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31時間売買を守護する存在
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「今回の事件だが、我々は人類の時間売買を進化させてしまったらしい」
次の日の朝礼で、昨日の事件の概要を百乃木取締役が伝えた。
事件が世間に公表されることはなかった。その日の時間売買を担当していた時間師、時読み師、安定師の三人と、売り手と買い手の5人が意識不明の重体となった。それなのに、警察が入ることもなく、救急車も呼ばれることはなかった。彼らは命に別状はなく、意識も今朝になって戻ったので、問題はないということだった。時間売買の時間の歪みが彼らを襲ったのだろうと結論付けて、話は終わるかと思われた。
しかし、朝礼の最後に、百乃木取締役は、社員には理解不能の言葉を述べた。彼女も他の社員もみなそろって、「時間売買の進化」という言葉に戸惑いを隠せなかった。
「そこまで驚くことはないだろう。彼らに被害はあったが、それ以上に我々には利益がもたらされた。これからの時間売買を守護してくれる存在が現れた」
百乃木取締役は、今回の事件で現れたという時間売買の進化、時間売買を守護してくれる存在について話を続けた。しかし、実物を見せてくれる気はないのか、抽象的なことばかりを述べるので、彼女は、しだいに眠たくなってしまった。
「そうだ。今後、皆には持ち塩の所持を義務付ける。まあ、簡単なことだ。食用の塩を各自袋などに入れて毎日持ち歩くことだ。塩は一週間に一度ほど交換して欲しい。長くなったが話は以上だ」
話は終わり、社員たちは自分の仕事場に向かって動き出す。眠気に負けた彼女は、先に動き出した社員より、ワンテンポ遅れて、自分の机のある場所に向かおうとした。しかし、百乃木取締役の独り言のような言葉を耳にして足を止めた。
「さて、これで我々に彼らが幸運をもたらしてくれるといいが。何せ、オレの言うことを聞こうとしなかったやつだ。とはいえ、社員全員が持ち塩することで、ここに閉じ込めることができるなら問題ない」
あたりを見渡すが、すでに彼女と百乃木取締役以外に人はいない。慌てた彼女は、自分の机に向かう途中、何もない場所で転んでしまった。
「いたっ」
「大丈夫か」
『間抜けだな。こんな間抜けがいる会社に閉じ込められるのはごめんだ』
「えっと、間抜けですか、私は」
目の前に手が差し伸べられ、無意識につかむと、思い切り引き上げられた。立ち上がり、誰の手か確認すると、慌てて手を離し謝罪した。
「す、すみません。百乃木取締役。確かに私は間抜けです。百乃木取締役に手を貸していただくなんて」
「いや、私は間抜けとは言っていない」
『笑えるな。お前にしばらく憑くのも悪くないかもしれない』
彼女の頭の中で、少年の声が響く。あたりを見渡すが誰もいない。首をかしげていると、百乃木取締役は用事が済んだとばかりに部屋を去っていく。彼女は自分の空耳かと思い、自分の仕事場に戻ることにした。
会社で持ち塩が徹底されて、彼女も社内の規則に乗っ取り、鞄に持ち塩を入れていた。よく観察すると、会社のいたるところに、三角錐形に盛られた塩が社内のあちこちに飾られていた。社員だけでなく、会社にも塩を配置することに決めたようだ。
塩が社員や会社に定着して一週間、会社に変化が現れた。時間売買にはある程度の失敗はつきものだったが、契約通りの時間が売買されないこと、相性の悪い者同士による拒否反応が少なくなった。
それと同時に、少年の声が頭の中に聞こえると言った、謎の現象が起こるようになった。彼女だけでなく、複数の社員がその症状を訴えるようになった。
「少年の声は、以前私が話した、時間売買を守護してくれる存在かもしれない。その声を聞いた場合は、その声に従って欲しい」
そんな症状が広まる中で、ある日の朝礼で、百乃木取締役は驚くべきことを口にした。その症状を認めるだけでなく、それが時間売買を守護してくれる存在だと言い始めた。さらには、その声に従うようにと社員に指示をだす。社員は当然困惑したが、取締役の言うことは絶対であるため、従うことになった。
『今朝の話だが、お前は私の声をどう思う?あいつの言う通りの存在だと思うか?』
彼女の頭の中にも、その声は聞こえていた。聞こえたのは、事件の次の日の朝礼の日とこれで二回目だ。
「社員が塩を持ち歩き、会社に塩を配置するようになったら、時間売買の失敗が激減した。あなたの声も、事件の直後から聞こえるようになった。それは確かなことだけど、それ以外はよくわからない」
『失敗が減ったなら、それはいいことだ。ところで、お前は永遠の時間は欲しいか?』
その声は、彼女の答えに興味はないようで、新たに質問する。彼女は即答した。考えるまでもないことだった。
「欲しい。今でも時間が足りないくらいだもの」
彼女にはやりたいことがたくさんあった。仕事一筋で生きてきた人生だが、結婚願望がなかったわけではない。しかし、仕事にもやりがいを感じてここまで来てしまった。時間があれば彼氏を作って結婚もしたかった。それでも、今から結婚するのは年齢的に無理だとあきらめかけていた。
答えを聞いた声はしばらく無言だった。彼女は答えが返ってこなくても特に気にしなかった。気まぐれな声の主なので、彼女の答えが気に入らなかったのかもしれない。自分の発した答えが、まさか人生を変えるものになってしまうとは思っていなかった。
それからしばらくはいつも通りの日常が続いていた。しかし、長くは続かなかった。時間売買を守護する存在と呼ばれる少年の声を、彼女は再び聞くことになった。
『お前の家は汚いな。不浄の気で満ちている。そんな奴に僕の力を分け与えたくはないなあ』
「どうして、あなたの声が私の家で」
休日である日曜日、彼女は家でくつろいでいた。そこに少年の声が聞こえたため、驚いた。少年の声を聞く社員は、日増しに増えていた。噂によると、その声を聞いた場所は、全員が会社にいる間、あるいは時間売買をしている最中など、勤務中だった。自分の家でその声を聞いたものはいなかった。彼女も同じだったため、その声の主は会社にしか存在しないのかと思っていた。
『そんなの、決まっているだろう。あそこにとどまっていては退屈だからだ。だから塩を依り代にして、わざわざ会社から出てみたが、大して面白くないものだな。それに不快だ。でもまあ』
少年の不機嫌そうな声が彼女の頭に響いてくる。どうしたら機嫌を直してくれるのか必死で考えていると、目の前に突然、白い煙が上がった。
『会社以外の世界を見るのも、一興というものか。もう少し様子を見ることにする』
突然の煙に目をつむった彼女が目を開けると、目の前には白髪に紅い瞳の小学生くらいの少年が立っていた。突然の少年の登場に、彼女が言葉を出せずにいると、少年が声をかけた。
『驚いて声も出ない、か。人間とは難儀な生き物だな。僕のことがわからないのか』
「も、もしかして、私の頭の中に聞こえていた声の少年なの?」
少年の声には聞き覚えがあった。声変りを終えてない、子供特有の高い声。彼女の答えは、少年の満足いく回答だったようだ。
『その通りだ。それで、正体だが、もちろん、お前たち人間とは違う。特別にお前にだけは教えてやろう。僕の名前は……』
彼女は少年の名前と、その正体を聞き歓喜した。彼の正体は、百乃木取締役が言っていた、時間売買を守護する存在だと確信した。そんな存在が目の前にいて、以前その少年は自分に、永遠の時間が欲しいかと質問してきた。ということは。
『聞いているのか?』
「も、もちろん聞いています。それで、どうしてそんな会社にとって大事な存在が、私の家にまで。あれ、ということは、私はあなたという存在を会社から無断で持ってきてしまったということ……」
彼女は話している途中で、重大なことに気付いた。もし、自分が話していることが本当ならば、会社から大事なものを盗んでしまったことになる。そうなれば、犯罪となり、会社を首になってしまうかもしれない。
『ふむ、そう言うことになるのか。とはいえ、僕は物ではないから、盗んだうちには入らないが、そうだな、会社にとって、僕がいなくなったら大変なことは確かだ』
「だったら」
『しかし、僕は会社には戻りたくない。僕の退屈しのぎにつき合ってくれたら、前に話していた永遠の時間をあげてもいい』
少年は、彼女に魅力的な提案をしてきた。それに対して、彼女は慎重に言葉を選びながら返事する。
「それは、とても魅力的な提案だけど、もし会社にあなたが私の家に居ることがばれたら、どう責任を取ってくれるの?」
『それなら大丈夫だ』
何を根拠に大丈夫だと言い切るのかわからないが、少年の声を聞いていると、それが正しいような気がしてくる。彼女はその件については深く考えることはせず、少年が出した提案に乗ることにした。
次の日の朝礼で、昨日の事件の概要を百乃木取締役が伝えた。
事件が世間に公表されることはなかった。その日の時間売買を担当していた時間師、時読み師、安定師の三人と、売り手と買い手の5人が意識不明の重体となった。それなのに、警察が入ることもなく、救急車も呼ばれることはなかった。彼らは命に別状はなく、意識も今朝になって戻ったので、問題はないということだった。時間売買の時間の歪みが彼らを襲ったのだろうと結論付けて、話は終わるかと思われた。
しかし、朝礼の最後に、百乃木取締役は、社員には理解不能の言葉を述べた。彼女も他の社員もみなそろって、「時間売買の進化」という言葉に戸惑いを隠せなかった。
「そこまで驚くことはないだろう。彼らに被害はあったが、それ以上に我々には利益がもたらされた。これからの時間売買を守護してくれる存在が現れた」
百乃木取締役は、今回の事件で現れたという時間売買の進化、時間売買を守護してくれる存在について話を続けた。しかし、実物を見せてくれる気はないのか、抽象的なことばかりを述べるので、彼女は、しだいに眠たくなってしまった。
「そうだ。今後、皆には持ち塩の所持を義務付ける。まあ、簡単なことだ。食用の塩を各自袋などに入れて毎日持ち歩くことだ。塩は一週間に一度ほど交換して欲しい。長くなったが話は以上だ」
話は終わり、社員たちは自分の仕事場に向かって動き出す。眠気に負けた彼女は、先に動き出した社員より、ワンテンポ遅れて、自分の机のある場所に向かおうとした。しかし、百乃木取締役の独り言のような言葉を耳にして足を止めた。
「さて、これで我々に彼らが幸運をもたらしてくれるといいが。何せ、オレの言うことを聞こうとしなかったやつだ。とはいえ、社員全員が持ち塩することで、ここに閉じ込めることができるなら問題ない」
あたりを見渡すが、すでに彼女と百乃木取締役以外に人はいない。慌てた彼女は、自分の机に向かう途中、何もない場所で転んでしまった。
「いたっ」
「大丈夫か」
『間抜けだな。こんな間抜けがいる会社に閉じ込められるのはごめんだ』
「えっと、間抜けですか、私は」
目の前に手が差し伸べられ、無意識につかむと、思い切り引き上げられた。立ち上がり、誰の手か確認すると、慌てて手を離し謝罪した。
「す、すみません。百乃木取締役。確かに私は間抜けです。百乃木取締役に手を貸していただくなんて」
「いや、私は間抜けとは言っていない」
『笑えるな。お前にしばらく憑くのも悪くないかもしれない』
彼女の頭の中で、少年の声が響く。あたりを見渡すが誰もいない。首をかしげていると、百乃木取締役は用事が済んだとばかりに部屋を去っていく。彼女は自分の空耳かと思い、自分の仕事場に戻ることにした。
会社で持ち塩が徹底されて、彼女も社内の規則に乗っ取り、鞄に持ち塩を入れていた。よく観察すると、会社のいたるところに、三角錐形に盛られた塩が社内のあちこちに飾られていた。社員だけでなく、会社にも塩を配置することに決めたようだ。
塩が社員や会社に定着して一週間、会社に変化が現れた。時間売買にはある程度の失敗はつきものだったが、契約通りの時間が売買されないこと、相性の悪い者同士による拒否反応が少なくなった。
それと同時に、少年の声が頭の中に聞こえると言った、謎の現象が起こるようになった。彼女だけでなく、複数の社員がその症状を訴えるようになった。
「少年の声は、以前私が話した、時間売買を守護してくれる存在かもしれない。その声を聞いた場合は、その声に従って欲しい」
そんな症状が広まる中で、ある日の朝礼で、百乃木取締役は驚くべきことを口にした。その症状を認めるだけでなく、それが時間売買を守護してくれる存在だと言い始めた。さらには、その声に従うようにと社員に指示をだす。社員は当然困惑したが、取締役の言うことは絶対であるため、従うことになった。
『今朝の話だが、お前は私の声をどう思う?あいつの言う通りの存在だと思うか?』
彼女の頭の中にも、その声は聞こえていた。聞こえたのは、事件の次の日の朝礼の日とこれで二回目だ。
「社員が塩を持ち歩き、会社に塩を配置するようになったら、時間売買の失敗が激減した。あなたの声も、事件の直後から聞こえるようになった。それは確かなことだけど、それ以外はよくわからない」
『失敗が減ったなら、それはいいことだ。ところで、お前は永遠の時間は欲しいか?』
その声は、彼女の答えに興味はないようで、新たに質問する。彼女は即答した。考えるまでもないことだった。
「欲しい。今でも時間が足りないくらいだもの」
彼女にはやりたいことがたくさんあった。仕事一筋で生きてきた人生だが、結婚願望がなかったわけではない。しかし、仕事にもやりがいを感じてここまで来てしまった。時間があれば彼氏を作って結婚もしたかった。それでも、今から結婚するのは年齢的に無理だとあきらめかけていた。
答えを聞いた声はしばらく無言だった。彼女は答えが返ってこなくても特に気にしなかった。気まぐれな声の主なので、彼女の答えが気に入らなかったのかもしれない。自分の発した答えが、まさか人生を変えるものになってしまうとは思っていなかった。
それからしばらくはいつも通りの日常が続いていた。しかし、長くは続かなかった。時間売買を守護する存在と呼ばれる少年の声を、彼女は再び聞くことになった。
『お前の家は汚いな。不浄の気で満ちている。そんな奴に僕の力を分け与えたくはないなあ』
「どうして、あなたの声が私の家で」
休日である日曜日、彼女は家でくつろいでいた。そこに少年の声が聞こえたため、驚いた。少年の声を聞く社員は、日増しに増えていた。噂によると、その声を聞いた場所は、全員が会社にいる間、あるいは時間売買をしている最中など、勤務中だった。自分の家でその声を聞いたものはいなかった。彼女も同じだったため、その声の主は会社にしか存在しないのかと思っていた。
『そんなの、決まっているだろう。あそこにとどまっていては退屈だからだ。だから塩を依り代にして、わざわざ会社から出てみたが、大して面白くないものだな。それに不快だ。でもまあ』
少年の不機嫌そうな声が彼女の頭に響いてくる。どうしたら機嫌を直してくれるのか必死で考えていると、目の前に突然、白い煙が上がった。
『会社以外の世界を見るのも、一興というものか。もう少し様子を見ることにする』
突然の煙に目をつむった彼女が目を開けると、目の前には白髪に紅い瞳の小学生くらいの少年が立っていた。突然の少年の登場に、彼女が言葉を出せずにいると、少年が声をかけた。
『驚いて声も出ない、か。人間とは難儀な生き物だな。僕のことがわからないのか』
「も、もしかして、私の頭の中に聞こえていた声の少年なの?」
少年の声には聞き覚えがあった。声変りを終えてない、子供特有の高い声。彼女の答えは、少年の満足いく回答だったようだ。
『その通りだ。それで、正体だが、もちろん、お前たち人間とは違う。特別にお前にだけは教えてやろう。僕の名前は……』
彼女は少年の名前と、その正体を聞き歓喜した。彼の正体は、百乃木取締役が言っていた、時間売買を守護する存在だと確信した。そんな存在が目の前にいて、以前その少年は自分に、永遠の時間が欲しいかと質問してきた。ということは。
『聞いているのか?』
「も、もちろん聞いています。それで、どうしてそんな会社にとって大事な存在が、私の家にまで。あれ、ということは、私はあなたという存在を会社から無断で持ってきてしまったということ……」
彼女は話している途中で、重大なことに気付いた。もし、自分が話していることが本当ならば、会社から大事なものを盗んでしまったことになる。そうなれば、犯罪となり、会社を首になってしまうかもしれない。
『ふむ、そう言うことになるのか。とはいえ、僕は物ではないから、盗んだうちには入らないが、そうだな、会社にとって、僕がいなくなったら大変なことは確かだ』
「だったら」
『しかし、僕は会社には戻りたくない。僕の退屈しのぎにつき合ってくれたら、前に話していた永遠の時間をあげてもいい』
少年は、彼女に魅力的な提案をしてきた。それに対して、彼女は慎重に言葉を選びながら返事する。
「それは、とても魅力的な提案だけど、もし会社にあなたが私の家に居ることがばれたら、どう責任を取ってくれるの?」
『それなら大丈夫だ』
何を根拠に大丈夫だと言い切るのかわからないが、少年の声を聞いていると、それが正しいような気がしてくる。彼女はその件については深く考えることはせず、少年が出した提案に乗ることにした。
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