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第3話 退院しました。
しおりを挟むナースコールで来てくれた看護師さんは、望月さんではなく見たこともない看護師だった。『変な声が聞こえた』と訴えたら、何故か可哀想な目で見られてしまった。
それから必死になって大事な息子に挿さっている管とオムツを外して欲しいと訴えたのだが、医者の許可が出ないと外せないと言われた。
朝になれば担当医であるあの細面の医者に伝えると約束をもらったのは良いのだが『とにかく寝なさい』と言われたのでショックを受ける。
その日の午前中、担当医が回診に来て、昨夜の要望を聞き入れてくれた。
その際、何故か『僕はそっちの方は専門外だから何かあったら紹介状を書くよ』と言われたのだが、僕は何の事を言ってるのか理解できなかった。
それと今日から食事が出ると言われた。
最初は重湯らしいが、何日も固形物を口にしていないからとても腹が空いている。
早く何か食べたい……
午前中は点滴一本を残して全ての器具が外された。
午後から、リハビリが始まるようだ。
まずは軽く歩く練習をするらしい。
部屋のトイレに行けるので歩くのには問題がないのだが。
それよりも何故か体格が良くなっている気がする。
軽く腕を曲げると力瘤が出来るし、胸板も厚くなってる気がする。
それに腹筋も少し割れている。
「自転車乗ってたから筋力が付いたのか?」
こちらに引っ越してきた時は、一人になりたくて自転車であちこち走っていたのが良かったのだろうか?
いや、そんな事で直ぐに筋肉などつかないだろう。
きっと、目の錯覚に違いない。
それにしてもこの白髪は目立つな。
退院したら即効で染めないと……
鏡の前で少し長めの前髪を掻き分けてみると右端のオデコにも樹形の傷跡があるのに気付く。
「はあ、これじゃあ髪は長いままじゃないと目立つな」
気分は最悪だけど、生きてるだけマシだと思うことにした。
◇◇◇
夕方になると茜おばさんが見舞いにやってきた。
「ケンちゃん、順調だって先生から聞いたよ。上手くいけば明後日には退院できるって」
病室に来るまでに担当医と話をしてきたらしい。
「僕の為に毎日見舞いに来なくても良いよ。茜おばさん、仕事で疲れてるだろうし。それに夕飯の用意もしなくちゃいけないし」
「大丈夫よ。夕飯は千穂が手伝ってくれるし、主人も香穂の保育園のお迎えに行ってくれるしね」
茜おばさんは市役所に勤めている。
そして、茜おばさんの旦那さんである幸雄さんは養護学校の教員をしている。
優しくて穏やかな大人の男性だ。
その娘である長女の千穂と次女の香穂は賢一郎の従姉妹にあたる。
千穂とは同じ高一。
同じ学校に通っているが、校内で話をしたことはない。
保育園に通っている次女の香穂は今年で3歳だ。
この母親の実家でもある柚木家は、母親とその妹である茜おばさんの姉妹しかいなかった為、幸雄さんが婿に入ったそうだ。
残念ながらお祖父ちゃんとお祖母ちゃんは5年前に他界している。
柚木家はお互いが思い合う理想の家族だ。
そこに異物である僕が加われば、きっと良い事はない。
だから、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんが暮らしていた築60年の平家に独りで住んでいる。
ここは母と茜おばさんの実家でもある。
南側に庭があり、その先には畑が広がっている。
その畑の向こうに茜おばさん達が建てた新しい家に柚木家族が住んでいるのだ。
「そうなんだ。でもチーちゃんが料理できるなんて意外だな」
「うふふ、そうね。確かに小さい頃は外で泥んこになるまで走り回っていたけど香穂が産まれてからしっかりしだしたのよ。尊敬されるお姉さんになるんですって」
「へ~~、そうなんだ」
千穂ことチーちゃんとは小さい頃は一緒になって遊んだ。
夏休みになるとチーちゃんの友達、確かミーちゃんって言ったかな、一緒に3人で色々なところに出かけて遊んだのは良い思い出だ。
でも、年頃になるとチーちゃんは、僕の姉、凛音にべったりとなった。
それはチーちゃんが僕の姉である凛音に憧れているからだ。
その影響で御門家で厄介者だった僕の事をよく思っていないだろう。
「ケンちゃんも一緒に住めばいいのに。遠慮なんかいらないんだからね」
「遠慮はしてないよ。僕が1人の方が気が楽なんだ。こっちこそ壊す予定だったお祖父ちゃんちに住まわせてもらって申し訳ないよ」
「ずっと住んでてもらってもいいけど、あちこちガタがきてるからね。あの家」
「そんな事ないよ。まだまだ十分住めるから」
茜おばさんは、細かい事を気にしないホワホワした性格なので、こんな僕に対しても優しく接してくれる。プライドの高い自分の母親とは大違いだ。
「それにしても見事に真っ白になったわね。ロマンスグレーには若すぎるけど、結構似合ってるわよ」
茜おばさんは白くなった髪の毛を見ても驚かない。
僕の母親なら『みっともないから直ぐに染めなさい』と言われるところだ。
「そう言えばお姉ちゃんから連絡あったよ」
「……そうなんだ」
母親から連絡あったらしい。
病室は、重たい空気となる。
こっちに来てからまだ間もないが、両親や姉には会っていない。
僕もその方が気が楽だし、会いたいとも思っていない。
「お姉ちゃん、心配してたよ」
その言葉に返答はできない。
茜おばさんは気を使ってそう言ったのだろう。
あの家で厄介者でしかない僕の事を心配しているとは到底思っていないからだ。
それに生死の境を彷徨っていた入院中に僕に会いに来ようともしないのがその良い例だ。
ああ、嫌な事を思い出したら何だか眠くなってきた……
今みたいに目を覚ましてから、急に眠気がおそってくる。
まだ、本調子ではないのかもしれない。
「ごめん茜おばさん、僕、眠くなってきたからちょっと寝るね」
「そ、そうね。ゆっくり休みなさい」
茜おばさんは、寂しそうな顔をしながら『明日も来るからね』と言って病室を出て行った。
◇◇◇
あれから、突然襲われる眠気が頻繁になり、予定していた退院が1日延びた。
医者は、検査では異常がないと言われ、精神からくるものではないかと言われた。
退院する日、茜おばさんが迎えに来てくれた。
茜おばさんが柚木家で退院お祝いをすると言っていたが、丁重に断った。
茜おばさんはとても悲しそうな顔をしていたが、あの明るい家庭に入って祝ってもらう勇気はない。
作ってくれたお祝い用の料理をたくさん持たされたのだが、自炊をする気になれなかった僕はありがたく頂く事にした。
「はあ、明日は学校か……」
既にゴールデンウィークは終わっている。
また始まる監獄のような生活にうんざりする。
だが、高校は卒業した方が良い事はわかっている。
『良い成績で卒業する事が学費を出す条件だ』と両親に言われているが、勉強する事は苦ではない。勿論、反抗心が芽生えるが、今はあのクソ親達に従って、というか利用して早く独立したほうが得策だと考えている。
そうだ。髪の毛を染めないと……
今日、病院から家に帰る途中ドラッグストアで買ったものだ。
説明書を読みながら、半裸になって髪の毛を染める。
鏡を見ると胸の樹形跡がよく目立つ。
「はは、厨二を拗らせたコスプレオタクみたいだ」
鏡に映る俺の見た目は、痛々しい厨二野郎だ。
それより、明らかに変化した身体付きの方が気になっていた。
運動もろくにしてこなかったのに引き締まった身体に程よく筋肉が付いている。
腹筋が割れていたのは、目の錯覚ではなかったようだ。
「どうしたんだろう?これは……」
雷に打たれて筋肉が発達したなんて聞いたこともないし、ネットで調べてもそんな事例はない。
『ピピ…ピピ…』
セットしていたアラームがなったようだ。
髪の毛に付いた薬剤を落とそうと浴室に向う。
シャワーで髪の毛の薬剤を落として、軽くタオルで拭いた。
「えっ!?」
洗面所の鏡に映った姿を見て唖然とする。
説明書通りに髪の毛を黒く染めたはずなのに、全く染まっていなかった。
「間違えたのか?それとも欠陥品?」
面倒だけどやり直ししないと明日、白髪で学校に行かなければならなくなる。
目立ちたくない僕にとって、それは是非とも回避したい最重要事項だ。
午後7時、まだ店は開いている。
僕は、自転車に乗りドラッグストアーに白髪染めを買いに出かけた。
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