修道士ギベールの手記

たま、

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第六章 裏切りという名の希望

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修道士ギベールの手記

人は自らを裏切り者とは呼ばない。
この頃、私の耳に最も多く届いた言葉は、
「現実的」という語であった。

「現実的に考えねばならぬ」
「感情では民は守れぬ」
「信仰だけでは城は保たぬ」

その言葉は祈りの言葉よりも頻繁に使われ、剣よりも多くの決断を動かした。


最初に異変を告げたのは南方から来た商人であった。
彼は痩せていたが目は爛々と輝いていた。
それが彼が生き延びた理由であることは語らずとも分かった。

「ある町は戦わずに残った」
彼はそう言い、それ以上を語らなかった。

問い返すと彼は肩をすくめた。
「門を開けただけだ」

その言葉は剣よりも冷たく、祈りよりも現実的であった。

町は焼かれなかった。教会も壊されなかった。
司祭は生き、民も生きた。
それは、成功の物語として語られ始めた。
そして、成功は常に模倣される...


数日後、別の話が届いた。
今度は門を閉ざした城の話である。

三日、城は耐えた。四日目の朝、門は内側から開いた。
誰が開けたのか語られなかった。
語る必要が無かったのだ。
その城は存在しなくなった。


この二つの話は並んで語られた。
人々は言った。
「選ばねばならぬ」

だが、それは二択ではなかった。
第三の道が密かに選ばれ始めた。

誰とも約束せず、誰にも知らせず、自分だけ助かる。

修道院でさえ例外ではなかった。
ある兄弟は言った。
「聖具は分けておこう」
「写本は隠そう」

それは、逃げるための準備であった。

私はその時、気づいてしまった。
裏切りは裏切りとして始まらない。
それは生きる希望として始まる。

ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー

門を開いた小領主

その領主は英傑ではなかった。
名は高くなく兵も少なく、城壁も強固ではない。
しかし、彼は数字を理解していた。
兵の数、食料の日数、援軍が来る可能性...

彼は夜ごと、独りで地図を広げ、指で距離を測った。

彼の顔は青白く、顎には無精髭が伸び、目の下には眠れぬ夜の日々によって黒ずんでいた。

彼は祈った。
だが祈りの後も計算をやめなかった。

やがて彼は結論に至った。
「戦えば皆死ぬ」

その結論は演算の結果であった。
感情を排せば当然行き着く答えだった。

彼は門を開けた。

条件は簡潔だった。
税を納めること。人質を差し出すこと。命令に従うこと。
それだけで町は残された。

彼は自らを裏切り者とは思わなかった。
「民を守った」
そう信じていた。

ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー

諸侯の反応

この成功は毒のように広がった。

「従えば生きる」
「抵抗する者だけが滅びる」

その言葉は恐怖を和らげ、同時に欧州各国が密な同盟を結ぶ理由を奪った。

諸侯は互いに疑い始めた。
「あの城は既に話をつけたのではないか」
「あの侯は援軍を送らぬつもりではないか」
「あの領主は敵に寝返って我らを背後から突くかもしれない」

疑念は弓矢よりも速く、密やかに広がった。
会合は形骸化し、返書は遅れ、沈黙が増えた。
裏切りは宣言されなかった。
それは連絡を絶つこととして現れた。

ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー

修道士ギベールの手記

修道院の鐘は、変わらず鳴っていた。
だが、その音はどこか空虚であった。
人々は祈りながら別のことを考えていた。
「この町は残るだろうか」
「ここは安全だろうか」

祈りは世界が救われるためではなく、個々の安全の確認のために捧げられた。

私はその夜、回廊で立ち止まり、こう書き留めた。
---裏切りとは悪意ではない。孤立した希望である---

誰もが生き延びたかった。
その願いが互いを切り離し、世界をばらばらにした。

この時、剣はまだ交わされていない。
だが、戦争は既に心の中で終わっていた。
外から来る敵は、その結果を収穫しに来るだけである。
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