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第六話:母の言葉
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悠斗が押し黙ってスマートフォンを返すと、友人はにやにやと意地の悪い笑みを浮かべた。
「な? ヤバいだろ? アイツら、マジでアホだよな!」
「……うん。やばいってレベルじゃないね」
努めて冷静に相槌を返す。その裏で、悠斗の心はとっくに冷え切っていた。
(なんて、馬鹿な真似を……。勝手に霊の領域に土足で踏み込んで、そこの住人を怒らせただけじゃないか)
悠斗には、視える。普通の人には視えないはずの、彼らが。だからこそ、彼らの感情は……少しだけ分かるつもりでいる。
霊にとって、長年住み着いた場所は、人間にとっての"家"と同じなのだ。その大切な家に、ある日突然、見ず知らずの人間が、興味本位で、面白半分でズカズカと入り込んでくる。それを「ようこそ」と笑顔で歓迎する住人など、いるはずもない。
悠斗には霊が視える。だが、霊という存在が、苦手だ。それでも、そのくらいの最低限の"感覚"は、嫌というほど分かっている。
心霊スポットなど面白半分にそういう場所へ行って、もし何かあっても、それは自業自得なのだ。と。
動画の中で映っていた光景が、また頭の中でちらつく。あの廃屋に踏み込んだ数人の若者たちの、最初は軽薄であった表情が、次第に青ざめていく様子。そして最後に響いた、あの声。
カメラが捉えた、人影とも呼べない何かの姿。
友人はまだ何か言いたげであったが、悠斗は適当に話を合わせてその場を離れた。
。❀ 𓂃𓈒𓏸 。❀ 𓂃𓈒𓏸 。❀ 𓂃𓈒𓏸
昼休み。
悠斗は一人、屋上のフェンス際で、買ってきたパンを無心にかじりながら、眼下に広がる校庭の桜をぼんやりと眺めていた。
小高い丘の上の桜翁だけが、何も知らずに春の風の中、のんびりと枝をそよがせている。古い神社の境内に立つ、その一本桜は、毎年この季節になると見事な花を咲かせる。
だが、先程教室で見た怪奇現象の動画の光景が、頭の奥に貼り付いて離れない。あの廃屋の中で起こった出来事を思い返すたび、胸の奥がざわめく。
そしてもう一つ、どうしても気がかりなこと。あの動画を配信していた数人が、昨日から学校に来ていないらしい、という。
(関係ないことだ。そう割り切ってしまえば、それまでのはずなのに……)
胸の奥が、嫌な感じでずっとざわついている。まるで、暗い水の底から何かが這い上がってくるような、そんな感覚。
パンを一口かじって、目を閉じる。春の陽射しはこんなに暖かいのに、心は少しも安らがない。
その瞬間——
『霊はね、怖くないのよ。ただ、道に迷っているだけなの』
遠い記憶の底から、優しい母の声が、ふいに水面に浮かぶように蘇る。
母が倒れてからずっと、意識の奥に封じ込め、聞かないようにしてきた言葉。小さかった悠斗に、母がいつも語りかけてくれた、あの温かい声。
だが、悠斗は、どうしてもそうは思えない。霊は、怖い。間違いなく、恐ろしい存在なのだ。
現に悠斗の母は——あの優しかった母は、何かに襲われて、今も、もう十年も、意識の戻らないまま、あの白いベッドの上で眠り続けている。
(本当に霊が怖くないものなら、母さんがあんなことになるはずなんて、絶対に——)
屋上の重い鉄扉が、ギィと錆びた音を立てる。ふいに背後から、か細い声がかかった。
「あの……櫻井君……」
小柄な女の子が、少し不安そうな表情でそこに立っている。悠斗が驚いて振り返ると、彼女は悠斗の目を真っ直ぐに見詰めていた。
(この子は確か……翔太とよく一緒にいる。名前は……木崎 優花、だったか)
「翔太君……不動君が、昨日から家に帰ってきてないみたいで……。櫻井君は、不動君と仲が良いから、もしかしたら何か知ってるかもしれないって、みんなが……」
その言葉が、悠斗の頭の中で、一瞬だけぱちっと弾けた。
「え……翔太が、まだ……?」
確かに、あの廃屋の話を聞いた時、悠斗は翔太に警告した。あそこは面白半分で近づいてはいけない、と。中には入るな、と釘を刺しておいたはずだ。
(でも……翔太のことだ。あいつは昔からお人好しで、頼まれたら断れない。誰かの悲鳴でも聞こえれば、きっと、後先考えずに中へ飛び込んでいってしまう……)
それを分かっていながら、強く引き止めなかった。もっと強く言っていれば……もっと真剣に止めていれば……。後悔が胸に重くのしかかる。
(これは……僕の責任でもあるのかもしれない)
「ごめん……。僕も、その話は今、君から聞いて初めて知った。何も力になれそうにない……」
悠斗の言葉が、春の空気に小さな重みを落とした。遠くで響くのどかな鳥の鳴き声が、やけに空しく聞こえる。
女の子の大きな目が、ほんのりと潤んでいるのが分かった。
きっと、翔太のことを本当に心配しているのだろう。
「そっか……ううん、こっちこそ、ごめんね。急に話し掛けちゃって……。教えてくれて、ありがとう」
「あの……なにか分かったことがあったら……教えるね」
「うん……ありがとう」
力なく微笑むと、彼女は静かに扉の向こうへと消えていく。その小さな背中が、どこか心細そうに見えた。
「あんな、か弱い子にまで心配かけて……。翔太のやつ、一体何やってるんだ……」
やるせない呟きが、ぽつりと唇からこぼれ落ちた。
再び一人になった屋上で、悠斗は空を見上げる。雲一つない青空が、どこまでも続いている。
——かくも平和な、春の日であった。
こんなに穏やかな昼下がりだというのに、悠斗の心の中だけが嵐のようにざわついていた。
『霊はね、怖くないのよ』
また、あの優しい母の言葉が、胸の奥深くに響く。だが、今の悠斗には、その言葉があまりにも遠く、そして空しく感じられた。
「はぁ…………」
手の中に残っていたパンの袋を、くしゃりと、強く握りしめる。袋の中で、パンくずがかさかさと小さな音を立てた。
「な? ヤバいだろ? アイツら、マジでアホだよな!」
「……うん。やばいってレベルじゃないね」
努めて冷静に相槌を返す。その裏で、悠斗の心はとっくに冷え切っていた。
(なんて、馬鹿な真似を……。勝手に霊の領域に土足で踏み込んで、そこの住人を怒らせただけじゃないか)
悠斗には、視える。普通の人には視えないはずの、彼らが。だからこそ、彼らの感情は……少しだけ分かるつもりでいる。
霊にとって、長年住み着いた場所は、人間にとっての"家"と同じなのだ。その大切な家に、ある日突然、見ず知らずの人間が、興味本位で、面白半分でズカズカと入り込んでくる。それを「ようこそ」と笑顔で歓迎する住人など、いるはずもない。
悠斗には霊が視える。だが、霊という存在が、苦手だ。それでも、そのくらいの最低限の"感覚"は、嫌というほど分かっている。
心霊スポットなど面白半分にそういう場所へ行って、もし何かあっても、それは自業自得なのだ。と。
動画の中で映っていた光景が、また頭の中でちらつく。あの廃屋に踏み込んだ数人の若者たちの、最初は軽薄であった表情が、次第に青ざめていく様子。そして最後に響いた、あの声。
カメラが捉えた、人影とも呼べない何かの姿。
友人はまだ何か言いたげであったが、悠斗は適当に話を合わせてその場を離れた。
。❀ 𓂃𓈒𓏸 。❀ 𓂃𓈒𓏸 。❀ 𓂃𓈒𓏸
昼休み。
悠斗は一人、屋上のフェンス際で、買ってきたパンを無心にかじりながら、眼下に広がる校庭の桜をぼんやりと眺めていた。
小高い丘の上の桜翁だけが、何も知らずに春の風の中、のんびりと枝をそよがせている。古い神社の境内に立つ、その一本桜は、毎年この季節になると見事な花を咲かせる。
だが、先程教室で見た怪奇現象の動画の光景が、頭の奥に貼り付いて離れない。あの廃屋の中で起こった出来事を思い返すたび、胸の奥がざわめく。
そしてもう一つ、どうしても気がかりなこと。あの動画を配信していた数人が、昨日から学校に来ていないらしい、という。
(関係ないことだ。そう割り切ってしまえば、それまでのはずなのに……)
胸の奥が、嫌な感じでずっとざわついている。まるで、暗い水の底から何かが這い上がってくるような、そんな感覚。
パンを一口かじって、目を閉じる。春の陽射しはこんなに暖かいのに、心は少しも安らがない。
その瞬間——
『霊はね、怖くないのよ。ただ、道に迷っているだけなの』
遠い記憶の底から、優しい母の声が、ふいに水面に浮かぶように蘇る。
母が倒れてからずっと、意識の奥に封じ込め、聞かないようにしてきた言葉。小さかった悠斗に、母がいつも語りかけてくれた、あの温かい声。
だが、悠斗は、どうしてもそうは思えない。霊は、怖い。間違いなく、恐ろしい存在なのだ。
現に悠斗の母は——あの優しかった母は、何かに襲われて、今も、もう十年も、意識の戻らないまま、あの白いベッドの上で眠り続けている。
(本当に霊が怖くないものなら、母さんがあんなことになるはずなんて、絶対に——)
屋上の重い鉄扉が、ギィと錆びた音を立てる。ふいに背後から、か細い声がかかった。
「あの……櫻井君……」
小柄な女の子が、少し不安そうな表情でそこに立っている。悠斗が驚いて振り返ると、彼女は悠斗の目を真っ直ぐに見詰めていた。
(この子は確か……翔太とよく一緒にいる。名前は……木崎 優花、だったか)
「翔太君……不動君が、昨日から家に帰ってきてないみたいで……。櫻井君は、不動君と仲が良いから、もしかしたら何か知ってるかもしれないって、みんなが……」
その言葉が、悠斗の頭の中で、一瞬だけぱちっと弾けた。
「え……翔太が、まだ……?」
確かに、あの廃屋の話を聞いた時、悠斗は翔太に警告した。あそこは面白半分で近づいてはいけない、と。中には入るな、と釘を刺しておいたはずだ。
(でも……翔太のことだ。あいつは昔からお人好しで、頼まれたら断れない。誰かの悲鳴でも聞こえれば、きっと、後先考えずに中へ飛び込んでいってしまう……)
それを分かっていながら、強く引き止めなかった。もっと強く言っていれば……もっと真剣に止めていれば……。後悔が胸に重くのしかかる。
(これは……僕の責任でもあるのかもしれない)
「ごめん……。僕も、その話は今、君から聞いて初めて知った。何も力になれそうにない……」
悠斗の言葉が、春の空気に小さな重みを落とした。遠くで響くのどかな鳥の鳴き声が、やけに空しく聞こえる。
女の子の大きな目が、ほんのりと潤んでいるのが分かった。
きっと、翔太のことを本当に心配しているのだろう。
「そっか……ううん、こっちこそ、ごめんね。急に話し掛けちゃって……。教えてくれて、ありがとう」
「あの……なにか分かったことがあったら……教えるね」
「うん……ありがとう」
力なく微笑むと、彼女は静かに扉の向こうへと消えていく。その小さな背中が、どこか心細そうに見えた。
「あんな、か弱い子にまで心配かけて……。翔太のやつ、一体何やってるんだ……」
やるせない呟きが、ぽつりと唇からこぼれ落ちた。
再び一人になった屋上で、悠斗は空を見上げる。雲一つない青空が、どこまでも続いている。
——かくも平和な、春の日であった。
こんなに穏やかな昼下がりだというのに、悠斗の心の中だけが嵐のようにざわついていた。
『霊はね、怖くないのよ』
また、あの優しい母の言葉が、胸の奥深くに響く。だが、今の悠斗には、その言葉があまりにも遠く、そして空しく感じられた。
「はぁ…………」
手の中に残っていたパンの袋を、くしゃりと、強く握りしめる。袋の中で、パンくずがかさかさと小さな音を立てた。
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