わたしは今日死んで明日生きる

旭ガ丘ひつじ

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命を賭けるほどに価値あるもの

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彼女が赤ん坊を失って、家出をして一月以上が経った。
警官によると家族からの捜索願いはないそうだ。

家族に見捨てられた、彼女がそれを感じて落ち込んだ時間はまた長かった。
それでも彼と警官が二人して励まして、なんとか今日も生きている。

「今日は第四下層都市まで行く気だよね」

「ああ。もしかしたら、今日中には帰れないかも知れない」

「まあ生きて帰ってきたらそれでいいよ」

「寂しくなったらあいつに会いに行くといい」

「余計なお世話。とっとと行け」

「行ってくる」

「行ってらっしゃい」

彼女は彼の背中を見送って、それから洗濯に取りかかった。
シャワールームでしゃがみこんで黙々と衣服を揉み洗う。
湧き上がるように泡が立つ。

彼女はこうしていつも独りになると、数々の犯した罪を思い返す。
特にスラムの人を見下してよく遊んだ記憶が甦った。
相手も行為もどんどんと過激になって、ついに彼女は大人を相手にとんでもないことをしてしまった。
結果、赤ん坊ができて、罪を押し付けられた相手は誰かに殺された。
そして最近、彼女は自分の赤ん坊まで殺してしまった。

「ありがとう」

どうして首を締めた赤ん坊相手にそう言ったのか。
彼女は勝手に許された気でいた、というよりも許されたかった。
ずっと優しさを希うもそれはかなわず、ずっと罪の呵責に悶えてきた。
自暴自棄になって死ぬことを考えたこともある。
でも今の自分には、自分を受け入れ、普通に接してくれる人がいる。
だから許されなくても生きている。
生きて罪を償わなくちゃならない。

わたしはどうしても生きなきゃならないんだ。

その決意で頭痛や胸の痛み、嘔気を、また無理矢理に押さえ込んだ。
彼女は袖で目を拭って、衣服を強く強く力を込めて洗う。
泡がひとつ膨らんではひとつ消えた。

 その折、彼は元財閥の所有物であるエレベーターを利用して、第三下層都市へ無事に降り立った。
そこでまず、彼は以前に訪れた映画館のある建物を覗き込んだ。
そこにあの怪物の子供はいなかった。
食われたか、成長して生きているのか、どちらにせよ危機感は募り警戒心は高まった。
慎重に進んで、やがて現れた大きな穴から繋がるビルの一室へと滑り降りる。
ここも以前と変わりはなく、人の立ち入った痕跡がないことに一先ず安心した。

それから各階を調査しながら一階へと向かうが、これといった目新しいものは何もなかった。
一階に辿り着くと、床には足首より上まで水が張っていた。
どうもこの辺り一体は浸水しているらしい。

音をなるべく立てないよう静かに移動して、入り口の傍らに身を隠す。
懐中電灯を以てそっと辺りを照らすと、やはり辺りは水浸しで、ビルには植物が這っていた。

怪物の姿はない。
そう油断した時、おぞましいものを彼は見つけてしまう。
斜め向かいのビルに、びっしりと巨大物体が張りついていたのだ。
それは人の大きさを遥かに越える巨体に幾何学模様の溝のある丸い殻のようなものを背負っていて、正体が何なのかまったく分からないが、とにかく近づかないことに越したことはない。
彼はそれとは反対の方向へと歩き出した。

彼が一歩進むごとに、水の跳ねる音が闇に大きく反響した。
これは非常にまずいことだと判断した彼は慌てて隣のビルへ避難した。
この下層都市を調査することは、今までになくかなり難しいことになるだろう。
何か手はないか、彼はこのビルを探索しながら考えることにした。

怪物の住む痕跡は幸いなことに見当たらない。
ビル内部にはヒビが入っていて、植物が中にまで侵食していた。
サーベルで邪魔な植物を切り捨てながら階段を上がる。
二階、幾つかあるうちの部屋のなかから、最も近い部屋に入った。
ほとんど片付いていたが、コンピューターはあったし、資料も残されていた。
その一冊を読んでみると、ここが鉄道会社であることが分かった。
鉄道、それは鉄のレールを走る乗り物だ。
図鑑でしか見られず、現在は無い。

どうもそれに乗るための駅という場所が近くにあるらしい。
路線図とやらを机の上に広げると、鉄道はある場所を中心にして幾重にも円を描いていた。
彼は、とりあえずその中心に向かって見ようと考えた。
資料をリュックに仕舞い、ここの探索は今度にして中心を目指すことにした。
彼の胸に先ほどまでの不安はない。
むしろ期待に興奮していた。

さっそくビルから出て駅を目指す。
警戒しながらもとにかく急いで進んだ。
闇には、やっぱり水の跳ねる音が大きく反響した。

 時間にして数十分は歩いた。
大事もなくたどり着いたそこには駅名が書かれたアーチがあり、階段が下へと続いていて、そこを水が緩やかに流れていた。
懐中電灯を下に向けると、光は突き当たりを照らした。
階段は途中で曲がっているらしく、これは降りてみない限り中の様子は伺えそうにない。

ここで、闇に反響する僅かな音を聞き取った。

何かがこちらへ近付いて来ているようだ。
彼は迷うことなくとっさに階段を降りて行った。
その先、広い空間に出た。
広告が貼られた柱が並び、天井には空が描かれていた。
背後に気を付けるも音は着いてきていない。
彼は継続して警戒しながら奥へと進む。

さらに階段を降りると、レールが何本も伸びる空間を見つけた。
奇跡か、青く塗られた列車がひとつだけ残されていた。
端まで六両連なっていて、初めて見る列車に彼はとにかく興奮した。

さっそく中へと入ってみる。
明かりで照らすと、向かい合う座席が規則正しく置かれていた。
その最奥、光が何かに反射する。

目を凝らすと左右に三つずつ並ぶ目があった。
最悪なことに、車両の天井にへばりつく怪物を発見してしまった。
不気味に光沢を帯びた毛のない黄色い体は、人よりかは小柄でふっくらとしており、呼吸する度に大きくへこんだり膨らんだりしていて気味が悪い。
また、先の丸い足は六つあって、それぞれは半透明の膜のようなもので繋がっている。

彼は息を飲んだ。
飛びかかってくる可能性は大きい。
まず、そっと身を屈めた。
そこへ突然、人間の悲鳴が響き渡る。
それに反応した怪物が腹を平らにして勢いよく滑空した。
彼の頭上を通り過ぎて車外へと見事に飛び抜けた。
身を屈めたことは正解だった。
彼はそのまま外部の危険を探る。

外部には人間の姿があった。
さっきの怪物は数えて八匹に増えていた。
男が四人、全員ハンドガンを構えて応戦しているが、跳躍と滑空を駆使して翻弄する怪物に苦戦している。
明かりが怪物の動きを追いかけて無茶苦茶に揺れている。

ここで、怪物の一体が尻から赤い何かを伸ばして男を一人捕らえた。
彼らの口は尻にあった。
男は断末魔を上げながら、そのまま生きて丸呑みにされてしまった。
一方で怪物の数も減っていた。
怪物と戦う人間、奴等は間違いなく手練れだ。
そう察して、彼はこの場から逃走するために車両から車両へと移動を開始した。

ところが、一つ二つと移動したところで彼も怪物と対峙してしまう。
怪物は天井に飛び上がり彼に尻を向けた。
とっさに避ける間もなく赤い舌に腹を捕らわれる。
ヨダレにまみれた舌は生ぬるく力強い。
逃げられないと判断して、何とかサーベルを抜いた。
サーベルは鞘から抜けるときに赤い舌を切り裂いた。
舌は悪臭のする血を散らして撤退したが傷は浅い。
彼は逃げようとする舌にサーベルを突き立てた。
刃は舌を貫通した。
逃がすまいとそのまま床まで深く突き刺す。
天井から落ちて痛みに暴れる怪物、その全身へハンドガンを何発も撃ち込み、絶命するのを身を縮めて待った。

 やっと静寂が訪れたが危険は去っていなかった。
彼は二人の男に見つかり、車両から乱暴に引きずり下ろされた。

「お前は探求家だろう」

髪の長い男が奪い取ったサーベルを彼の首へ当てながらきく。

「そうだ」

「俺達はお前が利用したエレベーターの所有主の使いだ」

財閥という権力が所有していたエレベーター。
こういう事態もあろうと予想して気を付けてはいたが、まさかこんなことになろうとは。
彼は、クソ、と怒りを漏らした。

「勝手に商売されたら困るんだ」

「悪かった。もうしない」

両手を上げて降参する彼の足へハンドガンから放たれた針が刺さる。
ためらうことなく撃ったのはもう一人の男だ。

「お前……!」

憎しみをあらわにする彼の体がサーベルで容赦なく切りつけられた。
血が吹き出し、燃えるような怒りと焼けるような痛みが末端まで駆け巡る。

「クソ!お前ら殺してやる!!」

床に転がって叫ぶ彼の体を、二人は全力で何度も蹴っては切りつけた。
抵抗できないほど毒の回りが速い。
全身は麻痺して痛みだけが増す。



彼は千切れた首飾りを差し出して、朦朧とする意識の中で必死に助けを乞う。
自分の夢はもういい。けれど。
生きて彼女の夢は叶えなければならない。



ついに口から血の泡を吹いて全身が跳ねるほどにケイレンを起こす。
無惨な最後に聞こえたのは死ねという言葉と嘲笑の残響だった。

「優希ちゃん」

呼ばれて、ベッドの上でハッと目を覚ます。
ぼんやりしたまぶたの向こうには嫌いな警官の顔がこちらを覗きこんでいた。

「あ、金くれる汚職警官。痴漢にきたんだきもっ」

「お前は、いつになったら心を開いてくれるのかね」

警官は呆れたと態度で示しながら側にある椅子に腰掛けた。

「あんたのこと嫌いだからずっとないんじゃない」

「へーそうかね。それよりもアドルフはどうした。もう夕刻だぞ」

「今日は帰んないかもて」

彼女は欠伸をして、プリンが冷蔵庫にもうないことを思い出した。

「帰って来なきゃ困るな……」

「だって寂しいんだもん」

と、ふざけて笑う警官に枕を投げつけて怒鳴る。

「きしょいんだよバカ!」

「アドルフとは、もう友達になれたかね」

「は?急に何言ってんの」

「どうだね」

「なってないし。なるつもりなんてありません」

「そう言わずにだ。帰ったら、ぜひ友達になってあげてほしい」

「なんで」

「彼も寂しがりやだからね」

「なにそれちょーうける」

壁を向いたまま適当に返す彼女に対して、警官は真剣に、それでも優しくもう一度頼んだ。

「分かった。帰ってきたらね」

それから翌日になっても、三日が過ぎて一週間が経っても、一年が過ぎてまた一年と過ぎても。
彼が帰ってくることはなかった。
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