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case3.卯衣の場合
08.卯衣、目覚める
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水の流れる音や、規則正しく混ぜる音で、卯衣は次第に覚醒した。身体の全てがだるくて重く、目を開けるのすら煩わしい。布団の中でもぞもぞ動き回っていると、柔らかな声が聞こえた。
「卯衣……起きた? おはよ」
「うんん……なに……?」
「寝てて良いよ……朝食作ってあるから、食べられそうだったら食べてね。食器棚に、昨日買ったお菓子も入れてるから」
声の主が従兄弟の鷹臣だと気づいて、とろけるような優しい口調に昨日のことを思い出そうとする。どうしたんだっけ……たしか、薬を飲まされて……。
鷹臣の手が、二日酔いのように重い頭をゆるく撫でた。目を開けると、スーツ姿の彼が朝日を浴びて微笑んでいる。
ああもう……やっぱり格好いいなあ。若手のモデルかタレントみたい。
のんきな考えに浸っていると、鷹臣の唇が卯衣のそれを塞いだ。分厚い唇は気持ちよく、卯衣は自ら口を開け、彼の舌も招いてみせた。
昨日こんなことを何度もしたから、羞恥心や嫌悪感はまったく無い。それどころか、彼の舌にくすぐられると昨日の余韻で身体が疼き、子宮がきゅう、と締まる感覚までする。
「ん、ん……っ」
「……っは……行ってくるね卯衣。6時くらいには帰ってくるから。ゆっくり休んでて」
「ん……いってらっしゃい」
「あ、そうだ携帯、テーブルの上に置いてるよ。俺の番号登録してあるから、何かあったら連絡してね」
「うん、わざわざありがとう……だんなさま」
卯衣がそう呼ぶと、鷹臣は泣きそうな顔で笑って頰にくちづけて、そうして部屋を出て行った。タンタンタン、と軽快に階段を下る音が聞こえ、そう言えば2階に移ったのだと思い出す。
のろのろと身体を起こすと、見覚えのあるグレーのスウェットを上だけ羽織っていた。自分で着た覚えはない。下着すら履いていないところをみると、彼が着せてくれたのだろう。
ぼんやりした頭の中は、何ひとつ忘れてなどいなかった。
鷹臣の恐ろしい独白や、薬を飲まされたこと。ガキはいらないと吐き捨てる冷たい声や、麻薬で自分がひどく乱れて、淫らな言葉で彼を求めたこと……最後の、すがるような彼の言葉や涙まで。
いっそ忘れてしまいたいほど、昨日の出来事は卯衣の脳裏に焼きついていた。
身体に麻薬の影響はない。
もとより軽いものだから心配いらないと言っていた鷹臣の言葉を、卯衣は疑っていない。
『俺もういちゃんが来てくれて嬉しい。ありがと』
『いんだよ、ういちゃんだけで』
『大丈夫! 俺、ういちゃんにしかしないから!』
『しってるよ。ういちゃんの事なら、なんでも』
思い返せば鷹臣は、卯衣に一言だって嘘を言わなかった。彼女を得るため画策し、周囲を騙し続けた彼は、しかし卯衣にだけは、馬鹿馬鹿しいほど正直だった。
立ち上がってテーブルを見ると、トーストとサラダ、オムレツが丁寧にラップに包まれている。やっぱり家事できるんじゃない。家政婦なんていらないくせに。
心の中で毒づきながら食べようかと逡巡した卯衣の視界に、ちらりとそれが見えた。
見覚えのない携帯電話。
これは、自分のものではない。
触ってみると、彼の番号しか入っていない。試しに母親に電話をかけてみるが、“指定の番号のみ接続可能です”ときた。ここまでするか……するのだ、彼は。
見当たらないものがもうひとつ、リナリアカードだ。
卯衣は昨晩、それだけを持ってこの2階の扉を開けた。しかし辺りを探してみてもカードはどこにも見当たらず、階段を降りて扉を開けようとすると、案の定、鍵がかかって出られない。
自分の携帯電話は1階のリビングに置きっぱなしで、他の連絡手段はない。連絡したところで、卯衣の知り合いではリナリアに入ることすら不可能だ。警察に通報するのはこの携帯でもできるだろうが、行政にまで伝手のある彼のことだ。きっとその通報ごと握りつぶしてしまうのだろう。
幾重にも張られた束縛の糸で、卯衣は文字通り絡め取られていた。
「ああ……もう最低……!」
鷹臣のしていることは犯罪だ。
ずっと前から監視しているのは平たく言えばストーカーだ。そしてそれに飽き足らず、就職先や人間関係を操作し、銀行や行政にまで手を回している。そうして捕まえた卯衣を今度は脅して監禁し、ここから出さないつもりだろう。
一体、いつから。
きっと、はじめから。
卯衣はすごすごと2階へ戻って冷蔵庫を開け、オレンジジュースをグラスに注いだ。はじめから、彼はこうするつもりだったのだろう。元からなのか改装したのかは知らないが、住みやすいように、逃げられないように造られたこの鳥籠で、鷹臣は卯衣を飼育する。
彼は歪だ。
嫌がる卯衣を束縛し、欲しいままに貪るその一方で、卯衣が傷つくことを怖がっている。昨日も今日も、彼は卯衣が嘆くと謝り、微笑めば子どものように明るくなるのだ。
非道いようでいて、甘い。
ずるいようでいて、幼い。
皿のラップを開け、トーストをかじりながら卯衣は考える。歪に狂った彼のことを、それでも憎む気にはなれず、まして見限ることも出来ない。
間違いだらけの行動も、元を辿れば見えてくる。
好きも嫌いも告げられず、ただ束縛するしか能がない鷹臣は、それでも切実に卯衣のことばかり求めていた。
捨てられるなどあり得ないし、卯衣が彼を捨てれば、それこそ泣いてすがってくる。恐らく彼は彼の父親と同じように、他の妻を迎える気すらないのだろう。
「ふぅ……」
さて、どうしたものか。
このまま大人しく飼われるつもりはない。かと言って、強硬手段に出ようとすれば返り討ちに遭うだろう。
しかしやはり、まずはお説教だ。
こんなところに閉じ込めるなんて、私を信頼していないのかと拗ねて責め立ててやる。彼が困ったところで食事にして、仕事の労をねぎらい、ふたりでお風呂に浸かればいい。夜は、今度は麻薬など使わないでして欲しいと頼んでみよう。
平日はやっぱりきちんと家事をして、料理を作って鷹臣の帰りを待っていてあげたい。休日は彼も言っていた通り、ちょっと良いレストランへ連れていってもらおう。そう言えば、リナリアではいつでも花火の見られるレストランがあるとか聞いた。提案すれば、きっと彼も喜ぶはずだ。
気がかりといえば跡継ぎになる子供のことだが、話し合うのは当分先だ。大体彼は勘違いをしている。子供を産むも産まないも、決定権は卯衣にあるのだ。まだまだ幼い鷹臣に、それを委ねるつもりはない。まずは飢えた彼自身を、めいっぱい愛するところから始めよう。
寂しがりやで凶悪な子犬の躾は、時間がかかることだろうが、やってやれないことはない。
……そばにいて欲しいと言うのなら、いくらでもそばにいてあげよう。
鷹臣は、はじめから卯衣を愛している。
今や確固たる自信を持つ卯衣は、この異様な状況をすんなりと受容した。栄養バランスの良い朝食を食べ終えて、なだらかな眠気に誘われるまま、彼女は二度寝をするために柔らかなベッドに入りなおした。
「卯衣……起きた? おはよ」
「うんん……なに……?」
「寝てて良いよ……朝食作ってあるから、食べられそうだったら食べてね。食器棚に、昨日買ったお菓子も入れてるから」
声の主が従兄弟の鷹臣だと気づいて、とろけるような優しい口調に昨日のことを思い出そうとする。どうしたんだっけ……たしか、薬を飲まされて……。
鷹臣の手が、二日酔いのように重い頭をゆるく撫でた。目を開けると、スーツ姿の彼が朝日を浴びて微笑んでいる。
ああもう……やっぱり格好いいなあ。若手のモデルかタレントみたい。
のんきな考えに浸っていると、鷹臣の唇が卯衣のそれを塞いだ。分厚い唇は気持ちよく、卯衣は自ら口を開け、彼の舌も招いてみせた。
昨日こんなことを何度もしたから、羞恥心や嫌悪感はまったく無い。それどころか、彼の舌にくすぐられると昨日の余韻で身体が疼き、子宮がきゅう、と締まる感覚までする。
「ん、ん……っ」
「……っは……行ってくるね卯衣。6時くらいには帰ってくるから。ゆっくり休んでて」
「ん……いってらっしゃい」
「あ、そうだ携帯、テーブルの上に置いてるよ。俺の番号登録してあるから、何かあったら連絡してね」
「うん、わざわざありがとう……だんなさま」
卯衣がそう呼ぶと、鷹臣は泣きそうな顔で笑って頰にくちづけて、そうして部屋を出て行った。タンタンタン、と軽快に階段を下る音が聞こえ、そう言えば2階に移ったのだと思い出す。
のろのろと身体を起こすと、見覚えのあるグレーのスウェットを上だけ羽織っていた。自分で着た覚えはない。下着すら履いていないところをみると、彼が着せてくれたのだろう。
ぼんやりした頭の中は、何ひとつ忘れてなどいなかった。
鷹臣の恐ろしい独白や、薬を飲まされたこと。ガキはいらないと吐き捨てる冷たい声や、麻薬で自分がひどく乱れて、淫らな言葉で彼を求めたこと……最後の、すがるような彼の言葉や涙まで。
いっそ忘れてしまいたいほど、昨日の出来事は卯衣の脳裏に焼きついていた。
身体に麻薬の影響はない。
もとより軽いものだから心配いらないと言っていた鷹臣の言葉を、卯衣は疑っていない。
『俺もういちゃんが来てくれて嬉しい。ありがと』
『いんだよ、ういちゃんだけで』
『大丈夫! 俺、ういちゃんにしかしないから!』
『しってるよ。ういちゃんの事なら、なんでも』
思い返せば鷹臣は、卯衣に一言だって嘘を言わなかった。彼女を得るため画策し、周囲を騙し続けた彼は、しかし卯衣にだけは、馬鹿馬鹿しいほど正直だった。
立ち上がってテーブルを見ると、トーストとサラダ、オムレツが丁寧にラップに包まれている。やっぱり家事できるんじゃない。家政婦なんていらないくせに。
心の中で毒づきながら食べようかと逡巡した卯衣の視界に、ちらりとそれが見えた。
見覚えのない携帯電話。
これは、自分のものではない。
触ってみると、彼の番号しか入っていない。試しに母親に電話をかけてみるが、“指定の番号のみ接続可能です”ときた。ここまでするか……するのだ、彼は。
見当たらないものがもうひとつ、リナリアカードだ。
卯衣は昨晩、それだけを持ってこの2階の扉を開けた。しかし辺りを探してみてもカードはどこにも見当たらず、階段を降りて扉を開けようとすると、案の定、鍵がかかって出られない。
自分の携帯電話は1階のリビングに置きっぱなしで、他の連絡手段はない。連絡したところで、卯衣の知り合いではリナリアに入ることすら不可能だ。警察に通報するのはこの携帯でもできるだろうが、行政にまで伝手のある彼のことだ。きっとその通報ごと握りつぶしてしまうのだろう。
幾重にも張られた束縛の糸で、卯衣は文字通り絡め取られていた。
「ああ……もう最低……!」
鷹臣のしていることは犯罪だ。
ずっと前から監視しているのは平たく言えばストーカーだ。そしてそれに飽き足らず、就職先や人間関係を操作し、銀行や行政にまで手を回している。そうして捕まえた卯衣を今度は脅して監禁し、ここから出さないつもりだろう。
一体、いつから。
きっと、はじめから。
卯衣はすごすごと2階へ戻って冷蔵庫を開け、オレンジジュースをグラスに注いだ。はじめから、彼はこうするつもりだったのだろう。元からなのか改装したのかは知らないが、住みやすいように、逃げられないように造られたこの鳥籠で、鷹臣は卯衣を飼育する。
彼は歪だ。
嫌がる卯衣を束縛し、欲しいままに貪るその一方で、卯衣が傷つくことを怖がっている。昨日も今日も、彼は卯衣が嘆くと謝り、微笑めば子どものように明るくなるのだ。
非道いようでいて、甘い。
ずるいようでいて、幼い。
皿のラップを開け、トーストをかじりながら卯衣は考える。歪に狂った彼のことを、それでも憎む気にはなれず、まして見限ることも出来ない。
間違いだらけの行動も、元を辿れば見えてくる。
好きも嫌いも告げられず、ただ束縛するしか能がない鷹臣は、それでも切実に卯衣のことばかり求めていた。
捨てられるなどあり得ないし、卯衣が彼を捨てれば、それこそ泣いてすがってくる。恐らく彼は彼の父親と同じように、他の妻を迎える気すらないのだろう。
「ふぅ……」
さて、どうしたものか。
このまま大人しく飼われるつもりはない。かと言って、強硬手段に出ようとすれば返り討ちに遭うだろう。
しかしやはり、まずはお説教だ。
こんなところに閉じ込めるなんて、私を信頼していないのかと拗ねて責め立ててやる。彼が困ったところで食事にして、仕事の労をねぎらい、ふたりでお風呂に浸かればいい。夜は、今度は麻薬など使わないでして欲しいと頼んでみよう。
平日はやっぱりきちんと家事をして、料理を作って鷹臣の帰りを待っていてあげたい。休日は彼も言っていた通り、ちょっと良いレストランへ連れていってもらおう。そう言えば、リナリアではいつでも花火の見られるレストランがあるとか聞いた。提案すれば、きっと彼も喜ぶはずだ。
気がかりといえば跡継ぎになる子供のことだが、話し合うのは当分先だ。大体彼は勘違いをしている。子供を産むも産まないも、決定権は卯衣にあるのだ。まだまだ幼い鷹臣に、それを委ねるつもりはない。まずは飢えた彼自身を、めいっぱい愛するところから始めよう。
寂しがりやで凶悪な子犬の躾は、時間がかかることだろうが、やってやれないことはない。
……そばにいて欲しいと言うのなら、いくらでもそばにいてあげよう。
鷹臣は、はじめから卯衣を愛している。
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