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ゆとり教育症候群
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僕は5階建てのアパートを階段で2階まで上がる。1階ではクリーニングの店舗があり3階から上は住居となっている。僕は2階に辿り着くと重たい引き戸に手を掛けて鈍い音を鳴らした。
「お疲れ様です。」
ドアのすぐ近くにたまたま立っていた塾長が声を掛けてくれた。僕はすぐさまお疲れ様です、と返答した。
「本日荒木先生は同じ中学生3人、ぶっ通しで3コマ担当して頂きます。」
塾長が僕に向かって言ってきた。ここは学習塾で大学生である僕はここでアルバイトをしている。小学生、中学生向けだが時間帯的に中学生が多い日だ。個別指導塾であり、大体一コマに3人程度を同時進行して見る。
僕はこの仕事を始めてもう1年になる。その中でふと疑問に思ったことがある。それは、生徒の字が汚すぎることだ。勿論僕が中学生の頃はもう10年近く前のことなのでそれが自分の勘違いであることも考えていた。しかしそれにしても生徒の字はもはや読むことがそもそも難しい領域にまで達していたのだ。
そうこうしていると17時半からの僕にとっての1コマ目が始まりそうなので、急いで担当する生徒のファイルを持って机に向かいそれぞれの授業日報から本日行う内容を確認する。
座席は机が4つ全てぴったりくっついており、僕が着席した頃には生徒は全員座っていた。チャイムが鳴り宿題をチェックし、それぞれの授業を進めていく。
生徒は眼鏡を掛けたおとなしい女の子と野球部で坊主で礼儀正しい男の子と、少しはっちゃけて私語多めの男の子の3人であり、全員同じ中学校の同級生であったためそれぞれで会話することがあった。
「先生わかんないーー」
はっちゃけた男子生徒が助けを求めてきて、どれどれとその子の手元を見る。やり方を一通り教えて、その子がきちんと手を動かせるか眺めていた。
丁寧に教えたからか、その子の持つシャープペンシルはスムーズに動いている。その子の手の動きをじっと見ていると、ペンを持つ右手の形に少し目がいった。親指、中指、そして薬指を使ってペンを挟んでおり、普通より腕を大きく動かしてノートに文字を書いているのだ。ペンの持ち方が悪いため案の定字は読めるか読めないかのギリギリをいくほど汚くなっている。
「ちょっと、ペンの持ち方どうなってるのよ、それ。」
あまりに気になったため、心の底からの疑問を投げかけてみた。
「え?なんか変?」
そもそも自覚すらしていなかった事に一瞬呆れたが、いや変だよと言いながらその子の手に触れ正しい持ち方に右手の形を変えてペンをそこにセットした。
「なにこれ持ちにくいーー。」
「持ちにくいも何もそれが正しい持ち方なんだから。ペンをまともに持てないと将来恥ずかしい思いするから早めに直しな。」
「別に読めればいいじゃん。」
僕はこの言葉に衝撃を受けた。確かに字など読めればそれ以上でも以下でもないが、この中学生はペンの持ち方がどうでもいいことだと思っているのか。
日本人はこのようなペンや箸の持ち方を非常に気にすると思っていた。そのため僕自身も親から厳しく言われてペンや箸の持ち方を幼い頃に矯正されてきた。
そもそも日本人がこのようなマナーを気にするのは日本人の秩序、そして調和がここから生まれるからだ。
日本というのは特殊な国で世界屈指の歴史と伝統を持ち、時に争うことはあれど「和を以て貴しと為す」という調和の心をもってきた。
西洋などの他国でも勿論調和の心はあったとは思うが日本のこれはそれとは訳違う。西洋などではキリスト教、いわば神様という存在を皆が信仰することによって調和がなされていた。しかし日本は宗教などというものに頼らずともそれと同等、またはそれ以上の調和が作られてきたのだ。
大地を守り、先人に感謝をし、対立した者も互いに尊重し合い、そのような文化観によって秩序が生まれ、その結果に調和が生み出されたのだ。
ペンや箸の持ち方もそのうちの一つだ。つまり今の現代っ子代表の中学生はこの些細な伝統を守ることに意義を見つけ出せていないのだ。
しかしふと僕も自分が中学生の頃にそんなこと思ったか、と疑問に思った。確実に文化がどうとか、先人がどうとか、秩序がどうとかなどという理由から今正しくペンや箸を持てている訳ではない。正しく持つことに意義を見つけられないながらに、母親に躾られたのだ。正しく持つ意味を口で言うのではなく、強制的に形から入らされたのだ。
そんなことを思いながら野球部の礼儀正しい男子生徒の手元を眺める。人差し指の位置が極端に高く、ペンをノートとほぼ垂直にして書いている。やはり字は汚い。
もう一人の大人しい女の子は流石にそんなことなかろうと期待して手元を見るが、人差し指と親指でペンをつまむようにして持っている。3人全員が持ち方が変だなんてことがあるのだろうか。少なくとも僕が中学生の頃にペンや箸を正しく持つことができない生徒なんていただろうか。
いや、おそらくいないだろう。ペンはともかく箸の持ち方が汚い人は最早盛大にいじっていた。ここにいる3人はペンすらまともにもつことができない、となるとおそらく箸もごちゃごちゃとした持ち方だろう。
年齢がわずか10個ほどしか違わないのに、何がそんなに違うのだろう。おそらく、親だろう。
このようなペンや箸の持ち方などというのは学校では習わないし、たとえ習ったとしても矯正されるまでいかないだらう。となると、家で親が幼い頃からいかに口酸っぱく指摘したかに懸かってくる。そもそも人間など始めはクレヨンをグーで握るところからスタートしているので、親に矯正されない限りそもそも正しい持ち方すら知ることができない。
では今の中学生の親はこれを教えていないということになる。そこで、中学生の親世代の年齢を概算してみた。今の中学生が12歳から15歳で、親が25歳で出産してるとなると2025年現在に30代後半から40代前半程度だ。つまり生年月日の西暦でいくと1990年前半程度となる。
そこで僕ははったした。これはゆとり教育ドンピシャなのだ。ゆとり教育の始まりは1987年であり、そこから10年ほどやっていたが、学力の低下が顕著であったことからすぐに打ち切られ、逆に現在では教育を重視した政策を推し進めている。
僕は一人納得したと同時にチャイムが鳴り、1コマ目が終わった。次も同じメンバーで授業を進めるから10分休憩して続きも頑張ろうと僕は言うと、普段おちゃらけめいる男子生徒が少し落ち込んだかのような表情で、体調が悪いから帰りたいと言ってきた。
すぐに塾長に伝達し、この10分休みの間にすぐ帰る手引きとなった。
そうこうしているうちに2コマ目が始まり、一人減った2人の生徒を担当することとなった。
しばらくすると塾の電話が鳴り、パソコンで作業していた塾長がすぐにその電話を手に取り、教室の奥の小部屋に行ってしまった。数分すると塾長は切れたであろう電話を手に持ち、こちらに近付いてきた。
「荒井先生、ちょっとこちらへ。」
と、授業中の僕を奥の小部屋へ呼んできた。
「ただ今、先ほど早帰りした佐藤くんのお母さんからクレームが入りました。」
神妙な面持ちだ。先ほど体調が悪いと早く帰った生徒のお母さんからの電話だったらしいが、クレームが入ることなどしたかな、と少し先ほどの授業を思い出してみる。
「どうやら佐藤くんが、ペンの持ち方についてかなりキツく言われたそうで、それに傷付いて体調が悪いふりして早く帰ったそうです。」
塾長は淡々と述べる。
「いや、厳しくは全然言ってないですよ。ただペンの持ち方を少し指摘しただけです。」
僕は自分の言った口調もそんなに強くなかったし、特にそれについて叱るようなことも一切していなかったことを記憶から確認し、そう発言した。
「んー、まあそうでしょうけどね。ただ言われた方がかなり厳しく受け取ってしまったかもしれないので、佐藤くんのペンの持ち方にはノータッチでいきましょう。またクレームが言われても面倒なので。」
塾長は僕に寄り添ってはくれたが、それでいいのかとは正直思う。ペンの持ち方はある意味当たり前の範疇である。挨拶とか、時間を守るとか、そういう秩序を秩序たらしめるには一人一人が守っていくことが必要なのだ。
しかし、あの程度で厳しく言われただなんて、これまで人に怒られたことはなかったのかと、僕も僕で少し引っかかった。
「まあそんなに気にすることでもないので、荒井先生は授業に戻って下さい。」
僕は奥の小部屋から塾長と一緒に出て、授業をする机に戻った。
そういえば、数年前に母が言っていた言葉を思い出した。僕には5つ下の弟がおり、その弟が小学生の頃に母は授業参観に行ったそうだ。その時、先生は男子生徒であろうが女子生徒であろうが必ず苗字に「さん」をつけて生徒を呼び、生徒同士もそのようにすることを義務付けたらしいのだ。
教師にビシバシ育てられ、給食も放課後まで居残りして完食してた世代に生きてきた母はこの光景になんだか気味悪さを感じたそうだ。弟にも尋ねてみると、普段からこのような様子らしい。どうやらあだ名がいじめを助長するからという理由で、あだ名呼びを禁じたとこらから始まったらしい。そのうち女子を呼び捨てにするのは威圧感があって怖いと学校に保護者からクレームがあり、女子生徒を名前に「ちゃん」を付けて呼ぶようになったらしい。すると今度はちゃん呼びな気持ち悪いだかなんだかで名前に「さん」を付けて呼ぶようになった矢先、名前呼びは馴れ馴れしすぎるとのクレームで苗字に「さん」を付けて呼ぶことが定着したらしい。
それと同時に今度は男子が女子と呼び方が違うのはどうなのかとのクレームで全員がこの呼び方になったらしい。
また僕が小学生の頃は先生に怒られたら罰として廊下に立たされたり、宿題を忘れたら机ごと廊下に出されて宿題を終わらせるまで授業に参加できなかったりもしたが、そのようなこともまるでないらしい。
ゆとり世代は学校で生ぬるい教育を受けてきた。しかしゆとり世代の親はきちんと伝統や文化を尊重して育て上げられたに違いない。しかし親になったゆとり世代は子供にこれらの大事さを伝えていない。
「個性を大事に」が常套句だったゆとり世代は自分の子供のペンの持ち方も個性の一つだとでも捉えているのだろう。だから家庭でそれを矯正せず、子供は中学生というもう元に戻らない年齢にまでなってしまったのだ。
中学生にはもちろん罪はないと思う。ただただ同情するのみだ。学校でも、家庭でも甘ったるい環境で甘ったるい教育を受けてきたらそれはそうなる。
ゆとり教育の失敗は、ゆとり世代にではなくゆとり教育を受けて育った人々の子供に影響を与えているのだと、ペンの持ち方一つから感じることができるのは、ある意味ペンの持ち方が日本の伝統であることの証明なのだろうか。
「お疲れ様です。」
ドアのすぐ近くにたまたま立っていた塾長が声を掛けてくれた。僕はすぐさまお疲れ様です、と返答した。
「本日荒木先生は同じ中学生3人、ぶっ通しで3コマ担当して頂きます。」
塾長が僕に向かって言ってきた。ここは学習塾で大学生である僕はここでアルバイトをしている。小学生、中学生向けだが時間帯的に中学生が多い日だ。個別指導塾であり、大体一コマに3人程度を同時進行して見る。
僕はこの仕事を始めてもう1年になる。その中でふと疑問に思ったことがある。それは、生徒の字が汚すぎることだ。勿論僕が中学生の頃はもう10年近く前のことなのでそれが自分の勘違いであることも考えていた。しかしそれにしても生徒の字はもはや読むことがそもそも難しい領域にまで達していたのだ。
そうこうしていると17時半からの僕にとっての1コマ目が始まりそうなので、急いで担当する生徒のファイルを持って机に向かいそれぞれの授業日報から本日行う内容を確認する。
座席は机が4つ全てぴったりくっついており、僕が着席した頃には生徒は全員座っていた。チャイムが鳴り宿題をチェックし、それぞれの授業を進めていく。
生徒は眼鏡を掛けたおとなしい女の子と野球部で坊主で礼儀正しい男の子と、少しはっちゃけて私語多めの男の子の3人であり、全員同じ中学校の同級生であったためそれぞれで会話することがあった。
「先生わかんないーー」
はっちゃけた男子生徒が助けを求めてきて、どれどれとその子の手元を見る。やり方を一通り教えて、その子がきちんと手を動かせるか眺めていた。
丁寧に教えたからか、その子の持つシャープペンシルはスムーズに動いている。その子の手の動きをじっと見ていると、ペンを持つ右手の形に少し目がいった。親指、中指、そして薬指を使ってペンを挟んでおり、普通より腕を大きく動かしてノートに文字を書いているのだ。ペンの持ち方が悪いため案の定字は読めるか読めないかのギリギリをいくほど汚くなっている。
「ちょっと、ペンの持ち方どうなってるのよ、それ。」
あまりに気になったため、心の底からの疑問を投げかけてみた。
「え?なんか変?」
そもそも自覚すらしていなかった事に一瞬呆れたが、いや変だよと言いながらその子の手に触れ正しい持ち方に右手の形を変えてペンをそこにセットした。
「なにこれ持ちにくいーー。」
「持ちにくいも何もそれが正しい持ち方なんだから。ペンをまともに持てないと将来恥ずかしい思いするから早めに直しな。」
「別に読めればいいじゃん。」
僕はこの言葉に衝撃を受けた。確かに字など読めればそれ以上でも以下でもないが、この中学生はペンの持ち方がどうでもいいことだと思っているのか。
日本人はこのようなペンや箸の持ち方を非常に気にすると思っていた。そのため僕自身も親から厳しく言われてペンや箸の持ち方を幼い頃に矯正されてきた。
そもそも日本人がこのようなマナーを気にするのは日本人の秩序、そして調和がここから生まれるからだ。
日本というのは特殊な国で世界屈指の歴史と伝統を持ち、時に争うことはあれど「和を以て貴しと為す」という調和の心をもってきた。
西洋などの他国でも勿論調和の心はあったとは思うが日本のこれはそれとは訳違う。西洋などではキリスト教、いわば神様という存在を皆が信仰することによって調和がなされていた。しかし日本は宗教などというものに頼らずともそれと同等、またはそれ以上の調和が作られてきたのだ。
大地を守り、先人に感謝をし、対立した者も互いに尊重し合い、そのような文化観によって秩序が生まれ、その結果に調和が生み出されたのだ。
ペンや箸の持ち方もそのうちの一つだ。つまり今の現代っ子代表の中学生はこの些細な伝統を守ることに意義を見つけ出せていないのだ。
しかしふと僕も自分が中学生の頃にそんなこと思ったか、と疑問に思った。確実に文化がどうとか、先人がどうとか、秩序がどうとかなどという理由から今正しくペンや箸を持てている訳ではない。正しく持つことに意義を見つけられないながらに、母親に躾られたのだ。正しく持つ意味を口で言うのではなく、強制的に形から入らされたのだ。
そんなことを思いながら野球部の礼儀正しい男子生徒の手元を眺める。人差し指の位置が極端に高く、ペンをノートとほぼ垂直にして書いている。やはり字は汚い。
もう一人の大人しい女の子は流石にそんなことなかろうと期待して手元を見るが、人差し指と親指でペンをつまむようにして持っている。3人全員が持ち方が変だなんてことがあるのだろうか。少なくとも僕が中学生の頃にペンや箸を正しく持つことができない生徒なんていただろうか。
いや、おそらくいないだろう。ペンはともかく箸の持ち方が汚い人は最早盛大にいじっていた。ここにいる3人はペンすらまともにもつことができない、となるとおそらく箸もごちゃごちゃとした持ち方だろう。
年齢がわずか10個ほどしか違わないのに、何がそんなに違うのだろう。おそらく、親だろう。
このようなペンや箸の持ち方などというのは学校では習わないし、たとえ習ったとしても矯正されるまでいかないだらう。となると、家で親が幼い頃からいかに口酸っぱく指摘したかに懸かってくる。そもそも人間など始めはクレヨンをグーで握るところからスタートしているので、親に矯正されない限りそもそも正しい持ち方すら知ることができない。
では今の中学生の親はこれを教えていないということになる。そこで、中学生の親世代の年齢を概算してみた。今の中学生が12歳から15歳で、親が25歳で出産してるとなると2025年現在に30代後半から40代前半程度だ。つまり生年月日の西暦でいくと1990年前半程度となる。
そこで僕ははったした。これはゆとり教育ドンピシャなのだ。ゆとり教育の始まりは1987年であり、そこから10年ほどやっていたが、学力の低下が顕著であったことからすぐに打ち切られ、逆に現在では教育を重視した政策を推し進めている。
僕は一人納得したと同時にチャイムが鳴り、1コマ目が終わった。次も同じメンバーで授業を進めるから10分休憩して続きも頑張ろうと僕は言うと、普段おちゃらけめいる男子生徒が少し落ち込んだかのような表情で、体調が悪いから帰りたいと言ってきた。
すぐに塾長に伝達し、この10分休みの間にすぐ帰る手引きとなった。
そうこうしているうちに2コマ目が始まり、一人減った2人の生徒を担当することとなった。
しばらくすると塾の電話が鳴り、パソコンで作業していた塾長がすぐにその電話を手に取り、教室の奥の小部屋に行ってしまった。数分すると塾長は切れたであろう電話を手に持ち、こちらに近付いてきた。
「荒井先生、ちょっとこちらへ。」
と、授業中の僕を奥の小部屋へ呼んできた。
「ただ今、先ほど早帰りした佐藤くんのお母さんからクレームが入りました。」
神妙な面持ちだ。先ほど体調が悪いと早く帰った生徒のお母さんからの電話だったらしいが、クレームが入ることなどしたかな、と少し先ほどの授業を思い出してみる。
「どうやら佐藤くんが、ペンの持ち方についてかなりキツく言われたそうで、それに傷付いて体調が悪いふりして早く帰ったそうです。」
塾長は淡々と述べる。
「いや、厳しくは全然言ってないですよ。ただペンの持ち方を少し指摘しただけです。」
僕は自分の言った口調もそんなに強くなかったし、特にそれについて叱るようなことも一切していなかったことを記憶から確認し、そう発言した。
「んー、まあそうでしょうけどね。ただ言われた方がかなり厳しく受け取ってしまったかもしれないので、佐藤くんのペンの持ち方にはノータッチでいきましょう。またクレームが言われても面倒なので。」
塾長は僕に寄り添ってはくれたが、それでいいのかとは正直思う。ペンの持ち方はある意味当たり前の範疇である。挨拶とか、時間を守るとか、そういう秩序を秩序たらしめるには一人一人が守っていくことが必要なのだ。
しかし、あの程度で厳しく言われただなんて、これまで人に怒られたことはなかったのかと、僕も僕で少し引っかかった。
「まあそんなに気にすることでもないので、荒井先生は授業に戻って下さい。」
僕は奥の小部屋から塾長と一緒に出て、授業をする机に戻った。
そういえば、数年前に母が言っていた言葉を思い出した。僕には5つ下の弟がおり、その弟が小学生の頃に母は授業参観に行ったそうだ。その時、先生は男子生徒であろうが女子生徒であろうが必ず苗字に「さん」をつけて生徒を呼び、生徒同士もそのようにすることを義務付けたらしいのだ。
教師にビシバシ育てられ、給食も放課後まで居残りして完食してた世代に生きてきた母はこの光景になんだか気味悪さを感じたそうだ。弟にも尋ねてみると、普段からこのような様子らしい。どうやらあだ名がいじめを助長するからという理由で、あだ名呼びを禁じたとこらから始まったらしい。そのうち女子を呼び捨てにするのは威圧感があって怖いと学校に保護者からクレームがあり、女子生徒を名前に「ちゃん」を付けて呼ぶようになったらしい。すると今度はちゃん呼びな気持ち悪いだかなんだかで名前に「さん」を付けて呼ぶようになった矢先、名前呼びは馴れ馴れしすぎるとのクレームで苗字に「さん」を付けて呼ぶことが定着したらしい。
それと同時に今度は男子が女子と呼び方が違うのはどうなのかとのクレームで全員がこの呼び方になったらしい。
また僕が小学生の頃は先生に怒られたら罰として廊下に立たされたり、宿題を忘れたら机ごと廊下に出されて宿題を終わらせるまで授業に参加できなかったりもしたが、そのようなこともまるでないらしい。
ゆとり世代は学校で生ぬるい教育を受けてきた。しかしゆとり世代の親はきちんと伝統や文化を尊重して育て上げられたに違いない。しかし親になったゆとり世代は子供にこれらの大事さを伝えていない。
「個性を大事に」が常套句だったゆとり世代は自分の子供のペンの持ち方も個性の一つだとでも捉えているのだろう。だから家庭でそれを矯正せず、子供は中学生というもう元に戻らない年齢にまでなってしまったのだ。
中学生にはもちろん罪はないと思う。ただただ同情するのみだ。学校でも、家庭でも甘ったるい環境で甘ったるい教育を受けてきたらそれはそうなる。
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