桜に酔いし鬼噺

末千屋 コイメ

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第十一話

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◆◇◆◇◆◇
 桜が一つ、二つ、咲き始めている。満開になれば得も言われぬ美しさだろう。母様の好きだった景色まで後もう少しと言ったところだ。見世の行燈で照らされた夜桜の美しさに見惚れない者はいない。植木屋の高田の長衛門は素晴らしい働きをする。……噂にしか名を聞いた事はないが。
「おーい、小焼」
「喧しい、黙ってろ」
「おいおい。父様はまだ何も話してないだろ!」
「で、何の用ですか?」
「新しい細見を買ってきたぞ」
 父様はそう言うと紙を差し出してきた。吉原の各妓楼の場所や女郎の格、名が記されている。きちんと今まで見たことなかったが……事細かに記されているので、細見という名は真のようだ。
「ほら見ろ、ここだ」
「ああ……あの子ですね。昼夜金二分の座敷持ざしきもち……」
 思っていたよりも格が高い。昼三の次の位だ。
 錦が呼び出し昼三で金一両一分と考えると、まだ彼女の揚代あげだいは安いが……外にいる夜鷹は一晩二十四文と聞いたことがある。蕎麦一杯の値段で身体を売っているのは何とも言えないな……。
「凄いなぁ。番付だと昼三の文乃に次いで三番だぞ。文乃は島原から来た子だったはずだ」
「はぁ……」
「そいつはさておき、あの飴、景一に渡さなくて良いのか? 父様が食べて良いのか?」
「食べないでください」
「小焼。爪噛んでるぞ」
「……」
 また噛んでしまっていたか。右手の人差し指の爪が三日月のように欠けている。左手は五日程経つと痛みも薄れてきた。それでも衝撃が加わると痛いが。
 父様はニカッと笑うと手を打った。きっとろくな事を考えていない。面倒な事になるに違いない。
「よし。今夜会いに行ってやるか」
「勝手に決めないでください」
「まあまあそう言ってやるな! 景一の客は三日も空けずにまた通うと聞くじゃないか。お前は何日空けてるんだ?」
「ひいふう……五日ですね……」
 指を折って数える。あれから雪次の姿も見ていないな。用事も無いから良いか。
「そりゃあ、景一もきっと淋しがっているぞ。会いに行ってやろう! 飴も渡してやりたいだろ?」
「それは……そうですが……」
 なんやかんやで行く機会を逃していたので、丁稚達に褒美としてあげても良いと思っていたんだが。
 これは……もしかすると……既に話を通しているのでは?
「父様。もしかして、既に茶屋に話を通しているんですか?」
「おおっ! さすが小焼! 痛っ!」
 近くに置いていた桶で頭を叩いておいた。予感が的中してしまった。私は溜息を吐く。
 面倒臭いが既に頼んでしまっているのならば仕方ない。付き合ってやろう。
「桶で叩くことないだろ!」
「拳の方が良かったですか?」
「その手で殴って痛いのは小焼だぞ」
 左手を握り締めれば鋭く痛みが走った。
 爪が伸びるまでまだしばらく時間がかかるだろう。それまでこの痛みも抱えたままになるのか……。
 私は握った拳を解き、下ろした。父様は安堵の表情を浮かべながら胸を撫で下ろしていた。そのまま手を大福帳に伸ばしていた。
「そういや、港屋の兵蔵がお前に手伝って欲しいと言ってたが、断っておいたから安心してくれ」
「何を勝手に断ってるんですか」
「さすがに自慢の息子に釜を抜かせたくないからなぁ」
「うげっ」
「男を抱くのも男に抱かれるのも嫌だろ? ちなみに若衆は小焼に抱かれたいって言ってるらしいぞ」
「はぁ……」
 港屋の若衆が陰間であることは知っているし、客を取っていることも知っているが、何を言ってくれてるんだ。頭が痛くなってくる。だが接し方を変えれば失礼だろう。今までのままにしておこう。さすがに向こうから触ろうとしてきたら、ぶん殴るくらいして良いと思うが。
「あ、そうだ。姉上が手伝って欲しいと言ってたから行ってきてくれ」
「はい?」
「どうしてもお前に運んでもらいたい荷があるそうだ。父様じゃ駄目なんだと」
「わかりましたが……」
「朝露屋には暮六ツぐらいに来たら良いからなぁ」
「はい」
 伯母にはだいぶ世話になっているので、手伝いに不満は無いが……私に運んでもらいたい荷とは何だ? 考えてみてもさっぱり思いつかないな。
 仲の町を通り、揚屋町の平松屋へ向かう。暖簾をくぐると伯母がいた。私の姿を見るなり眩しいぐらいの笑顔を浮かべる。いったい何なんだ。父様と似たような笑顔で嫌な予感がする。
「来てくれて良かったわぁ。大見世に小間物を売りに行こうと思ってたんだけど、ほら、重いでしょう?」
「そうですね……」
「うちの子達だと少し頼りないから、宗次郎に小焼ちゃんを貸してもらえないか頼んだのよ」
「はぁ」
 貸すとか貸さないとか私は道具ではないんだが。
 伯母が困っているのは確かなので、黙って手伝うことにした。紅や白粉等の化粧品、髪を結う元結、簪や櫛等の入った浅い引き出しを幾段も重ねて風呂敷で包み、背負う。
「さすが小焼ちゃん、軽々持ってくれるわねぇ!」
「普通ですが」
「よし、それじゃあ向かいましょ」
 との声に続いて歩き始める。いったい何処の大見世に行くのかと思いつつ後ろを歩いていく。伯母は鼻歌を奏でていて上機嫌だ。
「ここよ!」
「……ともゑ屋ですね」
「そう! 錦ちゃんがね、黄楊櫛が欠けちゃったから新しいのが欲しいと言ってて」
「そうなんですね」
 まあ、どうでも良いんだが。
 伯母は慣れたように暖簾をくぐって中に入り、井戸の水を汲んでいた平八に声をかけた。平八は二階に上がって行き、方々の部屋に声をかけている。女郎達が続々と部屋から出てきて一階に下りてきた。
「おやまあ、これは中臣屋の鬼、ごほんっ、若旦那様もご一緒で」
「今日は、あたいの手伝いをしてもらってるのさ。小焼ちゃん、荷を解いて姉さん方に見せてあげて」
 板間に上がらせてもらって、引き出しを一段ずつ広げて置く。ひそひそ話をしているのが気になるところだが、まあ、いつものことだ。もう鬼だとかも聞き飽きてきた。
 ともゑ屋に何人いるのか知らないが、けっこうな人数が押し寄せてきている。女郎の他にも料理番や芸者やお針、下女が混ざっているんだろう。服装が様々だ。
「こりゃあ良い櫛だ。これをくれな」
「あいよ。内所から貰えば良いかい?」
「そうしてくんな」
「よしよし。文乃ちゃんは何か気になった物はある?」
「うちは、これ。錦さんが同じの持ってるの見たんよ」
「それは京の方の物だよ」
「へえ。そうなんやぁ。うちの故郷のかもしれへんなぁ」
 間延びした声で文乃と呼ばれた女郎は答える。細見に載っていた昼三の女郎だ。気位が高いような見た目をしているが、思ったよりもおっとりしているように感じられる。錦とは違って地味な着物を着ているが、整った顔立ちをしていた。化粧をしていないので地味に見えるだけなのかもしれない。彼女は控えめに笑いながら簪を持ち、髪に挿していた。私が見ている間に買い取っていたようだ。伯母は女郎一人一人と話をしつつ、この色が似合うよ。これは新しい物だよ。等々商品を勧めている。折れた櫛の修理も頼まれていた。こういった細かい心配りが後の高額な買物かいものに繋がるんだろう。高価だと思われる金蒔絵の長櫛だって手に取られている。
「今日はやけに人が多いと思えば、おつるさんが来ているし、小焼坊ちゃまも来てたんだねぇ」
「手伝いで……」
「あっはっはっは。色男がいると売れ行きも良さそうでありんすなぁ。おつるさん、どうだい?」
「下女の子まで小焼ちゃんを見に来てるくらいよ」
 私は見世物ではないんだが。
 買物の終わった女郎達は各々部屋へ戻っていく。錦が来たからか? とも思ったがどうやら違うようだ。錦の後ろに青い髪が見えた。
「そこ、隠れてないで出てきなさい」
「は、はうっ! ごめんなさい!」
 声をかければ、錦の後ろから景一がひょっこり現れた。目に涙を溜めている。また泣かせてしまったか? 常に泣いているのか? 私が悪いのか? いや、私は悪くないだろう。声をかけただけだ。
「いつも来てくれる子と違って、今日は珍しい櫛や簪が沢山ございんす。景一もごらんな」
「はい、やの」
 景一はちょこんと座って引き出しの物を珍しそうに眺めている。彼女の首に赤い布が巻かれていた。寒さも和らいできたというのに……ああ、傷を隠す為に巻いているのか。
「景一ちゃん。この飾りが気になるの?」
「う、うん。でも……ウチ、こんなに可愛いの似合わへんと思うの……」
「そうかねぇ。わっちは似合うと思うよ。坊ちゃまもそう思わないかい?」
「…………」
 どうして私に話を振ってくるんだ。
 景一は白い小花の簪を手にしている。髪の色と似合うと思うが……。ふと視線を落とせば、紅白の玉椿の簪、桃色と赤の桜の角飾りが目に入った。真っ白で揃えるよりも何か色のあった方が良いだろう。
「こちらも似合いそうですよ。角なんてつけたら更に『小鬼』とか言われそうですが」
「えっ」
「そう言われてみればそうでありんすなぁ。景一には白色の物ばかり与えているが、赤や桃色を置いても、髪の色に映えて良い。紅白揃えば縁起も良いさね。坊ちゃまけっこう見る目がございんす」
「はぁ」
「で、でも、ウチ、こんな……」
「あたいは良いと思うよ。小焼ちゃんの目の色とお揃いの赤色だ」
「私の目の色は関係無いでしょうが」
 突拍子も無く何を言うんだか。こういう所は父様と似ている。さすが姉弟と言ったところか。錦は玉椿の簪と桜の角飾りを景一の髪に挿していた。青い髪によく映えている。青空の下に咲き誇る花のようだ。伯母は鏡を景一に向けていた。
「ほらほら、似合ってるわよぉ」
「赤色……お揃い……赤色やの……でも……」
「坊ちゃまの見立ては正しいでありんす。あの金蒔絵の櫛だって、景一によく似合ってたもんさ」
「う、うん。でも、ウチ……こんな良い物を買えるようなお金……」
「大丈夫よ! これは小焼ちゃんからの贈り物だからお代なんて取らないわ!」
 大きな目が更に大きく見開かれる。目を逸らすわけにもいかないので、じーっと見ていると、頬を赤らめて俯かれた。
 どうして突然私からの贈り物にされたんだ……これはけっこう値の張る物だろう。まんまと高額な物を買わされてしまっていると思う。だが、ここで買わないだの言えば、この子はきっと泣く。
「良かったね景一」
「うん……。小焼様、ありがとうございます、やの」
「どういたしまして……」
 景一は満面の笑みでお礼を言う。伯母を見ると片目を閉じて笑っていた。何の合図だそれは。
 その後は錦に新しい黄楊櫛を渡して、さっさと商品を片付けた。けっこうな数が売れたので行きより帰りの荷が軽い。伯母はにこにこ笑っている。平松屋に着くなり、嬉しそうに口を開いた。
「小焼ちゃんに手伝ってもらって正解だったわぁ! いつもの倍近く売れたもの!」
「は、はぁ?」
「景一ちゃんも嬉しそうにしてたし、良かったわね」
「……あの、あれの支払いは?」
「良いのよ! 手伝ってくれたお礼も兼ねて、あたいの奢りにしてあげる。小焼ちゃんがせっかく好きな子に髪飾りを選んであげたんだから、応援しちゃうわ!」
「どうも……ありがとうございます」
 とりあえず支払いをする必要は無いようだ。が、手伝いの駄賃を全て髪飾りに変えられてしまったので、伯母は最初からこうなる事を考えていたに違いない。商魂逞しい。
 それにしても妙な勘違いをされたままだな……。気にはなるが、好き、なのか? 惚れたはれた等の話はまったくわからない。
 だが、あの笑顔は見ていたいと思う。夜にまた会うことになるから、笑ってくれるだろうか……。

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