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第二十六章
第四話
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智香は大きなため息を漏らした後遮った。鬼平は驚き、言葉を詰まらせた。
「もういい。そこまで言わなくていい。大体わかったから。それ以上言わなくていい」
智香が冷徹さを感じさせる声色で言った。鬼平は、智香が怒っているのかと思った。だが、顔を上げて目が合った時、智香は目に涙を浮かべていた。
「あ、あの」
「もういい。言わないで」
ピシャリと、智香が言った。それを最後に智香は何も言わなくなった。溢れる涙を抑えようと、指で拭っているが、彼女の呼吸はどんどん荒れていった。鼻をすすり、唇をきつく締め、拳を握りしめていた。
鬼平は動揺し、言葉を探すように何度も毛布を握り直していたが、それを見つけることはなかった。
「ごめん」
智香はそれだけ言って背を向けて走り去った。鬼平はそれを、ただ呆然と見ていることしかできなかった。智香を追う足は動かず、ベッドの上で呆けたまま、足早に遠ざかっていく智香の足音を聞いていた。
……智香がいなくなると、保健室は嘘みたいに静かになった。まるで、最初から智香なんていなかったみたいだった。
しばらく黙ったまま、鬼平は自分が何をしたのかもわからず、ただ自分の手を見て時間を潰していた。彼の口の中では言えなかった言葉がまだそこにいて、辛い物を食べたみたいにじんわりと滲んでその痛みを告げていた。
それ以外は、まるで自分の感情がすべて死んでしまったかのようだった。
それでも鬼平は呼吸をして、腰には痛みがあり、確かに生きていた。その身体は生きることを望んでいた。
やがて福田先生が帰ってきて、驚いた表情で「鈴本さんは帰ったの?」と聞かれた。鬼平は言葉を発しなかったが、ゆっくり頷いた。「帰れそう?」と聞かれ、これも頷いた。それ以上何も聞かれないうちに、一人で帰れることを伝えようとしてすぐに帰り支度を始めた。
鬼平が福田先生の言葉に頷かなかったのは、「家に電話をかけて説明しようか?」と提案された時だけだった。この時鬼平はわざわざ言葉にして、「いいです」と、やんわり断り、ボロが出る前に急いで靴を履いて、鞄を背負って、立ち上がった。痛みはあれど、鬼平はもう動けた。別にすぐ帰りたいわけではないが、他に帰る場所もなかった。
「気を付けて帰ってね」
福田先生にお辞儀をして、お世話になった保健室から出る時だった。本棚が目に入り、何気なく鬼平は目を滑らせた。このまま通り過ぎ、扉へと向かうつもりだった。だが、途中で、ある文字が彼を捉えた。
――「びんの悪魔」。
その本の名前を見た時、鬼平の精神は息を吹き返した。心臓は跳ね上がったかのように鼓動を早め、止まっていた汗も噴き出した。見間違えでないかと、何度も背表紙に書かれた文字を読んだ。間違いない、背表紙には、
「びんの悪魔 R.L.スティーブンソン」
とある。彼は震える指で、「びんの悪魔」の本を抜き取り、中をパラパラとめくった。するとすぐに、本に出てくる「びんの悪魔」が、鬼平が受け取ったものと同じであると気付いた。鬼平は、衝撃と興奮で口の渇きと身体の震えが止まらなくなった。その時だけは今日起きたすべてのことを忘れていた。本の結末部分を探してどん欲に目を動かし、ページをめくっていた。
「ん? どうしたの? 何かあった?」
だが、物語の結末にたどり着く前に(ゆっくりと楽しんで読むことなど、そもそもできなかったが)、福田先生が異変に気付いて、机からのけぞるようにこっちを見た。
鬼平は慌てて、本を閉じると、惜しいと思いながら、元あった位置に差し込んだ。それからまたお辞儀をすると、逃げるように保健室から去った。
「もういい。そこまで言わなくていい。大体わかったから。それ以上言わなくていい」
智香が冷徹さを感じさせる声色で言った。鬼平は、智香が怒っているのかと思った。だが、顔を上げて目が合った時、智香は目に涙を浮かべていた。
「あ、あの」
「もういい。言わないで」
ピシャリと、智香が言った。それを最後に智香は何も言わなくなった。溢れる涙を抑えようと、指で拭っているが、彼女の呼吸はどんどん荒れていった。鼻をすすり、唇をきつく締め、拳を握りしめていた。
鬼平は動揺し、言葉を探すように何度も毛布を握り直していたが、それを見つけることはなかった。
「ごめん」
智香はそれだけ言って背を向けて走り去った。鬼平はそれを、ただ呆然と見ていることしかできなかった。智香を追う足は動かず、ベッドの上で呆けたまま、足早に遠ざかっていく智香の足音を聞いていた。
……智香がいなくなると、保健室は嘘みたいに静かになった。まるで、最初から智香なんていなかったみたいだった。
しばらく黙ったまま、鬼平は自分が何をしたのかもわからず、ただ自分の手を見て時間を潰していた。彼の口の中では言えなかった言葉がまだそこにいて、辛い物を食べたみたいにじんわりと滲んでその痛みを告げていた。
それ以外は、まるで自分の感情がすべて死んでしまったかのようだった。
それでも鬼平は呼吸をして、腰には痛みがあり、確かに生きていた。その身体は生きることを望んでいた。
やがて福田先生が帰ってきて、驚いた表情で「鈴本さんは帰ったの?」と聞かれた。鬼平は言葉を発しなかったが、ゆっくり頷いた。「帰れそう?」と聞かれ、これも頷いた。それ以上何も聞かれないうちに、一人で帰れることを伝えようとしてすぐに帰り支度を始めた。
鬼平が福田先生の言葉に頷かなかったのは、「家に電話をかけて説明しようか?」と提案された時だけだった。この時鬼平はわざわざ言葉にして、「いいです」と、やんわり断り、ボロが出る前に急いで靴を履いて、鞄を背負って、立ち上がった。痛みはあれど、鬼平はもう動けた。別にすぐ帰りたいわけではないが、他に帰る場所もなかった。
「気を付けて帰ってね」
福田先生にお辞儀をして、お世話になった保健室から出る時だった。本棚が目に入り、何気なく鬼平は目を滑らせた。このまま通り過ぎ、扉へと向かうつもりだった。だが、途中で、ある文字が彼を捉えた。
――「びんの悪魔」。
その本の名前を見た時、鬼平の精神は息を吹き返した。心臓は跳ね上がったかのように鼓動を早め、止まっていた汗も噴き出した。見間違えでないかと、何度も背表紙に書かれた文字を読んだ。間違いない、背表紙には、
「びんの悪魔 R.L.スティーブンソン」
とある。彼は震える指で、「びんの悪魔」の本を抜き取り、中をパラパラとめくった。するとすぐに、本に出てくる「びんの悪魔」が、鬼平が受け取ったものと同じであると気付いた。鬼平は、衝撃と興奮で口の渇きと身体の震えが止まらなくなった。その時だけは今日起きたすべてのことを忘れていた。本の結末部分を探してどん欲に目を動かし、ページをめくっていた。
「ん? どうしたの? 何かあった?」
だが、物語の結末にたどり着く前に(ゆっくりと楽しんで読むことなど、そもそもできなかったが)、福田先生が異変に気付いて、机からのけぞるようにこっちを見た。
鬼平は慌てて、本を閉じると、惜しいと思いながら、元あった位置に差し込んだ。それからまたお辞儀をすると、逃げるように保健室から去った。
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