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八十三話〜傲慢〜
「ヴュストは良い所ですね」
木陰に座り込んでいる小さな彼の後ろ姿に控えめに声を掛けた。
すると彼は驚いた様子で一瞬身体をピクリとさせると、勢いよく振り返る。
大きな琥珀色の瞳と目が合うと、エヴェリーナは穏やかに笑んだ。
「昼間といえど地面に座られていますと身体を冷やされます」
「……」
ゆっくりと近付くと彼は案の定立ち上がりその場を離れようとする。
そんなルークを尻目に、エヴェリーナは動じる事なく手にしていた厚手の布を地面に敷いた。
「ルーク様、宜しければこちらへお座り下さい」
少し距離を取り警戒した様子でこちらを眺めていた彼だが、暫くして恐る恐るその上に座った。
「ルーク様、私はセドリック様の侍女の……」
「リズ」
改めて自己紹介をしようと口を開くと、言い終える前に言葉を遮られる。
先程はまるで関心がない様に見えたが、確りと話は聞いていたらしい。
「はい、リズと申します。滞在期間は短いかと思いますが、それまでの間で何かございましたら遠慮なくお申し付け下さい」
「……どうせアイツに言われて来たんだろう」
「何方の事ですか?」
「領主のおっさん」
ルークは不貞腐れた顔で呟く。
「ルーク様、サイラス様です。そのような呼び方は適切ではありません」
そうは言っても二人は複雑な間柄だ。それにルークはずっと平民として、いや路上で孤児として育ってきたのだから言葉遣いが悪いのは仕方がないと思う。だがだからと言って、エヴェリーナの性格上見過ごす事は出来ない。
彼がこれからサイラスの正式な養子となれば、公爵家の跡取りとなりヴュストの領主となる。他人事ではあるが、ついお節介な気持ちが働く。
「俺があのおっさんをなんて呼ぼうとアンタには関係ない」
敵意剥き出しでこちらを睨む姿からは、子供らしさなどは微塵も感じる事はない。それは彼が置かれた境遇故か若しくは彼が天才と称される程の頭脳を有している故かは分からない。
「ルーク様は何れ、サイラス様の跡を継がれ公爵となられヴュストを治めるお方です。言葉遣いは他者がその人となりを見極める大切な事柄の一つでもあり、どんなに博学であろうと言葉遣い一つで侮られる事もあります」
言葉や知識は自分を守る剣となり盾となる。
それはこれまで皇子妃として生きてきたエヴェリーナ自身が実感してきた事だ。
サイラスが言う様にやはりルークは聡い。皆まで言わずともその意味を汲み取ったらしくバツが悪そうに黙り込んだ。
「……俺が一番偉いんだ。文句なんて言わせない」
だがやはりまだ八歳の子供だと内心苦笑する。
「ルーク様は、公爵になりたいのですか?」
「なりたいんじゃない、なるんだ」
「躊躇いや戸惑う気持ちはないんですか?」
「別に。俺にはその資質がある」
鼻を鳴らし自信に満ち溢れる顔を見て、危ういと感じた。
ルークがどれ程の才能の持ち主かは現時点で定かではない。ただこの傲慢さは何れ己のみならず周りも巻き込み滅ぼすかも知れない。
これは決して大袈裟などではなく、彼が継ぐ公爵という立場はそれだけの責任や権力があるのだ。
「その様に仰るなど、その資質はさぞ素晴らしいものなのでしょう」
少し大袈裟にまた疑念を含ませた様子で話すと、彼は不満気な顔をする。
「俺は頭がいいんだ。その辺の陳腐な大人達じゃ到底理解出来ない言葉だって簡単に話せるんだぞーー」
話を聞けば、路上で生活をしながら暇つぶしに本屋や図書館で本を読み漁っていたそうだ。
孤児院には子供向けの本しか置かれていなかった為、酷く退屈だったという。それもまた彼が孤児院から逃げ出した要因の一つなのかも知れない。
「古代語とかさ」
「……」
ルークの言葉にエヴェリーナは眉を上げた。
遥か昔、西大陸と東大陸という概念が無い時代、大陸は一つの国で統治されていた。そしてその国で使用されていたのが古代語だ。
今の時代で古代語を理解出来る人間は考古学者か或いはルークの様な天才に分類される人間くらいだろう。ただそれも多少理解は出来る程度であり話す事は難しい。今とは文法がまるで違うしそもそも言葉その物が違い過ぎるからだ。
「古代語とは例えばこういう言葉ですか? ーー」
「っ⁉︎」
昔、城の図書館で文献を読んでいた時に古代文字を見つけた。使用目的ではないが、興味本位で少しだけ学んでみた。
淡々と古代語を話すエヴェリーナに、ルークは目を見開き固まる。
「井の中の蛙大海を知らず……異国のことわざですが、自分の狭い見識がすべてだと思い込むのは危険です。世界はルーク様が考えているより遥かに広く、ルーク様より優れた人間は多くいます。自惚れは何れ身を滅ぼし兼ねません。ご自分の為にも、他者を尊重する気持ちをお持ち下さい」
背筋を正し彼の瞳を見据える。
相手は天才だといえまだ八歳の子供だ。大人気ない。そう思いながらも、今正さなければ取り返しのつかない事になりそうだと思った。
ルークの傲慢さはジュリアスに良く似ている。また才能がある部分では自分とも重なった。私的な理由だが見過ごせない。
(私は間違えてしまったから……)
「俺は……」
「リズ様、こちらにおいででしたか」
ルークが口を開いた時、屋敷の侍女が遠くから声を掛けてきた。
するとルークは弾かれたように背を向けるとそのまま走り去ってしまった。
「少し外の空気を吸っていました」
「左様ですか。実はお茶を部屋にお持ちしたのですが、ご不在だったのでーー」
ルークの事は気になったが、あまり深追いするのも良くないとエヴェリーナは侍女と共に部屋へと戻った。
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