国一番のカタブツ閣下(四十路)は、陽だまりの庭で不器用な初恋を知る

冬苑

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第7話:夕暮れの探し物

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 秋の日は釣瓶つるべ落とし、とはよく言ったものだ。
 つい先刻まで空に残っていた茜色も、今はもう藍色の夜のとばりに溶け始めている。
 春は、一人、冷たい土の上に膝をつき、必死に地面に手を這わせていた。

「ない……どこにも、ない……」

 息が荒くなる。心臓が嫌な音を立てていた。
 いつも腰に下げている、小さな錦織のお守り袋。
 それが、ない。

 亡き母が異国から持ってきた、たった一枚の美しい布の端切れで作った、春にとって唯一の形見だった。

 恋に悩み、清純を避けるようになってから、春の心は常に不安定だった。
 そんな心の乱れは、必ず綻びとなって現れる。

「ぼくが……ぼーっとしてたから……」

 涙が滲み、視界が歪む。
 もう、このまま見つからなかったら。
 母との繋がりが、完全に断ち切れてしまったら。
 その恐怖が、春の体を芯から冷えさせていく。

 その時、背後から静かな声がかけられた。

「探しているのは、これか」

 びくりと振り返ると、そこに立っていたのは、清純だった。
 その大きな手に、見覚えのある、小さな彩りの袋が握られている。

「あ……!」

 声にならない声を上げ、春は夢中で駆け寄った。
 清純の手からお守り袋を受け取ると、安堵のあまり、その場にへたり込んでしまう。

「よかった……」
 袋を胸に抱きしめると、涙が後から後から溢れてきた。

 清純は、そんな春の姿を、ただ黙って見下ろしていた。
 仕事を終えて庁舎の廊下を歩いていた時、この袋が植え込みの根元に落ちているのを見つけた。
 そして暗がりの中、必死に何かを探す春に出くわしたのだ。

「……それほど、大事なものなのか」
 静かな問いかけに、春はしゃくりあげながら頷いた。
「……亡くなった、母の……形見、なんです」
 途切れ途切れに、言葉を紡ぐ。

「これだけが……母を、思い出せるもので……。本当に、……ありがとうございます、局長さま……」
 春は顔を上げた。
 涙で濡れた瞳が、真っ直ぐに清純を射抜く。

「ごめんなさい……! ぼく、ずっと、局長さまを避けるようなこと……!」

 助けてもらってばかり、迷惑をかけてばかり。それでも清純は嫌な顔を一つとして見せない。
 それなのに自分は勝手に思い悩み、こんなにお優しい方を避けていた。
 そのあまりに恩知らずな自分への嫌悪で、胸が張り裂けそうだった。

 清純は春の謝罪を遮るように、静かに首を横に振った。
「気にするな」
 その声は、いつもより幾分か、柔らかく響いた。

「……夜は冷える。早く帰れ」
 そう言って、春の傍らに屈みこむと、その細い腕を取って立ち上がらせる。
「見つかって、よかったな」

 ぽん、と。
 大きな手が、春の頭を優しく撫でた。
 幼子をあやすような、不器用で、ぎこちない手つき。

「……っ」
 春は息を呑んだ。

 時が止まる。
 大きな手の重みと温かさ。
 それが、全ての壁を溶かしていくような気がした。

 身分も、年齢も、何もかも。
 この温もりの前では、些細なことに思えてしまう。

 一方の清純は、はっと我に返り、すぐに手を離した。
 そして、ばつが悪そうに顔を背けると、「風邪を引くなよ」とだけ言い残し、足早に去っていく。

 春は、まだ自分の頭に微かに残る感触を確かめるように、そっとその場所に触れた。
 胸に抱いたお守り袋が、温かい。

 去っていく清純の背中を目で追いながら、春は胸の内にある決意を湧き上がるのを感じた。
 この想いを否定して、逃げるのはやめよう。
 たとえ叶わぬものであっても。
 あの人を想うこの気持ちだけは、偽らずに、大切にしよう。

 二人の間を隔てていた冷たい氷が、不器用な手のひらの温もりによって、少しずつ溶け始めた夜だった。
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