皇兄の贖罪、皇帝の切願

隼人 薙

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 毒々しいほど真っ赤な唇が弧をえがく。

────お前の好きな物はこれよ。

────それは駄目、お前には相応ふさわしくないわ。

────お前はただ、わたくしの言うことをきいていればいいの。

 その唇からつむがれる言葉もまた、私をむしばみ、縛り付ける毒だった。

 従順であれ。
 皇帝の子として相応しくあれ。

 押し付けられた理想は”私”を食い潰す。
 ”私”の全てが否定され、あやつり人形の”翡翠の君”であることを強要される。
 じわじわと塗り潰されていく恐怖に怯える日々。
 真綿で首を絞められるような、妙な息苦しさを常に抱えていた。

 いっそ、消えてしまえば楽になれるだろうか。

 必死に”私”をとどめようとするから苦しいのだと、手放してしまえば良いのだと、そんな考えに取りかれるほど思い詰めるようになった頃。

 私は、蘇芳に出会った。

 人の居ないところであれば息が出来ると気付き、よく人気ひとけのない所に行ってはぼんやりと時を過ごしていた私の元に、ある日まろぶようにやって来た小さな子ども。
 人の気配に怯えるその子に、気が付けば手を差し伸べていた。

 恐る恐る握り返される手。
 初めて触れる他人の体温が、私を雁字搦がんじがらめにしていた毒を少しずつ溶かす。
 私にすがり付きながら、寂しいと泣く蘇芳。
 その小さな身体を抱き締めて、守らねばと、心に決める。
 消えてしまおうなどとは、もう思わなかった。

 あにうえ、あにうえ、と。
 翌日から、蘇芳が毎日のようにやって来ては私の後をついてまわるようになった。
 透き通った金の目が映すのは、”翡翠の君”ではなく”私”で。
 初めて”私”を見てくれたのが、蘇芳だった。
 それだけではない。

────あにうえは、お花が好きなの?

 私ですら忘れていた”私”を、一つずつ、教えてくれた。
 それがどれほど嬉しかったか、きっと蘇芳は知らない。
 息苦しさは、いつの間にか消えていた。

 いつまでもこの時が続けば良いと、願う。
 けれど、それは無惨にも打ち砕かれる。

 そろそろ後宮を出てはどうかと、父である皇帝から打診があった。
 打診と言えど、皇帝の言葉は絶対。
 拒否権はなかった。

 いやだ、いなくならないで、置いていかないでと、蘇芳はいつになく泣き叫んだ。
 私は、また会えるからと、なだめることしか出来なかった。

 絶対に約束だよと、耳元でささやかれた言葉。
 それは、蘇芳の真名まなだった。

 もう、誰も呼んでくれる人がいないからと。
 次に会えたら呼んで欲しいと。
 涙に濡れた目で乞う蘇芳。

 私も、震える声で、一度も呼ばれたことのない真名を返した。

 そうして、私は後宮を出ていった。
 母君が亡くなった後、蘇芳の為にと後宮に乗り込んだという叔母君がいると聞いていたから。
 支える人がいるならばきっと大丈夫だろうと、そう思って。

 甘かった。

 数年後、後宮を出たと聞いてから遠目に見かけた蘇芳は、感情を失っていた。

 笑うことも、泣くこともなく。
 やたらと威勢のいい侍従に振り回されても、無反応。
 受け答えすら、最低限。

 蘇芳に自我を取り戻してもらう前の、私を見ているようだった。

 そんな蘇芳は見たくない。
 どうにかしなければと思うのに、近づくことすらできない己の身をうらんだ。

 更に間の悪いことに、皇后が蘇芳に目を付けてしまった。
 蘇芳を害そうとするその計画を偶然立ち聞きし、私一人ではどうにも出来ないと、なりふり構っていられず賭けに出た。

 私が後宮から出てすぐ、皇帝に何人かの家臣たちと面通りさせられた時。
 一人、これはと思う男がいた。

 悪意にさらされ続けた私がいつの間にか身につけていた勘のようなもの。
 悪意を持つ者に対して悪寒がする程度のものだけれど。
 それを信じて、人目を盗みつつその男を探し回る。
 練兵場の近くを暢気のんきに散歩していたその男。
 それが、范大尉だった。

 あせりで感情をき出しにした私に戸惑いつつも、即座に動いた范大尉。
 私は、賭けに勝った。
 けれど。

「翡翠殿下。蘇芳殿下のご様子が……」

 肩で息をしながら私を呼びに来た范大尉に連れられて急いだ先。
 血溜まりに倒れ込んだ少年と、そのそばで剣を手に威嚇する蘇芳がいた。
 蘇芳に近付けず、狼狽うろたえていた武官の目がこちらを向く。

「叔父上!? なぜその方を!?」

 何やら范大尉に食ってかかる年若い武官を無視して、ゆっくりと蘇芳に歩み寄る。

「蘇芳」

 呼びかけながら、両手を差し出す。
 本当は、約束通りに真名を呼びたかった。
 でも、呼べなかった。
 人がいるというのもあったけれど、何より、私に真名を呼ぶ資格はないと、思ってしまったから。

 びくりと震えた蘇芳の手から、剣が落ちる。

「大丈夫……もう、大丈夫ですよ」

 以前よりも大きくなった、それでいてまだ私より小さな身体を抱き締める。
 蘇芳が、声を押し殺して泣き出す。
 これ以上、感情を押し込めて我慢させたくない。
 腕の力を強める。

「我慢しないで、泣いて良いんです」

 瞬間、せきを切ったようにわんわんと泣き叫ぶ蘇芳。
 泣き疲れて眠ってしまうまで、私は蘇芳を抱き締め続けた。

「范大尉」
「はっ」

 蘇芳の髪を梳くように頭を撫でながら、話しかける。

「蘇芳を、お願いします。どうかこの子に、武官の力を。……私では、守りきれませんから」

 皇后が望むのは私を帝位に就けること。
 そして皇后にとって武力とは、野蛮なもの。
 皇帝が振るうべきものではないと、私から遠ざけているから間違いない。
 蘇芳が武官側に寄れば、おそらく継承権を放棄したとして見逃されるはず。

「必ずや、お守り申し上げます」

 范大尉の返答に頷く。
 蘇芳の額に口付けを落としてから、起こさないようそっと范大尉に預けた。

 それが、蘇芳に触れた最後の記憶。
 もう、十年も前のこと。

 血溜まりに倒れていた蘇芳の侍従の少年は、命を取り留めたらしい。
 とはいえかなりの重症だったらしく、侍従は少年の双子の弟に代わったという。
 蘇芳は記憶が混濁こんだくしていて、事件の事を覚えていなかったと、後々のちのち范大尉から聞いた。

 蘇芳とはその後も宴などで顔を合わせることはあったものの、話すことすらなく。
 どころか、少しずつ感情を取り戻していく蘇芳に、睨まれてばかりだった。

 嫌われてしまったのは、仕方がない。
 蘇芳からすれば、私はあの子を見捨てたように見えただろうから。
 こっそり守ってあげられるだけ幸せなのだと、痛む心から目をそむけ続けた。

 けれど、それももう終わり。

「陛下が……崩御、あそばしました……」

 こうべを垂れた侍女が告げる。
 時が、目まぐるしく動こうとしていた。
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