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なんでも手に入ると思っていた大馬鹿者へ
しおりを挟む彼は何一つ不自由のない生活を送ってきた。欲しいものはなんでも手に入り、時には願わずとも彼の手の中にあるものもあった。彼の人生において、お金が全てを解決してきた。そんな中で悠々と人生を過ごしていた。
「馬鹿じゃないの?」
人生で一番、心臓が脈打った瞬間だった。そんな言葉、誰からも言われたことはなかった。両親や兄妹、友人からも言われたことはなかった。
「お金でなんでも手に入ると思ったら大間違いよ、そんなこともわからないの?」
そう言うと彼女は、彼を睨みつけてその場を去っていった。残ったのは呆然と立つ彼とバラの花束。一枚の花びらが彼の靴の上に落ちて、風に飛ばされていった。
彼もまた、落ちた。
きっと落ちるのはこれで四度目。落ちて落ちて落ちて、また落ちた。懲りずにきっとまた、明日も落ちるかもしれない。
別に物で釣ろうとかお金で解決しようとは思っていない。とは言え、結局彼女はそう捉えてしまった。これの原因は明らかに彼にある、今日の一言でやっと理解することができたことだろう。
一度目は彼女の親友から「桜餅が好き」という情報を聞き出したため、有名桜餅店の永久無料チケット(特注)を渡そうとして「いただけません。お気持ちだけ受け取ります」と断られた。
二度目はいつもおしゃれな彼女に高級ブランドKUTTEの新作購入優先チケット(特注)を渡そうとして「安い服を何度も着るのが好きなんです」と断られた。
三度目は旅行好きと風の噂で聞いたため、全国のホテル無料サービス券(特注)を渡そうとして「いい加減にして。そんな高価な物、いただけません」と断られた。
しかし、これらの失敗を踏まえた上で、今回は長い間枯れることのない十色のバラの花束(特注)を渡そうと思ったのに、今度は一体何が気に入らなかったのだろうか。
「どうしたの?渉くん」
彼を取り囲む女は何もせずとも彼のそばに寄ってきた。彼は、彼をお金持ちと知って近付いていることに気がついているので、うんざりしている。そしてその事を別に隠しもしない素振りが余計に彼を腹立たせた。
「なんでもないよ。女心はわからないね」
「私は渉くんが好きだよ」
この女の腹の底はこんなにも簡単にわかるのに。彼女の心はどうしてわからないのだろうか。
「君が好きなのは金だろ」
そんな事ないよと言う女の顔は皆同じだ。そうに決まってんだろという言葉が顔に現れている。そうだ、彼女もこんなふうに顔に出してくれればいいのに・・・と思うが、彼女は常に嫌と言う顔をしていると思い返す。
彼は十八年という人生において、初めてこんなに欲しがった。別に、心の底から欲しかったものがなかった訳ではない。「欲しい」からの「はいどうぞ」の世界で生きていた彼にとって「欲しがる」と言う行為自体、する機会がなかったのだ。彼女はその初めての「欲しがる」という行為を彼に与えた。彼女はとても特別なのだ。
「君を手に入れるためにどうしたらいい?」
「あのねぇ、そもそも聞き方が悪いわ。私はモノじゃない。そしてそんなもん、自分で考えなさいよ」
「ん~~・・・」
「・・・・・・」
「僕はどうしたら君と仲良くなれる?」
「いいのよそれで。ほんと、おぼっちゃまって感じね」
笑う彼女はやっぱり可愛くて、尊くて、儚くて・・・彼の横で、彼女の横で、笑う二人の姿を想像するととても幸せだった。彼女の笑顔を見て彼はまた落ちた。落ちるのは五度目だ。深く、深く落ちていった。ずっと、彼のそばにいて欲しかった。
でも、手に入れることはできなかった。
彼女は「欲しがる」という行為の他に「お金で手に入らないもの」も教えてくれた。彼の財力を持ってしても、それを買うことは不可能だった。
命。
彼女は病を患っていた。幼い頃からの不治の病だった。
知っていたら、彼が彼女の病気を知っていたら何をしただろう。最先端の医療を彼女に与え続けただろうか。世界の名医を集めて彼女を治すために尽力を尽くしただろうか。それでも治らなかったら、何を与えたのだろうか。
でも彼女は彼が何を与えても拒んでいた気がする。どんなにお金を積んでも治らないものが、どうしようもないものがある事を彼女はずっと知っていたのだ。
「僕はなんで・・・なんて事をしたんだ・・・」
明日の生死もわからない彼女に、彼は永遠を与え続けた。それは希望かもしれないが、時には苦痛になる事もある。なぜ彼はそんな事も分からなかったのだろうか。
彼女に与えるべきだったのは物でも金でもなんでもない。心だった。ただそばにいてそれだけでいいと思えるような心だった。彼女のいう通り、彼は馬鹿だった。そんな事も分からない、ただの馬鹿だった。
だから、僕は書いた。震える手で、もう長くない命を全て込めて。あれから八七年
僕はずっと後悔していた。彼女に僕の心を与えなかった事を。
「拝啓、なんでも手に入ると思っていた大馬鹿者へ」
「受け取りました。必ず過去へお届けします」
「頼んだよ」
彼はそう言うと息絶えた。彼女が死んでから、彼は人生を賭けて過去と繋がれるものを作った。この手紙が本当に届くのかどうか、この先知るのはただ一人。
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