愛する貴方の愛する彼女の愛する人から愛されています

秘密 (秘翠ミツキ)

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ユスティーナは目的もなくただフラフラと森の中を歩いていると、視界が一気に明るくなった。木々が途切れ、開けた場所に出たからだ。

『お墓……』

そこには簡素だが石で作られた古びた墓があった。息を呑みながらも、石に刻まれた名前を確認しようとした時だった。

『こんな場所で、どうされましたか』

『っ⁉︎』

急に背後から声を掛けられ、ユスティーナは心臓が跳ねる。慌てながら振り返ると、そこには優しそうな笑みを浮かべた女性が立っていた。


衣服が汚れるのも気にせずに、その女性は地べたに座った。少し躊躇いながらもユスティーナも彼女に倣い隣に座った。

『この様な辺鄙な村に、こんな愛らしいお嬢さんがお出でになられるなんて驚きました』

ニコニコと笑いながら話す女性からは不思議な雰囲気を感じた。

『ある方を訪ねて来たんです。ルネ様と仰る方なんですが……』

『あら、私を訪ねて来ていらしたのですか?』

『え』

『ルネは私です』



亜麻色の長い美しい髪と、髪と同じ色の瞳。目元の泣き黒子が印象的だ。そしてユスティーナが想像していたよりも遥かに若く見える。今ヴォルフラムが二十一歳だと言う事を考えると、最低でも四十歳近い筈だが、とてもそうには見えない。

『そうでしたか……。ヴォルフラム殿下の……。わざわざ殿下の為に来て下さったんですね』

『いいえ、違うんです。私は私がヴォルフラム殿下の事を知りたいと思ったから……自分の意志で自分の為に此処まで来ました』

そう言ってルネを真っ直ぐに見遣ると、彼女は嬉しそうに声を出して笑った。

『あ、あの……』

何かおかしな事を言ってしまったかと、ユスティーナは戸惑う。

『ふふ、ごめんなさい、ついね。ただあの殿下の事をこんなにも想って下さる方がいてくれるのだと思うと、こんなに嬉しい事はないと思いまして。で、ヴォルフラム殿下の何を知りたいのでしょう?私に答えられる事なら、遠慮なく何でもお聞き下さい』


ヴォルフラムは産まれて直ぐに、生母のベリンダ妃と引き離され育てられた。ベリンダ妃はヴォルフラムを一度も抱く事も触れる事も出来ないまま若くして亡くなった。

この国の王太子の教育は代々、産まれた直後生母とは引き離され育てられる。生母が触れる事により甘えや情が生じるとされ、禁止されているのだ。
乳母の選別は王族や有力貴族等からは完全に関係性のない貴族の血筋から選抜される。ルネの母はロジェ村出身であり平民出身だったが、田舎貴族であった伯爵に見染められ愛妾になり、直ぐに子を身籠った。だが、伯爵の正妻に酷い扱いを受け最終的には伯爵からも捨てられた。
村に戻った母はルネを産み、暫くして病で亡くなった。ルネは村長や親類等の助けを借りながら生きていたが、十五歳の時に伯爵の正妻が亡くなった事で、伯爵がルネを引き取り来た。
ルネは伯爵令嬢となり生きる事になった……。ただ伯爵の愛妾の娘と言う理由から中々嫁ぎ先は見つからず、それから十年が過ぎていく。

そんなある日、夜会で年下の同じ伯爵家である令息と知り合い、恋に落ちたルネは未婚のまま身籠ってしまった。すると彼はルネをあっさりと捨てて別の女性と結婚してしまった。

『君の様な女に本気になる訳がないだろう?遊びに決まってる』

そして彼は、そう捨て台詞を残し去っていった。伯爵もその時には、新しい妻を迎えた事もあり、ルネへの興味や関心をすっかり無くしており、伯爵家には帰る事は出来ずに村に帰る事になった。だがそれからルネは無事出産するも、子はその直後死んでしまう。そんな時、ヴォルフラムの乳母の話が舞い込んできたのだ。

『愛する人から見捨てられ、私には、もうお腹のこの子しかいないと思ったのに、それすら喪い失意のどん底にいました……。そんな時に乳母の話を頂いたんです。初めてヴォルフラム殿下をこの腕に抱いた時は涙が出る程、嬉しかった……。まるで私の子が還ってきたのだと思ったんです』

乳母になったルネは、子を育てる喜びを噛み締めた。だがそれも長くは続かなかった。ヴォルフラムが言葉を覚える時期になると、王太子であるヴォルフラムに対して、厳しく辛い教育が始まった。その為かヴォルフラムは物心つく頃には、まるで泣かない子供になっていた。感情を出さない訓練をさせられ、どんな時も彼は毅然と振る舞い、感情のない笑みを浮かべていた。ただルネと部屋で二人きりになるとヴォルフラムは常に無表情になり、成長するにつれその性格は歪んでいった。
誰も信用せず心を閉し、他者を蔑み敵として認識する。彼はまだ幼いのに、何時も一人闘っている様に見えた……。ルネは彼の身の回りの世話をする以外は何もしてあげる事が出来ず、苦悩する日々を過ごした。

『私は臆病で、無力過ぎました。私はヴォルフラム殿下の母代わりなのだとずっと自惚れていました。でも結局は、私は代わりにすらなれていなかったんです』

ヴォルフラムが五歳になり、毒の耐性をつけるとの理由でヴォルフラムは毎日少しずつ様々な毒を摂取しなくてはならなかった。彼は何日も高熱で苦しみ、一晩中呻き声を上げる。真夜中、彼の部屋から大きな物がして、ルネは隣の部屋から駆けつけた事もあったが……。

『いいっ……出ていけ‼︎見るなっ‼︎』

ルネがランプで部屋を照らし出すと、怒鳴り散らされた。彼は暗闇の中、床に転がり悶え苦しんでいた。手を差し伸べようとしたが、再び怒鳴られ、出で行く様に言われた。そんなヴォルフラムを見ているのが怖くて苦しくなり、ルネはその場から逃げ出してしまった。


『あの時の事を、何度後悔したか分かりません。本当に母代わりならば、どんなに拒否をされても側についていてあげなくてはいけなかったんです。でも私は逃げてしまった……。聡い彼はきっと、そんな私をその程度の人間だと思い幻滅したのでしょうね』

その日を境にヴォルフラムはルネから距離を置く様になり、二人の間には常に気不味い空気が漂っていた。

『ヴォルフラム殿下には一歳年下の弟君の王子がおりまして、ベリンダ妃は反動からか、とても溺愛されていました。そしてたまにヴォルフラム殿下と顔を合わせる時は、当てつける様にしてワザと弟君を大袈裟に可愛がるんです。そして殿下をまるで穢らわしいものでも見る様な目で一瞥すると、その後は無視されていました。二人が会話されているのを見た事すらありません。ただヴォルフラム殿下もベリンダ妃には興味がないのか、気にも留めない様子ではありましたが……』



『ルネ様……実は』

ユスティーナはルネに、何故自分がヴォルフラムの事を知りたいのか、どうして此処まで来たのかを詳しい理由を話した。彼女ならどう答えるだろうか……。

『ユスティーナ様のお話をお伺いした限りでは、正直弟君の話された事は事実でしょう』

てっきり庇うかと思われたルネは、意外にもレナードの言葉を肯定した。しかもハッキリと断言をする。その事にユスティーナは目を丸くした。

『私がヴォルフラム殿下のお側にいたのは、彼が七歳の時までです。しかしあのまま、あの非人道的な教育を受け続けていたならば、その様になっていても何等不思議ではありません。ハッキリと申し上げて、その元婚約者のジュディット様は意図としてヴォルフラム殿下が排除し、弟君の事も同様に……。きっとお二人はヴォルフラム殿下にとって不要な存在だったのかと。彼にとって人間は、二種類しか存在しないんです。使える駒か使えない駒か、そのどちらかのみなんです』

『駒、ですか……』

『はい。ですが、ユスティーナ様。貴女だけは違います。貴女は彼の特別だから……彼は貴女を必要としています。それは駒などではなく、一人の愛する女性としてです』

『っ……どうして、ルネ様がそんな事、分かるんですか……』

彼女はヴォルフラムが七歳の時までしか側にいなかったと話した。それなのに何故そんな風に断言出来るのか、違和感を感じる。だがルネの様子から、気休めで話している様にもユスティーナには思えなかった。

『私には分かるんです』

そう言いながら彼女は、墓石をじっと眺め寂しそうに微笑んだ。




『ユスティーナ様、彼の側で、彼を支えてあげてくれませんか。ヴォルフラム殿下は決して正義ではありません。だからきっと彼と生きる事は、誠実で心優しい貴女にとっては酷く苦しく辛く……時には、残酷さを感じるかも知れません。それでも、どうかお願いします』

『私などに、務まるかどうか……』

『貴女しかいないんです。彼は貴女を愛しています、そして貴女もまた……そうでしょう?』

胸が痛くて、苦しい。こんなに苦しいのは母を亡くした時以来かも知れない。ユスティーナは胸を押さえ、暫く微動だに出来なかった。
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