十五歳、まだ名前を呼べなかった頃 〜メイリーン戦記・ララ編〜

水戸直樹

文字の大きさ
12 / 26

第12話 休館中

しおりを挟む
 翌朝。
 王宮西棟――禁図書館。

 石畳の外路を進むにつれ、使者の足取りは重くなっていた。

 花々に彩られた庭園を抜け、噴水の脇を通る。

 王国でもっとも美しいとされる庭園も、無理な任務を抱えていては目に入らない。

 王太子直々の命を帯びた訪問。
 それも、聖女エリカの署名入り命令書だ。

 断られるはずがない。
 そう、理屈の上では。

 だが――

「……休館中?」

 低く呟いた声が、石壁に吸われるように消えた。

 正面の扉には、簡素な木札が下がっている。

『臨時休館』

 それだけ。

 だが、近づいた瞬間に分かる。
 この建物は、ただ閉まっているのではない。

 壁面に刻まれた古代紋様。
 継ぎ目のない石組みは、刃も魔法も拒むように沈黙している。

 窓は曇りひとつなく、七色に光を弾くだけ。
 中を覗こうとしても、何も映らなかった。

(……重要書簡だ。声をかけぬわけにもいかん)

 使者は、意を決して扉の前に立つ。

 拳を握り、
 そっと、叩いた。

 ――コン。

 音は、返らなかった。

 扉に触れたはずの拳には、
 ずしり、とした重みだけが残る。

 もう一度。

 今度は、少し強く。

 ……やはり、音はしない。

 打ちつけた感触だけが、骨に伝わる。

(これは……鉄でも、青銅でもない……のか?)

 扉は、そこにある。
 だが、世界が一枚、隔てられているようだった。

 王宮には、暗黙の了解がある。

 ――禁図書館の名を口にするな。
 ――関係者と話すな。
 ――近づくな。

 ましてや、命令書を携えて訪れるなど、前例がない。

(……置いて帰るわけにもいかない)

 だが、扉の前に立ち続ける勇気もなかった。

 使者は、深く一礼すると、
 すごすごとその場を離れた。

 何も成さぬまま。

◇◇◇

 同じ頃。

 禁図書館の中には、穏やかな朝の光が射していた。

「ララ、こちらの棚もお願いできるかしら」

「はい! メイリーン様」

 分厚い書物の匂いと静かな空気に包まれていると、昨日まで胸を締めつけていた恐怖が、まるで遠い夢のように思えた。

 それでも、不安の影は完全には消えていない。王太子の顔や、侍女長の冷たい視線がふと脳裏をかすめる。

(私なんかがここにいて……メイリーン様の迷惑にならないだろうか)

 そんな思考を読み取ったかのように、司書長がふっと笑みを向けてきた。

「ララ、手が止まっているわ。悩むときこそ、手を動かすのよ」

 その軽やかな声に、不安がしゅるりとほどけていく。

 返事をして、ララは本を抱え直す。

 分厚い魔導書。

(……あれ?)

 最初は、一冊運ぶだけで、身体の奥から力が抜けていた。
 今は、まとめて運んでも、少し肩が張る程度だ。

 本を揃え、背表紙を整える。
 次に置く位置も、迷わない。

 考えるより先に、身体が動いていた。

 メイリーンが、ほんの一瞬だけララの手元を見る。

(いい集中力ね……それに……)

 小さく微笑み、立ち上がる。

「ここは任せてよさそうね。わたくしは奥の書庫に行ってきます」

「しょ、書庫……?」

「ふふ。いずれあなたも入ることになるかもしれないわ。頼りにしてる」

 その何気ない一言が、ララの胸の奥をぽっと温めた。

◇◇◇

「……渡せなかった?」

 報告を聞いた瞬間、ミサラサ王太子は立ち上がった。

「休館中? 馬鹿な! 誰も出てこなかっただと……」

 聖女エリカが、くすりと笑う。

「ふうん……ずいぶん大事に守られているのね。
たかが図書館のくせに」

 だが、王太子は笑えなかった。

 母に知られるわけにはいかない。
 禁図書館の名を出したと知れた瞬間、
 どれほど失望されるか、分からない。

 王宮を切り盛りするオデット伯も同じだ。
 禁図書館に繋げられる存在ではあるが――
 あの女の、味方だ。

(……こうなれば)

「……俺の兵を使う。口の固いものを選別し、人目のつかない夜に」

 絞り出すように言った。

◇◇◇

 夕刻。

 ララは作業を続ける。

 頭より、手を動かす。

 棚の奥へ進んだとき、ふと影が揺れた、気がする。

「……?」

 息を潜め、耳を澄ます。

 ……静寂。

(気のせい、だよね)

 自分に言い聞かせ、ララは仕事を続けた。

 休憩エリアの掃除を終え、ランプを灯した、その瞬間だった。

「ふがあっ」

「きゃあっ!?」

 ソファから跳ね起きた影。
 立派な白髭の老人だった。

「だ、誰ですか!?」

「わしは……まだ……読んで……おったのだ……むにゃ……」

 言い残して、再び沈む。
 規則正しい寝息。

 固まるララの横で、ため息が落ちた。

「このお爺ちゃん、常連さんなの」

 メイリーンだった。

「いつも、こうして寝て帰られるのよ」

「あ……そうなんですね……」

 司書長は、困ったように老人の肩をぽすぽす叩く。

「お爺ちゃん、もう夜ですよー。お部屋に戻りましょうねー」

 無反応。

 二人は顔を見合わせ、小さく吹き出した。

 笑顔のままメイリーンが告げる。

「こうなったら起きないから。もう、わたくしたちの夕食の支度しましょう」

「は、はいっ!」

「あのね……ドゥルセのケーキ、差し入れにもらったの。あとで一緒に食べましょう」

「……えっ、いいんですか、私まで」

「もちろんよ。行きましょう」

 二人は厨房へ向かうのだった。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

悪夢の未来視、オデットは義姉を切り捨てられない

水戸直樹
ファンタジー
私は未来を、夢で視る。 それは希望ではなく、 書き換えられない“確定した出来事”だった。 貴族の愛人の娘として生きてきた私、オデット。 伯爵家に迎え入れられるその日、 私はひとつの覚悟を決めていた。 ――この家で生き残るため、 義姉を切り捨てる。 それは、何度も夢で見てきた未来。 避けようのない、はずの選択だった。 けれど。 現れた義姉ジャイアナは、 私の知る“弱い義姉”とは、まるで違っていた。 二メートル近い体躯。 岩のような筋肉。 そして、疑うことを知らない真っ直ぐな心。 圧倒的な力を持ちながら、 真っ先に私を守ろうとする存在。 未来は、外れたのか。 それとも―― 間違っていたのは、未来を信じ切った私の方だったのか。 これは、 未来を視る軍師が、 「切り捨てる」という最初の判断を、 まだ選べずにいる頃の物語。 ※直接的な性描写はありませんが、 被害を想起させる表現が含まれます。

もしかして寝てる間にざまぁしました?

ぴぴみ
ファンタジー
令嬢アリアは気が弱く、何をされても言い返せない。 内気な性格が邪魔をして本来の能力を活かせていなかった。 しかし、ある時から状況は一変する。彼女を馬鹿にし嘲笑っていた人間が怯えたように見てくるのだ。 私、寝てる間に何かしました?

悪役令嬢の慟哭

浜柔
ファンタジー
 前世の記憶を取り戻した侯爵令嬢エカテリーナ・ハイデルフトは自分の住む世界が乙女ゲームそっくりの世界であり、自らはそのゲームで悪役の位置づけになっている事に気付くが、時既に遅く、死の運命には逆らえなかった。  だが、死して尚彷徨うエカテリーナの復讐はこれから始まる。 ※ここまでのあらすじは序章の内容に当たります。 ※乙女ゲームのバッドエンド後の話になりますので、ゲーム内容については殆ど作中に出てきません。 「悪役令嬢の追憶」及び「悪役令嬢の徘徊」を若干の手直しをして統合しています。 「追憶」「徘徊」「慟哭」はそれぞれ雰囲気が異なります。

英雄一家は国を去る【一話完結】

青緑 ネトロア
ファンタジー
婚約者との舞踏会中、火急の知らせにより領地へ帰り、3年かけて魔物大発生を収めたテレジア。3年振りに王都へ戻ったが、国の一大事から護った一家へ言い渡されたのは、テレジアの婚約破棄だった。 - - - - - - - - - - - - - ただいま後日談の加筆を計画中です。 2025/06/22

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

欠席魔の公爵令嬢、冤罪断罪も欠席す 〜メイリーン戦記〜

水戸直樹
ファンタジー
王太子との婚約――それは、彼に恋したからでも、権力のためでもなかった。 魔王乱立の時代。 王も公爵も外征に出ている王都で、公爵令嬢メイリーンは“地味な婚約者”として王城に現れる。 だが、王太子は初顔合わせに現れなかった。 にもかかわらず、記録に残ったのは「公爵令嬢の欠席」。 抗議はしない。 訂正もしない。 ただ一つ、欠席という事実だけを積み上げていく。 ――それが、誰にとっての不合格なのか。 まだ、誰も気づいていない。 欠席から始まる、静かなるファンタジー戦記。

悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる

竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。 評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。 身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。

聖女エーステリアの死

倉真朔
恋愛
聖女エーステリアはなぜ最愛の人に断罪されたのか。切ない物語です。 この作品は、カクヨム、小説家になろうにも掲載中。

処理中です...