白狼姫 -前九年合戦記-

香竹薬孝

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第1章 鬼切部の合戦 1

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 永承六(一〇五一)年冬、陸奥国玉造郡鬼切部おにこうべ付近の渓谷。

 

 日没迫る山間を、馬に乗った武将が雪化粧の木々の中にポツポツと燈る灯の方へと近づいていく。

 一時は前も見えぬ程に空模様が荒れたが、今はいくらか吹雪も小康状態となり何とか迷わずに辿り着けたことに安堵の息を漏らしながら馬を降りる。

 真っ白な息を吐きながら、厳めしい甲冑と、その上に羽織った外套の姿に気づいた二人の番兵が近づき、武将の素性を確認すると揃って慇懃に敬礼する。答礼を返す武将が番兵の一人に案内を命じ、もう一人に馬を預け、今にも吹雪に埋もれそうな灯の方へと向かっていく。

(しかし不用心だな。いくら吹雪とはいえ夜闇の灯火を隠しもしないとは、敵に居場所を知らせているようなものじゃ)

 番兵の後ろで周囲の陣幕を見回しながら心中で呟くも、すぐにその懸念を打ち消した。

(尤も、某もこの明りを目印に辿り着けたのだから何も文句は言えぬが。それに、この荒天の中を、須川の渓谷を越えて攻めてくる者もおらぬだろう。それよりも、今は早く火に当たりたい)

 

「推参いたす」

 身体中に積もった雪を払った後に陣の幕を潜る。

「多賀城より橘十郎元親、只今着陣致しましてござる」

「おお、ご苦労である。吹雪の中、難儀をかけたのう」

 本陣の総大将である秋田城介、平重成が火を囲いながら破顔し労いの言葉を掛ける。些か寛いだ様子ではあったが流石に陣中、立烏帽子に鎧を身に着けた戦装束が厳めしい。

 余談になるが、彼の嫡男は後に城氏を名乗り、その子孫に建仁の乱を企てた城長茂や板額御前がいる。

「麓の方は晴天でありましたが、この手前の峠から俄かに吹雪き始めました。日が暮れる前に着いて良うござった」

 重成に勧められ、畏まって火の傍に腰を下ろす。

(……火とは有り難いものだなあ)

 しみじみと薪に目を落とす。

 陣とは言っても、山間に建てられた猟師小屋を幾棟か拝借し手を加えて幕営した簡素なものであり、それにすら入りきらぬ兵卒達は即席の仮屋を拵え身を寄せ合って寒さを凌いでいる。とはいえ、重成をはじめ将兵達の殆どは隣国出羽出身の厳冬に慣れた者達である。隙間風どころか雪粒すらも暖を取る二人の前に吹き込んでくる寒さに、西国生まれの元親は重成の前で気丈を保ちながらも芯まで凍るような震えが中々静まらない。従卒が煎れてくれた白湯の一口が、思わず溜息が零れるほど身体に染みる。

 人心地ついたところを見計らって、重成が眉を顰めながら尋ねた。

「ところで、陸奥守様は如何なご様子か?」

 元親もまた同じような面持ちで答える。

「相変わらずでござる。吹雪でも雪崩でも構いはせぬ、今すぐにでも頼良の首を討ち取って参れの一点張り。登任様の任期もあと僅かに迫り、愈々焦っておられるのでしょう。何としても功を挙げて京に凱旋したいご様子」

 その返答に、予め大体予想はしていたものの悩まし気に重成が唸る。

「実はこの度陣を訪うたのも登任様より重成様への激励と様子伺いを命ぜられたのに他なりませぬ。首尾良き報告を持ち帰るまで多賀城に戻ることは許さぬときつく釘を刺されました」

「はは、そなたも難儀なことじゃ」

 苦笑するも重成の顔から苦悩の色は消えない。激励とはいうが要は早く結果を示せと元親を寄こして尻を叩きに来たのである。

「登任様、どうしても頼良の首が所望らしい。……いや、本音のところは、陸奥の砂金か」

 

 ――六箇郡の司に、安倍頼良といふ者あり。



『陸奥話記』の冒頭にそう記される六箇郡とは、奥六郡――胆沢、江刺、和賀、稗貫、紫波、岩手の各郡、北上盆地のほぼ全域を差し、当時俘囚と呼ばれていた降伏蝦夷が安住を許されていた。彼らを統治管轄していたのが六郡司、または俘囚長と呼ばれる者であり、代々安倍一族がその職務を担っていた。

 それがいつから、という正確な年代は定かではないものの、俘囚長としてこの地に赴任した安倍氏の祖先は、当初から周辺の有力な蝦夷や豪族との融和政策を執り、彼らと積極的な婚姻・血縁関係を結ぶなど、当地における一族の地盤を固めていった。その上で、新たな田畑の開墾や治水事業、集落の拠り所となる寺社の建立を介助するなど奥六郡の発展に尽力し、徐々に近隣豪族や蝦夷酋長らの支持、俘囚たちの忠誠を集めていくことに成功する。やがて気仙郡をはじめ陸奥の各地で金鉱が発見されると、津軽外ヶ浜を海外交易の拠点に定め、大陸との私貿易により莫大な富を築き上げるに至る。

 無論、本邦初の大規模な金鉱を半奴隷民同然の俘囚一味で独占し、朝廷を介さぬ密貿易で利益を得るなど本来は只では済まないことである。しかし、陸奥より賦貢と併せ続々と都に運ばれる渡来の珍物や駿馬、何より大量の砂金は朝廷や都の公卿の力では逆立ちしても手に入らぬものでもある。六郡司の上部機関であり目を光らせるべき多賀城国府の司もまた任期の五年間が連日安倍一族からの饗応三昧とくれば、わざわざ互いに血を流し事を荒立てようとする方が愚かの極みというもの。俘囚共の政は俘囚に任せておけばよい。我らやんごとなき都の真人が手を下すまでもなき事。

 いずれにせよ、既に安倍氏ら陸奥の勢力は朝廷さえも迂闊に事に及べないほどに強大なものとなりつつあったのである。

 それが一転したのが永承六年の事であった。

 時の多賀城太守藤原朝臣登任は、任期満了を翌年に控え突如態度を一変、奥六郡の賦貢滞納を激しく糾弾し、畏れ多くも朝廷に対する反抗の顕れであると断じたのである。

 これに対して安倍氏当主頼良は、賦貢は過分に余るほど上納しているはずと猛反発、これに覆い被せるように登任は安倍ら俘囚が盛んに衣川から栗駒方面へ不法に侵入し勢力拡大を目論んでいると弾劾したため、遂に決別。登任は秋田城之介に派兵を要請し、その兵力を安倍氏勢力圏の境界である衣川関付近に布陣させ、国府軍含め二千の将兵が栗原群周辺に臨戦態勢を整えた。ここに、永きに亘る奥六郡と国府多賀城との蜜月関係は終わり、両者一触触発の事態と相成ったのである。



「……とはいえ、宣戦状を交わし合うたものの、弓矢の一本も放たぬうちに冬期に入ってしまった。登任様にせっつかれるままに配下の五百を鳴子方面へ牽制に動かしたが、御覧の通り雪で全軍足止めじゃ。頼良にしても、冬の鳴子渓谷を間に挟んで我らと睨み合う他に動き様があるまい。登任様にはまことに気の毒だが、この膠着状態は木芽時まで続くだろうな」

「そうこうしているうちに登任様の任期は満了。睨み合いのまま戦をせずに済むという訳には参らぬものか」

 元親の希望に重成は首を振る。

「雪解けになれば一戦を交えぬわけにはいかぬだろう。登任様のあの御気性では、多少の無理をしてでも国府の大義を貫き通そうとするだろう。ともすれば、我が兵らに俘囚の毛皮を被せて衣川から味方へ弓矢を射かけさせかねぬ」

 溜息を吐いた重成が、じっと元親の顔を見つめて言った。

「そなたの前だから言うが、俘囚共の国府への怒り、至極当然のことに思う。この戦、我らに大義があるとは未だに思えぬ。出来れば雪解け早々に秋田へ引き返したいとさえ思うよ」

 重成の告白に、元親も頷く。

「某も城之介様の御前故内密に申し上げるが、この戦、要は登任様の横領の揉み消しが目的でござろう。あわよくば征夷を為して従四位下の官位に更に箔をつけたいか、うまいところで手を打って砂金の恩恵に預かりたいか。いずれ賦貢の半分に手をつけたとあっては簡単に埋め合わせできぬ。故に京に帰る前にどうしても一戦起こして既成を付けておかなくてはならぬという事情でしょう」

 重成が呆れたように笑った。

「あれほどの牛馬の行列を遣って運ぶほどの進物を半分もか! いや、あれで半分くすねた後だとしたら余程のものぞ。いやはや、そんなことだろうとは思っておったが」

 呵々と笑い声をあげた後に沈鬱な表情で俯く。

「そんな理由で我らはこの通り鳴子峠で吹雪の中震えておるわけか。これで戦にでもなって討たれる我が兵達は堪らぬな。そんな理由で朝敵とされる俘囚共は、猶堪らぬものよな」

 頷きながら、元親も俯き暫し無言で薪の炎に目を落とす。

 暫くして、「元親殿」と重成が口を開く。

「俘囚達との戦を避ける方法が、ひとつだけあるぞ」

 元親が顔を上げる。

「京の公卿共が厭うて止まぬ侍衆が二人おる。一人は我ら平氏、もう一人は外ならぬ源氏じゃ。殿上人らは我ら武家が力を持ちたがるのを忌み嫌う。だが武家を使わねば戦が出来ぬ。我ら平氏の次は源氏を戦に引っ張り出さざるを得ぬだろうが、源氏は特に狂犬じゃ。理など通用せぬ。一度これと決め喰らいついたら首を引き千切るまで決して牙を緩めぬ。登任様などより余程戦功に貪欲じゃ。朝廷は源氏が手柄を立て勢力を持つことを決して望むまい」

 元親は黙って重成の話を聞いていたが、彼が言わんとしていることを理解すると驚いて声を上げた。

「城之介様、それはつまり――」

 重成は頷いて言った。

「即ち、我ら秋田勢五百が、この鬼切部で安倍に大敗を喫することじゃ。我ら出羽の精鋭が敗れたとなれば相手は紛れもなき強敵、戦が長引けば武家に余計な手柄を与える機会となる。朝廷は簡単に新たな援軍を派遣せず、安倍との和議を進めようとするだろう。……そうすれば、次の戦は避けられる」

 さすがの元親も吹き出した。

「それでは結局一度は戦をしなければならぬ理屈ですぞ。それも負け戦が前提とは」

 戯言かと思い笑う元親だったが、重成は真顔で頷いた。

「然り。だが二度目は避けられるやも」

 重成の穏やかならぬ眼差しに、元親は笑顔を飲み込んだ。



「懸念するに――この戦、一手を誤れば十年……否、百年の後まで尾を引くかもしれぬ」

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