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 次の日のことだった。アイラの夫が会社に怒鳴りこんできたのは。
 入口に入るなり、そこのフロアで大声で叫んでいる。

「社長を出せ! うちの妻と浮気しているだろう」

 妻と浮気……?
 何を言っているのだろう、とその場にいる人間の怪訝な目が男に集中する。

「慰謝料を払え、慰謝料を!」

 騒動を聞きつけたミュゼーが、一人で大騒ぎをしている男の元に歩み寄った。

「ここの代表は私だけど?」

 明らかに女性が出てきて、アイラの夫は驚いたのか、一瞬勢いを無くした。しかし。

「お前が社長だと!? 嘘をつくな! 男を出せ!」

 そう言うと、食って掛かってくる。慌てて守衛が二人の間に割り込んで押さえこんだので事なきを得たが。

「まったく、なんなの、このみすぼらしい男は。早くつまみだしてちょうだい」

「俺は子爵だぞ! みすぼらしいとはなんだ! 訴えてやる」

「仮にも貴族だというのなら、それにふさわしい振る舞いをしなさいよ」

 男爵夫人が零落しているとはいえ子爵に対する口の利き方ではない。
 それを臆面もなくやってのけるのは、もちろん、自分の立場に自信があるからだ。
 堂々とした風格のミュゼーに、バーンズ子爵は精神的に押されていた。
 そこにアイラが飛び込んできた。

「あなた! 何しているの!? 恥ずかしいからやめてちょうだい!」

「あら、この人、貴方の夫なの?」

 ふーん、と言ったようにじろじろと守衛に取り押さえられている男を見るミュゼー。

「で、浮気? 私がアイラと浮気してるって言いたいの?」

 くすくす、と部屋中に笑いが渦巻いていく。

「ごめんなさいね、私、女性相手の性的嗜好はもってないわ」

「く……っ」

 まさか女がトップだとは思ってもいなかったアイラの夫は、嘲笑を受けたのに気づき真っ赤になってしまっている。

「それにアイラが誰かと浮気もありえないわね。朝早くに会社に来て、帰りは我が家の馬車で送ってるし、仕事中はずっと私の側にいる。男性とも会うチャンスあるけれど、全てそれは仕事関係だし常に私もいるものね」

「女は黙ってろ!」

 肩を竦めて説明するミュゼーに怒鳴るバーンズ子爵。そんな夫にアイラが叫んだ。

「黙るのは貴方の方でしょう!」

「アイラ……」

 怒りの形相で睨みつけられて、バーンズ子爵はぎょっとしたような表情を浮かべる。今までアイラにこのように強く反抗されたことなどなかったのだ。

「自分が浮気しているからって、なんでもかんでも同じように考えないでちょうだい! こんなところまで来て、皆さんにご迷惑までかけて……恥を知りなさい!」

「……この女っ!」

 唐突に体をよじったバーンズ子爵に守衛の手がすっぽ抜ける。バーンズ子爵は手を振り上げると目の前のアイラを殴りつけようとした。

 その瞬間、ミュゼーが咄嗟に近くの机の上にあった雑巾ダスターをその顔に思いきり投げつけた。

「夫婦のことに首を突っ込むな!」

 口に雑巾が入ってしまったバーンズ子爵はぺっぺっと床につばを吐いている。
 守衛に改めて体をがっしりと掴まれては、もう動くこともままならない。

「これ、正当防衛よね」

 ミュゼーは首を傾げて、大丈夫? とアイラを気遣った。

「人の会社に押し入ってきて暴れている人が何を言ってるのかしら。しかもこの私にも暴言を吐いたわよね? 仕事の邪魔もしているし、どれだけの罪の重ね掛けをすれば気が済むの?」

 そして、アイラの肩に手を置くと、彼女の夫を見据えた。

「この子はうちの社員よ。手を出すなんて許さない。とりあえず、暴行未遂でしょっ引いてもらいましょう。憲兵隊に連絡して」
「はい、ただいま」

 入口近くにいた従業員が慌てて外に駆けだしていく。

「うちの社員以外にも配達人の皆さまがいらしてたから、この暴挙の証人はたくさんいるわよね」

 フロアの騒ぎにも我関せずともくもくと作業をしていた人たちは、ミュゼーの言葉にいきなり周囲から注目を浴びて、慌ててこくこく頷いている。

「あ、僕、打ち合わせにきた通りすがりの取引先です。社外の人間ですから証人になれますよ」

 そう手を挙げて発言した男に、どっと周囲から笑いが漏れた。
 ミュゼーは彼にありがとうとほほ笑んで、改めてバーンズ子爵の方を向いた。

「貴方は単なる夫婦喧嘩と思っているかもしれないけれど、これはわが社に対して喧嘩を売ったのと同じなの。貴方がアイラにしたことも含めて、社会的制裁の意味を教えてあげるわ」

 周囲全員が自分の敵であることを今更ながら気づいたバーンズ子爵は、床に膝をついてうなだれた。
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