先生と千鶴

井中かわず

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千鶴と私

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たっぷり3時間も眠ってしまった。
薬を飲んだお陰か、完全ではないにしろかなり回復したようだ。
ふと物音を聞き取って寝室から出ると、なんと女の子はまだ部屋にいた。

「あっ、起きられましたか?」

「まだいたのですね…!」

「鍵を閉めるすべがないもので」

だとしても3時間も待つなんて、しかももっと遅くに目が覚める可能性は十分にあったのに。

普通じゃない。

しかもここは見ず知らずの男の独り部屋だ。
警戒心はどこにやってしまったのだろう。

「本当にありがとうございました、お陰さまで大分良くなりました。とても助かりましたよ」

驚きや少しの警戒心を隠しつつお礼を言った。
助かったのは事実だ。
女の子は嬉しそうに笑いながら、なにやらもじもじとしている。

「ごめんなさい…」

そしてそう小さな声で言った。

「?
なにがです?」

何がなんだか全くわからない。

「あの、覗くつもりはなかったんですけど、PCがつけっぱなしで…」

少しの間を置いてから、私の顔はきっと真っ青になり、そして真っ赤になっただろう。
私は昨日の夜、件の官能小説を書きかけの状態で放置していたのだ。
スリープモードになっていただろうが、きっと何かの拍子に画面がついて見られたのだ。

「それはあの、えっと…」

言い訳が思いつかない。
というか、言い訳する必要もないのだが。
しかし、女の子の口から出た次の言葉は意外なものだった。

「あなたは佐礼谷されたにミチフミ先生なんですか?」

「えっ」

それは私のペンネームだった。

女の子は自分の鞄をごそごそと漁ると一冊の本を取り出した。
「203号室の女」
書籍化した数少ない私の本だ。

「わたし、ファンなんです…」

ただでさえ体調不良で巡りの鈍い頭の中は混乱で真っ白になっていた。

こんな高校生が?
たまたま近所にいた女の子が?
声をかけてくれた人が?

そんな偶然あるもんか…。

なにも言わずに唖然としていると、女の子はすすすと近寄ってきた。

「私はくすのき千鶴と言います。
さあ、先生まだお加減はよろしくないのでしょう?
横になっていてください、お粥を作ります。
あ、だからお台所お借りしますよ」

千鶴と名乗った女の子はそう話をポンポン進めると、私をベッド誘導した。
成されるがまま、再び布団を掛けられた私はまだ混乱していた。

なぜこんなことになったんだ…。

ぼうっと天井を眺めていると、台所のほうからカチャカチャと調理をする音が聞こえ始めた。
幼い頃を思い出す。
この感覚、随分と久しぶりだ。
いつの間にかうとうとしており、千鶴の声で目が覚めた。

「先生?起きられますか?」

お盆を抱えた千鶴が立っていた。
上半身を起こす。千鶴がサイドテーブルに置いた卵粥は熱そうに湯気をあげていた。
葱がたっぷりかかり、生姜の匂いも漂っている。
朝からなにも食べていなかったので、その香りは失せていた食欲を少し刺激した。

「食べられそうですか?」

「はい、本当に何から何まですみません…いただきます」

千鶴の作ってくれた粥は優しい味で、ぼろぼろの身体によく染みた。
完食する私を千鶴は嬉しそうに見ていた。

「ねぇ、先生」

先生とは私のことなのだろうが、呼ばれ慣れない言葉がむず痒い。

「私時々、ここに来ていいですか?」

手をもじもじさせながらそう尋ねてきた。
大人としてはもしかしたら断るべきだったのかもしれないが、初めて出会った自分の著書のファンに少なからず好感を抱いていた。

「平日は仕事をしていますが、土日祝日であれば基本家にいます。いつでも来てください」

その言葉に千鶴は心底嬉しそうに笑った。
自分でOKを出しておいてなんだが、一人住まいの男の家に上がり込むリスクを彼女は理解しているのだろうか?と少し心配になる。

私はそんなことするつもりはないから…

と自分で勝手に言い訳をする。

「今日のお礼も改めてしたいですし、もし嫌じゃなければ連絡先を交換してもらえませんか?」

千鶴はぱぁっと顔を明るくして、慌てて自分のスマートフォンを持ってきた。
可愛いな、と思った。
でもこの時の感情はたぶん、子どもや仔犬を見た時と同じだと思う。

それ以来、千鶴は休みの日は毎回うちにやって来た。朝10時頃やってきて、夕方5時過ぎまで居座るのがお決まりだ。
別に何をするわけでもなく、私の世話を焼いたり、本を読んだり会話をしたり、たまには一緒にゲームをしたり、それだけだったが本人は楽しそうだった。
何度か一緒に出掛けようとも思ったが、女子高生をつれ回すのは不味い気がしてやらなかった。

約1年間は「いつ飽きるかな」と思いながら、そんな何でもない休日を楽しんでいた。
しかしその後、私たちは決定的な一線を越えることになる。
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