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閑話 雨宿りにて
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「そう、なのか」
「まったく、あの時は驚いたね。 あれは僕の人生で、一番の危機と言ってもいいくらいだ」
マゾーガが来てくれて一番助かった、と思うのは口煩くて、おしゃべり好きな爺の矛先がそちらに向かった事だ。
嫌な顔一つせず、爺の相手をし続けるマゾーガには感謝の言葉を贈りたい。
特に今日のように、今にも雨が振り出しそうな日はとてもでないが、キンキンと声変わり前の高い声で話す爺の相手などしていられない。
雨が降りそうな日は、調子が悪くなる。
女の身になってからなのだが、そういうものだと納得しているにしても、好き好んで苦労を背負う気はない。
爺の声を聞いていると頭が痛くてたまらない。
「あれは……そう、目の前から赤い桶を頭に乗せた少女が」
「む、さっそく降ってきたか」
鼻の頭に冷たい雨粒が当たったと思えば、いきなり土砂降りが降り始める。
しっかりした街道を歩いている以上、雨の中でも何とか進めるが、やはりそれは避けたいものだ。
目標は出来たが、かと言って急がなければならない旅というわけでもないのだから。
「仕方ない、少し走るぞ。 この先には廃教会があるはずだ」
こっそりと父の書斎からくすねた地図を思い出しながら、私は走り出した。
辺境だけではなく、王都までの道の詳細な地図なのだが、父も何を考えているやら。
あまりに詳しいこの地図は、持っているだけで処罰の対象になりかねない代物だ。
貴族といえど……貴族だからこそ許されないだろう。
「おでが、Gの荷物持つ」
「……悪い、頼むよ」
爺の荷物を担ごうと、マゾーガの太い足は戦斧と自分の受け持ちの荷物を担いだ上で、何の問題もなく走れる。
しかし、爺は荷物がなくとも、歩き通しの疲れきった足で走るのはまだまだ辛いようで、走り方がよたよたしていた。
その事を自覚しているのだろうが、それでも爺は悔しげな表情を浮かべる。
荷物を持たせて当然、ではなく、それでも遅れる自分が情けないと思えているなら、二人の間はあまり悪い事にはならないのではないかと思う。
見下さず、依存せずやっていけるなら、それは友という存在だ。
「あったぞ。 もう少し頑張れ、爺!」
「はいっ!」
街道の脇にぽつんと、次の街までは半日ほどあり、あまり人通りが多いわけでもないというのに、不釣り合いなほど大きな教会を見つけた。
人の気配はなく、石造りの壁一面に蔦が生えている。
立派な扉があったであろう場所には今は何もなく、私達を阻む存在はない。
「ふう」
中に入ってみれば、調度の類はほとんど残されておらず、略奪者が持って行く価値も無いと判断したであろう木製の長椅子が乱雑なままに置き捨てられている。
一応の礼儀として、奥に残されていた神の子の像に一礼しておく。 まぁ略奪者の手を逃れられる程度の出来だな、と失礼な事を考えながらだが。
床からはそれなりに草が生えてきているが、夜露を凌ぐのには問題はないだろう。
走り込んできた爺は荒い息で、どさりと長椅子に腰掛けようとした。
「やめておいたほうがいいぞ」
「え、なんでで、うわぁ!?」
腐っていた長椅子は、爺の身体すら支えられず、爺は座り込んだ勢いのまま、床に転がる事になる。
「は、早く言ってくださいよ……」
「よく見ていなかったお前が悪い。 とりあえず今日はこの場所をお借りしよう」
そう言って私が荷物を下ろした時だった。
「おっと、先客がいらっしゃいやしたか!」
威勢のいい老人が、人懐っこい笑顔を浮かべながら入ってきた。
旅装は使い込まれ、どこからどう見ても旅人だ。
肩に担いだ背負い袋からは、ガチャガチャと木々がぶつかり合う音を立てている。
「いやぁ、すんませんね。 あっしも休ませてもらっていいですかね」
「ああ、構わないよ」
私はチィルダを腰から外し、鞘の代わりに巻いていた私の予備の服を外しながら言った。
「泥棒と一夜を共にした事はあまりない。 少し話を聞かせてくれればないか?」
「はっ?」
濡れた服を巻いたままでは、チィルダがいくら魔剣と呼ばれる存在でも錆びてしまう。
柄だけは何とか出来たが早い事、鞘も用意せねばなあ。
柄糸もその場しのぎで、あまりいいものではないが、こうやって色々と手をかけていくのは楽しい。
「なんでまたあっしを泥棒扱いなさるんで」
「そうですよ、お嬢様! さすがにそれは失礼です!」
「前の村からずっと着けていただろ。 そのくせ殺気はない。 時期を見計らっていたようにしか思えないな」
「なんとまあ」
老人は呆れたように嘆息した。
「こ、根拠がありませんよ!」
「いや、庇っていただきありがたいんですがね、坊ちゃん。 実はそちらのお嬢さんの言う通り、あっしは泥棒というやつでして」
「え、ええー!?」
チィルダの刀身についた水滴を丁寧に払いながら、私は老人に問いかける。
「案外、あっさりと認めるのだな」
「泥棒の道でおまんま食って、そろそろ五十だか六十年になりましてね。 ちょいとばかり逃げ隠れする自信ってやつがありやす」
老人はどかりと私の前に腰を下ろし、あぐらをかいた。
こうしてしまえば、逃げるのは難しい……ように見せかけておいて、重心が後ろにあり、何とでも動けそうだ。
これならば、いざ逃げようという時、相手の虚を突けるだろう。
なかなかの古狸だな。
「そいつがお嬢さんのような女子供に正体、見破られた日には、おまんまの食い上げですわ。 一体、どうやって……と思いやしてね」
「油断したなあ、ご老人」
「いや、まったくですわ。 貴族の令嬢に、ちびっこい子供に、にぶそうなでかぶつと思いきや、あっしの方が騙されるとはなあ」
「おでも、ゾフィアも、気付かないふり、した」
下手に気付いた素振りを見せては、この老人は絶対に私達の前に現れなかった。
それくらいの用心深さがなければ長い間、泥棒などやっていられまい。
「いやぁ、まいったまいった。 こりゃあっしの完敗ですな」
悪びれもせず、老人はいっそ朗らかに笑った。
それに比べ、弁護側に回ってしまった爺は、不機嫌を絵に描いたような顰めっ面だ。
「お嬢様、泥棒なんてやつは衛兵に突き出してやりましょうよ!」
と、言っても実は証拠がなかったりする。
私とマゾーガの思い込みと、自分が泥棒だと言っている老人がいるだけなのだ。
さて、爺をどう言いくるめようか、と考えていると、老人が口を開いた。
「そいつは勘弁してやってくださいませんか、坊ちゃん」
「泥棒にかける情けなんて、あるはずないだろ!」
「そいつが大ありなんで。 ちょいと聞いてやってはくださいませんか。 実はね、この前、盗みに入った家なんですが、こいつがひでえ貧乏な家でしてね。 入った瞬間、失敗した!と思ってしやいやしたよ」
額をぴしゃん、と叩く音が、教会に響く。
「一家四人が暮らしてる家だってのに欠けた皿が一枚しかねえときたもんで。 あっしもつい妙な気持ちが出ちやいまして、ついその家に銀貨の一枚置いてきちまいまして」
「……泥棒のくせに、いい事するんだな」
老人の軽妙な語り口に、引き込まれていく爺に、私は心配になった。
少しばかり人を信じ過ぎではないか。
まぁマゾーガも興味深そうに聞いているし、口を挟む気はないが。
「いやいやいや、ただの気まぐれってやつでさあ。 でね、ついつい心配になって、またその家を見に行っちまったわけですよ」
「でね、あっしは何とかして、仕事道具を質屋から取り戻す金を作らないといけんのですわ」
「そうか……泥棒って言っても悪い奴ばかりじゃないんだなあ」
老人の滑稽な失敗談は見事、爺の警戒心を解いたようで、一刻もすればげらげらと笑い、涙ぐみ、すっかり信じ込む爺の姿があった。
そのうち飴をやるから着いてこい、と言われて、人攫いに連れていかれるんじゃないのか。
どうにも情けない、と思っていると苦笑いを浮かべた老人と目が合った。
爺よ……作り話でだまくらそうとしている相手に、心配されてどうするんだ、お前は……。
「まったく、あの時は驚いたね。 あれは僕の人生で、一番の危機と言ってもいいくらいだ」
マゾーガが来てくれて一番助かった、と思うのは口煩くて、おしゃべり好きな爺の矛先がそちらに向かった事だ。
嫌な顔一つせず、爺の相手をし続けるマゾーガには感謝の言葉を贈りたい。
特に今日のように、今にも雨が振り出しそうな日はとてもでないが、キンキンと声変わり前の高い声で話す爺の相手などしていられない。
雨が降りそうな日は、調子が悪くなる。
女の身になってからなのだが、そういうものだと納得しているにしても、好き好んで苦労を背負う気はない。
爺の声を聞いていると頭が痛くてたまらない。
「あれは……そう、目の前から赤い桶を頭に乗せた少女が」
「む、さっそく降ってきたか」
鼻の頭に冷たい雨粒が当たったと思えば、いきなり土砂降りが降り始める。
しっかりした街道を歩いている以上、雨の中でも何とか進めるが、やはりそれは避けたいものだ。
目標は出来たが、かと言って急がなければならない旅というわけでもないのだから。
「仕方ない、少し走るぞ。 この先には廃教会があるはずだ」
こっそりと父の書斎からくすねた地図を思い出しながら、私は走り出した。
辺境だけではなく、王都までの道の詳細な地図なのだが、父も何を考えているやら。
あまりに詳しいこの地図は、持っているだけで処罰の対象になりかねない代物だ。
貴族といえど……貴族だからこそ許されないだろう。
「おでが、Gの荷物持つ」
「……悪い、頼むよ」
爺の荷物を担ごうと、マゾーガの太い足は戦斧と自分の受け持ちの荷物を担いだ上で、何の問題もなく走れる。
しかし、爺は荷物がなくとも、歩き通しの疲れきった足で走るのはまだまだ辛いようで、走り方がよたよたしていた。
その事を自覚しているのだろうが、それでも爺は悔しげな表情を浮かべる。
荷物を持たせて当然、ではなく、それでも遅れる自分が情けないと思えているなら、二人の間はあまり悪い事にはならないのではないかと思う。
見下さず、依存せずやっていけるなら、それは友という存在だ。
「あったぞ。 もう少し頑張れ、爺!」
「はいっ!」
街道の脇にぽつんと、次の街までは半日ほどあり、あまり人通りが多いわけでもないというのに、不釣り合いなほど大きな教会を見つけた。
人の気配はなく、石造りの壁一面に蔦が生えている。
立派な扉があったであろう場所には今は何もなく、私達を阻む存在はない。
「ふう」
中に入ってみれば、調度の類はほとんど残されておらず、略奪者が持って行く価値も無いと判断したであろう木製の長椅子が乱雑なままに置き捨てられている。
一応の礼儀として、奥に残されていた神の子の像に一礼しておく。 まぁ略奪者の手を逃れられる程度の出来だな、と失礼な事を考えながらだが。
床からはそれなりに草が生えてきているが、夜露を凌ぐのには問題はないだろう。
走り込んできた爺は荒い息で、どさりと長椅子に腰掛けようとした。
「やめておいたほうがいいぞ」
「え、なんでで、うわぁ!?」
腐っていた長椅子は、爺の身体すら支えられず、爺は座り込んだ勢いのまま、床に転がる事になる。
「は、早く言ってくださいよ……」
「よく見ていなかったお前が悪い。 とりあえず今日はこの場所をお借りしよう」
そう言って私が荷物を下ろした時だった。
「おっと、先客がいらっしゃいやしたか!」
威勢のいい老人が、人懐っこい笑顔を浮かべながら入ってきた。
旅装は使い込まれ、どこからどう見ても旅人だ。
肩に担いだ背負い袋からは、ガチャガチャと木々がぶつかり合う音を立てている。
「いやぁ、すんませんね。 あっしも休ませてもらっていいですかね」
「ああ、構わないよ」
私はチィルダを腰から外し、鞘の代わりに巻いていた私の予備の服を外しながら言った。
「泥棒と一夜を共にした事はあまりない。 少し話を聞かせてくれればないか?」
「はっ?」
濡れた服を巻いたままでは、チィルダがいくら魔剣と呼ばれる存在でも錆びてしまう。
柄だけは何とか出来たが早い事、鞘も用意せねばなあ。
柄糸もその場しのぎで、あまりいいものではないが、こうやって色々と手をかけていくのは楽しい。
「なんでまたあっしを泥棒扱いなさるんで」
「そうですよ、お嬢様! さすがにそれは失礼です!」
「前の村からずっと着けていただろ。 そのくせ殺気はない。 時期を見計らっていたようにしか思えないな」
「なんとまあ」
老人は呆れたように嘆息した。
「こ、根拠がありませんよ!」
「いや、庇っていただきありがたいんですがね、坊ちゃん。 実はそちらのお嬢さんの言う通り、あっしは泥棒というやつでして」
「え、ええー!?」
チィルダの刀身についた水滴を丁寧に払いながら、私は老人に問いかける。
「案外、あっさりと認めるのだな」
「泥棒の道でおまんま食って、そろそろ五十だか六十年になりましてね。 ちょいとばかり逃げ隠れする自信ってやつがありやす」
老人はどかりと私の前に腰を下ろし、あぐらをかいた。
こうしてしまえば、逃げるのは難しい……ように見せかけておいて、重心が後ろにあり、何とでも動けそうだ。
これならば、いざ逃げようという時、相手の虚を突けるだろう。
なかなかの古狸だな。
「そいつがお嬢さんのような女子供に正体、見破られた日には、おまんまの食い上げですわ。 一体、どうやって……と思いやしてね」
「油断したなあ、ご老人」
「いや、まったくですわ。 貴族の令嬢に、ちびっこい子供に、にぶそうなでかぶつと思いきや、あっしの方が騙されるとはなあ」
「おでも、ゾフィアも、気付かないふり、した」
下手に気付いた素振りを見せては、この老人は絶対に私達の前に現れなかった。
それくらいの用心深さがなければ長い間、泥棒などやっていられまい。
「いやぁ、まいったまいった。 こりゃあっしの完敗ですな」
悪びれもせず、老人はいっそ朗らかに笑った。
それに比べ、弁護側に回ってしまった爺は、不機嫌を絵に描いたような顰めっ面だ。
「お嬢様、泥棒なんてやつは衛兵に突き出してやりましょうよ!」
と、言っても実は証拠がなかったりする。
私とマゾーガの思い込みと、自分が泥棒だと言っている老人がいるだけなのだ。
さて、爺をどう言いくるめようか、と考えていると、老人が口を開いた。
「そいつは勘弁してやってくださいませんか、坊ちゃん」
「泥棒にかける情けなんて、あるはずないだろ!」
「そいつが大ありなんで。 ちょいと聞いてやってはくださいませんか。 実はね、この前、盗みに入った家なんですが、こいつがひでえ貧乏な家でしてね。 入った瞬間、失敗した!と思ってしやいやしたよ」
額をぴしゃん、と叩く音が、教会に響く。
「一家四人が暮らしてる家だってのに欠けた皿が一枚しかねえときたもんで。 あっしもつい妙な気持ちが出ちやいまして、ついその家に銀貨の一枚置いてきちまいまして」
「……泥棒のくせに、いい事するんだな」
老人の軽妙な語り口に、引き込まれていく爺に、私は心配になった。
少しばかり人を信じ過ぎではないか。
まぁマゾーガも興味深そうに聞いているし、口を挟む気はないが。
「いやいやいや、ただの気まぐれってやつでさあ。 でね、ついつい心配になって、またその家を見に行っちまったわけですよ」
「でね、あっしは何とかして、仕事道具を質屋から取り戻す金を作らないといけんのですわ」
「そうか……泥棒って言っても悪い奴ばかりじゃないんだなあ」
老人の滑稽な失敗談は見事、爺の警戒心を解いたようで、一刻もすればげらげらと笑い、涙ぐみ、すっかり信じ込む爺の姿があった。
そのうち飴をやるから着いてこい、と言われて、人攫いに連れていかれるんじゃないのか。
どうにも情けない、と思っていると苦笑いを浮かべた老人と目が合った。
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