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第107話 仮初の夜の夢
しおりを挟むみんなが落ち着きを取り戻した、その夜。
俺は、センジュ王女を再び亜空間のログハウスへと呼び出した。
「これ、預かっていたネックレスを返すよ」
「うん、なんか綺麗になってるね。何かしたの?」
(十回も粉々にしたとは言えない……)
「ある能力を付与したんだ。――今、時間はあるか?」
「うん、大丈夫だよ」
「じゃあ、行こうか」
夜の静寂を抜け、俺たちは並んで日本に続くゲートをくぐった。
◇
私は、潮風渚(しおかぜ なぎさ)、十五歳。
都内の私立中学校に通う、ふつうの中学三年生――のはずだった。
小さい頃から、日曜の朝に放送されていた「女の子が悪と戦うアニメ」が大好きだった。
きらきらした変身シーン、仲間との絆、勇気をくれるセリフ。
そんな世界に、自分も声を吹き込みたいと思った。
夢を追いたくて、両親を説得し、学校に通いながら声優養成所にも通っていた。
クラスの友達には言えなかったけど、それが私の誇りだった。
ある日、養成所の知人から「業界に顔が利く人を紹介する」と言われた。
紹介されたのは、恰幅のいい中年の男性だった。
知人もその人も、「この人と繋がっておけば、仕事の話が来る」と口をそろえて言っていた。
――焦っていた。
自信も実績もない私が、チャンスを逃したら二度と立ち上がれない気がした。
だから、信じてしまった。
その人の言葉も、差し出された手も。
数日後、「プロフィール用の写真を撮ろう」と言われ、マンションの一室に呼ばれた。
……そのあとのことは、もう、思い出したくもない。
その日、そのマンションを出たところまでは覚えている。
けれど、その後の記憶は曖昧だ。
あの日、私は確かに死んだ。
だから、もうあの記憶を掘り返しても意味はない。
今の私は、この世界の第二王女として生きているのだから。
◇
この世界に生を受け、私は幼い頃から前世の記憶があった。
どうして、この世界に来たのかわからないが、死んで生まれ変わるとはこういうものだと素直に信じた。
ある日、教会に赴き“祝福”と呼ばれる儀式に参加した。
私が得た能力は【鑑定】。
ラノベやアニメでは王道な能力だが、この世界では貴重で珍しいものらしい。
しかし、私の保有する魔力量は一般的な数値だった。
姉であるアミリア第一王女は“姫騎士”という剣の扱いに優れたギフトで、妹のリリアーナは、まさかのクワトロ魔法使いだった。
その時の私は、随分と不安定だったと思う。
日本で死に、生まれ変わっても、何の役にも立たない――そう思い込んでいた。
そんな私を支えてくれたのが、アミリア姉さんだった。
彼女は優しく励ましてくれて、ときには一緒に寝てくれることもあった。
ある夜のこと。
姉さんを狙う暗殺者が、私たちの寝室に忍び込んできた。
全身黒ずくめのその小柄な影に、私は違和感を覚え、咄嗟に〈鑑定〉を発動した。
暗殺者は、従属の魔法で操られているだけの少女――そう知った私は、すぐに姉さんへ伝えた。
アミリア姉さんは、ためらうことなくその暗殺者を拘束した。
それが、狐獣人の少女・ククリとの出会いだった。
私は、彼女を救いたい一心で奔走した。
神官に頼んで従属の魔法を解かせ、代わりに私との〈隷属契約〉を結ぶことで、ククリをそばに置けるようになった。
ククリの祝福によるギフトは『暗殺』。
私は、その能力を他人に漏らさぬよう、彼女に固く誓わせた。
モフモフの美少女獣人・ククリがそばにいてくれるようになってから、私の心は不思議と落ち着いた。
前を向けるようになった私は、少ない魔力をどう活かすか考え、魔道具の研究に没頭するようになった。
難解な術式や古語も、〈鑑定〉の力を使えばある程度は読み解ける。
いつしか私は、魔道具という世界に夢中になっていた。
ある日、研究に行き詰まり、気分転換にアミリア姉さん――第一王女のもとを訪れた。
大森林での冒険や戦った魔物の話を聞きながら、久しぶりに笑い合った。
そこへ、アンジェラ公爵令嬢が現れた。
彼女は、白い髪の少年を探すため、明日から大森林へ向かうと言う。
その瞬間、私はなぜか胸がざわついた。
――行かなくては。
今思えば、あの時の直感は運命だったのだ。
白い髪の少年――ケンイチロウに出会うための。
◇
「大丈夫か?」
彼に手を引かれて、私は亜空間の奥――薄気味悪いモヤの向こうへと足を踏み入れた。
「まさか……ここって?」
鼻をくすぐる懐かしい匂い。
目の前に広がっていたのは、見慣れた日本家屋の一室だった。
「このことは秘密にしてほしい」
彼は少しだけ照れくさそうに言った。
「言わない。命にかけて約束する!」
「うちの家族は知ってるし、そこまで厳重な秘密でもないんだが……。
悪いことを企む奴がいないとも限らない。だから、信頼できる人にしか教えてないんだ」
彼は転生者ではなかった。
地球と異世界を行き来できる、特別な存在。
「ちょっと、こっちに来て」
案内されたのは洗面所。
鏡の前で、彼が私に言った。
「ネックレスを握って、日本にいた頃の姿を思い出して……【変化】って唱えてみて」
私は深呼吸をして、目を閉じた。
制服姿の自分、声優を夢見ていたあの頃――。
そのイメージを胸に、そっと唱えた。
「……【変化】」
次の瞬間、身体が淡い光に包まれた。
鏡に映るのは、あの頃の私。
懐かしい制服の質感に、胸が熱くなる。
「これって、どうして?」
「そのネックレスには【変化】の能力を付与したんだ。姿や形を変える魔法だよ。
ただ、素材がミスリルだから、変化できるのはせいぜい三、四時間くらいだな」
「すごい……! そんな魔法があるなんて!」
私は思わずその場でクルッと回った。
スカートがふわりと舞い上がる。
「見た?」
「い、いや! 見てない!」
明らかに焦っている彼の様子に、思わず笑ってしまった。
――年相応の、普通の男の子なんだ。
「それより行くぞ。時間がない。こちらの世界では、君が亡くなってからまだ二年しか経ってない。
調べたら……家族はまだ、立ち直れていないようだ」
「……え? どういうこと?」
「おそらく、魂が異世界に渡るとき、次元の波に巻き込まれたんだ。
俺も詳しくは知らないが、次元流に飲まれると、過去や未来へ飛ばされることがあるらしい」
「そうなんだ……。よくわからないけど……家族に、元気でいることを伝えなきゃ」
「その方がいい。――行こう」
そう言われた次の瞬間、私は懐かしい自分の部屋に立っていた。
机の上の参考書、ポスター、ぬいぐるみ。
すべてが、あの日のままだった。
「ちょっと用事を済ませてくる。変化が切れる頃に迎えに行くから」
そう言い残して、彼は姿を消した。
私は、誰もいない部屋を見回した。
胸の奥から込み上げてくるものを、もう抑えられなかった。
――懐かしい匂いと、あの日の私。
頬を伝う涙が、制服のリボンに落ちていった。
◇
しばらくの間、私は部屋の真ん中に座り込んでいた。
机の上には、私の教科書がきちんと並べられ、ほこり一つない。
――きっと、お母さんとお父さんが、今でも掃除してくれているのだろう。
ありがとう。
でも、私はもう、この世界では“死んだ人間”だ。
突然現れたら、きっと幽霊だと思われてしまう。
怖がらせたらどうしよう――そんな不安が胸をよぎった、その時。
――ガラッ!
勢いよく扉が開いた。
「……渚っ!」
その声を聞いた瞬間、心臓が跳ねた。
忘れようとしても忘れられなかった、あの声。
「お母さん……?」
お母さんは一瞬、目を見開いたまま動かなかった。
次の瞬間には、涙をあふれさせながら私に駆け寄り、強く抱きしめた。
「渚、渚……! 本当に……渚なのね……!」
嗚咽混じりに、何度も何度も名前を呼んでくる。
「お母さん……! ごめんなさい……! もう、会えないと思ってた……」
腕の中は、温かくて柔らかくて――懐かしかった。
私は子どものように泣きじゃくりながら、その胸に顔をうずめた。
それは、初夏の夜に起きた仮初の夢のような奇跡だった。
◇
影の中で成り行きを見守っていた俺は、
親子が抱き合った瞬間、静かにその家を後にした。
『マスター、粋なことをしますね』
「仕方ないだろ? いきなり“死んだはずの娘”が現れて拒絶されたら、目も当てられない」
『それにしても、さっきの“天使モード”は似合ってましたよ?
『あなたたちの善行により、亡くなった娘と会わせてあげよう。ただし時間は限られている』――あの女声、完璧でしたね。
マスター語録に登録しておきます』
「やめろ! てか、そんな語録あるのか!?」
『ええ、ずいぶん増えてきましたよ。
でも、“俺帰りましゅ”を超えるおもろ……名言は、まだ生まれてませんけどね』
「今、“おもろ”って言いかけただろ!?」
『気のせいです。――それで、これからどうします?』
「南極に置いてきた連中の住所、まだわかるか?」
『もちろん。でも、まさか本当に行く気ですか?』
「あの最初の子は、あのマンションを処理するだけで済んだが……
センジュ王女の場合は、家に“例のブツ”を隠してる可能性がある。
親切な人が、そう教えてくれたんだ」
『マスターに“親切な人”がいるなんて初耳ですね。どんな方なんです?』
「親切な人、だよ。あまり、ツッコまないでくれ」
『了解しました。――では、最初の目的地は◯◯です』
「わかった。時間がない、素早く片付けるぞ」
そうして俺たちは、南極に置いてきた連中の自宅をひとつずつ巡り、
そこに残された“ある物”を、すべて回収していった。
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