「や、やだ! おみくん! どうして入ってくるの!!」
「どうして? おかしなこと聞くんだね。俺たちはもう夫婦じゃない」
「違う! そ、そうだけど、でもちがっ……!」
ほとんど悲鳴になった声は鷹臣の口腔に飲み込まれた。追いやられた湯船の片隅で、卯衣は逃げ場もなく鷹臣の唇を茫然と受け入れる。
素肌のままの腰を抱かれ、頭をかかえて固定され、ぬるりと彼の舌が唇を触った瞬間、卯衣は思い出したかのように抵抗した。しかしがっちりと身体を固められてからの抵抗は全く意味を成さず、湯の跳ねる音が風呂場にただ響き渡った。
「んんっ、んー!!」
「……どうして嫌がるの?」
「だって、だってこんなの、おかしい……! やめて、おみくん」
「違うでしょ卯衣。俺はもう、おみくんじゃなくて卯衣の“旦那様”だよ」
鷹臣の声は艶めいた熱を帯び、厚い唇は首元に吸い付いた。引っ張るようなやわい痛みに、自分が何をされているのか悟ってさらに混乱する。知識でしか知らないが、きっと彼は卯衣に痕を残そうとしている。でも私たちは、そんな間柄ではないはずだ。
「やめて、やめておみくん!」
「……また間違う。ちゃんと言ってくれなきゃやめないよ」
今度はわざと音を立て、反対側の首筋が吸われる。鈍い痛みが終わると次は歯でかじられ、違った痛みに卯衣の身体が湯船で跳ねる。
「いッ……!」
「卯衣がいけないんだよ。俺を嫌がるから」
「だってこんなの、聞いてない……っ! 私はただ、おみくんの家のことを」
「はいまた違う。卯衣は覚えが悪いね」
今度は右の胸、腕で隠した乳首のぎりぎり真上に吸い付かれる。
彼は遊んでいるのだろうか。家政婦がわりの、戸籍だけの妻である卯衣はその立ち位置だけ考えれば確かにいい遊び相手だ。卯衣も男女のことに慣れていたなら、この遊びに興じることもあっただろう。
でも彼女は経験もなく、そんなことをされれば最後、自分の意思を制御できなくなると分かっている。いずれ捨てられることが決まっていて、身体だけ弄ばれるなんて耐えられない。だから卯衣は必死になって彼を拒んだ。胸を隠していた片手でお湯を跳ねさせ、鷹臣の顔にぶつけるとようやく彼との間に隙間ができる。
「おみくん、本当にやめて!」
「っ……はらたつなぁ。ねえ卯衣、いいの? 俺に逆らって」
顔にかかった水を手で拭いながら、鷹臣は低い声で問いかける。それは問いかけの程をなした、脅迫だ。
卯衣はそこでようやく、鷹臣とまっすぐ視線を合わせた。大きな目も、厚い唇も、今までと違って一切の笑顔を消している。強い捕食者の視線だけで、彼は卯衣を服従させようとしていた。
「……わたしを、おどすの……」
「さぁ、どうだろ。考え方次第だと思うけどね」
冷たい、鉛のような重さで卯衣を突き放す。
湯船に浸かっているにも関わらず、卯衣の身体が震えだした。手足は熱いのに、身体の芯が冷えきっている。重い鉛が卯衣の心臓にのしかかって、苦しい拍動が彼女の身体を支配してゆく。
この感情を、ひとつの言葉などで表せない。怒りも嘆きも諦めも、ひと所に集まって卯衣を苦しめた。
「ひッ……」
鷹臣は何を思ったのか、固まる卯衣の頬を撫でようとした。しかし彼女の悲鳴を聞くとその手は止まり、結局何にも触れずに湯の中へ落ちた。
「……ねえ、そんなに俺がいや?」
「……っ」
その問いに、卯衣は答えられないでまた顔を逸らす。
脅すなら、最後まで脅してくれればいいのに。彼の声音は少しだけの寂しさをはらんで卯衣の同情を引こうとする。そうして心までも捕らえて遊んで捨てるのが、彼のやり方なのだろうか。それならばあまりにも酷い。あまりにも身勝手で悪趣味だ。
しばらくの沈黙を破ったのは鷹臣だった。彼は何も答えない卯衣に業を煮やしたのか、はぁ、と短くため息をついてまた彼女との距離を詰めた。
「ねえ答えてよ。そんなに俺が嫌いなの? 触られるのも嫌なくらい?」
「っ、だって……」
「卯衣の事はよくわかんないな。どうして俺は駄目であいつらなら良いわけ? ランクも低くて大した仕事もしてないし、到底卯衣とは釣り合わないと思うけど」
「……なんの、はなし……?」
「卯衣が出した赤紙だよ。20人くらい居たっけ? どれもこれもイマイチな奴らばっかり」
卯衣の背中に、ぞわりと悪寒が走る。
「どうして……しってるの……?」
赤紙ーー婚姻申し込み書類の送付については、個人のプライベートな情報のため一切外部に漏らされない。卯衣は誰に送ったかなど、両親にすら話したことがなかった。
わたしは何か、大きな勘違いをしている……。
鷹臣は卯衣の問いかけに、ゆっくりと笑ってみせた。何か、とてつもなく恐ろしくて大きなものが、卯衣を飲み込もうとしている。
「しってるよ。ういちゃんの事なら、なんでも」
逃れられない湯船の中で、卯衣は彼が、いつの間にか自分を呼び捨てにしていたのだと気づいた。
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