十五歳、まだ名前を呼べなかった頃 〜メイリーン戦記・ララ編〜

水戸直樹

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第11話 禁じられた場所

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 王宮西棟――禁図書館。

 石造りのアーチの下、ララはティーカップを両手で包み込んでいた。

「……こんなに安心していられるなんて」

 思わず漏れた言葉に、向かいのメイリーンが柔らかく微笑む。
 しかしその頬は――

 もぐもぐもぐ。

 いっぱいにクッキーで膨れていた。

 ララの目線に気づくと、口を上品に拭きながら答える。

「んぐっ、大丈夫」

 ようやく飲み込み終わると、司書長は静かに言った。

「ここにいる限り、あなたを誰にも傷つけさせないわ」

 言い切った頬には、クッキーの欠片がついていた。

 その言葉が、ララの胸の奥をじんわり満たす。

(……ちょっと不思議な人だけど、優しいなぁ)

 気づけば、山のように盛られていたクッキーの皿は、もう空になっていた。

「さ、居住区画の案内するわね。行きましょうか」

「は、はい!」

「ふふ、きっと、吃驚するわよ」

 悪戯っ子のような笑みを浮かべるメイリーン。

 ララは小さく頷いて、立ち上がる。

 月明かりの下、二人は並んでいた。

◇◇◇

 同じ頃――
 北宮、聖女エリカの居室――その一角。

「……禁図書館、だと?」

 ミサラサ王太子の声が、明確に裏返った。

 机を叩く音が響く。

「そんな馬鹿な! あそこは――!」

 言いかけて、言葉が止まる。

 侍女長イザベルは、深く頭を下げたまま動かない。

「……申し訳ございません。
ですが、確かに……メイリーン様が、直接お連れになりました」

 空気が、張りつめる。

 まずい。
 あの女は――国王直属の監察使だ。

(……引きこもっていたはずなのに、なぜ、今更?)

「……連れ戻せ」

 絞り出すように言う。

「今すぐだ。
母上の侍女が許可なく連れ出されるなど、許されるはずがない」

 イザベルは、ほんの一瞬だけ迷った。

 だが、首を垂れたまま答える。

「……それは、難しいかと」

「なに?」

「禁図書館は、正式には……
メイリーン様の管理下にあります。
力づくで踏み込めば――」

「分かっている!」

 怒鳴り声が室内に響く。

「だからだ!
だから、まずいんだろうが!」

 王太子は立ち上がり、部屋を歩き回る。
 母である王妃の言葉が、脳裏をよぎる。

『あなたは、廃太子寸前です』

 だからこそ、隠し続けてきたはずだ。

 それが、まさか――。

「放っておけるはずがない……
あの女の手の内に、侍女が一人入ったままなど……!」

 “起きてはいけないこと”が起きたのだけは、確かだった。

 寝台の上。

 黒髪の女が、ゆっくりと身を起こす。

「……なぁに? うるさいわね」

 眠たげな声。
 だが、その瞳は冴えていた。

「聖女……」

 王太子が振り向く。

「禁図書館に、侍女が一人逃げ込んだ」

「あら」

 エリカは、くすりと笑った。

「その侍女って、ララよね? 今夜、来るはずだったでしょ?」

「……そうだ。メイリーンが連れて行った」

 その名を聞いた瞬間、
 エリカの笑みが、ほんのわずかに歪む。

「……あぁ、あの地味っていう女」

 指先で髪を弄びながら、つまらなそうに言う。

「ララさ。女神サマのご指名なんだよね。
私が味見しようと思ってたのに……」

 視線が、王太子へ向いた。

「勝手な真似、してくれたわね」

「エリカ」

 王太子は、低く言った。
 視線が、空白の羊皮紙へ向く。

「命令書を出す。形式さえ整えれば、連れ戻せる」

 エリカは、少し考えるふりをしてから、笑う。

「……じゃあ、その命令書。
私がサインしよっか?」

「なに?」

「禁図書館でも、監察使でも。
“聖女の名前”が出たら、無視できないでしょ?」

 王太子は、黙った。

 選択肢は、もうなかった。

◇◇◇

 同じ頃、禁図書館、宿泊室。

「どう、眠れそうかしら?」

 寝間着姿のメイリーンが、ふわりと声をかける。

「メイリーン様も、お泊まりになるんですか……? もしかして、私のために……」

「いいえ。調べ物で遅くなると、ここで寝泊まりするのは昔からよ」

「あっ、あの、シャワー。驚きました。
お湯が、あんなに簡単に出てくるなんて……!」

「ねっ! すごいでしょ!」

 案内された禁図書館は、驚きの連続だった。
 火の気はないのに、部屋は不思議と温かい。
 息を吸うたび、胸の奥まで澄んでいく。

 そして、なにより、司書長の人物。
 王族以外で、この国でもっとも地位の高い女性のはずなのに。

 ひとつも偉ぶることなく、当たり前のように接してくれる。

「そんなにかしこまらなくていいのに」

 ボヤきながら小さく肩をすくめる仕草さえ、どこか品があった。

(……やっぱり噂は嘘だよね。地味じゃないし、無愛想でもない)

「好きなだけ、ここにいるといいわ。
もし、ここで働く気になってくれたら、個室を用意するわね」

 さらりと言われたその一言に、ララはまた小さく息を呑む。

(……ここで働く選択肢も、あるの?)

 メイリーンがベッドへ入る音がする。
 すぐに静かな寝息が部屋を満たした。

 その穏やかな呼吸に、ララのまぶたもゆるやかに閉じていく。

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