マージナル:平凡なβが、すべての運命を壊すまで

水城

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35.臨界

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 ――週末でもないのに、またかよ。

 電話があった。父、隆道からだった。
 自室で勉強をしていた尊は、机上のスマートフォンを手に取る。

「尊、なぜ夕食の席に降りてこなかった」

「すいません、体調が思わしくなくて」

 というより、今日はアンタ、所用で帰宅が遅れ、食事は他所で取ることになってるって。そう、竹内さんから連絡を受けてたんだよ、オレは。

 尊の沈黙から「そんな不服」を感じ取ったのか、隆道が続ける。

「用向きが早めに片付いたから、今晩は帰って食事を取ることにした」

 藤堂の家では、家長がいる際には、必ず家族は同じ食卓につくものとされていた。

 まあ……「母」はもとより、この数年、家族の前に姿を見せたことはないがな。

 尊のオメガの妹は五歳で死んでいたし、ベータの弟は早々に分家へと養子に出されている。
 結局のところ、本家ここでの夕食というのは、家長と長子だけの気づまりなモノでしかなかった。

「まあ、いいだろう」
 隆道が、少し態度を軟化させる。

「10時半、『離れ』に来なさい」
 
 それだけを命じ、息子の体調を気遣う言葉ひとつないまま、隆道は電話を切った。

 尊は参考書を閉じ、深くため息をつく。
 倍速で動画の再生を続けるタブレットだけが、初冬の静けさの中、ガサガサとした音を響かせていた。





 指定の時刻がやってきた――
 凍てつく透明さを増した庭を、尊は歩いていく。
 
 体調は最悪だった。

 このところの「ラット」は、あまりにも不規則だ。
 いつ「アタック」が来るか分からず、調整が上手くいかない。
 
 「薬」が手放せなかった。
 それも極度に強いモノが。

 隔絶されたように、庭にたたずむ「音楽室」。
 ドアノッカーを三回。
 入室を命じる、アルファの声。

 数十年に渡り、その深い「響き」で街のすべてを掌中に入れ、何もかもを思い通りに操って来た――

 「トップ・オブ・トップ」のスーパー・アルファの声。

 尊が入室する。
 隆道はガウン姿でチェスターフィールドチェアに、ゆったりと腰を下ろしていた。 

 冷える夜だった。暖炉に火が入れられている。
 香ばしい薪がはぜる音。
 そんな清々しい香りを打ち消すように――

 オメガの腐臭。

 ――それも、今夜はふたりも連れ込んでいやがる。

 三十代と思しきスーツの男と、尊より、少しばかり年上にみえる青年。

 スーツの方は、もう完全に「出来上がって」いた。
 隆道の足に縋りつき、頬を擦り付けながら、その匂いを嗅ぎまくっている。
 口の端で糸を引く、透明な唾液。

 そんな年嵩の男の恥知らずな様子を、若い方のオメガが、やや軽蔑を孕んだ視線で見やっていた。
 けれどその男の方も、もうすでにむせ返るフェロモンを放ちまくって――

「尊」
 隆道が息子を呼ぶ。

「今晩は『無礼講』にしてやろう。お前も『好きにして』いい」

 そして、縋りついているスーツのオメガを床に蹴り倒し、
「脱げ」と低く命令した。

 オメガは、下着ごとスラックスを脱いで、腹ばいに腰を突き出す。
 露わにされた双丘。
 粘液が溢れて、会陰部から陰嚢にかけてを濡らし尽くしていた。

 匂いが――
 ただひたすらに、生殖と獣慾の匂いが溢れ出す。
 
 尊は激しい眩暈に襲われた。
 立っていられないほどに。

 グラグラとした悪寒。

 息が、肺の奥に入っていかない。
 呼吸は、ひたすらに浅く激しく。
 ゼイゼイとした喘ぎが抑えようもない。

 自制の限界だった。
 尊は目を閉じて、奥歯を食いしばる。
 こみ上げるのは――

 「欲求」というよりもむしろ。

 ――吐き気。

 肋骨から痙攣するような、反射的に激しい嘔吐き。
 みっともなくも、口をついて嗚咽が漏れた。
 尊は必死に喉を締め上げる。

 隆道は、スーツのオメガに挿入を始めていた。
 ごく乱暴な行為。
 だが、オメガの方はすっかり慣れているのか、隆通の巨大な男茎を難なく呑み込み、嬌声を上げる。

 相手を壊し尽くすような気迫の、激しすぎるアルファの抽挿。

 尊に限界が訪れる。
 スラックスのポケットから、震える指先でハンカチーフを探り出して、口もとに押し当てた。
 
 グッ……と、掌で嗚咽を押し殺す。
 熱い液が、喉を越えてこみ上げた。
 ガクリ、足から力が抜ける。噴き出す冷や汗。

 床に膝をつくようにくずおれて、壁にもたれながら、尊は身体を震わせた。
 ハンカチーフでは受け止めきれなかった吐瀉物が滴り落ちる。

 それは、サラサラと薄い胃液。

 このところ、尊はほとんど食べられておらず、その日も水しか飲んでいなかった。

 父とオメガは交尾を続けている。
 
 醜態だけは、決して晒すまいと。
 もうずっと決意していた。

 それは単に「家長の言いつけだから」ではなく。
 尊自身の自尊心からだった。
 横暴で異常な父に。こんな「くだらない仕打ち」に。
 無様に負けたくはないという。

 ――憎しみにも似たプライド。
 
 そして、激しすぎる吐き気とともに、尊の喉元にこみ上げるのは。
 名前。

「……が、…すが…」

 どこにでもいる、そんな男の名。

 ただのベータ。
 ただ、まっすぐに走る背中。

「か、す……が……」

 そしてそのまま、尊は意識を失った。

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