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03.誕生
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ぴしっ、という何かが割れるような音が、シアンの手の中でした。見ると、たまごに小さな亀裂が入っている。
「……さっきまで温かかったのに、外へ出して冷えたせいかな」
「このお天気で、冷えるとは思えないわよ」
太陽の光がさんさんとふりそそぎ、暖かいと言うよりは暑いところまで気温は上がっている。機械の熱でたまごが温められていたとしても、今の季節で亀裂が入る程には急激に冷えたりしないだろう。
この程度でたまごにひびが入るなら、冷蔵庫から出したたまごは料理するまでにひびが入りまくりになっているはず。
「元々ひびが入っていたのが、はっきり出ただけじゃないの? きっとその下へ転がってくるまでに、どこかで衝撃を受けてたのよ」
たまごは割れやすいイメージがあるが、縦の衝撃には強いと聞く。だが、シアンが見付けるまで、どんな衝撃があったかは不明。むしろ、まったくの無傷である方が不思議だろう。
「ディシュリーン……」
「どうしたの?」
「このたまご、動いてるような気がする」
「え……」
二人して、シアンの手の中のたまごを凝視する。
小さな亀裂の一部に小さな穴があき、そこから少し尖った薄黄色いものがわずかに現れた。これは、くちばしというものではなかろうか。
種類はともかく、鳥系の動物だ。
「これって……もしかして、孵化するんじゃないの?」
「ただのたまごじゃなかったんだ。ど、どうしよう、ディシュリーン」
有精卵どころか、生まれる寸前のたまごを拾ってしまった。
「そう言われても、あたしだってこんな状況になったことないし。と、とにかく、落ち着いて」
そう言うディシュリーンの方が、シアンより慌てているみたいだ。
「何かで見たか、読んだかしたことがあるわ。こうして殻を破り始めても、完全に身体が出るにはまだ時間がかかるのよ。だから、生まれる前にどこか安全な所へ連れて行ってあげなきゃ」
「じゃ、とりあえず家に戻った方がいいのかな」
「そうね。あ、片手にたまごを持ちながら、自転車に乗る気なの? 危ないわ」
たまごを持ったまま、自転車に乗ろうとしたシアンを見て、ディシュリーンが止める。
「でも、カゴに入れたら、バウンドした時に余計なショックを与えちゃうだろ。ハンカチ程度じゃ、クッションにはならないだろうし。押さえる物がないから、角を曲がるたびにカゴの中で転がりそうだし」
「それはそうだけど……」
そもそも、シアンはハンカチを持っていない。現在持っている布と言えば、着ているティーシャツくらいだ。しかし、まさか脱いで自転車に乗る訳にはいかない。
もし、上半身裸で帰るところを近所の人に見られたら。
引っ越して早々「あそこの息子はちょっとおかしい」なんて噂をたてられるのは勘弁してほしい。
たまごを安全に入れられるようなポケットもないし、そうなると手で持つしかなかった。
「そのままだと、落とすかもでしょ。……あ、シアンの自転車、荷台があるわね。たまご、かして」
荷台が何だろうと思いつつ、シアンは言われるまま、こつこつと小さな音をたてているたまごをディシュリーンに渡した。
受け取ったディシュリーンは、たまごをキャンディのようにハンカチでゆるく包み、その端と端を結ぶ。それを持って、さっさとシアンの自転車の荷台に載った。
「二人乗りは平気? 行きましょ」
「え……」
自転車のカゴに入れると衝撃があるので、ディシュリーンがたまごを持つ。少しでも早く帰りたいので、自転車に乗る。結果、二人乗りで帰る……という流れになってしまったらしい。
「隣り同士だと、こういう時に便利ね。……ほら、何してるの、シアン」
「う、うん……」
ディシュリーンにせかされ、シアンは慌てて乗ると、ペダルを踏んだ。
☆☆☆
家に戻った頃には、たまごには無数の亀裂が入り、さっきくちばしが見えた部分には大きな穴があいていた。
そこから、ぬれた羽だか毛だかわからないものがわずかに見える。さらには、かすかに「ぴーぴー」という、鳴き声のようなものが聞こえてきた。
「ねぇねぇ、シアン。聞こえた? 鳴いてるみたいよ」
ディシュリーンは当然のようにシアンの家へ上がり、やや顔を赤らめながらたまごからの声に興奮している。
「うん。鳥みたいだね。何の鳥なんだろう」
シアンはリビングの低いテーブルの上にチラシを重ね、その上にティッシュを何枚も置いた。
これで、多少殻が散らばったり汚れたりしても、すぐに片付けられる。ひなが生まれて転がり出ても、直接冷たいテーブルに触れずに済むだろう。
シアンとディシュリーンは二人して床に座り込み、テーブルに顔を乗せるようにしてたまごのなりゆきを見詰めている。
当のたまごはと言えば、殻にひびを入れたのはいいが、そこから先になかなか進めないようだ。家に帰ってから、目立った進展があまり見られない。
「確かに、時間がかかるね」
「悪戦苦闘してるみたい。生みの苦しみって言うけど、生まれるのもきっと苦しいんだわ」
「これだけひびが入ってたら、簡単にぱかって割ってやれそうだけど。手助けなんかしたら、ひなのためにもよくないのかな」
見ていると、ちょっぴりもどかしくて、つい手を出してみたくなる。
「んー、少しだけならいいんじゃないかしら。親鳥も少しつついたりして、ひながたまごから出やすいようにしたりもするらしいわよ」
「何か、つつけそうなもの……」
シアンは、部屋の中を見回した。
ようやく家の中が片付いたのはいいのだが、自分の部屋はともかく、リビングやキッチンだと、どこに何がしまわれているのかをまだ把握しきれていない。
「ボールペンでいいかな。先が丸いから、ひなを傷付けることはないはずだし。あ……インクで汚すかな」
「油性じゃないなら、後で洗ってあげればいいじゃない。でも、気を付けて」
シアンはボールペンの先で、ひながあけた穴の周りをつついた。思っていたよりも、殻は堅い。中のひなが苦労するはずだ。
それでも、シアンが細かくつついたおかげで、少し穴が広がる。
「ほーら、がんばれ。もうすぐ出られるぞ」
その声に励まされたかのように、またひなの動きが活発になる。
途中、何度も休憩を入れながら、それでも確実に穴は広がり、時々シアンが助けてやりながら、やっとひなは殻の外へと転がり出た。
「やったぁっ」
それを見て、二人は思わず声を上げた。
ひなはたまごの中にいた時の格好でまだ丸まっているものの、とりあえず外へ出て来たのだ。
「よかった。無事に生まれたね」
「あは。あたしもついつられて、最後まで立ち会っちゃったわね」
その時、くうっという音が聞こえた。
ディシュリーンが何の音かわからずにきょとんとしていると、シアンが笑いながら頭をかく。
「はは……気が抜けたら、おなかすいた。昼、まだ食べてなかったんだ」
昼と言うよりは、もうおやつの時間だ。
「ただ缶コーヒーを買おうと思っただけなのに、このたまごを見付けたもんだから」
「簡単なものでよければ、何か作るわよ」
「え……い、いいよ。パンとコーヒーだけで済ませるつもりだったから」
「栄養のない食事内容ねぇ。まだ成長期なんだから、ちゃんとバランスよく食べないとダメよ」
「一度や二度くらい、平気だよ。父親が料理人だから、普段から野菜も肉もしっかり食べさせられてるし」
シアンはそう言ってから、せっかくディシュリーンが「作ろうか」と言ってくれたのだから、素直に作ってもらっておけばよかった、と激しく後悔した。でも、今更作ってくれ、とも言えない。
ディシュリーンにもパンを食べるかと尋ねたが、彼女はいいと断り、シアンはパンをかじりながらコーヒー豆を挽き始めた。
「シアンの家って、いつも豆から淹れるの? インスタントは?」
「プロの職人がいると、横着させてもらえないんだ。これが面倒だから、缶コーヒーを買うつもりでいたんだけど」
シアンに缶コーヒーを買うのを忘れさせたたまごの中身は、あちこちのたうちながら、身体を伸ばそうとしていた。
「うちでも、たまに豆から淹れる時はあるけど、機械で挽くわよ」
シアンが使っているのは、上に付いているハンドルを回して挽く手動タイプのコーヒーミルだ。
「親父曰く、機械だと微妙な味が出ないんだって。こっちはそんなにすごい味覚が備わってる訳じゃないんだから、勘弁してほしいんだけど」
言いながら、粉になった豆をコーヒーフィルターに入れ、沸かしておいたお湯をゆっくりと注ぐ。
「何だかんだ言いながら、シアンって手際がいいじゃない。あ、カップくらい出すわね。どれを出せばいい?」
「どれでもいいよ。好きなのがあれば、それで」
言われてディシュリーンは食器棚を物色し、きれいなブルーのリボンが描かれたマグカップと、小さなクマが歩いている柄のマグカップを取り出した。
シアンはそれらに淹れたてのコーヒーを注ぎ、ディシュリーンの要望で彼女の分はミルクたっぷりのカフェオレにする。
二人がカップを持って生まれたばかりのひなの所へ戻ると、よたよたと歩き出そうとしていた。
「……さっきまで温かかったのに、外へ出して冷えたせいかな」
「このお天気で、冷えるとは思えないわよ」
太陽の光がさんさんとふりそそぎ、暖かいと言うよりは暑いところまで気温は上がっている。機械の熱でたまごが温められていたとしても、今の季節で亀裂が入る程には急激に冷えたりしないだろう。
この程度でたまごにひびが入るなら、冷蔵庫から出したたまごは料理するまでにひびが入りまくりになっているはず。
「元々ひびが入っていたのが、はっきり出ただけじゃないの? きっとその下へ転がってくるまでに、どこかで衝撃を受けてたのよ」
たまごは割れやすいイメージがあるが、縦の衝撃には強いと聞く。だが、シアンが見付けるまで、どんな衝撃があったかは不明。むしろ、まったくの無傷である方が不思議だろう。
「ディシュリーン……」
「どうしたの?」
「このたまご、動いてるような気がする」
「え……」
二人して、シアンの手の中のたまごを凝視する。
小さな亀裂の一部に小さな穴があき、そこから少し尖った薄黄色いものがわずかに現れた。これは、くちばしというものではなかろうか。
種類はともかく、鳥系の動物だ。
「これって……もしかして、孵化するんじゃないの?」
「ただのたまごじゃなかったんだ。ど、どうしよう、ディシュリーン」
有精卵どころか、生まれる寸前のたまごを拾ってしまった。
「そう言われても、あたしだってこんな状況になったことないし。と、とにかく、落ち着いて」
そう言うディシュリーンの方が、シアンより慌てているみたいだ。
「何かで見たか、読んだかしたことがあるわ。こうして殻を破り始めても、完全に身体が出るにはまだ時間がかかるのよ。だから、生まれる前にどこか安全な所へ連れて行ってあげなきゃ」
「じゃ、とりあえず家に戻った方がいいのかな」
「そうね。あ、片手にたまごを持ちながら、自転車に乗る気なの? 危ないわ」
たまごを持ったまま、自転車に乗ろうとしたシアンを見て、ディシュリーンが止める。
「でも、カゴに入れたら、バウンドした時に余計なショックを与えちゃうだろ。ハンカチ程度じゃ、クッションにはならないだろうし。押さえる物がないから、角を曲がるたびにカゴの中で転がりそうだし」
「それはそうだけど……」
そもそも、シアンはハンカチを持っていない。現在持っている布と言えば、着ているティーシャツくらいだ。しかし、まさか脱いで自転車に乗る訳にはいかない。
もし、上半身裸で帰るところを近所の人に見られたら。
引っ越して早々「あそこの息子はちょっとおかしい」なんて噂をたてられるのは勘弁してほしい。
たまごを安全に入れられるようなポケットもないし、そうなると手で持つしかなかった。
「そのままだと、落とすかもでしょ。……あ、シアンの自転車、荷台があるわね。たまご、かして」
荷台が何だろうと思いつつ、シアンは言われるまま、こつこつと小さな音をたてているたまごをディシュリーンに渡した。
受け取ったディシュリーンは、たまごをキャンディのようにハンカチでゆるく包み、その端と端を結ぶ。それを持って、さっさとシアンの自転車の荷台に載った。
「二人乗りは平気? 行きましょ」
「え……」
自転車のカゴに入れると衝撃があるので、ディシュリーンがたまごを持つ。少しでも早く帰りたいので、自転車に乗る。結果、二人乗りで帰る……という流れになってしまったらしい。
「隣り同士だと、こういう時に便利ね。……ほら、何してるの、シアン」
「う、うん……」
ディシュリーンにせかされ、シアンは慌てて乗ると、ペダルを踏んだ。
☆☆☆
家に戻った頃には、たまごには無数の亀裂が入り、さっきくちばしが見えた部分には大きな穴があいていた。
そこから、ぬれた羽だか毛だかわからないものがわずかに見える。さらには、かすかに「ぴーぴー」という、鳴き声のようなものが聞こえてきた。
「ねぇねぇ、シアン。聞こえた? 鳴いてるみたいよ」
ディシュリーンは当然のようにシアンの家へ上がり、やや顔を赤らめながらたまごからの声に興奮している。
「うん。鳥みたいだね。何の鳥なんだろう」
シアンはリビングの低いテーブルの上にチラシを重ね、その上にティッシュを何枚も置いた。
これで、多少殻が散らばったり汚れたりしても、すぐに片付けられる。ひなが生まれて転がり出ても、直接冷たいテーブルに触れずに済むだろう。
シアンとディシュリーンは二人して床に座り込み、テーブルに顔を乗せるようにしてたまごのなりゆきを見詰めている。
当のたまごはと言えば、殻にひびを入れたのはいいが、そこから先になかなか進めないようだ。家に帰ってから、目立った進展があまり見られない。
「確かに、時間がかかるね」
「悪戦苦闘してるみたい。生みの苦しみって言うけど、生まれるのもきっと苦しいんだわ」
「これだけひびが入ってたら、簡単にぱかって割ってやれそうだけど。手助けなんかしたら、ひなのためにもよくないのかな」
見ていると、ちょっぴりもどかしくて、つい手を出してみたくなる。
「んー、少しだけならいいんじゃないかしら。親鳥も少しつついたりして、ひながたまごから出やすいようにしたりもするらしいわよ」
「何か、つつけそうなもの……」
シアンは、部屋の中を見回した。
ようやく家の中が片付いたのはいいのだが、自分の部屋はともかく、リビングやキッチンだと、どこに何がしまわれているのかをまだ把握しきれていない。
「ボールペンでいいかな。先が丸いから、ひなを傷付けることはないはずだし。あ……インクで汚すかな」
「油性じゃないなら、後で洗ってあげればいいじゃない。でも、気を付けて」
シアンはボールペンの先で、ひながあけた穴の周りをつついた。思っていたよりも、殻は堅い。中のひなが苦労するはずだ。
それでも、シアンが細かくつついたおかげで、少し穴が広がる。
「ほーら、がんばれ。もうすぐ出られるぞ」
その声に励まされたかのように、またひなの動きが活発になる。
途中、何度も休憩を入れながら、それでも確実に穴は広がり、時々シアンが助けてやりながら、やっとひなは殻の外へと転がり出た。
「やったぁっ」
それを見て、二人は思わず声を上げた。
ひなはたまごの中にいた時の格好でまだ丸まっているものの、とりあえず外へ出て来たのだ。
「よかった。無事に生まれたね」
「あは。あたしもついつられて、最後まで立ち会っちゃったわね」
その時、くうっという音が聞こえた。
ディシュリーンが何の音かわからずにきょとんとしていると、シアンが笑いながら頭をかく。
「はは……気が抜けたら、おなかすいた。昼、まだ食べてなかったんだ」
昼と言うよりは、もうおやつの時間だ。
「ただ缶コーヒーを買おうと思っただけなのに、このたまごを見付けたもんだから」
「簡単なものでよければ、何か作るわよ」
「え……い、いいよ。パンとコーヒーだけで済ませるつもりだったから」
「栄養のない食事内容ねぇ。まだ成長期なんだから、ちゃんとバランスよく食べないとダメよ」
「一度や二度くらい、平気だよ。父親が料理人だから、普段から野菜も肉もしっかり食べさせられてるし」
シアンはそう言ってから、せっかくディシュリーンが「作ろうか」と言ってくれたのだから、素直に作ってもらっておけばよかった、と激しく後悔した。でも、今更作ってくれ、とも言えない。
ディシュリーンにもパンを食べるかと尋ねたが、彼女はいいと断り、シアンはパンをかじりながらコーヒー豆を挽き始めた。
「シアンの家って、いつも豆から淹れるの? インスタントは?」
「プロの職人がいると、横着させてもらえないんだ。これが面倒だから、缶コーヒーを買うつもりでいたんだけど」
シアンに缶コーヒーを買うのを忘れさせたたまごの中身は、あちこちのたうちながら、身体を伸ばそうとしていた。
「うちでも、たまに豆から淹れる時はあるけど、機械で挽くわよ」
シアンが使っているのは、上に付いているハンドルを回して挽く手動タイプのコーヒーミルだ。
「親父曰く、機械だと微妙な味が出ないんだって。こっちはそんなにすごい味覚が備わってる訳じゃないんだから、勘弁してほしいんだけど」
言いながら、粉になった豆をコーヒーフィルターに入れ、沸かしておいたお湯をゆっくりと注ぐ。
「何だかんだ言いながら、シアンって手際がいいじゃない。あ、カップくらい出すわね。どれを出せばいい?」
「どれでもいいよ。好きなのがあれば、それで」
言われてディシュリーンは食器棚を物色し、きれいなブルーのリボンが描かれたマグカップと、小さなクマが歩いている柄のマグカップを取り出した。
シアンはそれらに淹れたてのコーヒーを注ぎ、ディシュリーンの要望で彼女の分はミルクたっぷりのカフェオレにする。
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