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第5話 見なかったことにする場所
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北宮での日々は、同じ形をして流れていた。
朝は呼ばれる前に起き、
夜は何をしたか思い出せないまま眠る。
気づけば、王都に来た日のことを、
もう少し前の出来事のように感じていた。
朝。
侍女たちが小声で打ち合わせをしている。
「次は南側ね」
「……人数、足りてる?」
一瞬だけ、間が空いた。
年長の侍女が、視線を伏せたまま答える。
「問題ないわ。昨日から調整されてる」
それで話は終わった。
◇◇◇
昼前。
ララが廊下を進んでいると、向こうから足音が近づいてきた。
反射的に壁際へ寄り、頭を下げる準備をする。
その瞬間だった。
(……え?)
視界の端に映ったのは、見間違えようのない姿。
ミサラサ王太子。
北宮は原則、男子禁制。
立ち入りなど、許されるはずがない。
けれど王太子は迷いなく歩き、
居室区画へ、そのまま足を踏み入れた。
咎める声は上がらない。
警護も、
侍女長も、
誰ひとり、止めなかった。
皆、視線を逸らしている。
――見なかったことにしている。
しかし、ララは見てしまった。
開け放たれた扉の奥。
そこに、昨日までララの隣にいた侍女が立っていた。
視線が合う。
一瞬だけ。
彼女は、何かを言おうとして――
王太子の手が、静かに肩に置かれる。
侍女は、口を閉ざした。
(……連れこまれてる?)
甘ったるい香が漂い、皆が目を逸らす。
扉が閉まる。
何も見なかった。
何も聞かなかった。
そう振る舞うしか、ないかのようだった。
胸の奥が、思いがけず熱を帯びる。
「こんなのおかしい……」
つい、口から出ていた。
周囲の侍女たちが、こちらを見る。
その顔は青ざめ、
ただ、侍女長だけが顔を赤く歪ませていた。
つかつかと歩み寄り、言い放つ。
「私語厳禁です。……何もないのに、口を開かないこと」
「でもっ!」
「……口を開く許可はしていません。何もなかった、いいですね」
折れるしかなかった。
◇◇◇
午後。
侍女長が、淡々と告げる。
「昨日の人員変更について」
その場にいる全員が、背筋を正す。
「体調不良により、一名、実家療養です」
それだけ。
質問は出なかった。
空気も、動かなかった。
報告は、それで終わり。
おかしい。
おかしい。
おかしい。
でも、口にしたら、また叱られる。
口を真一文字に結んで耐えていると、
「ララ・シルヴェリス」
名を呼ばれ、肩が跳ねた。
侍女長が、珍しく笑顔を見せる。
「今日から、朝晩の入浴を許可します。済ませた後にこれを。……お分かりですね?」
近づき、香油を差し出される。
意味も分からず、
「え……、あの、そんなにお風呂に入っていて……いいのですか?」
その言葉に、侍女長はぷっと吹き出した。
「これだから、辺境の……。いえ、分からなくてもいいのです。いつでも、身体を綺麗にしておきなさい」
ぞっとするような笑みだった。
◇◇◇
夜。
熱い湯の中で、見知らぬ侍女たちに囲まれ、
まるで家畜の品評会のように、隅々まで粗い布でこすり上げられた。
個室の寝台に腰を下ろし、ララは自分の手を見つめる。
ここまでされたら、もう分かる。
私も、あの侍女のように――。
怖い。
けれど――
(……嫌だ)
ただ、
奪われること。
見なかったことにされること。
それを当たり前みたいに受け入れるのが、
どうしようもなく、嫌だ。
逃げたい。
どこから?
窓を見やる。
月明かりの先に、淡く佇む威容。
禁図書館――
(……あの、お姉ちゃん)
顔までは、思い出せない。
名前を思い出そうとする。
いや、無理だ。
最初から、名前を呼んだことがなかった。
そうだ、あの人は。
◇◇◇
「ララ、わたくし、お忍びで来ているの」
少女たちが、絵本を広げている。
一人は十歳ほど、
もう一人は、さらに小さいララ・シルヴェリス。
「お姉ちゃん、『おしのび』ってなあに?」
少女が、にこりと笑う。
「秘密ってことよ。誰にもね。だから、いつか、あなたが禁図書館に来たら、その時に名前、教えるね」
幼いララは目を輝かせた。
「お姉ちゃん、この絵本の騎士様みたいなこと言うね」
「あ、これ?」
二人は顔を見合わせ、にししと笑い、声を合わせる。
『そなたの危機に馳せ参じよう!
そのとき、そなたは我が名を知るであろう!』
朝は呼ばれる前に起き、
夜は何をしたか思い出せないまま眠る。
気づけば、王都に来た日のことを、
もう少し前の出来事のように感じていた。
朝。
侍女たちが小声で打ち合わせをしている。
「次は南側ね」
「……人数、足りてる?」
一瞬だけ、間が空いた。
年長の侍女が、視線を伏せたまま答える。
「問題ないわ。昨日から調整されてる」
それで話は終わった。
◇◇◇
昼前。
ララが廊下を進んでいると、向こうから足音が近づいてきた。
反射的に壁際へ寄り、頭を下げる準備をする。
その瞬間だった。
(……え?)
視界の端に映ったのは、見間違えようのない姿。
ミサラサ王太子。
北宮は原則、男子禁制。
立ち入りなど、許されるはずがない。
けれど王太子は迷いなく歩き、
居室区画へ、そのまま足を踏み入れた。
咎める声は上がらない。
警護も、
侍女長も、
誰ひとり、止めなかった。
皆、視線を逸らしている。
――見なかったことにしている。
しかし、ララは見てしまった。
開け放たれた扉の奥。
そこに、昨日までララの隣にいた侍女が立っていた。
視線が合う。
一瞬だけ。
彼女は、何かを言おうとして――
王太子の手が、静かに肩に置かれる。
侍女は、口を閉ざした。
(……連れこまれてる?)
甘ったるい香が漂い、皆が目を逸らす。
扉が閉まる。
何も見なかった。
何も聞かなかった。
そう振る舞うしか、ないかのようだった。
胸の奥が、思いがけず熱を帯びる。
「こんなのおかしい……」
つい、口から出ていた。
周囲の侍女たちが、こちらを見る。
その顔は青ざめ、
ただ、侍女長だけが顔を赤く歪ませていた。
つかつかと歩み寄り、言い放つ。
「私語厳禁です。……何もないのに、口を開かないこと」
「でもっ!」
「……口を開く許可はしていません。何もなかった、いいですね」
折れるしかなかった。
◇◇◇
午後。
侍女長が、淡々と告げる。
「昨日の人員変更について」
その場にいる全員が、背筋を正す。
「体調不良により、一名、実家療養です」
それだけ。
質問は出なかった。
空気も、動かなかった。
報告は、それで終わり。
おかしい。
おかしい。
おかしい。
でも、口にしたら、また叱られる。
口を真一文字に結んで耐えていると、
「ララ・シルヴェリス」
名を呼ばれ、肩が跳ねた。
侍女長が、珍しく笑顔を見せる。
「今日から、朝晩の入浴を許可します。済ませた後にこれを。……お分かりですね?」
近づき、香油を差し出される。
意味も分からず、
「え……、あの、そんなにお風呂に入っていて……いいのですか?」
その言葉に、侍女長はぷっと吹き出した。
「これだから、辺境の……。いえ、分からなくてもいいのです。いつでも、身体を綺麗にしておきなさい」
ぞっとするような笑みだった。
◇◇◇
夜。
熱い湯の中で、見知らぬ侍女たちに囲まれ、
まるで家畜の品評会のように、隅々まで粗い布でこすり上げられた。
個室の寝台に腰を下ろし、ララは自分の手を見つめる。
ここまでされたら、もう分かる。
私も、あの侍女のように――。
怖い。
けれど――
(……嫌だ)
ただ、
奪われること。
見なかったことにされること。
それを当たり前みたいに受け入れるのが、
どうしようもなく、嫌だ。
逃げたい。
どこから?
窓を見やる。
月明かりの先に、淡く佇む威容。
禁図書館――
(……あの、お姉ちゃん)
顔までは、思い出せない。
名前を思い出そうとする。
いや、無理だ。
最初から、名前を呼んだことがなかった。
そうだ、あの人は。
◇◇◇
「ララ、わたくし、お忍びで来ているの」
少女たちが、絵本を広げている。
一人は十歳ほど、
もう一人は、さらに小さいララ・シルヴェリス。
「お姉ちゃん、『おしのび』ってなあに?」
少女が、にこりと笑う。
「秘密ってことよ。誰にもね。だから、いつか、あなたが禁図書館に来たら、その時に名前、教えるね」
幼いララは目を輝かせた。
「お姉ちゃん、この絵本の騎士様みたいなこと言うね」
「あ、これ?」
二人は顔を見合わせ、にししと笑い、声を合わせる。
『そなたの危機に馳せ参じよう!
そのとき、そなたは我が名を知るであろう!』
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