縁が結ぶ影 ~呪われた巫女と結ぶ少年~

渡瀬 藍兵

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第五話:闇に沈む叫び

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 いつものように学校に着くと、教室の空気が、いつもよりほんの少しだけ、色を失っているように、悠斗には感じられた。

(……なんだろう。胸騒ぎがする)

 大きな窓から燦々さんさんと差し込む、春のあわい光。その光の帯の中を、名前も知らない誰かの記憶の欠片のように、微細びさいほこりがふわふわと無数に舞っている。何列にも並んだ机の天板てんばんに落ちた光は、まるで薄氷はくひょうのようであった。黒板には、今朝の一限目の授業の跡が、チョークの粉となって儚く残るのみ。

「おい、悠斗、ちょっと聞いてくれよ!」

 隣の席のクラスメイトが、何か面白い悪戯いたずらを見つけた子供のように、やけに上擦うわずっった声で悠斗の肩を叩く。

「朝からどうしたの?」

 悠斗がわずかに眉をひそめると、別の方向から、もう一人の友人がスマートフォンを突きつけてきた。

「これ!  昨日、うちのクラスの連中が消えたって!」

「マジでヤバいから、もう一回見よーぜ!」

 けたたましい笑い声。誰かが興奮して机を叩く乾いた音が、教室のあちこちに無神経に響き渡る。

 うながされるままに手に取ったスマートフォンには、まさに今、再生中の動画。その画面隅がめんすみには、まるで血で書かれたような、禍々まがまがしいフォントでタイトルが表示されていた。

 ─────────────────────

 【恐怖の心霊スポット 桜織旧病院さくらおりきゅうびょういんへ突撃!! 】

 ガクン、と画面が大きく揺れ、手持ちカメラ特有の、薄暗くノイズの多い映像が始まった。

 そこに映し出されたのは──桜織旧病院。

 夕陽。斜めに差し込む赤い光に照らされた、無残に崩れたコンクリートの壁。割れた窓ガラスの奥は、冥界めいかいへの入り口のようにぽっかりと黒い口を開けている。そのたたずまいは、もはや誰からも忘れ去られた巨大なむくろのようであった。

「よっしゃ、みんな!  準備はいいかー!?  今からこの廃病院に、俺たちが突撃だぜ!」

 配信主の奏多と思われる、やけに弾んだ甲高い声がスピーカーから響く。

「コメント、高評価よろしくなー!  チャンネル登録もな!」

 無理に作ったその明るさの端々に、隠しきれない緊張がにじんでいる。それが、画面越しに伝わってくる。

 ギィ……と、錆びついた鉄の扉を無理やり開く音。カメラが揺れ、懐中電灯の光が建物内部をなぞる。

「うわっ、暗っ!  思ってたより全然暗ぇじゃん!」

「マジでビビるわ、これ…足元やべぇし…」

「カビ臭っ!   こりゃあ本格的だなぁ!」

 仲間の一人がおどけて笑い、別の仲間の背中を乱暴に押す。だが、その笑い声はどこか強張こわばっていた。

 埃っぽくカビ臭い廃墟の廊下を進む複数の足音だけが、コツ、コツ、と不気味に反響していた。

「おい、奏多、この先どうなってんの?」

「知らねぇよ。とりあえず奥行ってみようぜ」

 カメラが左右に振られ、壁一面に 剥がれた壁紙、天井から垂れ下がった配線、無数の落書きが映し出される。

『たすけて』『ここからでたい』『かえりたい』

 ——子供の字で書かれたような、歪な文字の羅列。

「うわ、何これ……マジで怖ぇんだけど……」

 誰かが、震えた声でつぶやく。

「あ、悪趣味な悪戯だろ……」

 その時だった。

 パタン。

 遠くで、何かが倒れるような音。

「……今の、聞こえた?」

「聞こえた……奥の方から……」

 全員の足が、ピタリと止まる。

 静寂。

「…………」

「…………」

「……き、気のせいだろ。風で何か倒れたんだって」

「風なんか吹いてねぇよ……」

 カメラが再び前を向き、一行はゆっくりと廊下の奥へと進んでいく。

「あ、ここ!  この部屋、やばそうじゃね?」

 カメラが、半開きになった扉を捉える。その奥は、真っ黒な闇。懐中電灯の光すらも、吸い込まれるように消えていく。

「……入るの?  マジで?」

「ビビってんのか?  行くぞ!」

 ギギギ……と、扉がゆっくりと開かれる。

 そこに現れたのは、元患者用かんじゃようの病室だった。ベッドは倒れ、シーツは黒ずみ、窓ガラスは全て割れている。夕陽が斜めに差し込み、床に長い影を落としていた。

「うわ……なんか、ヤバい感じするな……」

 カメラがゆっくりと室内を映し出していく。

 その時。

 カタッ。

 部屋の隅に置かれたベッドのそばで、点滴だいが、かすかに揺れた。

「……え?」

「今……動いたか?」

 全員が、その点滴台を凝視する。

 しかし、それ以上の変化はない。

「……風だろ、風」

「だ、だから風なんて吹いてねぇって言ってんだろ!! ここ屋内だぞ!?」

 誰かの声が、いつもより明らかに大きくなる。恐怖を誤魔化すように。

「次、次行こうぜ!  ここ何もねぇよ!」

 一行は、足早に病室を後にする。

 廊下に戻り、さらに奥へ。

 だが、その瞬間——

 ピピッ。

 スマートフォンの画面に、バッテリー残量の警告が表示される。

「え、マジ?  さっきフル充電だったのに……」

「俺のも……!    なんでだよ……!?」

 不穏な空気が、じわりと彼らを包み込んでいく。

「……と、とりあえず、もうちょい先行ったら戻ろうぜ……」

 誰かが、小さく提案する。一同は固唾を飲んで、頷いた。

「み、みんな見てるか…?  ここが桜織旧病院だぜ……って……」

 奏多が配信中のスマートフォンを眺めるとコメント欄は彼の予想通り「いま……人影が……」「なんか声がこもるんだけど……』

 その先に現れたのは——手術室。

 扉には、古びた『手術室』の文字。ペンキはせ、扉の表面には無数の引っかき傷が刻まれていた。

「……ここ、入るの?」

「せっかく来たんだし……行くだろ」

 ギィ……

 扉が、重々しい音を立てて開かれる。

 そこには、おぞましい光景が広がっていた。

 鼻を刺すような腐った消毒液の匂いが、画面越しに漂ってきそうなほど。薄汚れた手術台が部屋の中央に鎮座し、その周囲には、用途も分からぬ医療器具がびついたまま散乱している。壁には、黒ずんだみが無数に浮かび上がり、天井からは裸電球が一つだけ、今にも落ちそうにぶら下がっていた。

「うわ……マジでヤバいって……ここ……」

 誰かが、息をむ。

 カメラがゆっくりと室内を映し出していく。

 その時だった。

 ゴトッ。

 奥の棚から、何かが転がり落ちる音。

「!?」こ

 全員の視線が、一斉にそちらへ向く。

 カメラが慌てて光を当てると——床に転がる、古びた注射器ちゅうしゃき

「……誰も触ってないよな?」

「触ってねぇよ……」

 そして、その直後。

 カラン。

 今度は、手術台の上に置かれていた金属製のメスが、床に落ちた。

 静寂の中、その音は異常なほど大きく響く。

「ひっ…お、おい……マジでやめろって……」

「誰が落としたんだよ!?」

「誰も触ってねぇって言ってんだろ!!」

 声が、徐々に上擦うわずっていく。

 そして——

 室内の空気が、急激に冷たくなった。

「さ、寒くね……?  急に……」

「うん……なんか、息が白く……」

 カメラ越しに、彼らの吐く息が白く染まっていくのが見える。真夏の夕暮れだというのに、まるで真冬のような冷気。

 その時。

『ひぃぃぃ……うっ……ひっく……』

 幼い子供がしゃくり上げるような、か細い泣き声が、部屋の奥から響いてきた。

「え……?」

「……今の……」

「な、何……?」

 全員が、完全に固まる。

『ひっく……おか……あ……さん……』

 泣き声が、少しずつ近づいてくる。

「おい……マジで……マジでやめろって……!!」

 さっきまでの虚勢きょせいは完全に消え失せ、仲間の声は明らかに恐怖で震えていた。

 カメラが、震えながら部屋の奥を照らす。

 すると——

 壁に滲んだ血痕けっこんのような黒いみが、じわじわと、まるで生き物のようにその範囲を広げていく。それが、カメラのライトに照らし出される。

「う、うそだろ……動いてる……染みが……動いてる……!」

「に、逃げよう!  逃げよう!!」

 だが、その瞬間。

 バチッ。

 懐中電灯が、一斉に消えた。

「え……?  ちょ、待って……!」

「つかねぇ!  つかねぇよ!!」

 真っ暗闇の中、パニックに陥る彼ら。スマートフォンの画面だけが、唯一の光源。

 そして——

 その時であった。

 グラリ、と揺れたカメラが、不意に"それ"をとらえた。

 薄暗い手術室の、最も奥まった隅。闇そのものが凝縮ぎょうしゅくしたかのような黒い影が、ずるり、ずるりと、音もなく床を這い出してくる。

 ……それは、幼い、小さな男の子の霊。

 白い病衣は見るも無残に破れ、かつて清潔せいけつであった面影おもかげはない。そして、光を失った黒く窪んだ両の眼窩がんか。そこには深い闇だけが広がり、獲物えものを見つけたかのように、カメラを——いや、撮影者さつえいしゃたちを、まっすぐに睨みつけていた。

『お……か……あ……ぁ…………さぁ………ん……!』

 掠れた、途切れ切れの声。『お母さん』という、その言葉。

 幼い子供が発するにはあまりにもおぞましいその響きには、どうしようもないほどの深い寂しさと、憎悪ぞうおが悲しいほどに滲んでいた。

「ゆ、幽霊!??   やばい!!  やばい!!  に、逃げろ!!!!」

 恐怖に駆られた一人が派手に転倒する。すぐ前を走っていた仲間が振り返り、助け起こそうとした、その時。

 影の中から伸びた骨張った小さな白い手が、転んだ仲間の足首を、ミシリと音を立てて強く掴んだ。

「う、うわあああああああああっ!!!!  離せ!!  離せよ!!!!」

「奏多!!  奏多!!!」

 画面が激しく乱れ、床に叩きつけられる鈍い音と、骨がきしむような嫌な音が混じり合う。悲鳴と怒号、そして——幼い子供の、か細い笑い声。

 ブツッ、というノイズと共に、映像は闇に飲まれた。
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