皇兄の贖罪、皇帝の切願

隼人 薙

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 皇后を、この国の膿を道連れに消えようと、そう、思っていた。
 いた、のに。
 これは、一体どういうことだろう。

 本当なら今頃は、私が帝位に就いていてもおかしくなかった。
 けれど実際は、帝位は未だ空席のまま。
 なぜなら。

 曰く、毒を扱う密売組織が捕まり、壊滅したらしい。
 曰く、皇帝は毒殺されたらしい。
 曰く、皇后の周囲で不審死が相次いでいるらしい。

 ここしばらくの間に広まった噂の数々が、皇后の勢いを大きく落としているから。

 直接皇后の名が出ているものもあれば、他の噂と併せると皇后が浮かび上がるものまで、様々。
 その噂のどれもに、皇后の影が見える。
 結果。

 人形の兄皇子と放蕩ほうとうの弟皇子、どちらがまだましか。

 以前から囁かれていたその言葉。
 蘇芳が、本格的にかつぎ出されてしまった。

 放蕩だの何だのと散々こき下ろしておいて、利用価値を見出みいだした途端にてのひらを返すその態度に、怒りが湧く。
 蘇芳は、権力の奪い合いをするための駒などではないのに。
 けれど、それにばかり意識を割いてはいられない。

「あの小僧、せっかく見逃してあげたのに、またわたくしの邪魔をするのね」

 とうとう蘇芳が、完全に敵として皇后に認識されてしまった。
 日に日に、蘇芳を皇帝に、という声なき声が大きくなる。
 誰も口には出さない。
 けれど、多くの者がそれを肌で感じ取っている。
 それにれたのは、皇后だった。

「たかが賢妃の子が調子に乗って……! 目に物見せてやるわ!」

 鬼のような形相ぎょうそうわめき散らす皇后。
 蘇芳が優勢になってきている事が相当こたえているらしく、最近は毎日のように暴れていて、もはや正気とは言えない状態だ。

じん家に、実家に帰るわ。小僧め、叩きのめしてやる!」

 私を連れ沈家に引きこもった皇后は、味方を集め、蘇芳に宣戦布告した。
 あれほど忌み嫌っていた武力を持ち出すくらいに、皇后は追い詰められていたらしい。

 蘇芳相手に武力で勝負を持ちかけた時点で、皇后の負けは確定したようなもの。
 あの子は一時期、国境で度々たびたび起こる小競り合いを、兵を率いて鎮圧して回っていた。
 その頃の話は范大尉から聞いていて、蘇芳がいかに強いか、私はよく知っている。
 予定とは少し違っているけれど、これで、帝位は蘇芳の手に渡るだろう。
 私を次の皇帝だと持ち上げる沈家の人々を横目で見遣みやりながら、どう動くべきか、考え込んでいた。

 数日後。

「早く、早くあの小僧の首を取っておしまいなさい!」

 沈家の治める地域、皇都にほど近い平原で睨み合う、蘇芳と皇后と、それぞれの陣営。
 皇后の悲鳴にも似た叫び声に、こちら側の陣営が進軍を開始する。
 それに呼応するように、蘇芳の陣営も動き出す。
 私はそっと、ふところに忍ばせた短剣に手をやった。

 数日考え抜いた、最善。
 皇后は蘇芳に討ち取らせ、私は自害しようと、答えを出した。

 私が皇后に手を下してしまえば、蘇芳が皇帝になることをとやかく言うものが出て、帝位争いが泥沼化してしまうだろう。
 だから、皇后は蘇芳が討ち取るのが一番いい。
 そして私が生き残ってしまえば、それはそれでまた帝位争いになってしまう。
 でも、蘇芳の手を汚させたくはない。
 皇后に関してはそれが最善だとしても、せめて、私は。
 兄殺しまで、させたくはなかった。

 視界の先で、蘇芳の陣営から一騎、青毛の軍馬が躍り出る。
 一際ひときわ立派な体格を誇るその馬に跨っているのは。

「蘇芳……」

 両陣営共に動揺が走る。
 本来ならば本陣で総指揮を執るはずの大将が、最前線を駆けるなんて有り得ない。
 そう、本来ならば。

 圧倒的な覇気を放つ蘇芳に、両陣営の動揺は別のものへと変化していく。
 蘇芳の陣営は英雄のようなその後ろ姿に大きく士気しきを上げ。
 相対あいたいするこちら側は急速に戦意を喪失する。

 蘇芳だからこそ、できること。
 地の利、天の利すらひっくり返して戦場の全てを掌握しょうあくし、塗り替える。
 そうやって、蘇芳はいくつもの死線をくぐり抜けてきた。

 私は今、話でしか知らなかったその片鱗を見ている。
 ぞくりと、背筋が沸き立つような高揚感が私を包む。

 なんて、なんて美しいのだろう。
 大刀だいとうを自在に操り敵を蹴散らすその姿から、目が離せない。
 次から次へとこちら側の将が立ちふさがり、その行く手をはばむ。
 しかし誰も、その足を止めることはかなわない。
 ろくに切り結ぶことすらできず、地に伏せる。
 蘇芳がこちら側の本陣、皇后と私のいる所に辿り着くまで、そう時間はかからなかった。

「お、お前、どうやってここに来た!」

 目の前に現れてようやく、蘇芳に気付いた皇后が叫ぶ。

「全て斬り伏せて。それ以外にあるまい。覚悟はできたか、皇后。今までの清算をする覚悟は」

 馬を降り、大刀を剣に持ち替えた蘇芳が、皇后に歩み寄る。

「う、うるさい。うるさい、うるさい! お前さえいなければ……!」

 そばに立て掛けてあった剣を抜き放って滅茶苦茶に振り回し、蘇芳に斬りかかる皇后。
 振り乱した髪に、血走った目。
 その姿は美しさからはほど遠い、まさに悪鬼のようだ。

「狂ったか、皇后」
「だまれぇ!」

 ふぅ、と蘇芳が細く息を吐く。
 皇后の剣を冷静にかわしながら、その胸を真っ直ぐ貫いた。

「お、のれぇ……」

 ごぷりと、血とともに怨念じみた一言を吐いて、皇后は息絶える。
 その亡骸なきがらを地面に横たえ、口の端の血を拭ってから目を閉じさせる蘇芳。
 すっと向けられた金色と、視線が絡む。

「……兄上」

 蘇芳が真っ直ぐに私を見つめながら呟く。
 最期の最期に、蘇芳が私を見て、私を呼んでくれた。
 それだけで満たされた気分になる。

 でも、本当の事を言うならば。
 もっと、何気なにげない話をしてみたかった。
 何のしがらみもなく、笑い合いたかった。
 それを願うにはもう、手遅れなところに私たちは来てしまっている。

 私は今、上手く笑えているだろうか。

「ごめんなさい、蘇芳」

 懐から短剣を取り出す。
 さやを払い、自身の喉元に切っ先を向ける。

 私がもっと上手く立ち回れていれば、蘇芳が皇后殺しに手を染める必要なんてなかった。
 ともすれば帝位簒奪者さんだつしゃとしてそしりを受けるかもしれない行動なんて、起こす必要はなかった。

「ごめんなさい」

 せめて。
 せめて蘇芳が、兄殺しにまで手を染めずに済むように。

 そして願わくば。
 この先、蘇芳が平穏でいられるように。

 願いながら、手にした短剣を己の首に振り下ろ────せなかった。

 持っていた短剣に衝撃が走り、あらぬ方向へと吹き飛ぶ。
 蘇芳が蹴り飛ばしたのだと理解するまで、数拍必要だった。

「蘇芳……?」

力強い金色が、ひたりと私を見据える。

「貴方は捕らえさせてもらう。勝手に死ぬことは許さない」
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