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第三部
第三十三話【失われた席】
王立セレスティア魔法学校の学長室に、沈黙が落ちていた。
教務主任が戻ったのは、出立から五日後のことだった。
彼は疲れた顔で、エリナ・リュミエールが帰還を拒んだと報告した。
「拒んだ?」
学長は聞き返した。
「はい」
「なぜだ」
「王都へ戻る理由がない、と」
学長はしばらく言葉を失った。
理解できなかった。
放校になった平民の娘に、復籍の可能性を与えたのだ。
感謝して戻るのが当然だろう。
それなのに拒んだ。
「愚かな」
学長は吐き捨てた。
だが、その声には焦りが混じっていた。
エリナが戻らない。
それは、学長にとって予想外だった。
そして、非常に困る事態だった。
ここ最近、学園内の光魔法演習は混乱している。
エリナが残したノートを頼りに授業を進めようとしたが、誰も正しく扱えなかった。
ノートは丁寧だった。
ただし、それはエリナ自身の理解を前提にした整理だった。
どうしてその順番で魔力を流すのか。
どの時点で弱めるのか。
患者の体力をどう判断するのか。
重要な部分は、彼女の経験と感覚に結びついている。
字面だけ真似ても再現できない。
「研究院から、共同発表の延期要請が来ています」
教務主任が言った。
「またか」
「はい。治療式の安全性を証明できないと」
「クラリス嬢は」
「実験中に魔力を暴走させ、現在は静養中です」
学長は机を叩いた。
「なぜ誰もできない!」
誰も答えなかった。
答えは分かっている。
エリナができていたからだ。
しかし、その答えを口にすれば、学長の判断が間違っていたことになる。
彼はそれを認められなかった。
そこへ、王宮からの使者が訪れた。
持ってきたのは、王太子府からの通達だった。
光魔法研究院の成果停滞について、学園側の責任を問う。
次期聖女候補育成計画の再提出を求める。
さらに、エリナ・リュミエール放校処分の判断過程に関する資料を提出せよ。
学長の顔から血の気が引いた。
「判断過程、だと」
悪評はあった。
証言もあった。
だが、物的証拠は乏しい。
なぜなら、急いで処分したからだ。
王太子殿下とクラリス嬢の意向を読み、問題が大きくなる前に切り捨てた。
それが最善だと思った。
当時は。
「学長」
教務主任が静かに、淡々と言う。
「このままでは、学園が責任を負うことになります」
「分かっている!」
学長は思わず怒鳴っていた。
怒鳴ってから、すぐに後悔した。
相手は王宮の使者、自分の感情で動くものではない。
むしろ、感情をぶつければ自分の立場をさらに悪くする。
教務主任は表情を変えない。
その沈黙が、学長をさらに追い詰める。
「もう一度、使者を送る。今度は条件を良くする。奨学金の再支給、卒業資格の回復、王宮治療院への推薦……」
「彼女が求めているのは、それでしょうか」
教務主任の言葉に、学長は睨みつけた。
「何が言いたい」
「いえ。ただ、彼女は戻らないかもしれません」
学長は笑う。
正確にいえば、笑おうとした。
しかし、掠れた声が漏れるような笑いしかできなかった。
戻らない。
その可能性が、初めて現実味を帯びてきた。
エリナ・リュミエールの席は、学園から消えた。
だが、その空席は、誰にも埋められないまま広がっている。
学長はようやく、そのことを理解し始めていた。
教務主任が戻ったのは、出立から五日後のことだった。
彼は疲れた顔で、エリナ・リュミエールが帰還を拒んだと報告した。
「拒んだ?」
学長は聞き返した。
「はい」
「なぜだ」
「王都へ戻る理由がない、と」
学長はしばらく言葉を失った。
理解できなかった。
放校になった平民の娘に、復籍の可能性を与えたのだ。
感謝して戻るのが当然だろう。
それなのに拒んだ。
「愚かな」
学長は吐き捨てた。
だが、その声には焦りが混じっていた。
エリナが戻らない。
それは、学長にとって予想外だった。
そして、非常に困る事態だった。
ここ最近、学園内の光魔法演習は混乱している。
エリナが残したノートを頼りに授業を進めようとしたが、誰も正しく扱えなかった。
ノートは丁寧だった。
ただし、それはエリナ自身の理解を前提にした整理だった。
どうしてその順番で魔力を流すのか。
どの時点で弱めるのか。
患者の体力をどう判断するのか。
重要な部分は、彼女の経験と感覚に結びついている。
字面だけ真似ても再現できない。
「研究院から、共同発表の延期要請が来ています」
教務主任が言った。
「またか」
「はい。治療式の安全性を証明できないと」
「クラリス嬢は」
「実験中に魔力を暴走させ、現在は静養中です」
学長は机を叩いた。
「なぜ誰もできない!」
誰も答えなかった。
答えは分かっている。
エリナができていたからだ。
しかし、その答えを口にすれば、学長の判断が間違っていたことになる。
彼はそれを認められなかった。
そこへ、王宮からの使者が訪れた。
持ってきたのは、王太子府からの通達だった。
光魔法研究院の成果停滞について、学園側の責任を問う。
次期聖女候補育成計画の再提出を求める。
さらに、エリナ・リュミエール放校処分の判断過程に関する資料を提出せよ。
学長の顔から血の気が引いた。
「判断過程、だと」
悪評はあった。
証言もあった。
だが、物的証拠は乏しい。
なぜなら、急いで処分したからだ。
王太子殿下とクラリス嬢の意向を読み、問題が大きくなる前に切り捨てた。
それが最善だと思った。
当時は。
「学長」
教務主任が静かに、淡々と言う。
「このままでは、学園が責任を負うことになります」
「分かっている!」
学長は思わず怒鳴っていた。
怒鳴ってから、すぐに後悔した。
相手は王宮の使者、自分の感情で動くものではない。
むしろ、感情をぶつければ自分の立場をさらに悪くする。
教務主任は表情を変えない。
その沈黙が、学長をさらに追い詰める。
「もう一度、使者を送る。今度は条件を良くする。奨学金の再支給、卒業資格の回復、王宮治療院への推薦……」
「彼女が求めているのは、それでしょうか」
教務主任の言葉に、学長は睨みつけた。
「何が言いたい」
「いえ。ただ、彼女は戻らないかもしれません」
学長は笑う。
正確にいえば、笑おうとした。
しかし、掠れた声が漏れるような笑いしかできなかった。
戻らない。
その可能性が、初めて現実味を帯びてきた。
エリナ・リュミエールの席は、学園から消えた。
だが、その空席は、誰にも埋められないまま広がっている。
学長はようやく、そのことを理解し始めていた。
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