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第二部
26・兄の思い
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そう言えば私は男の服を着ているのだった。伸びかけた髪も枢機卿に切られたし、リオンに見えるだろう。
でも、もう私はリオンの身代わりではない。リオンは皆に悼まれながら埋葬されたのだ。
私はどう振る舞えばいいのか、迷った。傍らでゼクスも、どう言っていいかわからないという様子だ。
その時だった。
『愛しい妹。最後にちょっとだけ手伝って欲しい』
氷室で一度だけ聞いた、大切な声が私に聞こえた。胸の奥から温かくそれは響いて来る。私は思わず胸を押えた。
「リオン。リオンなの? やっぱりずっと私を護ってくれてたんだね」
『僕はただきみの一部になって微睡みながら物事を見ていただけに過ぎない。これまでもこれからも、きみを護るのはジークだよ』
優しい声に私は涙を零しそうになる。双子の兄の心は、私と共にあったのだ。
「リオン。いるのね」
『うん。でももうこれで最後だから。きみはもう二度と僕にならなくていい』
「私は嫌じゃないよ。出来ればずっと」
『ありがとう。でも今度こそ僕はいかなくちゃ。いまこの時、僕の最後のやるべき事をやる為に、僕の遺したかけらが僕を呼び起こしたんだ』
リオンの意識が次第にはっきりと身体の奥から上がってくるような感覚だった。不思議ではあったけれど何の抵抗も感じず、私は兄を信じて身体を譲った。
「あれはアークリオンではないぞ! アークリオンの呪われた妹だ! そうだ、アーレンはずっと皆を欺いていた。アークリオンは双子の生まれなのだ。祝福どころか呪われた存在なのだ。双子の不吉はみな知っているだろう。国が乱れたのは、レティシアが双子を産んだからだ!」
咄嗟のことにさすが悪知恵だけは回る枢機卿は私を指さして叫んだ。
双子、という言葉に年配の人々はざわめいた。
だけど、『私』は動じなかった。大丈夫だよとゼクスに視線を送り、落ち着いて、ホールへ続く階段を皆が見守る中、ゆっくりと下りた。
『私』は――リオンは、ざわめいている皆を見渡した。静かな、けれどホール全体に行き渡る、リオンの声で話した。
『皆。いま話している僕はアークリオンだ。でも、僕の身体は死んでしまい、この身体は妹アークリエラのものだ。信じ難いと思うけれど、どうか話を聞いて欲しい。僕に忠誠を誓ってくれ、僕と共にあってくれた皆に、わかれを告げる事も出来ずにいたことを、とても心苦しく思っていた。でもいま、我が妹が僕に時間をくれたから、僕は皆に感謝を告げて、今度こそ本当に神の国に旅立つ事が出来る』
リオン、と両親が、ジークが呼ぶのが、他の人の声からより分けられたように『私』の耳に届いた。
『僕は伯父の枢機卿に殺された。戦場で受けた傷のせいではない。卑怯な手段で毒殺されたのだ。国に尽くす義務があったのに、それを果たす機会を奪われた。どうか皆は迷わずに正義を選んでほしい。あの男には、国の為に奉仕するという王族の心が欠けている。あの男はあろうことか、己が更なる権力を得る為に、レイアークの一部をソマンドに売り渡す密約を結んでいたのだ』
まさか、という声がいくつもあがる。さすがに如何に財産や地位が欲しくても、その為に祖国を売るような卑劣な考えを持つ者はそうはいない。
枢機卿についていた者の多くは、枢機卿が先王の長男であり、王族である――国を護り導く資格と意志がある人間だと思ったからこそ、父の王家から離れていたのでもあった。枢機卿の真実を知りながらも仕えていたような輩は既に刑が執行されており、ここに来ている旧派閥の人々は、枢機卿が国を売るような人間だとまでは思っていなかった。
リオンは続けた。
『嘘ではない。あの男はソマンドの一氏族と通じて国内に引き入れ、王家への悪意を吹き込んだ傭兵部隊と共闘させて騎士団を全滅させ、そのまま王都に攻め入る手筈を立てていたのだ。それが崩れたのは、相手の氏族と敵対する別の氏族が先んじて攻め入って来た為、まずは騎士団と共闘して撤退させねば己の身も危うくなると知ったからだ。そうしておいて、外敵が退いた途端に裏切って騎士団に被害を与えたのは皆も知るところだろう。あの男は自らこれを得意げに喋ったのだ。己の手駒、人質とする為、身を隠していた王女アークリエラを拉致監禁し、恥も知らずに己の罪を彼女の前で吹聴したのだ。僕は彼女の内でそれを聞いていた』
「まことでございますか、アークリオン殿下」
と問いかけたのは、枢機卿派でも有力だったラズウェル公爵だ。リオンはただ頷き、
『死した身で虚言を伝えてなんになる。僕は皆に真実を伝える為に、神に許しを得て妹の身体を束の間借りているだけだ』
「神はあの方に枢機卿の位をお授けになったのは間違いだったと仰せですか?」
『僕は直接神の声を聞ける訳ではない。ただ、いまこの時に皆に僕自身の言葉を伝える許しを得た事が神のご意思だと思うだけだ。あとは、皆が自分でその意味を考えて答えを出すだけだ』
神が枢機卿を罰せよと仰せだと言う事も出来た筈なのに、リオンはただありのままに起こっている事だけを言っている。
これだけの人の前で、罪もなく殺された若い王子が、自らの恨みの為ではなく、ただ国の未来の為に訴えかけている――それは確かに恐ろしい事でも忌まわしい事でもなくて、神の御慈悲なのだと、真実なのだと、私は思うし皆もきっと思うだろうと信じたい。
「リオンさま」
「アークリオン殿下」
「ああ、あなたさまなのですね」
溜息のような呼びかけがさざ波になってホールに広がってゆく。静かな感動と哀しみが漂って、疑いや責めるような声はあがらない。私は私の目を通して見ながらも、どこか高いところから皆を見ているような気もしていた。枢機卿派だった者たちも、リオンの言葉には鈍っていた心を揺り動かされた様子に見えた。
私が真似をしているのではなく、本物のリオンだと、みんなは直感的に悟ってくれたようだった。
私、秘密の姫のアークリエラが枢機卿の陰謀を訴えたところで、それが皆にすぐに受け入れられたかどうかはわからない。だけど、アークリオンの言葉なら違う。王家派閥からは絶大な信頼を受けて将来を嘱望されていたし、枢機卿派の貴族たちだって、リオンの能力や人格には疑いを持っていなかった。
『僕がいなくなる代わりに王太子の役目は僕の従兄であり兄であるジークリートが引き受けてくれた。枢機卿の血を引いていてもあの男の穢れた心はまったく受け継いでいない事は皆も承知だろう。王位はやがて建国王の直系に返り、その王妃は現王の娘であるアークリエラ。ふたつに割れた王家はひとつに戻り、国もまたひとつの旗印のもとに結束を固める事が出来るだろう』
(ちょ、ちょっと、なんで勝手にみんなの前で言っちゃうの?!)
(いいじゃないか。いまここで僕の言葉で伝えることが一番良い形だと思うよ。結婚式に出る事が出来ない兄からの、最初で最後の贈り物だと思って欲しいな)
(リオン……)
それは確かにその通りだった。私とジークがお互いを一生の伴侶にしたいと思ったのは、別に国の為ではないのだけれど、二十年の内乱を収めるには一番良い形ではあるのだ。
「おお、ジークリート殿下と王女さまが」
皆はどよめき、視線がジークに集まった。ジークもさすがに少し戸惑ったようではあったけれど、
「このような時に知らせる事になるとは思ってもみなかったが、国王陛下にもお許しは頂いている。アークリエラ姫は姿だけでなく、国を思う心も兄のアークリオン王子と同じ。わたしと彼女は力を合わせて国の再建に向けて尽くしてゆきたいと考えている」
と話した。
賛同の声もあがったけれど、やはりというか、
「しかし、アークリエラ姫とはそもそもどういう方なのですか? アークリオン殿下と双子? どうして今まで誰もその方を知らなかったのか?」
と疑問の声も出る。
『殺される危険があったからだ――僕のように。だから隠されて、その上、ずっと行方不明になっていた』
静かに、リオンが言った。
「国王陛下の御子はアークリオン王子殿下だけと伺っておりましたが」
これには父が答えた。
「存在を公にしていなかったのにいきなり何を、と思うのは当然だ。済まない、命が危なかった故にやむなく、という事情を理解して欲しい、と私から皆に願わねばなるまい。元々は、遠いところで我が国とは無関係に生きていかせる筈だった。だが、赤子の内に死んだと聞かされていたものが、実は知らない所で苦労を積んで育ち、立派に成長して手元に帰って来たのだ。銀の髪と聖印を持った、間違いない私の実の娘だ」
「双子の生まれでいらっしゃるのですね」
「……そうだ」
ここは一番突かれて痛い所だ。いくら理不尽であろうとも。でも、双子だと王になれないという決まりがある訳ではない。ただ、みんなが気持ちの上で受け入れてくれるかどうかという問題だ。近年は、双子を疎む風習はだいぶん薄れてきてはいる。父より上の、初老以上の世代がどう言ってくるか……。
その時、リオンが言った。
『僕は去る。双子の不吉は、ない』
「リオンさま! 我々は、どこで育ったのかもわからない王女より、貴方さまを必要としているのですよ。貴方とジークリート殿下が共同統治して下されば、この国は――!」
その声に同意する声がいくつもあがり、私はいたたまれない気持ちになる。そうだよね……他国の小間使いとして育った私よりリオンの方がいいに決まってる。身体を譲れるものなら譲ったほうがいいのかも、なんて思ってしまう。
でも、リオンははっきりと言った。
『外敵と戦い、枢機卿の兵を退けたのは僕ではなくアークリエラだ。女の身で、王太子としての義務を果たさねばという一心で、傭兵に押されていた騎士団を救う為に戦いの場に身を投じた。ジークリートとふたりで聖剣の奇跡を起こした彼女は、建国王の魂が認めた聖王女。僕は双子の絆で僕の知識や経験を彼女の内に譲り渡した。そもそも、双子は不吉ではなく、補い合える分身なんだ。どうか今後は妹を僕だと思って欲しい』
「あの時、国を救ったのはリオンさまではなく、王女さま……?」
動揺が広がってゆく。
『ああ……僕はもうそろそろ、いかなくては……』
「リオン!」
母の声がした。
でもその時、別の女性の声がそれに被さった。
「リオンさま! いかないで下さい!」
ひとをかき分けて、一人の女性がリオンの方へ走り出た。
「リオンさま!! ああ、わたくし……!」
『パトリシア』
リオンの幼馴染、気の強い赤毛の公爵令嬢だ。彼女は、人目も何もかも忘れたように、泣きながらリオンにすがりついた。
「ほんとうにほんとうのリオンさまなのね! お会いしたかった!!」
『急にいなくなってごめん』
リオンはパトリシアの肩を抱く。
リオンを心から慕って、リオンに成り変わった私にダンスのパートナーになってほしいとずっとせがんでいた二人組のひとり。
振り返ってみれば、彼女だけが、リオンに成り切ったつもりの私に違和感を訴えていた。彼女と、リオンは……。
(リオンにも愛し合うひとがいたんだ)
彼女に触れたことで、今まで隠されていたリオンの切なく激しい感情が伝わってくる。
リオンが生きるならば、それはとても喜ばしいことだ。だけど、ふたりはもう別れなければならない……。
『パトリシア、ごめんね。僕はもう一緒にはいられない』
「いやです! わたくしもリオンさまのいらっしゃるところに」
パトリシアの気持ちが痛いくらいに伝わってくる。私だって、もしもジークが先に死んでしまったらそう思うだろうから。
『駄目だよ。生きているうちに言えなくてごめんね。パトリシア、僕はきみを愛してた。きみを幸せにしてあげる事はもう僕には出来ないけれど、きみに、僕の分まで生きて幸せになって欲しいと願っている』
「リオンさま……」
『生まれ変わったら、きっと僕がきみを幸せにする』
パトリシアはリオンの肩に顔を埋めて泣いた。公爵令嬢の不作法を咎める者はいなかった。これが、ふたりの永久のわかれになるとはっきりわかっているのだから、誰も何も言えないのだった。
「アークリオン殿下。そして……アークリエラ殿下」
ふたりの前に静かに歩み出て膝をついた男性がいた。パトリシアの父のスコット公爵だった。続いて何人も高位の貴族たちが進み出て同じように跪き頭を垂れる。
「どうか我々の至らなさをお許しください。隣国の脅威を退けたばかりでなく、我が国を荒廃させたものの真実を、我々の前にお示し下さった事に感謝致します。我々の忠誠は、永遠に国王陛下ご夫妻に、王太子殿下に、そして両殿下に捧げます」
「『……ありがとう、皆。その言葉で、この国の闇は払われ、光が見えると思う』」
私なのかリオンなのか、私にもよくわからない。
『僕を支えてくれた皆に感謝し、我が国の平和と繁栄をずっと願っている……』
『父上、母上、どうかお元気で。リエラ、ありがとう。ジーク、国を、家族を、頼むよ。妹を幸せにしてやって欲しい』
『パトリシア……さようなら……』
それらの言葉を遺して、リオンの気配がふうっと消えていった。これが、兄との最後の別れなのだと、はっきりと感じた。
気づいたら、私に取りすがって泣いているパトリシアを抱き締めて私も泣いていた。
でも、もう私はリオンの身代わりではない。リオンは皆に悼まれながら埋葬されたのだ。
私はどう振る舞えばいいのか、迷った。傍らでゼクスも、どう言っていいかわからないという様子だ。
その時だった。
『愛しい妹。最後にちょっとだけ手伝って欲しい』
氷室で一度だけ聞いた、大切な声が私に聞こえた。胸の奥から温かくそれは響いて来る。私は思わず胸を押えた。
「リオン。リオンなの? やっぱりずっと私を護ってくれてたんだね」
『僕はただきみの一部になって微睡みながら物事を見ていただけに過ぎない。これまでもこれからも、きみを護るのはジークだよ』
優しい声に私は涙を零しそうになる。双子の兄の心は、私と共にあったのだ。
「リオン。いるのね」
『うん。でももうこれで最後だから。きみはもう二度と僕にならなくていい』
「私は嫌じゃないよ。出来ればずっと」
『ありがとう。でも今度こそ僕はいかなくちゃ。いまこの時、僕の最後のやるべき事をやる為に、僕の遺したかけらが僕を呼び起こしたんだ』
リオンの意識が次第にはっきりと身体の奥から上がってくるような感覚だった。不思議ではあったけれど何の抵抗も感じず、私は兄を信じて身体を譲った。
「あれはアークリオンではないぞ! アークリオンの呪われた妹だ! そうだ、アーレンはずっと皆を欺いていた。アークリオンは双子の生まれなのだ。祝福どころか呪われた存在なのだ。双子の不吉はみな知っているだろう。国が乱れたのは、レティシアが双子を産んだからだ!」
咄嗟のことにさすが悪知恵だけは回る枢機卿は私を指さして叫んだ。
双子、という言葉に年配の人々はざわめいた。
だけど、『私』は動じなかった。大丈夫だよとゼクスに視線を送り、落ち着いて、ホールへ続く階段を皆が見守る中、ゆっくりと下りた。
『私』は――リオンは、ざわめいている皆を見渡した。静かな、けれどホール全体に行き渡る、リオンの声で話した。
『皆。いま話している僕はアークリオンだ。でも、僕の身体は死んでしまい、この身体は妹アークリエラのものだ。信じ難いと思うけれど、どうか話を聞いて欲しい。僕に忠誠を誓ってくれ、僕と共にあってくれた皆に、わかれを告げる事も出来ずにいたことを、とても心苦しく思っていた。でもいま、我が妹が僕に時間をくれたから、僕は皆に感謝を告げて、今度こそ本当に神の国に旅立つ事が出来る』
リオン、と両親が、ジークが呼ぶのが、他の人の声からより分けられたように『私』の耳に届いた。
『僕は伯父の枢機卿に殺された。戦場で受けた傷のせいではない。卑怯な手段で毒殺されたのだ。国に尽くす義務があったのに、それを果たす機会を奪われた。どうか皆は迷わずに正義を選んでほしい。あの男には、国の為に奉仕するという王族の心が欠けている。あの男はあろうことか、己が更なる権力を得る為に、レイアークの一部をソマンドに売り渡す密約を結んでいたのだ』
まさか、という声がいくつもあがる。さすがに如何に財産や地位が欲しくても、その為に祖国を売るような卑劣な考えを持つ者はそうはいない。
枢機卿についていた者の多くは、枢機卿が先王の長男であり、王族である――国を護り導く資格と意志がある人間だと思ったからこそ、父の王家から離れていたのでもあった。枢機卿の真実を知りながらも仕えていたような輩は既に刑が執行されており、ここに来ている旧派閥の人々は、枢機卿が国を売るような人間だとまでは思っていなかった。
リオンは続けた。
『嘘ではない。あの男はソマンドの一氏族と通じて国内に引き入れ、王家への悪意を吹き込んだ傭兵部隊と共闘させて騎士団を全滅させ、そのまま王都に攻め入る手筈を立てていたのだ。それが崩れたのは、相手の氏族と敵対する別の氏族が先んじて攻め入って来た為、まずは騎士団と共闘して撤退させねば己の身も危うくなると知ったからだ。そうしておいて、外敵が退いた途端に裏切って騎士団に被害を与えたのは皆も知るところだろう。あの男は自らこれを得意げに喋ったのだ。己の手駒、人質とする為、身を隠していた王女アークリエラを拉致監禁し、恥も知らずに己の罪を彼女の前で吹聴したのだ。僕は彼女の内でそれを聞いていた』
「まことでございますか、アークリオン殿下」
と問いかけたのは、枢機卿派でも有力だったラズウェル公爵だ。リオンはただ頷き、
『死した身で虚言を伝えてなんになる。僕は皆に真実を伝える為に、神に許しを得て妹の身体を束の間借りているだけだ』
「神はあの方に枢機卿の位をお授けになったのは間違いだったと仰せですか?」
『僕は直接神の声を聞ける訳ではない。ただ、いまこの時に皆に僕自身の言葉を伝える許しを得た事が神のご意思だと思うだけだ。あとは、皆が自分でその意味を考えて答えを出すだけだ』
神が枢機卿を罰せよと仰せだと言う事も出来た筈なのに、リオンはただありのままに起こっている事だけを言っている。
これだけの人の前で、罪もなく殺された若い王子が、自らの恨みの為ではなく、ただ国の未来の為に訴えかけている――それは確かに恐ろしい事でも忌まわしい事でもなくて、神の御慈悲なのだと、真実なのだと、私は思うし皆もきっと思うだろうと信じたい。
「リオンさま」
「アークリオン殿下」
「ああ、あなたさまなのですね」
溜息のような呼びかけがさざ波になってホールに広がってゆく。静かな感動と哀しみが漂って、疑いや責めるような声はあがらない。私は私の目を通して見ながらも、どこか高いところから皆を見ているような気もしていた。枢機卿派だった者たちも、リオンの言葉には鈍っていた心を揺り動かされた様子に見えた。
私が真似をしているのではなく、本物のリオンだと、みんなは直感的に悟ってくれたようだった。
私、秘密の姫のアークリエラが枢機卿の陰謀を訴えたところで、それが皆にすぐに受け入れられたかどうかはわからない。だけど、アークリオンの言葉なら違う。王家派閥からは絶大な信頼を受けて将来を嘱望されていたし、枢機卿派の貴族たちだって、リオンの能力や人格には疑いを持っていなかった。
『僕がいなくなる代わりに王太子の役目は僕の従兄であり兄であるジークリートが引き受けてくれた。枢機卿の血を引いていてもあの男の穢れた心はまったく受け継いでいない事は皆も承知だろう。王位はやがて建国王の直系に返り、その王妃は現王の娘であるアークリエラ。ふたつに割れた王家はひとつに戻り、国もまたひとつの旗印のもとに結束を固める事が出来るだろう』
(ちょ、ちょっと、なんで勝手にみんなの前で言っちゃうの?!)
(いいじゃないか。いまここで僕の言葉で伝えることが一番良い形だと思うよ。結婚式に出る事が出来ない兄からの、最初で最後の贈り物だと思って欲しいな)
(リオン……)
それは確かにその通りだった。私とジークがお互いを一生の伴侶にしたいと思ったのは、別に国の為ではないのだけれど、二十年の内乱を収めるには一番良い形ではあるのだ。
「おお、ジークリート殿下と王女さまが」
皆はどよめき、視線がジークに集まった。ジークもさすがに少し戸惑ったようではあったけれど、
「このような時に知らせる事になるとは思ってもみなかったが、国王陛下にもお許しは頂いている。アークリエラ姫は姿だけでなく、国を思う心も兄のアークリオン王子と同じ。わたしと彼女は力を合わせて国の再建に向けて尽くしてゆきたいと考えている」
と話した。
賛同の声もあがったけれど、やはりというか、
「しかし、アークリエラ姫とはそもそもどういう方なのですか? アークリオン殿下と双子? どうして今まで誰もその方を知らなかったのか?」
と疑問の声も出る。
『殺される危険があったからだ――僕のように。だから隠されて、その上、ずっと行方不明になっていた』
静かに、リオンが言った。
「国王陛下の御子はアークリオン王子殿下だけと伺っておりましたが」
これには父が答えた。
「存在を公にしていなかったのにいきなり何を、と思うのは当然だ。済まない、命が危なかった故にやむなく、という事情を理解して欲しい、と私から皆に願わねばなるまい。元々は、遠いところで我が国とは無関係に生きていかせる筈だった。だが、赤子の内に死んだと聞かされていたものが、実は知らない所で苦労を積んで育ち、立派に成長して手元に帰って来たのだ。銀の髪と聖印を持った、間違いない私の実の娘だ」
「双子の生まれでいらっしゃるのですね」
「……そうだ」
ここは一番突かれて痛い所だ。いくら理不尽であろうとも。でも、双子だと王になれないという決まりがある訳ではない。ただ、みんなが気持ちの上で受け入れてくれるかどうかという問題だ。近年は、双子を疎む風習はだいぶん薄れてきてはいる。父より上の、初老以上の世代がどう言ってくるか……。
その時、リオンが言った。
『僕は去る。双子の不吉は、ない』
「リオンさま! 我々は、どこで育ったのかもわからない王女より、貴方さまを必要としているのですよ。貴方とジークリート殿下が共同統治して下されば、この国は――!」
その声に同意する声がいくつもあがり、私はいたたまれない気持ちになる。そうだよね……他国の小間使いとして育った私よりリオンの方がいいに決まってる。身体を譲れるものなら譲ったほうがいいのかも、なんて思ってしまう。
でも、リオンははっきりと言った。
『外敵と戦い、枢機卿の兵を退けたのは僕ではなくアークリエラだ。女の身で、王太子としての義務を果たさねばという一心で、傭兵に押されていた騎士団を救う為に戦いの場に身を投じた。ジークリートとふたりで聖剣の奇跡を起こした彼女は、建国王の魂が認めた聖王女。僕は双子の絆で僕の知識や経験を彼女の内に譲り渡した。そもそも、双子は不吉ではなく、補い合える分身なんだ。どうか今後は妹を僕だと思って欲しい』
「あの時、国を救ったのはリオンさまではなく、王女さま……?」
動揺が広がってゆく。
『ああ……僕はもうそろそろ、いかなくては……』
「リオン!」
母の声がした。
でもその時、別の女性の声がそれに被さった。
「リオンさま! いかないで下さい!」
ひとをかき分けて、一人の女性がリオンの方へ走り出た。
「リオンさま!! ああ、わたくし……!」
『パトリシア』
リオンの幼馴染、気の強い赤毛の公爵令嬢だ。彼女は、人目も何もかも忘れたように、泣きながらリオンにすがりついた。
「ほんとうにほんとうのリオンさまなのね! お会いしたかった!!」
『急にいなくなってごめん』
リオンはパトリシアの肩を抱く。
リオンを心から慕って、リオンに成り変わった私にダンスのパートナーになってほしいとずっとせがんでいた二人組のひとり。
振り返ってみれば、彼女だけが、リオンに成り切ったつもりの私に違和感を訴えていた。彼女と、リオンは……。
(リオンにも愛し合うひとがいたんだ)
彼女に触れたことで、今まで隠されていたリオンの切なく激しい感情が伝わってくる。
リオンが生きるならば、それはとても喜ばしいことだ。だけど、ふたりはもう別れなければならない……。
『パトリシア、ごめんね。僕はもう一緒にはいられない』
「いやです! わたくしもリオンさまのいらっしゃるところに」
パトリシアの気持ちが痛いくらいに伝わってくる。私だって、もしもジークが先に死んでしまったらそう思うだろうから。
『駄目だよ。生きているうちに言えなくてごめんね。パトリシア、僕はきみを愛してた。きみを幸せにしてあげる事はもう僕には出来ないけれど、きみに、僕の分まで生きて幸せになって欲しいと願っている』
「リオンさま……」
『生まれ変わったら、きっと僕がきみを幸せにする』
パトリシアはリオンの肩に顔を埋めて泣いた。公爵令嬢の不作法を咎める者はいなかった。これが、ふたりの永久のわかれになるとはっきりわかっているのだから、誰も何も言えないのだった。
「アークリオン殿下。そして……アークリエラ殿下」
ふたりの前に静かに歩み出て膝をついた男性がいた。パトリシアの父のスコット公爵だった。続いて何人も高位の貴族たちが進み出て同じように跪き頭を垂れる。
「どうか我々の至らなさをお許しください。隣国の脅威を退けたばかりでなく、我が国を荒廃させたものの真実を、我々の前にお示し下さった事に感謝致します。我々の忠誠は、永遠に国王陛下ご夫妻に、王太子殿下に、そして両殿下に捧げます」
「『……ありがとう、皆。その言葉で、この国の闇は払われ、光が見えると思う』」
私なのかリオンなのか、私にもよくわからない。
『僕を支えてくれた皆に感謝し、我が国の平和と繁栄をずっと願っている……』
『父上、母上、どうかお元気で。リエラ、ありがとう。ジーク、国を、家族を、頼むよ。妹を幸せにしてやって欲しい』
『パトリシア……さようなら……』
それらの言葉を遺して、リオンの気配がふうっと消えていった。これが、兄との最後の別れなのだと、はっきりと感じた。
気づいたら、私に取りすがって泣いているパトリシアを抱き締めて私も泣いていた。
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