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第三十話

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 すえた臭いが辺りに充満している。
 入口から少し中に進むと、襲われた家畜のものと思われる、大小様々に砕かれた、骨が散乱していた。

 地下道はそれなりの幅と高さを備えていて、二人が並んで歩くのも苦ではなかった。
 ハンスは骨を見つけてから、しきりに地面の方を気にして歩いている。

「ハンス様。何か探されているんですか?」
「ああ。フンを探しているんだ。もしベアラットなら、獲物を食べた場所からそう遠くない所に落ちているはずなんだが……」

 実験動物として、多くのベアラットを長い期間飼っていたハンスは、ベアラットの生態には詳しかった。
 彼らは獰猛で、獲物を残さず食べ、また、その小さな体は消化が人間に比べ早いらしく、食べたそばから排泄するのだった。

 散乱していた骨は、こびり付いた肉も見当たらないほど、綺麗に食べられていたが、いくら探しても、ベアラットのフンは見当たらなかった。
 もしかしたら、別の魔物かもしれない、ハンスはそう思いながら、なおも地面を注視しながら歩く。

「いずれにしても、この辺りには大したこと魔物は居ないはずだ。油断さえしなければ、危険は無いだろうさ」
「そうですか。分かりました」

 そう言ったセレナの両手には、既に一対の短剣が握られていた。
 暗い地下道の中でも、青白く光を放つその短剣は、ハンスの持つ松明の光に照らされ、むしろはっきりとした輪郭を浮き上がらせていた。

「それにしても広い地下道だな。なんだって、町の地下にこんな洞窟があるんだ?」
「分かりませんね。帰ったらギルドの人に聞いてみましょうか?」

 二人が軽口を叩いていると、ふと辺りの空気が変わったような気がして、セレナはハンスに伝えた。
 それを聞いたハンスは、立ち止まり、セレナに辺りの気配を探ってもらうよう頼む。

 嗅覚や聴覚が人間の何倍も優れるセレナは、ハンスの知ることの出来ない情報を得ることが出来る。
 こればっかりは、ハンスの補助魔法を持ってしても得ることの出来ない、亜人特有の性能だった。

「この先、それほど遠くない所に何か居ます!」
「数や大きさは分かるか?」
「どちらなのか分かりませんが、かなりの範囲から気配を感じます。小さい個体が密集しているか、それだけ巨大な何かがいるかどちらかだと思います」
「なるほど。いずれにしろ、少しやっかいなことになりそうだな。セレナ、少し前を歩いてくれ」
「分かりました」

 セレナはハンスの歩幅一歩分だけ前に出ると、前方の気配に注意しながらゆっくりと前に進んだ。
 やがてこれまでよりも少し開けた空間に、それは居た。

「くそっ。スライムか。ついてないな。しかも、かなりの大物だ」

 姿が視認できるようになった魔物は、不定形の身体を持ち、体内に獲物を取り込んで溶解させ、その養分を取り込む恐ろしい魔物だった。
 その身体は、弾力と粘性のある液体のようなもので形成され、ほとんどの物理攻撃が効きにくい、ハンス達にとっては天敵とも呼べる相手だった。

「こんなでかいの、どのから現れたんだ。黄銅級が対応出来るでかさじゃないぞ」
「ハンス様、スライムが気付いたようです!」

 スライムはどういう原理か分からないが、その身体で、きちんと獲物のいる方向が分かるらしい。
 ゆっくりと身体を伸ばしたり縮めたりしながら、確実にハンス達の方へと近付いてきた。

「ハンス様! どうすればいいですか?!」
「スライムに大抵の物理攻撃は効かない。体内にある核を壊せばその身体もただの液体に変わるんだが。この巨体じゃあ、そこに到達する間に突っ込んだ腕が溶かされてしまう」

 通常であれば、攻撃魔法を使い、爆風などで身体を吹き飛ばすか、身体を貫き核を壊すかなどで倒す魔物だ。
 それだとしても、大きさに応じて、どちらもそれなりの威力が必要になる相手で、目の前の大きさならば、白銅級もしくは白磁級の実力を持つ魔術師が必要だろう。

 いずれにしても攻撃魔法の使えないハンスはこの巨大な不定形生物をどうやって対処するか思案していた。
 ひとまず、スライムの動きを止めなければならない。

 しかし、この魔物に有効な補助魔法による状態異常は限られていた。
 脳などもちろんなく、眠らないので睡眠スリープなどは効くはずもない。

 また、動きが元々遅く、硬度も無いに等しいから、これ以上そこを下げても大きな意味を持たない。
 また、この魔物は適応力が異常に高く、以前研究でポイズンの状態異常をかけたところ、毒を瞬く間に克服し、逆に毒を与えるポイズンスライムに進化した。

 今ハンスが使える補助魔法で唯一有効な状態異常は、ひとつだけだった。
 ハンスは素早く呪文を唱え、空中に魔法陣を描く。

麻痺パラライズ!」

 魔法陣がスライムの表層に張り付くと、スライムはその巨体を波打たせながら、その場で動きを止めた。
 今回放った補助魔法は、最大限に威力を高めているから、ちょっとやそっとでは破られることは無いだろう。

「セレナ! 少しずつ、短剣でスライムの身体を散らしていくんだ。身体に触れないよう気を付けろよ。きっとその短剣なら、スライムの身体に溶解されることも無いだろう」
「分かりました! やってみます!」
「狙うはスライムの中心に見える、その青い核だ! そいつを傷付ければ、スライムは容易く死ぬからな」
「はい! ハンス様!」

 ハンスはセレナに少しでも手数を増やせるよう、敏捷増加クイックを唱える。
 恐ろしい速さで両腕を振るセレナによって、動けないままスライムは、その身体を削り取られていく。
 削られた身体は、地面に落ちると、ベチャッと音を立て、その後すぐにその粘性を失い、水のように地面に広がっていく。

 どれほどの時間が経過したか分からないが、既にスライムの身体は、人間の頭と同じ程度になっていて、いくら短剣でも、体内の核に到達出来るようになっていた。

「よし、セレナ。その中心の核をきれいに二つに切り落としてくれ。なるべく均一にな。スライムの核は討伐の証拠だけじゃなく、薬の原料になるから売れるんだ。それだけ大きければ、それなりの金額になるだろう」
「分かりました。えぃ!」

 セレナが短剣でスライムの核を切り分けると、パシャッという音とともに、残りわずかとなったスライムの身体は全て液体に変わり、地面へと流れて行った。
 その中心に、青く輝く、二つに分かれた、スライムの核が落ちている。

 セレナはそれを拾い上げると、ハンスに渡した。
 ハンスは受け取った二つの核を懐に仕舞うと、セレナの頭に手を置き、わしゃわしゃと撫でた。

「お疲れ様。いつものことだが、セレナばかりに戦わせてすまないな。報告が済んだらゆっくり休もう。この核を売れば、もうクエストは受けなくてもいいから、明日は一日セレナの好きなことをしていいよ」
「え? あ、あの……はい! 頑張ります!」

 突然頭を撫でられたことで、セレナは気が動転し、よく分からないことを口走る。
 それを聞いたハンスは目を丸くして、笑い、より強くセレナの頭を撫でた。
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