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第5章 2
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……絶望に綻びが生じたのは、ほんの小さな疑問からだった。
そもそも、僕は自分自身の忌まわしい罪悪の幻に後ろめたさを感じる余り、母の言葉を取り違えていたのではないか。
――おまえが、あの子をどう思っているかは聞きません
――おまえさえ、忘れてくれればいい
――あの子のことは全て、私が墓場まで持っていきます
……母の言葉は、姉の事しか触れていない。それも、姉の穏やかならぬ現状を匂わせるような。僕と姉との許されざる禁忌とは別の、しかし母をして戦慄を禁じ得ぬほどに悍ましい何かに怯えるような事態に、彼女もまた直面している様子だった。
これも僕を更に更なるを極めし絶望の淵に立たせ生ける者が味わえる限りを越する悪夢を目論もうとするあの卑劣極まりない化け物の罠だとしたら。そのために僕に生涯封印されるべき禁忌を破られし絶望の幻像を垣間見せ姉のみならずいずれ生みの母にまでこの手で辱めを加えさしめることを目論んでいたとしたら。
昨日、思い切って母に姉のことを問い詰めた。姉の今置かれている状況。そしてこれから姉をどうするつもりなのか。
「これからも、ずっと姉さまをあそこに閉じ込めておくつもりですか? もうお祖父さまも死んだというのに」
僕の剣幕に、母は力なく呟いた。
「わたしは刀子に、あそこから出るな、なんて一度も命じた覚えはないわ。ただおまえに会ってはいけないと。なのに……ああ」
項垂れた母の真っ青な顔が、不意にクシャリと歪む。
「お前が家を出たすぐ後からよ、あの子はまるで人が変わったようになってしまって。……抜け殻みたいな表情で、毎日毎日、勝太郎、勝太郎って譫言のようにおまえの名前を呟くばかり……ああ、あんな姿を見るくらいなら、今までみたいにただ終始笑っていてくれた方がどれほど良かったか」
母の膝の上に、ポロポロと涙が零れ落ちる。
「お願い、刀子に会っては駄目。いえ、今の刀子を見ないであげて。……どうして、一体誰が、あの子に何をしたの? あの子が何をしたというの? ああっ、可哀想な刀子!」
静かな、しかし今にも身も心も粉々に砕けそうな慟哭。もし息子が身じろぎ一つでもすれば、たちまち壊れてしまいそうな。……母もまた、あの忌まわしい化け物によって長い悪夢にとり憑かれ苦しめられ続けていた一人だったのか。
涙に咽ぶ母に無言で一礼し、部屋を出ようとした僕を、母が呼び止めた。
振り返ると、母は赤く泣き腫らした目で僕を見上げ、まるで縋るような顔で訪ねた。
「ねえ……勝太郎。まさかとは思うけれど、刀子とは、姉弟で……その……何も、なかったのよね? お願い、答えて?」
僕は確信を込めてはっきりと母に言った。
「姉さまとは一度もお会いしていませんよ。……十年間、一度も」
――これはおまえ自身が望んだことなのよ? そして、刀子自身も望んだこと。……わたしは、お前たち姉弟の願いを叶えてやっただけ
……あの化け物はそうとも言っていた。
もしお姉さまもまた僕と同じように、今もなおあの化け物に責め苛まれ、淫らな悪夢に惑わされているのだとしたら。
今までずっと僕が見せつけられてきたもの、或いはあの夜に僕が見たもの。あんな強烈な淫幻を姉も強いられているのだとしたら、いくらニコニコ笑っているばかりの姉でも正気のままではいられないだろう。あの夜の凄惨な凌辱劇が、もし姉の身にも降りかかっているのだとしたら。
――おまえはこれから毎夜毎晩夢で現でわたしに操られるがまま、自分の姉を壊れるまでめちゃくちゃに弄び続けることになるのよ?
……化け物のおぞましい台詞とともに、虚空を見つめただ睦言を繰り返すばかりとなった、廃人と化した姉の無残な有様が脳裏に浮かぶ。――嗚呼っ!
そもそも、僕は自分自身の忌まわしい罪悪の幻に後ろめたさを感じる余り、母の言葉を取り違えていたのではないか。
――おまえが、あの子をどう思っているかは聞きません
――おまえさえ、忘れてくれればいい
――あの子のことは全て、私が墓場まで持っていきます
……母の言葉は、姉の事しか触れていない。それも、姉の穏やかならぬ現状を匂わせるような。僕と姉との許されざる禁忌とは別の、しかし母をして戦慄を禁じ得ぬほどに悍ましい何かに怯えるような事態に、彼女もまた直面している様子だった。
これも僕を更に更なるを極めし絶望の淵に立たせ生ける者が味わえる限りを越する悪夢を目論もうとするあの卑劣極まりない化け物の罠だとしたら。そのために僕に生涯封印されるべき禁忌を破られし絶望の幻像を垣間見せ姉のみならずいずれ生みの母にまでこの手で辱めを加えさしめることを目論んでいたとしたら。
昨日、思い切って母に姉のことを問い詰めた。姉の今置かれている状況。そしてこれから姉をどうするつもりなのか。
「これからも、ずっと姉さまをあそこに閉じ込めておくつもりですか? もうお祖父さまも死んだというのに」
僕の剣幕に、母は力なく呟いた。
「わたしは刀子に、あそこから出るな、なんて一度も命じた覚えはないわ。ただおまえに会ってはいけないと。なのに……ああ」
項垂れた母の真っ青な顔が、不意にクシャリと歪む。
「お前が家を出たすぐ後からよ、あの子はまるで人が変わったようになってしまって。……抜け殻みたいな表情で、毎日毎日、勝太郎、勝太郎って譫言のようにおまえの名前を呟くばかり……ああ、あんな姿を見るくらいなら、今までみたいにただ終始笑っていてくれた方がどれほど良かったか」
母の膝の上に、ポロポロと涙が零れ落ちる。
「お願い、刀子に会っては駄目。いえ、今の刀子を見ないであげて。……どうして、一体誰が、あの子に何をしたの? あの子が何をしたというの? ああっ、可哀想な刀子!」
静かな、しかし今にも身も心も粉々に砕けそうな慟哭。もし息子が身じろぎ一つでもすれば、たちまち壊れてしまいそうな。……母もまた、あの忌まわしい化け物によって長い悪夢にとり憑かれ苦しめられ続けていた一人だったのか。
涙に咽ぶ母に無言で一礼し、部屋を出ようとした僕を、母が呼び止めた。
振り返ると、母は赤く泣き腫らした目で僕を見上げ、まるで縋るような顔で訪ねた。
「ねえ……勝太郎。まさかとは思うけれど、刀子とは、姉弟で……その……何も、なかったのよね? お願い、答えて?」
僕は確信を込めてはっきりと母に言った。
「姉さまとは一度もお会いしていませんよ。……十年間、一度も」
――これはおまえ自身が望んだことなのよ? そして、刀子自身も望んだこと。……わたしは、お前たち姉弟の願いを叶えてやっただけ
……あの化け物はそうとも言っていた。
もしお姉さまもまた僕と同じように、今もなおあの化け物に責め苛まれ、淫らな悪夢に惑わされているのだとしたら。
今までずっと僕が見せつけられてきたもの、或いはあの夜に僕が見たもの。あんな強烈な淫幻を姉も強いられているのだとしたら、いくらニコニコ笑っているばかりの姉でも正気のままではいられないだろう。あの夜の凄惨な凌辱劇が、もし姉の身にも降りかかっているのだとしたら。
――おまえはこれから毎夜毎晩夢で現でわたしに操られるがまま、自分の姉を壊れるまでめちゃくちゃに弄び続けることになるのよ?
……化け物のおぞましい台詞とともに、虚空を見つめただ睦言を繰り返すばかりとなった、廃人と化した姉の無残な有様が脳裏に浮かぶ。――嗚呼っ!
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