え、待って。「おすわり」って、オレに言ったんじゃなかったの?!【Dom/Sub】

水城

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so what, and?

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 明確なcommandだった。
 公園で、犬に「おすわり」と命じていたのとは違う。

 「オレへの」command。

 glareは感じない。たぶん。

 でもそれでも。
 オレの視線は、すぐさまズルズルと、少年の前髪、額、そして瞳、顎先を撫でるように下がって下がって――

 そして、会陰部と内腿にヒヤリとした感触を覚えた。

 完璧な――
 完璧な「Kneelおすわり」。

 顎をそらして見上げる。
 少し俯いた彼と視線が絡まった。

 その瞳は、ごくかすかな戸惑いに揺れていた。

 オレは彼から目をそらせない。

 黙っている。
 彼は黙っている。

 「割座ニール」は、男の骨格だと、普通、かなり無理のある姿勢だ。
 オレの股関節と膝は、ミシミシと軋んでいた。

 ――きれいに「おすわり」できただろ? オレ。

 なあ、誉めて。
 オレを、誉めて。

 rewardごほうびをくれよ。

 ひと言でいい。
 ひと言だけでいいから。

 少年が、軽くくちびるを噛んだ。
 そして目を細め、組んだ腕で、ギュッと自分を抱き締めるようにして、オレから視線をそらす。

 グワリと、オレの中で均衡が崩れた。
 ギリギリの表面張力でつなぎとめられていたなにかが、決壊する――

 サーッと水がこぼれ出るように、頬から血の気が引いた。

 なあ、どうして? なんで目をそらすの。
 みて。オレをみてよ。
 なんでだよ、オレ、悪い子だったか?

 どうしたらいい? オレ。
 どうしたら――

 割座のまま、オレはドタリと、真横にぶっ倒れた。

 息が――
 苦しい。吸っても吸っても苦しい。
 指先が肌の表面が、痺れて冷たくて。

 怖い、怖い、怖い。
 からだ、動かない。

 少年が、驚いてオレを振り返った。
 目を見開いて、くちびるを震えさせて。
 透明にキレイな瞳には、明確な「怯え」が見て取れた。

「え? え? あ……はたて、さん。どうしたの?」

 オロオロとさまよう視線。まるでオレを直視するのを避けるように。
 
「ご、ごめん……ごめんなさい、あ、僕、つい。つい面白半分で。どうしよう、どうしたら…」

 ああ、どうしよう。ごめんなさい、ごめんなさい。

 床に両膝をついて、オレへと手を伸ばし、でも触れるのをためらうように指先を震えさせて。
 途方に暮れて泣き出しそうに、少年はオレに謝り続けた。

 ――あーあ、やっちまったな。
 こんな子ども、怖がらせちまって。

 ああ、もう。
 どうしたんだ、今日は。
 ホント、オレ何やってんだよ。さっきから。
 色々と恥をさらしまくった上、dropまでするとか――

 Sub Dropバッドトリップのパニックの中、頭の隅で微かに、オレはそんな正気を繋ぎとめる。

 もとに、戻らなきゃ。dropを抜けなきゃ。
 この子を安心させてやらなきゃ。

「はたてさん、ごめんな…さい、Kneelって、それしか……commandっていうの…それしか、ほかに知らないのに、フザケて言ったりして」

 なんで、どうして。
 こんな、具合とか……悪くなっちゃうんだよ?!

 もどかし気に泣きそうに、声を震わせながら、少年が床を拳で叩く。

 そして、懸命に呼吸を整えてから、

「そうだ、きゅうきゅうしゃ、救急車とか、呼んだ方が…」と、呟いた。

 ――ああ、いや、それはマズい。

 dropの発作にのたうちながらも、オレはかろうじて声を絞り出す。

「へいき、だいじょうぶ……だから、ちょっと、dropバッドトリップして……パニクって、る、だけ、だから…」

「ごめんなさい、ぼく」

「……べつに、おまえ、は…わるくない、し」

「僕は、どうしたら……」

「どう、も…しなくていい、けど」

「どうしよう、どうしよう、旗手さん、すごい汗…」

「だか、ら…だいじょう、ぶ、だって」

 けど、もし――
 もし、できるなら。

「あの、さ……ひとこと、だけ」

「え?」

rewardごほうび……」

「ごほう、び?」
 
 ふたたびこみ上げてくる吐き気。
 耐え切れなくて、オレはもう声が出せず、ただ頷くだけで。
 でもその瞬間に、グワリと激しい眩暈に襲われた。

 え? 
 なに……ごほうび…ってなんなんだよ……と。
 少年は、切羽詰まって硬い声で呟いた。

 気づけば、あのデカ犬も少年の背後までやってきていて、一緒になってオレを見つめてる。

 少年がおずおずと、オレに指を伸ばした。
 冷や汗でグショグショになった髪に、彼の指先が、そっと挿し入れられる。

 ゆっくりと、そっとそっと、頭を撫でられる。
 そして彼は、クシャクシャとオレの髪をかきまぜて、

「よしよし……」と、声を掛けた。

 脈打つ頭痛が、すうっと引いていく。
 パニックの過呼吸が、ひと息ごとに緩みはじめた。

 でもまた耳鳴り。
 吐き気。
 ブワリと、冷や汗が噴き出す。

 少年はもう片方の手で、オレの肩を背を撫でてくれた。

「あり…がとな……」

 オレはかろうじて、礼を口にした。

「ほかは? ほかには…どうして…ほしいですか」

 眩暈をこらえて目を閉じて、吐き気をグッと飲み下してから、

「ほめ…て……」

「え?」

「…ほめて、くれよ……『そいつ』に…言ってやるみたいに」

 一瞬息を飲み、彼は少し考え込む。
 そして、オレの頭をポンポンと愛撫し、

「Good Boy」と――

 ついにひと言、そう発した。

 苦痛が一気にほどける。
 同時に、それと全く同量のエネルギーが、真逆のベクトルで突き抜けた。

 恍惚。
 快感。

 くちびるが、勝手にゆるんで、微笑みをかたちづくる。
 
 少年が、ゆっくりと息を吸いこんだ。
 ハッキリと、でもおだやかな涼しい声で、また繰り返す。

「Good Boy、旗手さん。Good Boy」と。

 
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