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4話

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黒崎が住んでいるオートロックのマンションは築浅で綺麗で、実家が太いって噂は本当なんだろうなと毎回招かれるたびに考えてしまう。
一人暮らしの大学生の部屋に、SHIROのハンドソープが置いてあるところなんてこの人の家でしか見たことがない。
行く途中で寄ったコンビニで、軽くつまめるお菓子と酒と俺の下着と歯ブラシを買っておいた。手洗ったら酒冷やしておいて、と言われて素直にはいと返事を返し、ガサガサコンビニ袋を音立てて冷たい缶を冷蔵庫に詰め込む。

「眠くなる前に先に課題終わらせようよ、俺去年取ってたからちょっとは教えられるし。パソコン持ってる?」

先に部屋に入っていつの間にかノートパソコンを起動させていた黒崎がそう俺に声をかけた。

なんだかんだこうやって、この人は最後まで面倒見の良い先輩なのである。
変に避けてしまっていたり、意味不明な嫉妬をしえいたりしたことを申し訳なく思いながら、ありがとうございますと礼を言って自分のパソコンを取り出した。

「2年って課題多いだろ、しんどいよなー」

「まあ…一年の時よりは増えたなと思いますけどギリ何とかなってますよ」

「優秀だね、俺先輩使いまくってたよ」

「そっちの方が難しいんですよ」

「そお?」

課題を立ち上げて準備していると、黒崎がいつのまにか眼鏡をかけていて、珍しくて思わずまじまじと見てしまう。黒縁で丸い形だった。丸顔で童顔の黒崎がつけるとかなり可愛らしい印象で、ちょっとびっくりしてしまう。

「…目悪かったっけ?黒崎さん」

「いや、ブルーライトのやつ。…なにジロジロ見てんの」

「や、見たことなかったからつい」

「いいだろ別に。その課題なら教授からデータもらってるでしょ、それの見方教えるから出して」

珍しいぶっきらぼうな返事に慌ててファイルを開きつつ、黒崎の赤くなった耳に気がつく。
照れてる?普段から自信たっぷりで謙遜なんかしないのが黒崎なので、こんな事で赤くなっていると思うとちょっとおかしくてなんだか可愛らしかった。

こんがらがりそうな大量の数字の羅列を黒崎がさらさらと解説していくと、頭の中が整理されていく。ついさっきまで頭を痛めてきただけの数字たちが急に頼もしい手掛かりになる。
出だしさえ上手くいけばその後はとんとん拍子に進むもので、時折黒崎に助言をもらいつつ調子良くキーボードをぱちぱち弾いた。

何度かこうやって助けてもらった事があったが、黒崎は人に教えるのが上手いと思う。
おそらく器用な性格なのだろう、うまく要所要所をかいつまんで伝えてくれるのですらすら頭に入る。バイト、家庭教師とか向いてるんじゃないんですか?と聞くと、教えるのも仕事ってなると面倒くさいからやだと言って笑っていた。

「すんなり終わったじゃん、ほんとに行き詰まってた?」
「……1人だともっとかかってましたよ」
「ふーんそうなんだ…、あと他はなんか課題残ってんの?」
「これだけです。マジでありがとうございました」

一瞬どきりとしたが、特に黒崎は気にしていないようだった。パタンとパソコンを閉じてよっしゃ!ゲームしよう!とはしゃぎだす。
ゲームハードの起動に着手し始めたので、酒持ってきますね、と声をかけて離れた。

薄暗いキッチンスペースに置かれた、一人暮らし用の背の低い冷蔵庫を開ける。
少し冷えた缶を取り出して、それからちょっとした出来心で、こっそり冷蔵庫の中を観察した。

中はほとんど空っぽで、仕送りで送られてきたらしい野菜がごろごろ雑に転がっていた。
料理はすると言っていたけど、節約目的では無くて趣味でやっているんだろうなと、無駄に多い調味料を見て勝手にそう解釈する。

(彼女が居そうな感じじゃ無くて良かった)

ぼんやりそう考えている自分に気が付き、何を考えてんだろうとぶんぶん頭を振る。




「クッッッソ!!また負けた!!」
「いえーい」

一通り新作のゲームをプレイして、結局俺たちは格闘ゲームを真剣に行なっていた。やっぱ対戦といったらこれだよなと初めて、かれこれもう何戦も戦っている。
基本、黒崎は何でもさらっと習得するタイプなのでゲームも上手い。だけどこの格闘ゲームに関して言えば俺は中学時代からとことんやり込み、さらに同学年から親戚の兄ちゃんまで挑戦者を叩きのめしてきた無敗の実力者である。負けるわけがない。

「惜しいと思ったのに!!もう一回だけやろ」

「何回やっても同じっすよ、俺ハンデで目隠ししましょうか?」

「なんだお前!!マジで絶対勝つまでやる」
 
コンビニで買った酒はとっくに飲みきって、貰い物だと言って黒崎が出してくれたスパークリングワインもそこそこ飲んでいる状態。
酔って気が大きくなった俺は、黒崎を負かしている状況が愉快で愉快でたまらなかった。

「じゃあ次黒崎さんが負けたらなんかペナルティね。罰ゲーム」 

「なんで!?嫌だよ」

「もう負ける気でいるじゃないすか。そんなんじゃ勝てないですよ!罰ゲームつけよう!」

「綾瀬、変な酔い方してない?」

酔ってないすよ、と返事はしたが、相当頭はふわふわしている。その証拠に、眉間に皺を寄せて不服そうに罰ゲームを受け入れた黒崎がなんだかちょっと可愛らしく見えた。じゃあもう、とびっきり困らせてやろうと思いついてしまう。

「キス!キスにしましょ、俺にチューしてください」

「それお前にとっても罰ゲームじゃないの」

「よっしゃー!負かすぞ!!」

「………………」

そんなふうに始まった、何回目かもわからない延長戦。
当たり前だが、酔っていたって長年使ってきたハメ技を俺が外すわけもなく、あっけなく黒崎が負けて勝負がついた。

「うわーきたな!嫌な勝ち方してきた!」 

「よっしゃー!!黒崎さん罰ゲームですよ!!さっき言ったもん!!」

「…綾ちゃんキスしたかったの?即死コンボ使ってまで勝って」

「……………え?は、いや」

時々、黒崎は俺のことをふざけて綾ちゃんと呼ぶ。
変な呼び方するなよ、くらいにしか思っていなかったのに、急に声のトーンを落として言われてぎゅっと心臓が跳ねた。
黒崎に言われた言葉が頭の中をぐるぐる回る。
キスしたかったの?いやいや。
でも情けない勝ち方したよな俺。でも別に。

後頭部をぐっと掴まれる。
やっぱ無しで、と俺が言うよりずっと早く黒崎が俺にキスをした。

柔らかく唇を啄まれて、頭が真っ白になる。
俺の頭の後ろを押さえていた手がゆっくり耳元に移動して、耳の後ろをすりすり撫でた。
ぞわりとうなじから背中を震えが伝う。また唇をぬる、と舐められて、前のキスを思い出してぶわっと顔に熱が集まり、恥ずかしくなって思わず目を瞑る。

「………綾瀬」

目を瞑ってみたはいいものの、それ以上深くなる前に黒崎は唇を外した。なんだか肩透かしを食らったような気分になったが、そんなことを考えている自分に驚いた。

「お前自分でキスしろって言っておいてめちゃくちゃガチガチになるのやめろよ」

「は?!なんですか急に」 

「顔真っ赤だよ。この前はともかく今のはお前が言ったんだろ」

「この前も赤くなってないです」

「なってたよ、気の毒なくらい。まあそれは俺が悪いんだけど」

そこまで言われて、一瞬酔いが覚める。
赤くなっていると指摘されたのが恥ずかしくて、余計に顔が熱くなる。あ、これか。多分また赤くなったのか、今ので。

「う、~~~~っっ」

恥ずかしくて情けなくて、さらにさっきまでの自分の言動も思い出して、耳元で心臓がバクバクなった。

「仕方ないでしょ、あれ初めてのキスだったんだから!!」

ごちゃごちゃに混乱した俺は、勢いのまま黒崎に向かって叫んだ。
もうどうにでもなれという気分だった。

「え、は、初めて!?」

「そうだよ!!初めて!!」

「彼女は!?」

「いたことねぇよ!!」

「じゃあ、えっ、」

「童貞に決まってんだろ!!手も繋いだことねえよ!!!!!」

「手を繋いだことも!??!」

黒崎の声がひっくり返る。
畜生、そんなに驚くことかよ。
あと20歳童貞は別に珍しくないだろがい。

「ご、ごめん!!綾瀬かっこいいから、まさか…ええと」

「俺も顔はかっこいいと思うんですけどねえ、男子校じゃ意味ないっすよねえ!」

「あーそっか…まあでも、大学は共学じゃん!多少は」

「練習もした事ないのに本番で輝く選手がいるとでも?デートしたら面接官ってあだ名つきました、質問攻めしたんで」

「おいマジか…」

心底驚いたという顔で黒崎がおれを眺める。失礼じゃない?

「あー…その、本当ごめん…初めてだったんだ…」

「なんでよそよそしくなったんすか、憐れんでます!?」

「憐れんでないよ!普通に申し訳なくなっただけ」

「それもすごい嫌です、情けないマジで……」

手で顔を覆うと頬が熱いのがわかった。
何をしてももう顔の熱が引かないとわかって、自棄になってコップに残っていたワインを一気に飲み干す。
アルコールの匂いに軽くむせると黒崎が背中をさすってくれた。
余裕だなあ。何だよもう。この人のせいでこんなに混乱して、掻き乱されて、どうしようもなくなってるのに。
そう思ったら、止まらなかった。



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