マージナル:平凡なβが、すべての運命を壊すまで

水城

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5.小鳥遊奏が描くもの。

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 できるなら、ただずっと、絵だけを描いていたい――

 紙と炭、指と画布。そして、絵具と筆と。
 写し取る線、思い描く影、思いもよらない色。

 この「感覚」を「ことば」でなんというのかは分からない。
 熱中? 熱狂? 恍惚? 
 入り込んでいく心地よさ。たぎるような血の流れ、鼓動。

 「これ」が――
 「この気持ち」が、空腹や眠気や、喉の渇きに邪魔されるのが、耐え難くて。

 帰らなきゃ、寝なきゃ、授業に出なきゃ。
 そんなような「やらなきゃならないコト」で中断されてしまうのが、「身を切られるようにツライ」って。ただ絵を描くためだけに、存在していたいんだって。

 ――そんな風に思ってしまう。

 だから、漠然と「美大に行きたい」と思っていたんだ。高校に入った時から。
 けどさ。
 まあ、美術部の先輩たちの話を聞いていると、それはそれで、どうやら「色々ある」らしくて。
 ただただ絵を描いていられるような、呑気な生活ってワケじゃないコトも知るようになった。

 でもそれでも。
 普通の大学に行ったり、就職したりするよりはずっとマシだ。ずっといい――
 
 そして奏は、スケッチに没入していく。

 次の油彩画の、下絵に使うための習作。
 アイディアのメモ代わりとして、奏は、何枚も何枚も「走る男」を描いていた。

 もちろん「モデル」は学内での「調達」だ。
 だから、走る「男」というより、走る「少年」や、走る「青年」のスケッチだった。

 そして「調達」といっても、別に誰かを雇うワケではなくて、ただ部活や授業で走っている生徒たちの姿を、教室や美術室から眺めやって描きとっているだけだ。

 なんかさ。写真で「これ」をやったら「盗撮」になるんだろうけど――

 ある時、奏はそんなことを思いつく。

 「スケッチ」だったら許されるのかな?
 どうだろ。

 数えきれないほど、色々な生徒の「走る姿」を描いてきた。
 そんな中で、奏のモデルは、次第に「ある人物」に絞られるようになっていく。

 最初は名前も、学年すらも知らなかった。
 けれどもじきに、その男が「同学年の春日悠一」だと分かった。
 
 「春日悠一」のことは、放課後、よくグラウンドで見かけていた。
 美術室の窓からは、陸上部の使うトラックが見晴らせたから。

 その男が走っている距離は、結構長くて、観察もしやすかった。
 とはいっても。
 「その種目」が「長距離」ではなく「中距離」なのだといったことすら、奏は認識していなかったのだが。

 しかしある時から、グラウンドで「春日悠一」の姿を見かけなくなった。
 どうやら、陸上部を辞めてしまったようだった。

 そうやって見失ってしまった「走る男」の姿を、奏は、ふとしたきっかけで見つけ出した。
 美術部室の窓の向こうに――

 本当に「何の気なし」に、視線を向けた先にいたのだ。
 見慣れたフォームで走る「その男」が。

 部室は、校舎の「裏手」に面していて、窓の先にあるのは、今ではもう使われていない古いグラウンド。
 実のところ、奏はそれまで、そこにある雑草まみれの陸上トラックの存在を、まるで意識もしていなかった。

 それから、奏は主に、部室で炭を持つようになった。
 かならず――

 薄く窓を開けて。

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