清めの塩の縁~えにし~

折原さゆみ

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33百乃木が取った行動

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 遺体を見つけた百乃木は、すぐに警察と救急車を呼ぼうとした。しかし、その行動は、頭の中に聞こえてくる少年の声に邪魔された。

『こやつはすでにこと切れている。すぐに助けを呼ぶ必要もあるまい。少し僕の話を聞いてくれるかい?』

 白亜は百乃木が来る直前に姿を消しているため、部屋には遺体となった彼女と百乃木の二人しかいないように見えていた。とはいえ、白亜の声はすでに社員も百乃木自身も聞きなれており、いきなりの白亜の声に百乃木が驚くことはなかった。



「どうしてここにあなたがいるのですか?会社と会社の取引先の場所にしか現れないのかと思っていたのですが」

『僕の突然の登場に驚かないとは、面白くないな。でもまあ、不思議がるのも無理はない。今は亡きそこの彼女が面白そうだったから、ここにいた。僕の自由になる力をくれたいい人だったよ』

 白亜は、堂々と自分が彼女の命を奪ったことを平然と告げる。百乃木は遺体となった彼女を観察する。彼女の遺体は、どう見ても60歳過ぎの老人のものにしか見えなかった。電話をくれたのが会社に勤めていた彼女でなかったら、目の前の彼女が誰かわからなかっただろう。彼女はそこまで年でもなかったはずだ。

 一体どういうことなのか。遺体の状態がおかしいこと、頭に響き渡る声の存在を組み合わせて考える。少年の声は、彼女が力をくれたと言っていた。ということは。

「彼女の時間をすべて、お前が奪ったということか。よくもまあ、一度にここまで奪うことができたものだ。人間にはできないことだな」

 百乃木は舌打ちし、言葉遣いが乱暴になる。まさか、自分たちが生み出した存在が、自我をもって自ら行動を始めたとは。いら立ち交じりの百乃木の言葉に、乾いた笑いが答える。百乃木の答えは面白くなかったようだ。

『正解だけど、どうして人間ができないなんて言うのかな。確かに僕には造作もないことだけど、君たちにだってこのくらいできるでしょう?今まで君たちの時間売買の様子を観察してきたけど、効率悪いと言ったらありゃしない』

 百乃木は少年の声の言葉を無視して、遺体の処理をどうするか考える。この遺体を警察などに見せても、彼女だと判定するのには時間がかかるだろう。もし、彼女のDNAだと判定しても、にわかには信じられないはずだ。犯人は人外の存在だ。



『それでさ、話は変わるんだけど、君ってさ、この遺体の処理をどうするつもり?そのまま警察に差し出すなんてことはしないと思うけど、一応、彼女にも葬式を出してくれる家族や親せきがいるはずでしょ。その中に面白い人間を見つけたんだ。彼女たちを僕に紹介してよ。お願い!』

 百乃木が遺体の処理について考えていると、白亜の声がまるで百乃木の心を読んだかのように聞こえてきた。お願いと付け加えられた言葉は、まるで父親に欲しいおもちゃをねだる子供のようだった。正体を知っている百乃木でさえ、願いをかなえてしまいそうになる。

 しかし、百乃木は思いとどまった。彼を野放しにしてはいけないと本能で感じていた。

「ダメだ。お前は、俺たちが生み出したものだ。自由を与えるわけにはいかない。それに、お前に興味を持たれたやつの最期がこれだとわかって、紹介する奴がいると思うか?」

『僕のお願いを聞いてくれないんだね。残念だなあ』

 暗に、お前の提案は断ると告げると、少年の声は一気にトーンが低くなり、その場の気温も下がったような気がする。ぶるりと背筋が震えるも、百乃木は何でもないことのように話を続ける。

「紹介はしないが、今よりもう少しお前に自由を与えてやる。それで我慢してくれ。だから、帰ろう。俺たちの居場所に」

『断る。何のためにこの女の命を奪ったと思っている』


 白い煙が突然、百乃木の目の前に立ち上る。煙が目に入らないように目を閉じて、再び開けるが、そこには先ほどと変わらず、遺体があるだけだった。しかし、百乃木は気づいていた。力をつけた彼がこの家から逃げ出したこと、そして、行き先は先ほど話に出てきた彼女の親戚だということを。

「やられた。くそ」

 百乃木は頭の中に聞こえていた声の主がいなくなったことを確認すると、急いでスマホで会社に連絡を入れる。少年の声の言う通り、警察を呼ぶことはしなかった。警察を呼んで面倒事を増やしたくはなかった。

「もしもし、私だが、時間売買に失敗した人間がいた。いつものように処理をしてくれ。ああ、死因は急激な老化によるものだ。いつものことだろう。ああ、頼んだ。私は別に用事ができた」

 少年は逃げてしまった。急いで追いかける必要がある。彼が逃げてしまっては、百乃木にとって困ることがあるからだ。






『百乃木とはそこで別れたきり、最近まで会うことはなかった。まさか、僕の興味が愛理たち家族だとばれているとは思っていなかった』

「私があなたの声を初めて聞いたのは、確か従妹の葬式だったわね」

 母親がその時を懐かしむような顔でぽつりとつぶやく。愛理もその時のことを思い出そうとしたが。

「痛っ」

 その時のことを思い出そうとした途端、突然の頭痛が愛理を襲った。いったいどういうことだろうか。

『僕がその時の記憶を封じているから、愛理が思い出そうとすると、頭痛がするんだよ』

「それが、あなたが私たち家族を守る条件だったものね」

 愛理の頭痛で苦しむ様子をちらと見つつも、母親も白亜も愛理を心配する様子はなかった。しばらくすると頭痛は治まったので、愛理は頭痛のことを二人に言及することはなかった。
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