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第二部

27・枢機卿の最期

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「だれか、枢機卿を支持する者はいるのか?」



 悲しみと戸惑いとに満ちたホールで、人々を我に返すように父は言葉を放った。リオンの事で心を痛めているだろうに、流石にそうした様子は見せない。

 そう言えばこれは枢機卿を裁く場だったんだ、とみんな思い出して被告席を見る。

 私にソマンドとの事を喋った為にそれをリオンに暴露され、最早味方は誰もいないという状況なのに、枢機卿はまだふてぶてしい表情を崩してはいない。



「愚か者ばかりか。穢れた死霊の戯言などに踊らされおって」



 とまた感情を逆撫でするような言葉を吐いた。方々から罵声が飛んだけれど、気にする様子もない。



「あなたが死に至らしめた甥の言葉に対して、言う事はないのか?」

「死人は死人らしく黙っておけというくらいかな。またしても誤算とは、運がなかったようだな」



 反省とか償いとかいう言葉を知らないらしい男に、父はただ汚いものを見るかのような視線を向けただけだった。



 司法長官が言った。



「枢機卿閣下を黄昏の塔へご案内しようかと思います。異存のある方はいらっしゃいますか」



 黄昏の塔は、高貴な罪人が自害の為に毒を飲む場所だ。王族であり聖職者である枢機卿を処刑せず自裁させるのは、彼自身へではなく彼の地位に対する配慮だった。



 勿論誰も異を唱えはしない。

 死刑判決が出たというのに、何故か枢機卿は動揺する様子を見せない。王族を皆殺しにして逆転するのだと息巻いてやって来た筈なのに、なんだか妙な気がする。



 もう隠れている必要はないようなので、私は父とジークの方へ歩み寄った。



「アークリエラか。やはり逃れたか」



 枢機卿はどうでも良さそうに私に言う。



「何を企んでいるのですか。あなたの態度はおかしい。朝方、捕えたわたくしに言ったではないですか、王族は皆殺しにしてわたくしにエイラインの子を産ませ、王位につけると」

「まあ、そうなればよい、とは思っていた。そなたの命を質に死罪を免れればまだ反撃の機会はある筈だった。ひとたび死以外の裁きを受ければ、同じ罪で裁きなおす事は出来ぬからな。だが、アーレンにそなたの髪を見せても動揺せぬので、逃したのだろうと思っていた。私とて周囲が見えていない訳ではない。騎士団に敗れたあの日から、少しずつ秩序が崩れてゆくのは感じていた。元に戻すのは難しいという事も」

「秩序を崩していたのはあなただろう」



 ジークが私の肩に手を回し、実の父親に対して言った。



「国家に対する罪は数えきれぬ程、その上に、わたしの母を殺し、わたしの弟を殺し、わたしの婚約者をかどわかそうとしたこと、いかに父親とて、断じて許せぬぞ」

「レイアークは私の国でありそこに住まう者は皆私に従うべきだった。私は私の秩序を崩す者に罰を与えたに過ぎぬ」

「己を何様と思っているのだ。先王陛下はあなたが王の器でないことを見抜かれていた。なのに王の力に拘り続けた挙句に、あなたのものであるのは最早あなた自身の生命のみとなった。それを投げ出して許しを乞うことだけが、今のあなたに出来ることなのだ」

「誰が許しなど乞うものか。間違っているのは私に跪かぬ国の方なのだ。だから、私はそれを正してやる為に来たのだ」



 人々はざわめいた。この男はなにかをしようとしている。最後の悪足掻きをする為にここに来たのだ。



「……下がりなさい、リエラ。陛下も」

「武装解除している。この囲みの中で何か出来る訳がない。もうこれ以上話を聞くのも厭わしい。司法長官、早く黄昏の塔へ連れて行ってくれ」



 父は言ったが、不気味さに皆、近寄りかねてしまっている。

 ジークが枢機卿に向かって言った。



「わたしが連れて行こう。罪を贖うのを見届けるのがこんな男の息子に生まれたわたしの務めだろう」

「黄昏の塔へは行かぬ、と言ったら?」

「引きずってでも連れて行くだけだ。しかし、あなたにも矜持はあるだろう。王族の自覚があると言うのなら、最期くらい潔くしたらどうか」

「潔く、か。ここに集まった者たちにその覚悟があるかな」

「……時間を引き延ばそうとしても無駄だ。さあ、行こう」



 様々な感情が渦を巻いていると思うけれど、表面上ジークはまったく冷静な様子を崩さない。父親に向かって一歩踏み出した。



「まあ、待ちなさい。最後に私は、ここに集まった皆の為に、祈りを捧げたい」



 そう言うと枢機卿は懐から首にかけた聖具を取り出した。



「何を企んでいる?」

「死に向かう者の祈りを阻むつもりかね? 私はただ、こう祈るのだ。私と共に死んでゆく愚かな者どもが、次こそは間違わずに私を王として崇めるようにと。おまえたちの命は、私が神に捧げる供物なのだよ」

「どういう――」

「この筒に入っているのは爆薬だ。衝撃を与えればこのホールくらい吹き飛ぶ。ここには国の重鎮がすべて揃っている。レイアークは私と共に亡ぶのだ」



 何を、言ってるのだろう……。人々は顔を見合わせた。

 枢機卿は、ここにいる全ての人を、死の道連れにしようと、最初から、望みが断たれてしまったらそうしようと、準備をしてきたのだ。その事実が人々の頭に浸透するまで、数瞬を必要とした。



「う――」

「うわあああ!!」

「逃げろ!」



 理解した途端、人々は恐慌に陥った。ホールから出れば助かる、と思った人々は一斉に出口に殺到する。けれど我先に逃げようとする人々は、互いにぶつかり合って中々外に出られない。大騒ぎになった。

 ジークは顔色を変え、



「みんな逃げろ!」



 と叫びながらも自分はその恐ろしい凶器を取り上げようと枢機卿に掴みかかった。私は恐怖に立ちすくんでしまう。ジークを置いて逃げるなんて出来ない。



「無駄だ。さらばだ、息子よ」



 枢機卿は筒を床に叩きつけようと腕を振り上げた。



 その時――私は、光を見た。



「ジーク! デュカリバーを抜いて!!」



 額の聖印が疼き、ジークの腰の聖剣が光っている。聖剣が呼んでる――!

 ジークも同じ聖剣の呼びかけを感じた筈。



「来てくれ!」



 ジークは叫び、私はジークに飛びついた。ジークはデュカリバーを抜き放った。

 その時、枢機卿の手から爆薬がはなれた。あれが床に叩きつけられれば、みんな、死ぬ――でも、そうはならないと私は確信していた。建国王の遺した聖剣が、私たちを救ってくれる。



 聖剣は、ジークの手の中で光り輝いた。ときが止まったかのような一瞬に思えた。人々の叫び声も、枢機卿の怒声も、なにもかも、消え去ってしまったかのように思えた。



 不思議な光は、あの時戦場を照らしたのと同じように、ホールを静かに満たしている。爆薬の入った筒は、床にぶつかることなく空中で止まっている。そして、みんなが固唾を飲んで見つめる中、衝撃が加わる事もなく、静かに床にことりと落ちて、そのまま粉になって消えてしまった。



「奇跡が示された――」



 囁きがホールのそこここから漏れる。



「た、たすかった」

「ジークリート殿下は、聖王なんだ!」

「レイアークは救われる!」



 聖剣の放つ光の中で、人々は歓声をあげる。伝説の奇跡を目の当たりにして興奮状態になっている。

 でも、ジークは手を上げて皆を制した。



「聞いて欲しい。わたしは聖王なんかじゃない」

「え――」



 不思議そうな人々の顔……私にも訳がわからない。ジークは何を言おうとしてるのだろう。



「正確には、わたし一人では聖王にはなれない、ということだ。あの戦場でも、それから今朝も……聖剣の奇跡はわたしとアークリエラの二人の力が合わさらないと起こらないのだ。あの戦いの後、私は色々仮説を立ててみたが、いま証明された」



 ジークは私をぐいっと引き寄せた。私の額の聖印とジークの聖印が呼応するかのように輝きを増したようだった。



「わたしが建国王の導きによって国を建て直していくには、アークリエラの力もなくてはならない、という事だ。皆に、それをわかって欲しい」



 ひとの心は弱い。リオンの言葉でスコット公爵たちは私を受け入れてくれたけれども、皆が納得したかどうかはわからない。これから何か不幸な事が起きる度、これは呪われた姫のせいだ、という人が出たかも知れない。

 でも、私は聖剣によって、呪われてなんかない、祝福を受けた者だと、今度こそ誰一人疑わないでくれるだろう。



「ジークリートさま! アークリエラさま!」



 歓び慕う声が湧いて、私はようやく、秘密の姫ではなく、本当に皆に認められる姫になれたのだ、と思えたのだった。



「建国王の魂が、私たちを助けて下さったのかな」

「だろうな。伝説の聖王だなんて言われるにはわたしは全く修行が足りない。あの男の意図を見破れず、皆を危険に晒した愚か者なのだから」



 私たちは囁き合った。



「よかった、ほんとに、よかった……もしもジークだけ死んじゃったりしたら、私、生きてられないから」

「わたしもそうなのだと忘れないで欲しい。わたしたちは、二人でないと駄目なのだから」



―――



 兵士たちに身動きできないように取り押さえられた枢機卿は、呪詛の言葉を吐き続けている。



「ふざけるな。聖王だと? 私は認めんぞ!」



 枢機卿は自分の目論見が破れてしまったので、初めて悔しさを面に出している。

 たくさんの人を死なせようとしておいて、ここまで来ても反省も後悔もない様子はさすがと言うべきなのか。



「もう何も隠し持ってはいないだろうな。念の為、手枷をかけておくといい。では、黄昏の塔へ向かおう」



 兵士に引っ立てられ、ジークと司法長官が枢機卿に付き添う。人々は兵士に押されるように歩く枢機卿に罵声を投げつける。何しろみんなこの男のせいで死ぬところだったのだ。



「私は認めんぞ……こんなことは。私だけ死ぬなど!」



 枢機卿は叫んだけれど、無言で兵士に手枷を引っ張られただけだった。

 私たちの敵は、ようやく消えるのだ。実の父親がこんな事を仕出かして、その死に様を見届けるジークは辛いだろうと思うと胸が痛いけれど、でも、ジークは『枢機卿の息子』じゃなくて、『建国王が認めた聖王』なのだから、大丈夫だと思う。



 ホールの出口まで進んだ時、ジークは立ち止まった。扉の傍に隠れるように立っていたのは、エリスのようだった。なんであんなところいいるのだろうと思ったけれど、ジークと交わしている会話の内容までは聞こえない。

 ただ、どうしてだか、やけくそのように叫んでいた枢機卿が黙ってしまった。

 そしてそのまま、扉は閉じて、私たちが枢機卿の姿を見たのはそれが最後になった。



 背後で父が深い溜息をついた。



「まさかここまで往生際が悪いとは思ってもみなかったが、ようやく、終わる」

「そうですね、お父さま」



 夕刻、ジーク達が戻って来て、枢機卿の自害を見届けたことを皆に報告した。王族の墓所に葬る事は許されず、罪人の墓地に送られる。

 抵抗したりするのではないかと思っていたけれど、謝罪の言葉もない代わりに抵抗もなかった、とジークは皆に告げた。



 やっと、本当の平和が来るんだ、という実感はなかなか湧いてこなかったけれど、その翌日、ドレスを着て髪を整え、王女の額飾りをつけて皆の前に立った時、ああ、やっと私は本当に私の場所に帰って来たのだ、としみじみと感じた。

 私の隣にはいつもジークがいる。人々は、私とジークを祝福してくれる。
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