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閑話 雨宿りにて2
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始めは一番、警戒していたはずの爺が結局は一番、老人に懐いていた。
だが、夜も更けてくると、真っ先に眠たそうにし始めたのも爺だ。
「ほーら、そろそろ寝ような」
「ぼくはまだだいじょうぶですよ。 お嬢様よりさきに寝るわけには……ぐう」
寝かしつけた爺をマゾーガがお姫様抱っこで、老人から少し離れた所に運び、間に自分も座った。
マゾーガも老人に気を許してはいるのだろうが、警戒をやめる気はないらしい。
「そちらのオークの旦那といい、お嬢さんといい、野にはまだまだおっかないのがわんさかいるもんだねえ」
オークの大部分は魔王側についているが、一部の連中は人間側の領域でも暮らしている。
辺境の村では滅多に見かけないが、都市に行けばそれなりの数は見るらしい。
それなりに長い時間、この老人といたのだ。
バレないとは思わなかったが、それに動じる事なく、さらりと流すところから見て、老人は都市部の人間なのかもしれない。
「私程度ではまだまだだろう」
「実際、どっちが上か下か天辺か、なんてもんはあっし程度じゃわかりませんわな。 ただあっしをすぱっと斬れるのは確かでしょうよ」
「まあな」
爺も寝てしまい、しばらく会話が途切れる。
私もあまりべらべらと話す方ではなく、マゾーガも似たようなものだ。
マゾーガはなかなかの聞き上手で根気もあるが、自分からはなかなか口を開かず、私は面倒くさければ聞く気もない。
「しかし、お嬢さん……何と言えばいいかがわかりやせんが……そいつはすげえ剣ですな」
黙々とチィルダの柄をいじっていると、老人はそんな事を言い出した。
「やらんぞ」
「まさか。 盗んだら呪われそうですからね、頼まれたって盗みませんや」
重いからな、チィルダは。
それくらいはやりそうだ、と私は頷いた。
「しかし、この剣なんて大したものではないぞ。 ただ少しばかり斬れるだけだ」
それなりに値の張る剣を買えば、火が出て氷も出る。
そういう意味ではチィルダに大した価値はない。
ただ私が使いやすいだけだ。
「いや、そういう事じゃないんで……お嬢さん、あっしは表向きにゃ鞘職人やってるんですが、そいつの鞘を見繕わせてくれやせんか?」
「どういう風の吹き回しだ?」
「……何となく、でしょうかね」
にこにこと、人当たりの良さそうな空気を纏っていた老人は、もういなかった。
どこにでもいる、疲れ切った老人の姿があった。
「代金はどうする?」
「いつか、あっしの頼みを一つだけ聞いてやくれませんか」
どこの誰とも知らない泥棒の頼みを聞いてやる、というのはどうにも酔狂な話だ。
「いいだろう」
だが、それが面白い。
「へへ、それじゃあ」
自分の荷物を漁り始める老人と、頭を振るマゾーガ。
「ゾフィアは、いつか痛い目を見る」
「ははは、だろうな」
「お嬢さん、色は何にいたしやすか?」
「黒だ」
それだけは譲れない。
今の世の剣の柄は赤、青、黄色とけばけばしすぎる。
絶対に黒だ。
「黒……黒、と。 あんまり人気がないんで、どこにしまったかな、と……あったあった」
鞘というよりは、ただの黒い金属の棒を老人は取り出してきた。
どうするつもりなのか、と訝しげに見ていると、老人はだらしなく笑い、いつの間にかくたびれた空気は消え失せている。
「あっしの腕なんてもんは大した事はありませんでね。 おっと、その剣をあっしに見せてくださいよ」
床にチィルダと同じくらいの長さの黒い金属の棒を置くと、老人は懐から木の枝のような棒を取り出した。
「戦場ってやつは剣が曲がって、鞘に入らなくなる事が多いらしいじゃないですか。 こいつはそういう時に使うもんなんですが」
老人が木の棒をさっと一振りすると、黒い棒が僅かに形を変える。
戦場ではどうしても剣の扱いが雑になってしまい、折れたり、欠けたり、曲がるのは日常茶飯事だ。
「魔術か」
そんな時、さらっとこういう魔術を使えれば、さぞかし重宝されるだろう。
「ええ、そうなんでさ。 こいつでお客さんを珍しがらせてね、まんまとお家にお邪魔して、裏のお勤めのお客さんにもなってもらうんでさ。 戦うための魔術と違って、あっしにも扱えますしね」
「なかなか考えたものだな」
その場で鞘を作る、というのは芸として面白い。
「だが、いいのか、飯の種を話してしまって」
「ええ……いいんでさ」
それだけを言うと、老人は黙りこくった。
それは重い重い沈黙だった。
「……そういえば、勇者は、どんな奴なんだ」
マゾーガが口を開くが、沈黙に耐えられなかったのか。
「そういえばよく知らんな。 すでに召喚されてはいるとは聞いているが」
「おや、お二人とも。 今、どこに行っても勇者様の話で持ちきりですぜ」
まず、と老人は講壇でも語るように前置きすると、
「北海の女剣士アンナ、これがまた美人だって話でさ」
「ほう」
「次に神より愛されし聖女プリライカ、これがまた美人だって話でさ」
「……ほう」
「そして、魔術に愛された王女シシュリナ様、これがまた美人だって話でさ」
「…………ほう」
「そんな三人とちちくりあいながら、王都で腕試しなさってるんだそうで。 どんな相手の挑戦も受ける、と息巻いてるそうですぜ」
なかなかねじ曲がった物言いだ。
「腕があれば、勇者のお供にはなれるんじゃないのか。 ゾフィアみたいに、強い女はいる」
「お嬢さんのように腕がありゃあ、そりゃあっしも文句はないですがね。 それなら何でアラストール様が入ってないんですかい!」
今の世で立ち会ってみたいと、私が心底願う相手が三人いる。
その中の一人、『剣聖』アラストール卿。
かの剣名は三国に響き渡っており、確か十年ほど前に一度だけ私も見た事がある。
まだその頃は幼かった我が身だが、今なら立ち会えるはずだ。
アラストール卿は御歳四十かそこら。
今が剣士として脂が乗り切った時期だろう。
そんなアラストール卿が、勇者一行に参加しないのは不思議だが、
「私はまだ勇者一行を見ていないのでな」
ひょっとしたら、相当な遣い手を集めたのかもしれん。
まぁ女だけを集めた、ただの助平なガキかもしれんが。
もし万が一、そうだとして戦場に助平心で出れるというのは、ある意味では大した物ではある。
「まったく……あっしが盗めなかった剣士様は、アラストール様一人だけなんですぜ。 アンナみてえな小娘をなんでまた」
老人はぶつくさと文句を言いながらも、手は休めはしない。
それこそ手品のように、この僅かな時間で鞘を一つこしらえてしまった。
「お嬢さん、出来やしたぜ。 まぁちょいと仕事は粗いでやすが」
「はっ」
私は老人の言葉を鼻で笑った。
「お前、自分の腕が一番だと思っているはずだ。 表の仕事も、裏の仕事も」
老人の作った鞘は、見事な物だった。
黒い鞘は試すまでもなく、ぴったりとチィルダの刀身を包み込むと、無理矢理にも理解させられる出来。
艶のある黒と、私に黙って僅かに混ぜられた淡い桜色が鞘の先に散っている。
「はっはっはっは、バレちまっては仕方ありませんや!」
悪戯を見つかった小僧のように、老人はかんらと笑った。
「これでもあっしは名の通った大盗賊、マウス団の首領やってた時期がありましてね。 あっしが首領やってた頃は人っこ一人殺めた事がないってのが自慢でしたよ」
老人はにやりと笑い、私を見据えて言った。
「しかし、お天道様には顔向け出来ないロクデナシの身、そんなもんが作った鞘……お使いになりやすか?」
「断られるとも思ってないくせに、よく言う」
チィルダを鞘に収めてみれば、一切のひっかかりもなく、反り返った刀身を包み込んだ。
もはや芸の域としか言いようがない。
私はもう苦笑いを浮かべるしかなかった。
「見事だ」
「そいつは結構なことで」
言葉だけは頭が低いが、その口振りからは当たり前だ、という自負しか見当たらなかった。
「ふん、老人。 ついでに貴方の名も歴史に残してやる」
どうせこの老人の事だ。 鞘のどこかに自分の名を刻むくらいはしている、と踏んで言ってみたが、
「そいつは有り難い話ですな。 しかしまぁお嬢さんばかりが、あっしの鞘を使ってるわけではないんで」
と、どうにも憎たらしい言葉が返ってくる。
まったく食えない老人だ、と私は首を横に振るしかなかった。
だが、夜も更けてくると、真っ先に眠たそうにし始めたのも爺だ。
「ほーら、そろそろ寝ような」
「ぼくはまだだいじょうぶですよ。 お嬢様よりさきに寝るわけには……ぐう」
寝かしつけた爺をマゾーガがお姫様抱っこで、老人から少し離れた所に運び、間に自分も座った。
マゾーガも老人に気を許してはいるのだろうが、警戒をやめる気はないらしい。
「そちらのオークの旦那といい、お嬢さんといい、野にはまだまだおっかないのがわんさかいるもんだねえ」
オークの大部分は魔王側についているが、一部の連中は人間側の領域でも暮らしている。
辺境の村では滅多に見かけないが、都市に行けばそれなりの数は見るらしい。
それなりに長い時間、この老人といたのだ。
バレないとは思わなかったが、それに動じる事なく、さらりと流すところから見て、老人は都市部の人間なのかもしれない。
「私程度ではまだまだだろう」
「実際、どっちが上か下か天辺か、なんてもんはあっし程度じゃわかりませんわな。 ただあっしをすぱっと斬れるのは確かでしょうよ」
「まあな」
爺も寝てしまい、しばらく会話が途切れる。
私もあまりべらべらと話す方ではなく、マゾーガも似たようなものだ。
マゾーガはなかなかの聞き上手で根気もあるが、自分からはなかなか口を開かず、私は面倒くさければ聞く気もない。
「しかし、お嬢さん……何と言えばいいかがわかりやせんが……そいつはすげえ剣ですな」
黙々とチィルダの柄をいじっていると、老人はそんな事を言い出した。
「やらんぞ」
「まさか。 盗んだら呪われそうですからね、頼まれたって盗みませんや」
重いからな、チィルダは。
それくらいはやりそうだ、と私は頷いた。
「しかし、この剣なんて大したものではないぞ。 ただ少しばかり斬れるだけだ」
それなりに値の張る剣を買えば、火が出て氷も出る。
そういう意味ではチィルダに大した価値はない。
ただ私が使いやすいだけだ。
「いや、そういう事じゃないんで……お嬢さん、あっしは表向きにゃ鞘職人やってるんですが、そいつの鞘を見繕わせてくれやせんか?」
「どういう風の吹き回しだ?」
「……何となく、でしょうかね」
にこにこと、人当たりの良さそうな空気を纏っていた老人は、もういなかった。
どこにでもいる、疲れ切った老人の姿があった。
「代金はどうする?」
「いつか、あっしの頼みを一つだけ聞いてやくれませんか」
どこの誰とも知らない泥棒の頼みを聞いてやる、というのはどうにも酔狂な話だ。
「いいだろう」
だが、それが面白い。
「へへ、それじゃあ」
自分の荷物を漁り始める老人と、頭を振るマゾーガ。
「ゾフィアは、いつか痛い目を見る」
「ははは、だろうな」
「お嬢さん、色は何にいたしやすか?」
「黒だ」
それだけは譲れない。
今の世の剣の柄は赤、青、黄色とけばけばしすぎる。
絶対に黒だ。
「黒……黒、と。 あんまり人気がないんで、どこにしまったかな、と……あったあった」
鞘というよりは、ただの黒い金属の棒を老人は取り出してきた。
どうするつもりなのか、と訝しげに見ていると、老人はだらしなく笑い、いつの間にかくたびれた空気は消え失せている。
「あっしの腕なんてもんは大した事はありませんでね。 おっと、その剣をあっしに見せてくださいよ」
床にチィルダと同じくらいの長さの黒い金属の棒を置くと、老人は懐から木の枝のような棒を取り出した。
「戦場ってやつは剣が曲がって、鞘に入らなくなる事が多いらしいじゃないですか。 こいつはそういう時に使うもんなんですが」
老人が木の棒をさっと一振りすると、黒い棒が僅かに形を変える。
戦場ではどうしても剣の扱いが雑になってしまい、折れたり、欠けたり、曲がるのは日常茶飯事だ。
「魔術か」
そんな時、さらっとこういう魔術を使えれば、さぞかし重宝されるだろう。
「ええ、そうなんでさ。 こいつでお客さんを珍しがらせてね、まんまとお家にお邪魔して、裏のお勤めのお客さんにもなってもらうんでさ。 戦うための魔術と違って、あっしにも扱えますしね」
「なかなか考えたものだな」
その場で鞘を作る、というのは芸として面白い。
「だが、いいのか、飯の種を話してしまって」
「ええ……いいんでさ」
それだけを言うと、老人は黙りこくった。
それは重い重い沈黙だった。
「……そういえば、勇者は、どんな奴なんだ」
マゾーガが口を開くが、沈黙に耐えられなかったのか。
「そういえばよく知らんな。 すでに召喚されてはいるとは聞いているが」
「おや、お二人とも。 今、どこに行っても勇者様の話で持ちきりですぜ」
まず、と老人は講壇でも語るように前置きすると、
「北海の女剣士アンナ、これがまた美人だって話でさ」
「ほう」
「次に神より愛されし聖女プリライカ、これがまた美人だって話でさ」
「……ほう」
「そして、魔術に愛された王女シシュリナ様、これがまた美人だって話でさ」
「…………ほう」
「そんな三人とちちくりあいながら、王都で腕試しなさってるんだそうで。 どんな相手の挑戦も受ける、と息巻いてるそうですぜ」
なかなかねじ曲がった物言いだ。
「腕があれば、勇者のお供にはなれるんじゃないのか。 ゾフィアみたいに、強い女はいる」
「お嬢さんのように腕がありゃあ、そりゃあっしも文句はないですがね。 それなら何でアラストール様が入ってないんですかい!」
今の世で立ち会ってみたいと、私が心底願う相手が三人いる。
その中の一人、『剣聖』アラストール卿。
かの剣名は三国に響き渡っており、確か十年ほど前に一度だけ私も見た事がある。
まだその頃は幼かった我が身だが、今なら立ち会えるはずだ。
アラストール卿は御歳四十かそこら。
今が剣士として脂が乗り切った時期だろう。
そんなアラストール卿が、勇者一行に参加しないのは不思議だが、
「私はまだ勇者一行を見ていないのでな」
ひょっとしたら、相当な遣い手を集めたのかもしれん。
まぁ女だけを集めた、ただの助平なガキかもしれんが。
もし万が一、そうだとして戦場に助平心で出れるというのは、ある意味では大した物ではある。
「まったく……あっしが盗めなかった剣士様は、アラストール様一人だけなんですぜ。 アンナみてえな小娘をなんでまた」
老人はぶつくさと文句を言いながらも、手は休めはしない。
それこそ手品のように、この僅かな時間で鞘を一つこしらえてしまった。
「お嬢さん、出来やしたぜ。 まぁちょいと仕事は粗いでやすが」
「はっ」
私は老人の言葉を鼻で笑った。
「お前、自分の腕が一番だと思っているはずだ。 表の仕事も、裏の仕事も」
老人の作った鞘は、見事な物だった。
黒い鞘は試すまでもなく、ぴったりとチィルダの刀身を包み込むと、無理矢理にも理解させられる出来。
艶のある黒と、私に黙って僅かに混ぜられた淡い桜色が鞘の先に散っている。
「はっはっはっは、バレちまっては仕方ありませんや!」
悪戯を見つかった小僧のように、老人はかんらと笑った。
「これでもあっしは名の通った大盗賊、マウス団の首領やってた時期がありましてね。 あっしが首領やってた頃は人っこ一人殺めた事がないってのが自慢でしたよ」
老人はにやりと笑い、私を見据えて言った。
「しかし、お天道様には顔向け出来ないロクデナシの身、そんなもんが作った鞘……お使いになりやすか?」
「断られるとも思ってないくせに、よく言う」
チィルダを鞘に収めてみれば、一切のひっかかりもなく、反り返った刀身を包み込んだ。
もはや芸の域としか言いようがない。
私はもう苦笑いを浮かべるしかなかった。
「見事だ」
「そいつは結構なことで」
言葉だけは頭が低いが、その口振りからは当たり前だ、という自負しか見当たらなかった。
「ふん、老人。 ついでに貴方の名も歴史に残してやる」
どうせこの老人の事だ。 鞘のどこかに自分の名を刻むくらいはしている、と踏んで言ってみたが、
「そいつは有り難い話ですな。 しかしまぁお嬢さんばかりが、あっしの鞘を使ってるわけではないんで」
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